Ventus  184










「随分と遠回りをした。だが、無駄な道程だとは思っていない」
クレイに向き合った女性の白く乾いた肌には深い叡智の皺が刻まれていた。
目蓋は幾分皮膚が重く乗っているが、奥に光る眼光は鈍ってはいない。
美しい女性だった。
若かりし頃の美貌を今だ残している。
若さを抜け、経験で練り上げられた品位が、侵しがたい気品と知性を帯びている。
若さに爪を掛けてしがみ付いてこなかった、常に前を見据え己の成すべきことを信念を貫いてきた女性の強さを感じた。

真っ直ぐに伸びた背中と、鋭く知的な眼光、清浄な空気を纏う様は、彼女に似ている。
リヴ・ローズワース。
彼女が年を重ね、知識の層を厚くすれば、彩のような美しさを得るだろう。

「あなたが助けてくれたから、今私はここにいる」
「クレイ・カーティナーは私の期待通りに育ってくれた。あるいはそれ以上に」
「失望、させないよう努力致します」
「それを私は望んでいない」

奥歯を噛み締めて硬い顔をしている。
仮面を被っているような無表情だ。
石膏の像のように白皙の肌理細やかな肌と冷ややかさ。

「クレイ・カーティナーにはクレイ・カーティナーが生きてきた道がある。私はそれを見たい」
クレイだけではない、リヴ・ローズワースを始め彩が認め、側に置く人間に彼女は期待を寄せる。

「数ばかりの組織は破綻した。個々の意志による崩壊でもあるが、貫徹された意志の残滓はそこにはなかった」
ここにきて初めて石膏の顔に影が差した。
CRD(カルド)は彼女が育てた組織だった。
真にディグダの未来を憂い、想い、変革をなし得る人材を選り抜いた。
たとえそれが瓦解したとしても、彼女は多くの種から極僅かでも貫く意志のある者が摘み取れさえすれば、と願った。
そうして残ったのがリヴ・ローズワースと僅かこの屋敷にいる者たちだ。
ゆえに、彼女は願う。

「各々の累積された経験、崇高な意志、先見する聡明な判断力。それらこそ変革の芽吹きだ。私はそれらを欲する」
他人に命じられ、後手に動く人間は不要だ。
駒へ配慮のできない想像力が欠落した人間も不要だ。
己の経験を信じ、かつ世界に満ちる知識を吸収しようとする知識欲旺盛な者こそが、ここにいるべき人間だ。

「好奇心こそ、人を進化たらしめた。私はそう信じている」
「私には、他の人間のように活発でも好奇心旺盛でもない」
「真実を」
彩の目が煌いた。
その細く切れた瞼の奥に呑まれそうになる。

「知りたいと願うなら」
「あなたが求めるのは何です。あなたが構築したい世界の姿とは」
「それは、一言では言い得るものではない。あるいは言語として表現するには足りない」
恐ろしく時間のかかる作業だ。

「だからこそ、私は選んだ人間に私と同じ目の高さで道を歩いてもらうことにした」
彼女は人を集めた。

「人は人ゆえに、言語でなければ互いの意思を交わすことができない」
記号に変換しての交感だ。

「時間を要することだとしても、意味のあることだ」
互いを知ろうと、想像し慮り、摩擦してこそ理解が生まれる。
限りある時間、だからこそ大切なのだ、と彩は静かにクレイに語った。

「私は知ろうと思う。クレイ・カーティナーが望む世界を。リヴ・ローズワースが望む世界を。私の周りにいる人間たちが見る世界を」
「私が望む世界ときっとあなたが造りたい世界は違うと思います」
「違っていいのだ。我々は人で、スタンドアロンで、独立した個をもつ。世界の中心には何がある。考えながら、生きなさい」
クレイをその場に残し、彩はガラス窓から立ち去った。
裾の長い白の衣が輝き、光の中を滑るように歩いていく。
崩れることのない姿勢は神像をも思わせる。
彼女は世界を造ろうとしている。
CRDで土を耕し、蒔いた種をようやく刈り取った。
芽吹いた苗は彼女が希望していたより僅かだったが、それも彼女は予期していただろう。



「世界の中心にあるもの」
クレイの知る世界はまだ小さい。

「ここを、まだご案内しましょうか。それともあなたの部屋へ向かわれますか」
「私はリヴ・ローズワースと話がしたい」
リヴは沈黙する。
拒否する堅い顔ではない。
クレイの真意を量ろうと訝しげな空気が眉間に微かに漂っている。

