Ventus  181










縦に長いガラス板が仰ぎ見るほど高く聳え立っている。
緩やかに板は背を反らし頭部は一点で結ばれる。
特殊強化繊維を織り込まれたガラス板は表面は滑らかで透き通っている。
曇りがないのは窓磨きの職人の腕だ。
床に近くは幅が厚く、するすると上に昇っていくにつれ板の両端は緩やかな弧を描くように細く尖っていく。
笹葉の形状をしているアームブレードを空にかざしたようだとクレイは思った。
人を待つ間入り口から数えて三十二枚を数えたところで一周した。
天頂には編まれた帽子を被せたように蔦が這っている。
ドーム状のサンルームから空を見上げれば宙に浮いたように見える蔦のカーテン。
その奥に広がる空は、眺めていればまるで自分が蔦の金網の上を踏みながら空を歩いているような錯覚に陥る。
それが新鮮だった。
同時に懐かしかった。
空想と現実の結節点だった。
空を歩く高揚感に飽きることなく天頂を眺めていた。
蔦の向こうの世界には、ゆったりと雲が僅かながらに体の形を変えながら流れていく。
鳥が蔦に降りる、仲間と落ち合い離れていく。

眺めることを想定したのか、木皮で編みこまれたサンルームの椅子は背が長く、首を持たせかけるのにちょうどよい曲線を描いている。
心地良いため、この場所でうとうとと眠り込んでしまう人間もいるくらいだ。
周囲の木々に透かされ緩んだ光がサンルームに落ちる。
眩しすぎずなく、翳りすぎずなく、計算されたこの場所をあえてここに設けようと考えたのは館の主、キースだろうか。
クレイも最初にサンルームが朱連の施設内にあるなどと聞いたときには、まさかと驚いた。
思えば敷地内の庭も、庭園と言っていいほど手が加えられている。

殺伐とした場所から、体中が腐臭と血生臭さに塗れて戻ってくる。
それらをすべて洗い清めて、庭や空を眺める。
自分の中に堅く眠っていた純粋なものを見出すことができる。
それは水の深くに沈んでいた金剛石を掬い上げ、光を受けた煌きに似ている。
自分にもそんな清らかな部分がまだあったのだ、美しいものを美しいと感じる心があったのかと安堵と感動がある。
クレイもまた、ほかと違わず陶酔していた。
ここと、離れてしまうのが惜しいと感じた。

入り口から漂う気配に目を開いた。
控えめな靴音は迷うことなくこちらに向かってくる。
靴音で人の成りというのは見えてしまうものだ。
革靴を荒く踏み鳴らすことはなく、ちゃんと場を弁えている。
歩幅は男。
刻みの軽い、先走りしすぎない年齢は三十から四十か。
彼の一言目に期待しよう。
クレイの名を検めるか。
あるいは定番の挨拶か、いきなりの用件か。

「ここにこんな気持ちいい場所があるとは、驚きです」
クレイの椅子の左上から声が落ちてきた。
弦楽器のように滑らかで張りのある、しかし耳に刺さらないいい声だ。
導入部としても、合格だった。

「私も、最近気づきました」
「ご案内する先にも、庭とサンルームがあります。気に入れば良いのですが」
語り口は丁寧で、しかも堅すぎない。
クレイは背を起こしてテーブルに腹を寄せた。

「前、よろしいですか?」
そこで初めて男性の全貌を見た。
黒地で縦に薄く縞が流れる生地は艶やかで皺もなく美しい。
ダブルボタンのシルエットはスマートに体の線をなぞっている。
髭も丁寧に手入れされた卵のような顔が、洗練されたスーツの上に上品に乗っていた。
涼しげな目元にはっきりとした眉。
三十を過ぎているかと思ったが、顔貌は意外と若い。
クレイの許しを受けて男性は木皮の椅子に静かに腰を下ろした。

「お迎えに上がりました」
「お待ちしていました」
「荷物は纏まりましたか」
「元より物が多いほうではないので」
学生寮から転居時に箱詰めして以降一度も開封していない箱もそのまま部屋に置いてある。
後で回収に来ると説明された。

「変な感じだ」
「何か問題でも」
「いいえ。正直なところ、もっと厳つい軍人が来るのだと思っていました」
「所用を済ませてきましたのでスーツ姿のままで参りました。ちなみに私もアームブレードを扱いますよ」
「戦場に?」
内勤の役人かと思っていた。
人の良さそうな面立ちをしている。

