Ventus  183










綺麗に分かれたふくらはぎ、浅く盛り上がった太腿にベージュのスラックスが張り付く。
深過ぎずなく緩やかに反った弧を描く背骨から腰の膨らみを包んで、締まった臀部に裾を垂らす上着は、腰に沿って前に回り、腹部で金糸に結ばれる。
軍服が様になっており、将校に扮した雑誌のモデルのようだ。
窓辺を行き過ぎる横顔も、カメラを向けられているかのように緩む気配がない。
褐色の滑らかな頬に日が落ちて顔に影を刻んでも、凹凸のない肌は青銅のように光を弾き艶やかなままだった。
気品という香りが鼻先を掠める。
動きに無駄がなく滑らかだ。
横顔も目も聡明さが煌めく。
愛想も素っ気もない、体全体でフォーマルを体現しているような彼女に敵は多かったはずだ。
好かれようという努力がない。
おそらく、彼女が無能と判断した人間に対しては些かの興味も同情も現さない。
更には、自分の前に現れ邪魔だと判断したら、容赦なく切り捨てるだろう。
セラ・エルファトーンとは真逆の人間だ、とリヴ・ローズワースの後を歩きながらクレイは考えていた。

クレイ・カーティナー自身、愛想の欠片もなければ自分に絡みつくものに対しては近づく前に不快感を露わに滅してきた。
リヴ・ローズワースとさして変わらない性格のようにも思えるが、クレイは幾分無骨だ。
歩き方一つにしても、リヴほど颯爽と切れが良く歩ける人間はそういはしない。

硬い石を叩く靴音はメトロノームの様に正確でリズミカルだ。
その刻まれる音を邪魔する雑音は聞こえてこない。
廊下は修道院のように静けさに満ちていた。
人が少ないというようなことは案内人から聞いていたが、それにしても廊下で人とすれ違わない。
皆どこに引き篭もっているのか、クレイは気になった。
だが聞くほどの重要度はないし、第一見るからに堅物のリヴに話して重い空気にさらに重石を乗せることもない。
解体したCRD(カルド)、その残滓ともいえる集合体は余りにも寂しい。
だがこの乾いた空気にクレイの体は拒否反応を示さなかった。
むしろそれなりにやっていけそうだとすら薄っすらと感じた。
暑苦しい人間関係は御免だ。
任務は完遂する、必要な知識技能は修得する、それだけがいい。
余計なことは考えたくなかった。

黙って歩いていると彼女は司書で、自分は長い書庫を案内されているように錯覚する。
ガラス窓から漏れるほの明るい斜めの光が、石膏のような白壁を輝かせている。
手垢ひとつない完璧な白だ。
その狭間を鋼鉄の女が突き進む。
廊下はワックスと古い木の匂いで溢れている。
丁寧に磨かれて艶やかな濃い褐色に輝いていた。
先の案内役の男は、ここは要塞のように堅牢だと言っていたが外は石造り、内部は木造となると砲弾で簡単に吹き飛ばされそうな気がしてならない。
また、内部の装飾の質素で繊細な作りからは想像も及ばない。

回廊を進みながら、扉の前でリヴが時折減速し右上に貼り付けられた真鍮の板を目で指し示しながら説明を添える。
手のひら二つ分ほどの横長長方形の板には映像室と彫られている。

銀板、液晶版の掲げられた無機質な学校施設とは違う。
歴史的建造物を再利用したのかと思う、手の込んだ作りだ。
クレイは板を凝視した。
既視感、それが引きずって来た甘い痛みのような感覚を追って、米神に手を乗せた。

陽だまりのような柔らかな微笑みが視界を横切る。
軽やかで羽毛のように、温かく包みこまれるような空気の温もりが頬を撫でる。
同時に、その強烈な懐かしさは胸を焦がす。
焼き鏝が心臓に押し付けられたような苦しさ、筋肉の収縮。

「どうかしましたか」
霞を晴らすように横から飛び込んできたリヴの声に、クレイは瞬きを数回繰り返して現実に戻る。

「ここで解析、分析された映像を確認しながらブリーフィングを行うことがあります」
だが、主に打ち合わせは奥の小会議室で行うことが多いとリヴは説明した。
その後は淡々と部屋の配置を並べられた。
足で覚えて、張り付いたプレートを頼りに部屋を探すしかない。

