Ventus  176










任務だと思えば何のことはない。
だが受け取ったとき、ちょっとした衝撃と抵抗が浮かんだのは真実だ。
白を基調にしたヒールの高い靴、膝まで露になった脚、腰の辺りが涼しい麻生地、胸元の繊細なレースが美しいワンピース。
それらは装備品と名称された。
仕上がりに衣装担当も満足そうに腕を組んだ。

「俺の仕事は完璧だ、けどな」
「服と顔が合ってないわね。服に着られちゃだめ。ひとつの道具として使いこなしなさい」
そのためにこれは装備品として分類されている。
プロなんでしょうと倉庫から服を調達した担当の女の言葉に、クレイは胸を突かれる。
プロ。
そしてこの女もプロの仕事をしようとしている。
鏡の前にクレイを立たせた。

「目が強すぎるわ。他人を観察するような強い目を向けない」
クレイは鏡に写った女から視線を外した。

「少し目を伏せるくらいで。不機嫌そうにならないように。歩き方はゆっくりと、膝は曲げない」
仕草、歩き方、姿勢、目、あらゆるところのレクチャーを受けた。
その時間、十五分。
こんな講義までついているのかと、終わったころには頭に詰めすぎて少し頭痛がした。
しかし彼らの言わんとすることは正しかった。
今回の任務は一般人に溶け込むことが重要要素となる。
輸送は重要な書簡。
どこに伏兵が潜んでいるかも分からない。

「何よりも、不自然にならないこと。己の外見を常に頭においておけば、行為はついてくる」
生返事を返すクレイに鏡を覗き込んだ男が笑った。

「仕事だって思えば何にでもなれるさ、って言ってたやつがいてな。服で性格が変わるんだぜ。七変化にはこっちが驚いた」
鞄をいくつか用意したから選んでくれと、男が言って顔は鏡の枠から消えた。
机の上に鞄が並んでいる。

「好きなのを選んでくれ」
一通り目を通し、肩に掛けられる小ぶりなものを選んだ。
脇で締めれば盗られにくい。

「あとこれもだな」
「これもここで扱うのか」
「護身用ってことでね」
平たい盆の上にナイフが並んでいる。

「ナイフの講習は受講済みか?」
「いくつかは」
「手に持ってみて。手に馴染んで扱いやすいのを選ぶこと。取り出したときに落っことすなんて無様な真似、しないようにな」
言われた通り手の上に乗せてみた。
折りたたみ式のナイフを、開いては閉じ、また開く。

「軽い方がいい」
「じゃあこれくらいかな」
大きさもいいものを選ぶと鞄の中に滑らせた。

「仕事が終わったら返却な。デザインが気に入っても買い取りは不可。それ、普通の繊維に見えるけど特殊な強化繊維なんだ」




外に出ると、周回するトラムがちょうど停車位置にいた。
乗り込んで椅子に座るがスカートが扱い慣れない。
腰を浮かせて居心地を整えると窓の外を見た。
いい天気だ。
道が白い。
トラムは研究棟の密集地帯を抜ける。
建物郡を繋ぐ陸橋下の陰に潜り込むと、窓ガラスに自分の顔が映った。
滑らかな黒髪は変わりないが、目には桃色を乗せ、艶やかに口紅を引かれた。
化粧など初めてのことだ。
気のせいか目の上が重い感じがする上、唇はもぞもぞとこそばゆい。

書簡を預かり届けるだけ。
端末を鞄から取り出して画面を開いた。
ルートを確認する。
トラムを降りて鉄道に乗り換える。
鉄道の乗り換えは二回。
帝都を周回している環状線に乗り込んで、放射状に広がる路線に移る。
上から見れば子どもが描いた太陽の図の様だ。
二重の環状線の中央にディグダクトルの中枢を構え、放射線は内環、外環を貫いて郊外に伸びる。
建物や地形を縫うようにして走らせた鉄道ではなく、まずそこに道ありきといった具合に綺麗な輪とそれを貫く直線が走っている。
そもそもがこの街も、この国も、一粒の種から始まったようなものだ。
種は根を張り、地表に蔦を這わせた。
今や育った種は青々と葉を密に茂らせている。
環状線の窓に迫り来る建物を追い越しながらクレイは密なる世界を観察した。
世界は層になっている。
かつて下層を歩きまわっていたクレイは、今清潔な服に身を包んで見下ろすことがないと思っていた街々を見下ろしている。
それでもましな方だ。
雨風を凌げる家もあった。
綺麗な水を口にできた。
ひもじくて眠れない夜はなかった。
クレイには育ての母ヘレンがいた。
ヘレンを失っても、救いの手を握ることができた。

