Ventus  185










塞がったはずの傷が疼いた。
熱を持ち脈を打つ。
皮膚を裂いて突き刺さる、肉に食い込む痛覚が生々しく浮かび上がる。
鉄柵で囲まれ鉄条網が引かれ、その粗雑さと荒涼とした空間が人の侵入を拒んでいた。
扉は溶接され、コンクリートで埋め込まれ、完全に密封されている。
あの中で見た光景は忘れない。
狂気と混乱の空気は目の前にした今、脳内を再びかき乱す。


ここは朱連第二部隊により封鎖された。
いや、封印されたというのが正しい。
外部からの侵入者を阻むのではなく、内部から溢れる有象無象を押し込めるための箱を作った。
彼らは魑魅魍魎どもを封じ込めるらしい不思議な石を持っていた。
それを奴らに投げつけるのか、地面に埋め込むのか、あるいは奴らが止め処なく溢れるあの穴に放り込むのか。
用途は分からないながら、結果的に獣(ビースト)は漏れでてはいない。
定期巡回している警備兵からも報告は上がってきていない。

それまで薄らぼんやりとしか認識していなかった獣(ビースト)。
遠い地方に出没しては人を襲うという噂、あまりに遠すぎる現実に真っ向から向き合った。
のみならず、それらがこの世のものならぬ現実が何よりもの衝撃だった。
触れるものすべてが現実から乖離している。
知らなかった存在が、想像の及ばない事象が、今いる世界に存在していることが恐怖だった。

誰も説明してくれない。
それが何であるのかを明らかにする材料は手の内にない。
不可解なものが恐ろしかった。

「あれは神門(ゲート)と呼ばれるもの。獣(ビースト)はこの世の物にあらず、魔と称されるもの」
クレイ・カーティナーは横から叩きつけてくる西日に目を細めながら、黄昏迫り土に濃く影を染み付ける沈黙した建造物を見つめていた。
結局身内が施したである処置の中身さえもクレイは理解していない。
同じ朱連でありながら、知る者と知らざる者の格差を目の当たりにした。

口惜しさ。
知らない自分の劣等感。
それらが綯い交ぜになった複雑な感情が胎の中に溜まって燻っている。
溜息を吐き出しても排気できず気持ちの悪いままだった。

おかしなことを言っていた。

「残り香だと?」
自分の手のひらを鼻先に近づけたが、握りこんでいた汗ばんだ匂いしかしなかった。

ここは我らが預かりし、門。

我らとは。
白昼夢の中のできことはレポートから省いていた。
記す重要性のないものだ。
非現実、夢、妄想を載せるなど正気の沙汰ではない。

闇が増し、密集した施設群が大きなおどろおどろしい塊になり始めている。
もはやここはお前たちが来るべき場所ではなくなったのだと、圧力をかけているかのようだった。
そのまま居続ければ黒い塊に呑まれそうな気がして、道半ばで舗装されていない土道を引き返した。
目の前には紺色の自動車とその扉の前に女が一人待ち構えていた。
クレイがこちらに戻って来るのを認め、クレイの道半ばで彼女は運転席に回り込んだ。
助手席の扉を開いたクレイを、褐色の肌の美女は切れ上がった目尻で一瞥しエンジンを掛ける。

「収穫はありましたか」
彼女は上司からクレイ・カーティナーをこの地に再訪させる任務を与えられただけだった。
任務は受けてもその任務の意味、上司の意図は掴めていない。
上司が同行者に彼女、リヴ・ローズワースをあえて選んだ理由も併せて。

「思い出しただけだ。新たな発見は特にない」
「老(ラオ)はどのような些細な事柄でもきちんと受け止めて下さいます」
「妄言だ」
「他者と共有できない現実」
「リヴ・ローズワース。あなたは何を言いたい」
「あなたは神の存在を信じますか」
「神など、人が生み出した虚構、信仰心の象徴だ。形あるものは偶像に過ぎない」
「あるいは偶像にもなりはしました」
傍らにカタチとして祭りたいと人は像にした。

「しかしその存在をあなたは信じますか」
「何も、信じる確かなものなど存在しない」
「あなた自身が神を目にしたとしても?」
「存在を立証し得るのは確率だ」
一人がそこにそれが存在すると言っても、意味がない。
そこにそれが存在すると認識されるにはより多くの人間によって立証されねばならない。
万人により認められて初めてそれは真実たり得る。

「真実は数だと。存在は確率だと。仰るのならば」
その数値をひとつ上げてみましょうか、とリヴは相変わらず崩れない顔で言ってのけた。

「私は神を見ました」
壊れた神門(ゲート)に芽吹く再動の兆候を前にした。
聞いたクレイはフロントガラスを見つめたまま黙りこむ。

何かの誘導尋問か?
彼女は彼らの上司である老(ラオ)、すなわち彩(ツァイ)に命じられてクレイをここまで連れてきた。
誘導するにも何に導こうとしているのかは不明。

試験か検査でもするつもりか?
正常な思考かどうかの適性検査の可能性はなくはない。

「私は何も見てはいない。確かに獣(ビースト)はあの場所から発現した。それが神門(ゲート)と呼ばれたものであった。それだけだ、報告できるのは」
もう妄想や幻惑に囚われるのは御免だ。
深い深い闇の底に長い間留まっていた。
己の過去という澱に身体を絡めら取られ、心は動きを止めていた。
ようやっと救いだしてくれた、重い重い暗闇の扉を開いてくれた。
再び呼吸を始めた、その先にあったのは温かい世界だった。
それが、クレイにとっての現実で、生きている世界だった。

