Ventus  178










控えめな足音が路地裏に響く。
引き締まった形の良い脚は雄々しく地を蹴り、大股で角を曲がった。
足音は一つだ。

影になった建物の間で足音は止まる。
小さく息を吸い込み、周囲の気配を探る。
人が動く音は聞こえない。

微かに顎を引き、襟の裏に止めてあるマイクに向かって囁いた。

「戦闘区域、確認しました」
スラックスを綺麗に着こなし、白いシャツが涼しげな女が立っている。
髪は後ろで一つに結い上げ、切れ長の目が女の頭の鋭さを表しているように知的に光る。

「男が一人です。確保します」
イヤフォンで挟んだ耳は、傍目には音楽を聞いているように見えた。
大通りから奥に入り、現場を目の当たりにして一気に顔が強張った。

「ええ。これは戦闘員です。朱連は逃走した模様」
褐色の指が床にうつ伏せに転がる男の髪を掻き分け、首を露出させた。

「気絶しています」
腰のバッグから手早く手のひら大の棒を取り出すと、まさしく判子を押すように垂直に男の首筋に押し当てた。
数秒後に引き揚げると、痕には五個の円く赤い斑点が押されている。

「麻酔薬、投与しました。回収車をお願いします」
車を手配し彼女の仕事は終わりに見えた。
だが、検分の手は休めない。

男の後頭部に触れ、周囲を見回す。
少量の血痕、短剣が二つ。
離れた所には荒らされたように中身を撒き散らした鉄製筒型のゴミ箱、その蓋は壁際に伏していた。
女は男の側を離れ、壁の前に屈みこむと鉄蓋を手に取った。
結構な重量だ。
片手で持つと手首に重みが掛かる。

「止めはこれか。しかしどういう状況だ」
首を巡らせて、再度現場を視界に収める。
頻りに右手を耳に押し当てているのは、イヤフォンに小型カメラが内蔵されているからだ。
映像に加えレポートを明文化するが、同時に決定打の一撃も検証したい。
蓋から手を離して立ち上がった。
決して軽くはない鉄の蓋を、男の頸椎に叩きつけた。
攻撃した人間が男だったら、あるいは大きく腕を振れる体勢にあったら、鉄の重みもあり頑丈とはいえ男の頸椎は砕かれていただろう。

こまめに掃除されることのない路地裏、砂埃が溜まったからこそ状況の一端が垣間見えた。
うつ伏せた男の傍らには地面を這ったように砂埃が削れている。
組み敷かれた体勢で、鉄蓋を叩きつけたのか。

「襲撃者、頸椎を殴打。武器は鉄製のゴミ箱の蓋と思われます。頸椎の損傷度は不明です」
男の体には極力触れず、顔を寄せて負傷を確認する。

「両手を損傷。左手首は」
転がっていた短剣と傷口を交互に見比べた。

「刃物で貫通、右手は軽傷で、打撲あるいは骨折」
報告を途中で切ると耳に注意を傾けた。

「はい。所見、ですか」
男から離れ、伏した体の周りを一周する。

「体術の心得はない。刃物の扱いも野生的。まるで素人です」
男もよもやゴミ箱の蓋で意識を飛ばそうとは思っていなかったはずだ。
乱闘の痕跡はありありと残っている。
密使としての任も毎度これでは足が付く。

「ですが、急所は捉えている。これを勘で探り当てたのだとしたら、それを素質や才能と呼ぶに相応しい」
誉め言葉とは珍しい、とイヤフォンの向うで所見に所見を加える。

「しかし才能も育てる畑、よい土でなければ芽吹きません」
野性児のままではいずれ尽きましょう、とあくまで酷評だ。
だが磨けば光る、それは確信していた。
筋肉を纏った男の体躯を考えてみれば、格闘の素人が一対一で退けたのは驚異だ。
処置も荒っぽい、喧嘩の域だ。
興味は湧いた。
体の芯が、ぞくりと熱を持つ。
その己の心境にまた驚きを感じた。

「これは、好奇心か」
自分が予想もつかない戦い方をしたその女性に会ってみたいという。
言葉が思わず口を突いて出てしまうほどに。

「回収車が到着しました」
小型車両が路地裏に入ってくる。
エンジンはそのままで、中から二人の男が飛び出してきた。

一人は男の首に筒状のものを咬ませて固定し、首と肩から背中に樹脂製の板を押し付けて固めた。
もう一人の男が折りたたまれた布を取り出すと伏した男の横に広げた。
彼は男の固定作業をしていた同僚にその場預け、場を離れると現場の証拠品回収作業に移る。
手持ちの袋の中に短剣を収めていき、飛び散った血痕に薬剤をかけて流す。
血痕は薬剤に色素を中和され無色になり分解される。
壁と地面を濡らした薬剤は揮発性で処理していく端から空気に散っていった。
ゴミ箱は壁に寄せ、地面の乱闘の痕跡にスプレーで砂の粒子を振って馴染ませる。
地面の傷は目立たなくなった。
彼が無駄なく動き回っている傍らで、気を失っている男の回収作業も着々と進行していた。
上半身を完全に固められた頭部を処理班の男が持ち、下半身を女が支えると目でタイミングを合わせて持ち上げると布の上に乗せた。
ファスナーで布の両端を結び袋状にすると、吊り下げれば担架になる。
かなりの重量だが、二人で車両の中に収めた。
そのころには現場の証拠もきれいに消滅していた。
声を掛け合うこともなく男らは車の運転席と助手席に乗り込み、路地を抜け去った。
その間、時間にして数分もない。
彼らが去るころには女の姿も忽然と消えていた。