「まだお聞きになっていないかと思いますが、私の上司で、あなたの上司にもなる方」
名も、素性も聞いていない。
あまりにその話をしないので、聞いてはならない話題のような気もしていた。

「彩(ツァイ)と申します」
「ツァイ?」
「はい。ただ、彩と。私たちの任務は彩の手足となること。その目、その耳となること」
リヴがその彩という人間に全幅の信頼を寄せているのは分かるが、クレイにしてみれば未だ彩なる人間の人格も分からないので共感はできなかった。
リヴはその心を予想し、深くは語らなかった。

「お会いいただければ分かります。あの方の信念が」
回り込むように回廊を歩いてようやく、重厚な扉に行き着きリヴの足が止まった。
ノックを三回。
名乗り、扉を押した。

光が降り注ぐ屋内。
光の中に、細い影が縦に伸びていた。
白い服の中に立つ白い人。
髪は光へ銀色に融ける。

「お連れしました。クレイ・カーティナーです」
踏み入れた靴が柔らかく沈む。
靴音が消えた。
反発を覚える重力に、床が絨毯なのだとクレイは気づいた。
そこは執務室というより応接室。
あるいは個人の邸宅の一室そのものだった。
光の中を影がゆっくりと滑るように動く。
窓から入り口までの線上に障害物はなく、格子状の窓枠が床に染め付けた影の中を丈の長い服が、木綿の裾を蹴ってクレイらに迫ってくる。
リヴも前に進み出て一礼し、クレイもそれに倣う。

「クレイ・カーティナーです。朱連より本日、本部隊に配属となります。よろしくお願い致します」
本部隊とは口にしたものの、部隊名称も通称すら明らかとなっていない。
足が地に付いていないような、夢か靄の中を歩いているような不確かさだ。

「彩(ツァイ)という」
少し低く、抑揚の薄い堅い声にクレイは顔を上げた。
ツァイは左手を羽を広げるように徐に持ち上げる。
傍らにいたリヴが彩とクレイの側を離れ、窓の端へと近づいた。
ガラスの横に埋まったパネルに手を乗せると、大窓に透けるカーテンが降りてきて、奥の大庭園と光へ薄く影を下ろした。

彩の輪郭に色彩が乗った。
鼻、目、頬の細部が明らかになる。

その瞬間、すべてが重なった。
一点に集約されていく。
クレイの脳内に散らばった記憶の断片が、映像の欠片が。
脈が急速に速くなり、脳は回転数を一気に上げていく、意識が飛散して演算放棄しそうになるのを気力で繋ぎとめる。
クレイの耳元で煩いくらいに脈打つ音に混じり、声が聞こえる。


生きたいか


「私はあなたに会った。一度、いや二度、助けられた」
記憶の奥底にあった言葉と声が浮上を始めた。


時間をやろう


白い影は老女の形をしていた。
背筋は真っ直ぐ、クレイを見下ろす目は聡明で鋭く、その奥には熱く青い炎が灯る。
クレイの言葉に応えるように、彼女はクレイの腕へと指先を触れた。

幼いころ。
貧民街で殺されかけたクレイを救った。
最初に見たのは、血に塗れ意識が途切れる寸前、今日のような白い布を視界に焼き付けた。
二度目は、診療所の客人だった。
彼女はクレイを学園に導いた。

そしてその姿。
確たる直感にクレイは震えた。
予期せぬ熱いものが目から零れる。

「違う。二度なんてものじゃない。あなたは、老(ラオ)ですね」
確信した。
館の主。
それがどうしてこんなところに。

「ずっと、こんな近くに。いつから、最初から? なぜ」
意識が白濁していく。
何一つ、確かな言葉にできなかった。

「いつか言おうと思っていた」
脳内は目まぐるしく飛散していた記憶と情報をかき集めている。
熱を持つ頭に、彩の言葉は染み込んでいく。

「陽花を、ありがとうと」
クレイを救い、陽花をも救った。
彩は初めからクレイの側にずっといた。












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