Ventus  182










石造りの重厚な外観は灰色館を連想させる。
セラの一件があって以降、本の匂いが彼女と繋がりそうで遠退いていた。
痛みは風化しないものだ。

「朱連の施設もなかなか柔らかい造りになっていたがここは」
先程まで身を置いていたキースが統べる朱連の施設群は、機能的であると同時に談話室が完備、庭も整備され軍事施設的な重苦しさはなかった。
キースの穏やかでユーモア溢れる人柄をそのまま映しこんだようでいて納得できた。
しかしそれと同等かそれ以上にこの建物は手が込んでいた。

「まさに歴史的建造物」
案内人が賛美する言葉の熱の意味も理解できる。
ホールの床も顔が移りそうな程艶やかなベージュのタイルに黒のタイルで模様が描かれている。
中央の台には花器に花が彩られている。
空間美についてのセンスはクレイには乏しかったが、石造りで固く冷たくなりがちな空気の中央に生きたものを置くことで空間に柔らかさを出そうとしている、のかもしれないとまでは単純に分析できた。

促されて廊下へと左手に歩いていった。
木と漆喰が真っ直ぐな回廊の奥まで走っている。
大きく取られた窓から光が漏れ入る。

「非常に美しい作りをしています。この施設の主が選り抜いた職人を呼び寄せて造らせたそうです」
「凝ってるな」
クレイの目は壁を伝い天井へと駆け上った。
レトロな灯りが下がりその周囲にも焦げ茶の木で模様が施されている。

「素朴で懐古主義、装飾はさりげなくしかし類を見ない繊細さ。仕事の丁寧さと細やかさには目を奪われます。時間が許すようでしたら館内をひとつひとつご案内するのですが、残念です」
「しばらくここで過ごすことになるだろうから、急ぐ話でもない」
「物の意味を知ることで愛着が湧くでしょう。しかし、また近いうちにお会いするのですから、次の機会にしましょう」
「そうなのか?」
「私はここで働いていますので」
終わりがこない廊下をゆっくりと歩いていく。
質素で美しい。
どこも埃が一切溜まっていない。
廊下の隅でさえ砂が散ることなく、綺麗に掃き清められている。

「美しい外壁、清楚な内装、しかしこれはまさに鋼鉄の鎧です。いかなる爆撃を被ろうとも、鉄壁を破ることは敵わない」
「普通の土壁じゃないのか」
クレイが白壁に手を押し当てる、しかし他の壁と何ら変わらないように思えた。
ひどく冷たいわけでも熱を持っているわけでもない。
男は、特殊合金が中に練り込まれていると説明した。

「要塞」
「ええ、堅牢な砦です。渦か迷路のように入り組んだ廊下ですが、慣れればどうということはありません」
逆に言えば、慣れなければ迷うだけだということだ。

「実に贅沢な造りです。文化的価値も高い、設備も充実した施設に勤務している人員は朱連よりも少ない」
「あそこもそれほど多くはなかったはずだ。朱連が何部隊あるのか、把握はしてないが」
「ここは更に少数精鋭を極めています。さて、あちらです」
彼の手が指し示した先には木の重厚な扉がある。
堅い音がするノックを三度、しばらく間を置いてから真鍮のノブに手を掛けた。

「失礼します。クレイ・カーティナーさんをお連れしました」
「ご案内、ありがとうございます。お待ちしていました」
中から響いてきたのは、弦を弾いたような少し低く滑らかでよく通る、聞いていて心地よい類の声だ。

「これが、会わせたい人間?」
「あの方に案内を引き継ぎます。お会いしていただきたい人物には、なかなか我々もお目通りできませんので」
人当たりの良い柔らかい微笑みをクレイに向けて、小さく頭を下げた。

「では私はここまでで。またお会いしましょう」
微風が抜けるように彼は廊下の奥へと消えた。
知り合って少し慣れ始めてから、今度は部屋の中で初対面、場面の転換に戸惑う。
環境への順能力の高い方ではない。
今まで他人との接触を極力避けてきたせいだ。
とはいえこのまま扉の前で立ちつくしていてもどうにもならない。
案内人を見送り溜息一つの間に考えを固めた。
いずれにせよクレイにとっての居場所は目の前の扉の奥以外にないのだ。

「失礼します」
「どうぞ」
少し硬い、だが緊張している強張った声でなく、人格の堅牢さが現れた艶のある声だ。

「クレイ・カーティナーです。はじめまして」
靴音が石の床を叩く。
部屋の中に入って空気が変わったのに驚いた。
懐かしさを孕んだ流れ、灰色館の一角を切り取って運び込んだかのように同調した。
壁に沿った本棚は古い木が艶やかに磨かれている。
背表紙が並ぶだけで絵になる古書たち。
紙の匂い、木の匂い、ワックスの匂い。
その中で佇む、軍服の女が一人。
背筋が正しく、立ち姿さえ絵画のように美しい。
裾を膨らませたドレスを纏わせればそのままワルツを踊り始めそうな、気品さえある。

