Ventus  179










光の中に投げ出されて目が眩む。
状況が掴めず身構えた。
視界がやられて今一番無防備な姿だ。

「光度を落としていたつもりなのだけど」
声がした。
だが人の気配はしなかった。
瞳孔は環境に馴染み、クレイは自分が広い部屋の一角にいることが飲みこめた。
右手に扉、重厚な木に真鍮の鋲が打ち込まれている。
漆喰の白壁が天井高く続いている。
部屋の角には小さな円い卓がある。
黒い塗りの四足の骨にガラスの台が乗っている洒落たものだった。

豪華な調度品はなかったが、卓の骨には螺鈿が施してあるのが見えたり、統
一感のある空気はここが館のひと部屋であることを知らしめた。
把握できたのはそれだけで、ここが地図上でどこに当たるのか位置の把握までは追い付いていない。

目の前には背の高い男が一人佇んでいる。
丈の長い上着のようなものを前で合わせ、肩からは黒の帯のようなものを前に垂らしている。
異国にでも迷い込んだような妙な気分だ。

「お待ちしていました。預かりましょう」
クレイは鞄からファイルを取り出した。
その口を開こうと腕の上に乗せたファイルの蓋に手を伸ばす。

「そのままで結構」
言葉のまま、クレイは彼に書簡の収まったファイルを手渡した。

「ご存じありませんか。これは予め定められたものでしか開封できないのです」
彼はクレイの目の前に、開けてみなさいと蓋の部分を差し出した。
促されるまま蓋のバックルに指を押しつける。
書簡を入れるとき、蓋を開いたのはクレイだ。
蓋を閉じたのもクレイ。
再度開けるのに何も迷うこともない。
しかし、最初に蓋を開いたときに触れたはずの突起が見当たらない。
多少頑丈そうではあるが、作りはどこにでもありそうな小さなファイルだ。

「開かない」
「こうするのです」
男は立襟から襟章を外すと、ピンの針を親指の腹に躊躇なく押し当てた。
針先が皮膚にしっかり埋まると人差し指と中指で器用に襟章を元に収める。
浮いてきた赤い小さな粒を溢さぬようにファイルのバックルに押し付ける。
何の細工もない滑らかな樹脂のバックルだ。
だが無機物が反応した。

「何の術だ?」
「むしろギミックですね。装置の中身については企業秘密とのことですが、人の体液に反応するという秘密はお教えしましょう」
「何で」
「頑張った、ご褒美に」
自分とさして年かさの変わらない男だがこの妙な落ち着きは何だ。
顎を引いて警戒の色を露わにしたクレイは、最高に不機嫌な顔つきになった。
クレイが任務に就いて間もないことをこの男は知っている。
ただの運び屋である自分に踏み込んでくる理由は何だ。

「まるで毛を立てた猫のようだ」
涼しい顔をしてクレイを観察しながら男はファイルの中から書簡を取り出す。
二通を裏返して眺めてから、徐に一通の封を開き始めた。

「なるほど。あの方がね」
男は再度、大切そうに内容を上から熟読すると、折り目元通りに書簡を畳んだ。
クレイは男の年齢と愁眉には疎いが、男は上背もあり、はっきりとした眉の下は目尻が切れた瞳が涼しげだった。
落ち着きや冷静だけではない、肝が座る、腹の底にある安定感が類を見ない。
一見丸腰で、身構えてもいないのに隙がまるでない。
逆に隙を探しているこちらの心中を探られそうで気を抜けない。
ただ立っているだけの男に、これほど複雑な感覚を持ったことはなかった。
間の前から溢れ出る殺意と敵意を目の当たりにしてきた。
何度も剣先が体を掠め、時に貫かれた。
抉られた肉の痕を指でなぞる度、死に隣した瞬間が熱となって瞬時に沸騰する。
だがいずれも、目の前の男ほど重い気迫は持っていなかった。
胸の深いところで心臓が鳴っている。
敵にだけは回してはならない、と緊張が警鐘の脈を米神で叩き続ける。
その男は、静かな顔つきで書簡を読み、クレイを見据えているだけだ。

「帰路については」
「ここで指示を受けるようにと」
「結構です。車を用意しています。ですがこちらは」
クレイの頭部から足先まで目を落とした。

「あまりよろしくはありませんね」
「何か。ああ」
クレイは首を曲げて自分の服を見下ろした。
紺のスカートは白い砂埃に塗れている。
両手で荒っぽく払い落とした。

「後ろを向いて」
クレイの肩に手を乗せて、体を反転させた。
まるでダンスのエスコートをするように自然な動きで、クレイも軽く回されてしまった。

「失礼」
小さな一声の後、クレイの尻を手のひらで叩き始めた。
満遍なく砂を払い落とし、一区切りつくと、その場で回ってと指示を出した。

「はい結構。後は」
男は肩から垂らした黒帯を抜き、片腕に落とすとクレイの肩へと掛けた。

「これで袖は隠れるでしょう」
「袖?」
言われて両腕を確認して初めて気づいた。
右の上腕部が縦に裂けて肌が覗いている。
確かに、風通しは良かった。
その大穴を男の布が覆い隠している。