クレイ・カーティナーは人目の少ないトンネルの中で襲撃の報告をした。
いずれの傷も浅く、書簡も無事だ。
任務遂行は可能だが、服が乱れていた。

「どこかで代替品を調達したい」
髪は手櫛で整えた、砂埃は払い落としたが、さすがに汚れた姿では人目を引く。
直ちに修正ルートが端末に送られてくる。
代替品の授受なく任務は続行、ただし人目につきにくいルートか。

「装備品の受け取るより、時間のロスなく任務を完遂せよということか」
端末で道順を確認しつつ先を急ぐ。
男がゴミを漁るのに扮して待機していた。
ルートが割れている可能性もある。

「そんなの知るか」
揃わないピースを前にしても誤った絵を描くだけだ。
路地裏のタイルを強く蹴って飛び出した。
鞄の中で、回収した自分のナイフが音を立てて転がっている。
人影を感じると歩調を緩めた。
路地を抜け、階段を上り、坂を下ると土道に出た。
空間の壁があるかのように、前後の空気が変質した。

旧市街に入ったのは明確だった。
大通りから横に枝を張る都会の路地とは違い、細い道通しが絡み合うように繋がり、家がその網の目の中に散らばる。
古いものが残り、その一つ一つに意味がある。
経験と知恵が宿る。

標識は少なかった。
言わずとも分かる、それがここの空気だった。
家の屋根は低く、みなが平等に陽光の恩恵を受ける。
夜は暗く、昼は明るい、それでいいじゃないかという生の脈動に生活が直結していた。

的確なデータが送られてきたお陰で目的地はすぐに発見できた。
旧市街ではありふれた平屋だ。
小さな庭があり、庭木に挟まれた小道を行けばすぐに家屋にあたる。
ゆっくり街並みを観賞している余裕はなく、クレイは小道を進み玄関前で小さく扉を叩いた。
その所作も指示済みのことだ。
すぐに内側から扉が引かれ、クレイは家屋の中に引き込まれた。
クレイの腕を引いた中年の男は言葉を交わすことなく、手振りで奥に促した。

「おい」
クレイの背中に向かって声を投げたが、反応したのは彼女の前に顔を出した娘だった。

「大丈夫。後ろについてなかった。前もきれいよ」
「結構だ」
中年の男から娘へとクレイは引き渡される。

「あなた若いわね」
「確かに経験は重ねている方ではないが」
「一応、誉めているのよ。父もね」
尾行はなかった。
二人で足早に廊下を抜け、裏口に出ると娘は四方を確認した。
先回りもどうやらされていないようだ。
土道に出て、角を二つ曲がり、声をかけることなく民家の引き戸を開いて身を滑り込ませた。

「地下に貯蔵庫があるの。そこを抜けてもらうわ」
民家には人気がなく、娘は台所まで行くと迷わず置いてあった箱を両手で引っ張り、その下に敷かれていた床板の隅に爪を立てた。
指先で引っ掛け引き揚げると階段がある。
娘は先にクレイを行かせ、自分は入口の始末をした。
中はすでに灯りが点っている。
階段の下で待っているクレイを娘が追い抜いた。

「大丈夫よ。通気性はいいし、掃除もきちんとしてる。虫も害獣も出ないから安心して」
貯蔵庫は意外に広く、通路は二本、それを挟んで棚が天井まで繋がっていた。
貯蔵庫の左手奥の荷物を退けると、壁に埋まった鉄の柱が現れた。
娘の手が柱の根元を探り、操作すると鉄の柱が浮いた。
柱に壁を塗り込めたのではなく、壁に鉄の板が張り付けられていた。
開けば奥に通路がある。
言われるまでもない、隠し通路だ。

「通路は一直線。壁に触れながら行けば辿りつけるわ。でも不安なら灯りを貸してあげるけど」
「一本道なら問題ない。密閉されて酸素がなくなるということは?」
「大丈夫よ。あなたが抜けるまでここで音を聞いて待っているわ」
彼女が敵だとしたら。
扉を閉ざし、クレイを閉じ込め、呼吸できなくなって昏倒したときに書簡を奪うつもりならば。
疑心暗鬼になるが、そうして考えて立ち止まったままだと何も動かない。
信じるのは自分の憶測や彼女の存在ではない。
ここを指定した、そして指示に従うよう命じた朱連だけだ。
クレイは昏いの穴に飛び込んだ。
手で壁と体との距離を測り奥へと進む。
壁と壁の間はクレイの肩幅より少し大きいほどだ。
人が擦れ違うことなど不可能なほど狭い。
入口は、娘が言った通り光が残っている。
だがそれも奥に行くにつれ徐々に薄れてきた。
いつ行き当たるのか、先が見えない。
クレイは右手を伸ばした。
空気の流ればかり寂しく感じる。
闇の中では時間感覚が狂う。
二、三分か。
あるいは数分か。

嫌な汗が滲み始めたころ、クレイの指先が冷たく固い物に触れた。
鉄の冷やかさ。
出口か。
平手を鉄の扉を打ち付けた。
重そうな扉だった。
やはり拳か。
そう思い手を握り締めたとき、向う側から扉は開いた。












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