「視覚が捉えたものだけを真実と認めますか」
「人間にとって存在の有無は五感が捉えた感覚に依っての認識だと、そう考えているから」
「あなたが感じた、見た映像は視覚を通していないものだから、と」
「まるで私が見たものを見ていたような言い方だな」
「言ったでしょう。神は存在すると」
リヴはアクセルを丁寧に踏み込んだ。
彼女の車が滑らかに動きだし、徐々に速度を増していく。
砂埃を巻き上げ切れのある動きで風を切って走る。
車種も値段も分からないが、いい車なのだろう。
走り出し、加速も滑らかで音も静かだ。

「エストナールという国はご存知ですか」
「地理的な知識なら」
産業、気候、人種その他情報には疎い。

「私はそこに派遣されました」
「神門(ゲート)がどうのって話か」
車は荒野を突き抜けるように走る。
窓を開ければ乾いた風が吹き込んでくるが、砂も巻き込んで流れ込んでくるので窓は閉め切って密室だ。
リヴの少し低く、弦を引いたような艶やか声もかき消されることなく良く通る。
彼女が赴いたのは森だったと言う。

「森は深く、花があちらこちらに咲いていました」
声が描写を語れば、情景が浮かぶ。
淡々とした状況描写だが、彼女の声音がそうさせるのだろう。
詩か物語を読ませるといい。
でももう少し感情の起伏を混ぜると素敵ね、とクレイの友人は言っただろう。

リヴは花を採取し、森の奥に進んだ。

「酔香花は魔を遠ざける」
周囲に咲き乱れていた花は酔香花と言った。
彩はこの花の成分を分析し、獣(ビースト)の抑制に活用したいと考えていた。
ただ、ここは山岳地帯に住むエストナール人の領地だ。
酔香花の採取も領地への侵入も許されない。

「ディグダを通してエストナールの認可を受けることは避けました。これは老の一存だったからです」
「そのあたりが良く分からない。老はディグダには秘密裏に酔香花を調べたかったのか」
石と岩の間に砂塵が抜ける。
乾いた世界にも木々は生える。
深く根を張り、気まぐれに振る雨の一滴も必死に吸い取る。
道という道はなく、タイヤ痕だけが人の痕跡を刻む。

「酔香花群生の存在がディグダに知れると、ディグダは何としてでも酔香花を手に入れようとエストナールに干渉、圧力を掛けるでしょう。それを老は嫌いました」
「それだけか」
「酔香花が獣(ビースト)抑制に実用化できるという功績は老にとって重要な札となります」
「老は獣(ビースト)をどうしたい。ディグダと意見を異にするその差異は何だ」
「ディグダは神門(ゲート)を手中に収め、その力を活用したい。老は神門(ゲート)を森に返したいのです」
酔香花は獣(ビースト)の活動力を弱める。
それだけでなく人にも作用し酩酊する。

「緩衝地帯の再構築が目的です」
本来ならば神門(ゲート)は獣(ビースト)を濾過する。
森は漏れ出た小型の獣(ビースト)を受け止める。
人も、森の深部には踏み入れることはなかった。

「エストナールの神門(ゲート)は死んでいました。濾過する能力は失われています」
獣(ビースト)は生み出す神門(ゲート)。
だが、群生する酔香花の強烈な作用により獣(ビースト)は弱体化していた。

「エストナール神門(ゲート)を取り巻く環境は老が求めた森のモデル図なのです」
「それで、酔香花の採取と環境調査を」
酔香花の群生地帯への侵入は困難を極めた。
在住しているエストナール人の目が厳しく、監視を潜っての侵入、かつ痕跡を残してはならない緊張感。
酔香花は人の神経にも作用するため、長時間の滞在は不可能。
防護服を着ての作業などできるはずもないため、簡易的なマスク着用と濃度計測をしながらの作業だった。
洞窟内に侵入し最奥の神門(ゲート)を目指す。
弱体化したといっても獣(ビースト)の巣窟を突き進むのは至難だった。
行き過ぎると思った瞬間に引け、と老はリヴに言い含めていた。
リヴも、内偵は情報を持ち帰ってこそ達成し得るものだと理解していた。
慎重に迅速に奥へと進む。

「神門(ゲート)はありました。でもその神門(ゲート)は、生きていた」
「破壊されたって話じゃないのか」
「再動なのです」
「壊れたものが?」
「いままで死んだ神門(ゲート)が蘇るなど聞いたことがありませんでした」
おそらく、老が見せたかったのは神門(ゲート)の復活だった。

「神は、そこにいました」
「神門(ゲート)に、神」
「神は神門(ゲート)の守護者。主神に魔の通り道、神門(ゲート)を預けられたもの」
リヴはハンドルを強く握りこんだ。
速度は減速しつつ、追っていたタイヤ痕を外れる。

「どこに行くつもりだ」
そこに道はない。
少し走らせて停車した。

「中でお待ちください」
シートベルトを外して車外に両足を下ろした。
座席の下から棒状のものを握りこむと車体の後部へと颯爽と回り込む。
リヴの動きをフロント、サイドミラーで追っていたが手元の動きは良く見えない。
彼女はタイヤ痕から分岐した地点まで引き返し、地面に屈みこんだ。
手にしているのはホウキだ。
採掘でもしているかのように丁寧に自分のタイヤ痕を消している。
そのまま後ろ向きに手早く地面を掃きながら戻ってきた。
ホウキを引きずり運転席まで足跡を消すと、土を払って座席に腰を下ろした。

「お待たせしました」
「跡、また付くぞ」
「車体後部には砂塵を巻き上げる機能を搭載しております」
「そうまで気を使って行くところって」
「ここからは口を閉じた方がよろしいかと」
そう忠告し、車を動かしてすぐに車体が大きく跳ね上がった。

「なるほどな」
クレイは奥歯を噛み締める。
シートベルトのありがたさが良く分かった。












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