「仕事はあるか」
「私の本日の業務はあなたをアテンドすることです」
「彩のことを聞きたい。あの人の一番近くにいるのは恐らく君だから。もちろん、リヴ・ローズワースのことも」
「お答えできることならば」
もちろん、質問に答えてもらったところで彩の人物が明らかになるわけではない。
思想の一端でも感じ取れればそれでいい。
二人は廊下に出た。
どこに行くともなく歩き、ふと窓を見れば青々と中庭が広がる。
建物に囲まれた庭は、空高くから光が落ちる。

「庭が、お好きですか」
「ああ」
好きだった、人がいた。
気づけば好きなもの全部、その人の好きだったものだ。

「椅子があります。お茶を持たせましょう」
「ああ」
簡単なものだった。
リヴが携帯端末で一言オーダーを入れれば庭の椅子が温まるころにはお茶が運ばれてくる。
鉄を白く塗装した、いかにも庭園にありそうな装飾が美しい椅子とテーブル。
しかしそれらが浮ついて見えないのは、庭も備品も手の込んだ作りをしてあるからだ。
その小さな庭に、リヴ・ローズワースはきれいに納まっていた。
品格という言葉が生きている。
ただの金のにおいではない、長年にわたり培われた筋が見える。
育ちがいい、というのはただ蝶よ花よと育てられたわけではない。
引き締まった横顔ときれいな背筋が物語っている。
彼女がどのような生き方をしてきたのか、それも追々知ることになるだろうとクレイは予感した。
同時に、知りたいとも思った。
その時点でおそらく、彼女に惹かれていたのだろう。
他人の生き様を取り込むなど、情緒の起伏は数年前には考えられなかった。

ポット入りの紅茶がリヴの手で注がれる。
褐色からほの白い湯気が持ち上がった。
細いカップの手に指を絡ませ持ち上げる。
装飾も美しいが、手に馴染みのいいカップはもっといい。

「重いカップは好きじゃない。これはいい。外も中身も」
「私もです。このカップは指に吸い付く感じが気に入っています」
ソーサーから淀みなく持ち上げて繊細な陶器の口を唇に押し付けた。
しっかりと皮膚の張った指は、仕事をしている指だ。
爪は長すぎずなく、しかしきちんと丸く整えられている。
華美な装飾はしない。
だが細やかに気を使う。
陽花の住まう、老の館にも通じる精神だ。
すなわち彩の色。

「まだ私は、老の、彩という人間の人格を知らない。彼女の思い描く世界が、見えない」
「老は膨張した世界に危機感を抱いています。ただ膨れるだけでは末端に血が通わない」
甘いものは要りますか? と彼女はクレイに尋ねた。
クレイは首を横に振る。
彼女の言葉と、彼女の目を通した彩の姿を見てみたい。

「どんな任務をするんだ」
「キースの下では偵察任務が多くありましたが、情報収集が主です。今は」
「情報、ね」
「世界の再構築に必要な材料を集めています。簡単に言えば、ですが。老お一人ではあまりに作業が膨大なので我々が目や耳になる。そう考えていただければ結構です」
世界の再構築とは、何とも壮大な夢だ。
それをこのような館の中で考えているのだから、正気を疑われても仕方がない。

「この屋敷に庭をひとつ作ろうかといった口ぶりだな」
「軽快で緻密なのです。惚れ惚れするくらいの信念です」
あの方は好奇心によって手繰り寄せられ蓄積された知性を尊んでいらっしゃいます、とリヴは目を伏せた。

「知りたいと思うことが大切だ。知ろうと追い続けることが大切だ。成熟などいらない。青くあれ」
衰えの知らない好奇心こそ、人を感性を成長させ変化し続ける。
逆に、好奇心が消失してしまったら、人は生きる意味を失う。

「あの方はいつも仰っています。無駄なことなど何もない。今いる自分を見ろと」
過去の無数の経験により今の自分がある。
過去の一片でも欠けると、今の自分は存在しない。

「最高の救いの言葉だとは思いませんか」
過去から逃れられないのならば受け入れる。
自分を愛せよと、彩は言っている。

「私は彼女の思考を愛しました。きっと、あなたも」
宗教染みている。
だが、神は彩ではない。
彩が尊ぶのは彩でも、見えない神でもない。
各々の精神であり、個性だった。
自分でない誰かが世界を変えてくれるのではない。
自分自身が、世界を胎動させるパーツになる。
なれるか、という自問はここでは存在しない。












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