窓に映る透けた輪郭を見つめた。
すべては与えられたものだと気付いた。
遅すぎた。
今頃になって気付くなど。

与えられるものを黙って受け取り、時に流され、状況に流され。
至ったのが今だ。
自分の意志は。
何がしたいのか。
どうありたいのか。
漠然と生きてきた結果が今だ。
過去は、振り返るたびに痛みが募る。
これから先、いつか今ある自分を許せるときが来るのか。
目の奥が重くなり、クレイは鞄の蓋の下に手を忍ばせて端末を取り出した。
先ほどインストールしたばかりの格闘技マニュアルを一読した。
イメージだけではまだ遠い。
相手はぼんやり直立してはくれないのだから。
乗換駅のアナウンスが流れ、クレイは端末を鞄の中に収めた。




常に背後の警戒を、と言われはしたが周りは人の壁だ。
つけられている気配はない。
絡みつく視線も感じない。
固くならないように、自然に。
自分に言い聞かせながらホームを横切った。
自然と背筋が伸びる。

何を緊張する必要がある。
胸に深く息を取り込み、前を見据えた。
ディグダの施設から外出に出ただけの女を尾行する人間はいない。
気を張るのは書簡を受け取ってからだ。

正々堂々正面切って敵を捌く。
任務はそうした物ばかりだった。
潜入、偵察、まして郵便配達は初めてだ。

車両内、左方十九人。
三両目に踏み込み、乗客の位置を確認する。
座席は探さずとも空席に余裕がある。
平日の昼間だからだ。
扉から二席ほど空けて、スカートを払って腰を下ろした。
目の端で右手を確認する。
こちらは二十人。
内二人は扉の近くに立っている。
社内広告の合間に流れる文字を追った。
停車駅の案内に混じって現在時刻が左へと流れる。
約束まで二十分ある。
遅過ぎても早過ぎてもだめだ。
電車に揺られるのが十分、残りは徒歩で目的地に向かう。

駅を抜けて改札口を出ればこぢんまりとしたロータリーが現れた。
バスが一台停まっているほか、タクシー三台が大人しく客を待っている。
道は頭の中に入れた。
複雑な細道はほとんどない。
バス道をしばらく歩くと商店街が見えてきた。
少し古風でノスタルジックな街角の再現は、最近のちょっとした流行になっている。
人の流れに乗りながら左に幅寄せしていくと、焦げた木の看板が下がるパン屋の脇道に入った。
路地裏を行くと開けた細道の右手に喫茶店がある。
クレイは捩じれた木を打ち込んだ扉の取っ手を押した。
柔らかい女性の声がカウンターから聞こえる。
席を案内されて注文をする。
カフェオレに口をつけて五分後に化粧室に立つこと。
手順通りだ。

クレイは白いカップに薄い口紅の付いたカップを壁際の席に残し、席を立った。
L字型のカウンターの奥にあるのが化粧室だ。
扉の前に立ったところで、手招きしている店員を右目が捉えた。
品のある壮年の男性の方へと身を寄せる。
店内からはクレイの姿が消えた。
彼は人差し指を唇に当て、付いてくるよう手振りで示して店の奥へと進んでいった。
細い廊下の半ばで歩を止めるとクレイに振り返った。

「時間通りですね」
「ここを抜けて裏庭で、と伺っています」
「そう、裏庭はこの扉の向こう。私は案内役です。お客人は先程いらっしゃいました」
扉を開いた。
緑の庭が眩く光り、青い香りがクレイを包んだ。
白のアーチに絡んだ蔦。
円い飛び石がその下を跳ねるように曲がりながら進む。
左手には零れそうな色彩豊かな花が元気よく首を伸ばしている。
小さな空間だが、不思議と風が抜けた。
濃い緑の葉に囲まれてベンチが置いてある。
クレイは石の上を渡り、アーチを抜けて、ベンチの端に座っている女性の前に立った。
横髪を結い上げて後頭部に纏めている。
凛とした姿に白のシャツが背筋の良さを引きたてている。
目の端に朱を引き、同じ色の紅を引いた顔をクレイに持ち上げた。
クレイがここに入って来た時も警戒の信号を発しない。
存在感は明らかなのに、クレイは最初彼女の姿を捉えられなかった。
彼女は気配を消していた。

「どうぞお隣に」
機械人形のようにぴくりとも顔の筋肉が震えない。
手首を捻ってそろりと手のひらで空席を示した仕草も滑らかで無駄がない。
クレイは糸で引かれるように黙って彼女の隣に腰を下ろした。

「書簡を受け取りに参りました」
「承知しております」
膝の上に置かれた両手の下から、彼女は布の包みを開いた。
桐の箱が現れる。
それだけでもただ事ではないことが知れるが、彼女は徐にぴたりと合わさった木箱の蓋を開いた。
手紙と同じ大きさの薄いカードが二つ収まっていた。

「こちらをお預けします」
丁寧に取り出し、クレイへと両手で差し出した。

「お預かりします」
クレイは事前に受け取っていたファイルに書簡を収めた。

「それといくつかあなたに託けるよう聞いております」
彼女はクレイが書簡を鞄に入れたのを待ってから口を開いた。












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