Ventus  189










「世界っていうのは、広がっていくものなんだな」
「知れば知るほどに、生きれば生きるほどに。そう仰りたいのですか」
緑の大地が広がる。
二人きり、放り出された。
輸送車の中では沈黙が痛いほどで、静寂を好む方だが居心地が悪かった。
なにがそうさせるのか、を考え続けて数時間。

「ここはどこだ」
「作戦指示は」
「ちゃんと頭に入っている。ローズワース女史といると、どうも自分が」
ジョークが得意な訳でも、ウィットに富んだ話を好むわけでもないが、話がすべて上滑りしている感覚が否めない。
居心地の悪さは、話の噛み合わなさ。
黙っていればいいのだが、それでもリヴ・ローズワースの存在感は見えない波動として押し寄せてきた。
隣に並んで良く分かる。
モデルのようなスタイルに姿勢の良さ、背は高く、陸上選手のような骨格と理想的な筋肉。
確定的に美人と称せるだけの顔の各パーツと配置。
しかしそれらを相殺するだけの、威圧感と無表情があった。
空気に重量を感じた。

車両は二人を降ろして撤収した。
歩いて山を越え、向うの村で宿泊する。
山越えは一時間半を見込んでいる。
木々が分かれた山道に目をやった。

「二時間はかかりそうだ」
低木が迫り来る小道に、クレイは荷の位置を改めリヴ・ローズワースを振り返った。
クレイの意図することを読み取れて、リヴは眉を微かに寄せた。

「山道は頭に入っておりますので先行します」
長い脚に張り付くスラックスがクレイを追い越した。
彼女ならば全体の起伏も計算に入れつつベストなペース配分で進めるはずだ。
便利な奴だとクレイは彼女の背中に付かず離れず追い掛けながら思った。

一時間が経過したところで、ふとリヴの足が速度を緩めた。
大きな耳が付いていたら、直立していただろう。
警戒の体勢だ。

リヴが自分の右肩を叩いた。
肩の上で止まった右手の指が一本立ち上がる。
来たか、クレイが腰に右手を回した。
止まるか。
クレイの判断はそうだったが、リヴは前傾姿勢で腕を前に振った。
前進。
リヴは速度を上げて走り出す。
木の根は張り、落ち葉は降り積もり、草は砂地に張り付いた、荒れた山道を足を滑らせることなく、音もほとんど立てずに走る。
大きな石があろうとも、跳び上がり揺らぐことなく見事に着地する姿は、野生の動物のようだった。
どういう訓練を受けてきたのか、彼女の経歴が気になった。
しかし、そちらに気を削がれている場合ではない。
注視すべきは右手から迫ってくる、低木を掻き分ける音と気配だ。
リヴが後ろ手に、クレイへ手のひらを向けた。
クレイは身を低くして腰の物に手を添えた。

戦闘開始。
口にしたのはいずれか。
クレイが刃を抜き放ち、リヴが振り返ったときには天頂は陰に曇っていた。

獣(ビースト)だ。
四足歩行の巨大な獣。
獲物を仕留める鋭い牙。
眼はクレイを見下ろしていた。
跳躍する獣(ビースト)はクレイの上を掠めて、小路を挟んだ対岸の茂みに飛び込んだ。
クレイはその隙に荷を下ろし、軽装の攻撃態勢に移行する。
アームブレードの腕はそれなりを自負するが、短刀の扱いはあまり自身が無い。
体術の指南も受けたが、熟練のお墨付きにはまだ遠い。

茂みの音を目で追う。
向こうもただ闇雲に動き回るのではなく、こちらの気配を伺い見ている。
現の世の獣にあらず。
実際に対峙してみて分かる。
獣(ビースト)とは高い知能と身体能力を有した種だ。
彼らを吐き出す神門(ゲート)の向うはどうなっている。
クレイが垣間見たのは蠢く眼と、人の心の黒く醜いものを抉りだす闇だった。

草間から鋭く光る眼に射抜かれた。
呼吸が止まる。
人の心を読む眼だ。
人語の記号を介さず、ダイレクトに吸い出す眼だ。

「なぜおまえはここにいる」
獣、なれば問わぬこと。
獣(ビースト)ゆえに。

「なぜおまえたちはここに来た」
その意図のありかを。
低く唸る声はクレイの問いかけを理解したものか、あるいは警戒か、威嚇か。
リヴはクレイが獣と対話する様を、奇異なことと傍観するではなく、状況を静観していた。
クレイとその身の倍はあろうかという獣(ビースト)の睨みあいに割って入らない。
互いの間合いを測り、意図を探り合うように見えたからだ。

先に拮抗を崩したのは獣(ビースト)だった。
対話が不成立というよりはむしろ、貴様に話して何となるとでも言いたげにクレイだけを見据えたまま牙を向いた。
クレイは確信する。
この存在は、深い思慮と高度な思考を有する生物だ。
その意図は知れないが、ここに在るべくして在るのだと。

去るなら追うつもりはない。
逃げるのを良しとしてくれるなら、深入りはしない。
だが、目の前の生物の回答はいずれでもなかった。

ならば。
クレイは短刀を構えた。
その牙に応えよう。
視界の端で、リヴも微かに身構える様を見てとった。

狭い山道での鋭く黄色い爪がクレイの肩の横で風を切る。
動きは以前、研究施設で発生した獣(ビースト)と同じだ。
しかし避けるのが精一杯で、なかなか攻撃の隙が無い。
体がアームブレードの空気抵抗とレンジに慣れてしまっている。
踏み込むタイミング、短刀の捌きが上滑りしている。
深く踏み込むのに、微かな恐怖が身を引いてしまう。
獣(ビースト)との距離が近い。
それでも前脚を払い落し、獣(ビースト)の勢いを僅かながらに削いだ。
そこでようやくリヴが声を上げた。