「あなたが。そう」
鉄のように硬い表情の中で切れた目が微かに開かれる。
頭高くに結い上げられた濃い色の髪は、襟足に後れ毛を残さない。
結われた髪の高さから後頭部、首筋から背中にかけてのラインは一級品だった。
思わず見惚れてしまう、彼女の肌は美しく滑らかな褐色をしていた。
背はクレイよりも高く均整の取れたしなやかな体躯。

「リヴ・ローズワースと申します。あなたの同僚となります」
「よろしくお願いします」
値踏みするような圧倒される視線ではないが、リヴはクレイを静かに観察し始めた。
情報を取り込んで分析、相手の思考と言動を理解、予測し、接近距離を測る。
無意識のうちの演算がリヴの中に駆け巡り始めた。

クレイは身を置かれた環境から情報入手を始めた。
いきなり投げ込まれた、ここはどこだ。
机といえば目の前にある、図書館仕様の楢材で作られた濃く渋みのある茶色の机だけだった。
卓上に端末はおろか電子機器は乗っていない。
リヴ・ローズワースが整理していたと思われる本が数冊、積まれているだけだった。
小窓があり、カーテンを透かせた向こうには緑が見える。
中庭があるのだろう。

「そう、とは?」
リヴの言葉に小さなひっかかりを感じて口にしてみた。

「いえ、大したことではありません」
「昨日まで朱連第四部隊に所属していました。移動の発令にも、説明でも、こちらの組織の部隊名称が記載されていませんでしたが」
「組織化するにしてはあまりに小規模ですので。ここの前身は何かご存知ですか」
何も知らない。
朱連のことすら理解に至るまでに吐き出された。

「カルドという組織を耳にしたことは」
リヴの声が急に遠退いて聞こえた。
砂を舌で転がしたような不快感が体へ波状に拡がっていく。

「詳細は、知りませんが」
「ディグダを再構築させるための組織。現在のディグダのあり方を編み直そうという集団でした」
「崩壊したと聞いた」
触れたくない。
どうして今、このタイミングで、こんなところで沸いて出た言葉なのだ。
クレイはその場で蹲りたい気分でたまらなかった。
セラだ。
セラが関わってしまった組織だ
クレイもまた、関与してしまった組織だ。

「ここは解体された、軸のようなものです。離散し、飛散し、分散し、私たちは筋のように噛み残された」
「何をしようと」
この組織は、この女は、招聘されたクレイは何をしようとしている。

「これからなのです。私は、信頼するに足る真実がここにあると確信している。だからここにいるのです」
「改革や革新か? またカルドを組上げるのか」
「膨れ過ぎた組織は崩壊するだけです。分裂の因子をより多く孕むことになる。組織はひとつではない。個の集合体であることを忘れてはならない」
「それで」
「ゆえの少数精鋭です。単純だとお思いですか」
「さあ。私がここに何らかの希望を見出せるかもまだ分からない」
「当然ですね。出会って数分ですもの」
「組織や人にもあまり興味がない」
言い切ったクレイの言動に、リヴは瞬きを繰り返し凝視した。

「ひとまずは、上司に会っていただきましょう。あなたをご案内するのが今日の私の仕事ですので。その前に」
リヴはクレイに机に付属した椅子を勧めた。
本を本棚に入れてから案内するというので、クレイは大人しく座って狭い室内を観察するしかなかった。

「寮の話を聞いていない」
「部屋は用意してあります。後ほど、地図と鍵をお渡しします」
「事務局はないのか」
「ありますが、私があなたの案内役を仰せつかっておりますので」
机の上に掛かっていたクレイの親指が、側面の硬い突起の上を撫でた。
予想にしていなかったざらつきに、クレイは首を曲げて机の側面に目の高さを合わせた。
彫刻が施されている。
取り立てて豪奢な机ではないのに、側面だけ絵柄が彫られているのが意外だった。

「これは」
クレイの小さく上げた声にリヴが振り返った。

「よく気付きましたね。神話が描かれています。この国が成り立った始まりの物語」
剣と槍が交錯している。
その右には竜の姿、倒れる人間と戦う人間、後光の差す人間、輝く玉。

「興味がおありならここに本があります。いつでも自由に閲覧できますのでどうぞ」
「ここは何の部屋なんだ」
「資料室。分室です。現行で調査していて頻繁に使用する資料を置いております。他には図書館から取り寄せた書籍もここに事務員が保管します」
机に積み上がっていた本はすべて本棚に収まった。

「さて、参りましょう」
クレイの目の前を通り過ぎたとき、縦襟の刺繍が目に入った。
髪を上げているすっきりした首元のため金の糸までよく映える。
制服の裾を靡かせて無駄のない、澄んだ靴音が等間隔で刻まれた。

「あ」
キースの言葉が頭を過った。
綺麗な子だったよ。
強かった。
孤高の精神力を持っていた。

「なんだ」
「何か?」
「いや、大したことじゃない」
回廊は長く、まだ先は続いている。












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