「それをいうなら貴女もとても戦場に赴くように見えない」
小柄でアームブレードを振り回せるとは思えないと遠慮なく口にした。
柔らかい口だが切るところは容赦なく真っ直ぐだ。
初対面でしかし不思議と嫌味はない。
今回はクレイも無礼な一言が漏れたのでドローだ。

「ストリングやラインはご覧になったことがありますか」
「いや」
「機会があればぜひご覧になって下さい。ストリングはまるで操り人形がごとく、ラインはまるで己の尾っぽがごとく」
この男の語り口は淡々としているが、妙に人の関心を掻き立てる。

「扱える人間は限られていますが、その捌きは芸術的で見惚れます」
「実戦向きなのか?」
それらしいのを一度も目にしたことがない。

「アームブレードよりレンジが広い」
「ベイス、って知っているか」
机に視線を放り投げて、クレイがくぐもった声で呟いた。

「歴史の浅い新しい分野の武器、と思われがちですが」
「何だ」
「それはまた次回」
「もう会うことはないだろう?」
「どうでしょう」
からかっているのか、人を小馬鹿にした軽口が続く。

「口が滑らかになったものだな」
「気力が戻ったようで何よりです」
男が椅子から腰を持ち上げ、クレイの隣に立つと彼女の前へ手を伸ばす。
既視感、眉を潜めて思い返した。
それはキースの残像だ。
あの紳士もクレイにこうして手を差し出した。
手を取るべきかと逡巡する。
その隙をついて彼はクレイの手の下に自分の手を潜り込ませて、下から手首を引き上げた。
驚くほど簡単に体が浮き上がる。
腰を下から跳ね上げられたようだ。

「堅物で名高いクレイ・カーティナー氏に興味を持って頂いたとは光栄。折角ですので小出しにしましょう」
掴んだ手首をそっと手放した。

「歩きながら」
出口を示しながら二人揃ってサンルームを後にした。

「ところで、お前は何者だ」
「ここに来てようやく警戒するのですか? ありすぎる隙に正直少し驚きです」
メールに書いてあった、案内人には違いない。

「大丈夫。朱連の中枢で人攫いなどする輩などおりません。それより貴女はもう少し警戒心を身に着けたほうがいい」
「初めて聞いた。新鮮な響きだ」
「オンとオフということでしょうか」
クレイに問いかけるでなく一人で納得した。

「ベイスの話を」
「魔術だ魔石だというのは御伽噺でも何でもない。ここにはないがどこかにあった。ここには見えなくともどこかには存在する」
クレイは黙って聞いていたが、内心その先が知りたくて小さくざわついている。
ベイスはカインの弟、レヴィ・ゲルフが扱っていた。
クレイの認識では得体の知れない武器だ。

「かつては魔力を帯びた宝玉を使っていた。今は人造の鉱物を利用している、らしい」
「人造」
「魔を組み込むと、聞いたことはある」
「魔?」
「興味があることは貪欲に突き詰めてみるべきです。答えはきっとその先に」
小出しに、と宣していたこともあり、これ以上は振っても何も出すつもりはないようだった。
軽い口に見えて意外と奥は堅い。

それからは取り留めのない話が続いた。
新しい環境に不安はないか、朱連の同僚とは気が合ったか、仕事は辛くないか。
踏み込みすぎず、聞き流すこともない、ちょうど良い間合いを保っている。
敷地内を流れるシャトルに乗り、歩き、シャトルに乗り継いだ。
特に建物の見当たらない場所で下車すると再び歩き始めた。
時折プライベートでランニングする人とすれ違いはしたが、ほとんど散歩する人影もない。
垣根の一角を並んで歩き、途切れたところで案内人は右へと折れた。

「庭? 植物園、か?」
クレイが呟いたのも、一面に植えられた植物を目にしたからだ。
畑一面が青々と光っている。
手前のブロックと奥のブロックでは植えてある植物の種類が違う。
各ブロックに個性豊かな植物が植えてある、しかし花をつけているものは少なかった。
観賞というより栽培に近い。

「薬草園です。いずれ、貴女も効能を学ぶことになるでしょう。生きる知識の一つですよ」
薬草に囲まれた道を奥へと進む。
正面には巨大な館が構えていた。
高い垣根で認識できなかったが、古典的な石造りの建造物だった。

「図書館みたいだ」
「実際に古い石を再利用して建てられています。もちろん耐震性、耐水性、耐火性の基準はクリアした構造です」
外の石積みを示して、あれほど巨大で立派な石はなかなか採掘できないと説明を始めた。
外観構造の美的価値を語っている間に目の前に玄関のステップが迫った。

「あなたの美的感覚の鋭敏さはよく分かった」
「お褒めに預かりましたその感覚。それが評価した人物に面会願いたいのです」












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