「捕獲します。身を伏せて」
獣(ビースト)がクレイの上に影を落とす。
クレイはそれを避けるように小道の左へと転がった。
クレイの脇で駆けこんできたリヴが踏み切ると、両手で逆手に握った短刀を獣(ビースト)の脇へと突き入れた。
助走、踏切、振り下ろし、一連の動作が一つの動きとなり無駄が無い。
行き過ぎる獣(ビースト)の躱し方も、体の軸の乱れが無い。
擦れ違う獣(ビースト)の巨体は、すぐさま向きを反転させリヴへ跳びかかった。
彼女は応戦する。
二度、三度と押されながらも凌いだところで、獣(ビースト)の動きが急激に鈍った。
四度目に爪を振り上げたところで、リヴの体には届かず地面に倒れ伏した。

「死んだ?」
リヴの短刀はクレイよりも小ぶりで、致命傷にしては傷が浅い。
厚い皮膚を貫けたかどうかというほどの代物だ。

「麻酔を塗布してあります」
血を拭い、鞘に慎重に収めた。

「手を貸していただけますか」
言い終わらないうちにリヴが完全に意識を喪失した獣(ビースト)の腹に手を掛けた。
クレイが隣に並び、脚の付け根辺りに手をかけると、掛け声とともに道の脇へと転がした。
上に草をかけて、リヴが立ち上がると取り出した端末で現場写真を一枚撮った。
それを添付してメールする。

「一時間以内に回収にくるでしょう」
現場はクレイたちが暴れ、獣(ビースト)を隠蔽した現場は荒れていた。
草が押し潰され、草の汁と血が汚した山道に違和感があったが、その違和感を感じる人間はここを通らない。

「どうするつもりだ。あの研究施設のように飼うつもりか」
「サンプルとして飼育はします。ですがあれから抽出しようなどと考えてはおりません」
混同しないように、観察眼を鍛えてくださいと反論された。
研究施設が施していただろう抽出、についてもう少し話を聞きたかったが、リヴは再び先行して進み始めて切っ掛けを逸した。
強い女だ。
実に安定した女だ。
動作が安定している、思考が安定している。
冷静さと、閃光のような判断力はこれまでに見たことがない。

以降は獣(ビースト)とは遭遇しなかった。
同種の血の匂いを察して、避けたのかもしれないが真相は不明だ。

村が見え、真っ先に宿に向かった。
返り血を浴びた体が生臭い。
上着を羽織って、隠しはしたものの立ち止まっていたら臭いが浮き上がる。
手早く記帳を済ませると、部屋で手持ちの服に着替えた。

「神門(ゲート)に参りましょう。ここから二時間」
「徒歩か?」
「一時間半は足を用意しました。半時間は徒歩です」
まもなく二名は出立した。
村の外れに小型車両が停まっていた。
車体に寄り掛かっているのは中年の髭を生やした男だった。
整備員なのか繋ぎの作業服は油で汚れていた。
リブの顔を見ると、微かに顎を持ち上げた。
男が窓から手を突き入れて、運転席から端末を取り出す。
リヴが腕を捲り上げ、腕の内側をその端末の上に乗せた。
手首より少し上を端末に押し付けて何を、と奇異の目で見ていたクレイに構わずリヴは後部座席の扉を開けた。
二人並んで後部座席に乗り込んだのを確認して、男はエンジンを掛けた。
終始黙ったままだ。

「インプラントチップを使ったことはありませんか」
「まだ」
「では、これまでゲートはすべて」
「端末認証で」
「インプラントチップでの認証をお薦めします」
クレイは改めて服の袖を捲り上げて腕を凝視した。
施術の痕はない。
滑らかな肌に傷一つ付いていない。
五分ほど腕を預けて、二日間だけガーゼを張り付けたままだった。
違和感も何もなく、端末さえ持ち歩いていれば実生活に不便もないのでそのまま忘れていた。
確かに、各扉を潜るときに腕を翳して認証してくれるなら、楽かもしれない。

「腕が吹き飛ばされたら終わりだな。例えば、飛んだ腕を誰かが持ち出して悪用は」
「生体反応が途切れた時点でチップは自壊します。腕が飛ばされたら端末認証するしかないでしょう」
リヴが鞄の中から軽食を取り出した。
クレイも自分の水と食料を膝の上に乗せた。
食事とはいっても、穀物を固めたバーのようだ。
高カロリーで、口の中の水分を奪っていくので水で呑み下すように食べる。
味は悪くなかった。

「彼は」
「関係者です。それ以上のことは私も。彼も我々のことには関知しません」
とりたてての雑談もないまま、一時間半と予告した時間通りに車は停まった。
鬱蒼と茂る森の入り口だった。

「こちらの処分をお願いします」
リヴは先程着替えた衣服を車内に残して外に出た。
例のように車が立ち去るかと思ったが、クレイらが離れると男は座席を倒して昼寝を始めた。

「探索時間は神門(ゲート)までの到達時間も含めて三時間です。それまでに戻らなければ彼がディグダクトルに連絡します」
「さっさと神門(ゲート)とやらに接触して仕事を済ませよう」












go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page

















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送