「でもこれは、どうやって」
「返す必要はありません。貴女に差し上げます」
繊細な絹の滑らかな肌触り。
深い黒。
相当に良いものに違いない。
貰うわけにはいかないが、かといって返すにも宛てはない。
もうこの男とも会うことはないだろう。
クレイは困惑し黙っているしかなかった。

隣の部屋に移り、階段を下る。
窓のない密閉感から地下だと分かった。
地下駐車場には車が四台ほど並んでいる。
そのうち灰色の一台にクレイに促した。

クレイと男を乗せて動き始める。
窓にはスモークが張られ、クレイらの車が角を曲がったところで背後から似たようなもう一台が別方向に走り出した。
糸きり、という言葉を思い出した。
最初に車を乗り換えたときに男とは別れた。
後は運転手とクレイの二人きりだったが、二人とも無駄な会話はしなかった。
互いに仕事中だという意識を持っていたからだ。
隣にあの男はいない。
それだけで体中を縛っていた緊張感は少しは緩んだ。
特殊スモーク越しに外を伺う。
外から見れば座席内は空に見える。
からくりは単純で、薄い膜の上に映像が流れる仕様となっている。
扉の開閉に合わせ映像も動き、開放されれば映像は消えて強化ガラス窓となる。
濃いスモークを張り、いかにも怪しい車両だと主張するよりよかった。
白い乗用車の外には旧市街の町並みが流れている。
内側からだとスモーク効果で少し濁っている。
景観保存のため舗装されていない土道がタイヤを通して振動で伝わった。
旧市街、車両の多い大通り、新市街、そして車は軍施設に流れ込んだ。

中の地図も予習済みなのだろう。
迷うことなく車を回すと、クレイたち朱連の施設の車停めではなく庭園の前で車を停車した。
車の扉を開かれ、地面に足先を付けたとき初めて運転手の男が口を開いた。

「お疲れさまでした」
早口で奥歯で噛むような声だったので、予想外のこともありすぐには読解できなかった。
外に出て振り返ってクレイも短く応える。

「そちらも」
上下真っ黒のスーツ姿かと思えば、ノーネクタイにジャケットのラフな格好だった。
それも、クレイには意外だった。
去る車を見送り、クレイは施設に向かって歩き出す。

まず、報告を。
車内でも逐次連絡を入れていたが、帰還の報告をキースに流した。
チームでの行動時のリーダーは当然隊長だったが、今回のような直接の特殊
任務については統括するキースに報告すればいい。

端末が施設の玄関に足を乗せる直前に鳴った。
キースからの返事だ。
内容は彼の執務室への出頭命令だった。
つくづく、この上司は人の顔を見て話すのが好きな男だ。
本人も分刻みの忙しさだろうが、部下への気の配りようには頭が下がる。

浮き彫りの装飾が施されたファサードを潜り玄関ホールに入る。
右手の談話室には見知った顔が並んで、手振りしながらアームブレードの太刀筋について研究中だ。
夕暮れ間近のこの時間は、まだ皆訓練中だった。
クレイが単独任務に当るのは朱連に来て初めてのことだった。
この建物にいる間、動いているのは常に同僚と一緒だった。
一人違う時間で動いているのが奇妙な感覚だ。
それほどまでに馴染んでいたのか、と階段の手摺に手を掛けながら自問自答した。

そういえばこうして自分のことを考える時間が増えた気がする。
今まですぐ側に、クレイ自身よりクレイのことを理解し、見ている人間がいた。
不安になれば縋ればよかった。
苦しい時には吐き出せばよかった。
今は、違う。
同僚はいい人間ばかりだ。
だがそれぞれに自分の時間と事情を抱えて、互いに干渉しないで生きている。
クレイも彼女たちに干渉しようとは思わない。
ヒトとヒトとの距離を知っていると、生きるのが楽だ。
だが時にひと肌が恋しくなる。

階段を上り切り、手摺の飾りに指を立てた。
乗り越えなければならないのだと分かっている。
寂しいと、恋しいと嘆いていても進めないのを知っている。

クレイは右に折れ、廊下を進んだ。
キースの執務室は奥にある。

「あれ? お帰り。早かったんだ」
朱連の同僚が手を上げた。

「そっちも」
「うん。別件でね。どこ行くの」
「召集がかかって」
「そう? でも何か階段上ってくの見たけどな」
キースが執務室にいない。
呼び出して、しかし許可もないのに部屋に入れない。

「とにかく行ってみる」
「じゃ、後でね」
後ろ手に手を振る同僚を振り返り、クレイは予定通り執務室に向かう。
扉には紙が貼ってある。
開けるな、入室禁止、そのようなものかと思って近づいてみると、クレイ・カーティナー宛てとご丁寧に書いてあった。
そっと剥がして二つ折りを開ける。

「屋上に来なさい、だと」
クレイは階上への階段を見上げた。












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