Ventus  175










学生時代とは生活様式からタイムスケジュールから、すべてのことが大きく変わった。
講義に訓練もあったが、それらも学生時代の苦行に似た強制感と束縛感とは違う。
講義は実戦に繋がる。
ひとつの知識が生死を別けることもある。
知っているからこその緊張感があった。
講義や講義も朱連(しゅれん)の面々が揃って顔を合わせることは少ない。
部隊単位の受講時には仲間内で何人か顔を見ないことがある。
彼らは特務に従事するためどこかに派遣されている。
クレイたち第四部隊でも状況は同じだった。
六人構成だが、六人揃って座学を受けているほうが珍しい。
一人、二人特務に出ていたとしても、今日は何の任務でどこに行っていると顔をつき合わせて雑談に興じることもなかった。
他部隊の空気はクレイには分からなかったが、朱連の程よい距離感が好ましく思えた。

クレイは抜けた穴を眺めるだけの仕事だったが、今度は穴を作る役目が回ってきた。
学生時代とは違う生活、二つ目は端末に縛られる生活だ。
健康管理から通信手段、位置補足まですべてが端末で管理される。
夜中も緊急の任務が入れば叩き起こされる。
召集も端末に連絡が来る。
任務中は端末に情報が流れて戦況を読む。
友人らに不携帯端末とまで言われたクレイの端末不携帯は必要に迫られて改善された。
その携帯端末にキースから連絡が入ったのが昨夜だ。
早朝、キースの執務室への出頭命令。
いつもは見送るばかりだった、これが特務なのかと数行で終わる特務通知を閉じた。
事前通達とは良心的だった。




「久しぶりだね。どうかな、その後。元気でやってるかい?」
キースは見晴らしいい窓辺で後ろ手に外を眺めていた。
部下とはいえ、他人に背後を見せている上に、緊張感のない挨拶だ。
しかしこの底の見えないのが恐ろしい。
クレイは緊張感を崩すことはなかった。
不敬にあたらぬよう現状を交えつつ丁寧に返事を返した。

「ところで」
部下の近況に十五分ほどヒアリングした後、キースは変わらぬ調子で話を変えた。
本題が始まる。

「書状の輸送、ですか」
つまりは郵便配達だ。

「大切な書簡だからね。信頼できる人間に預けたいと。そう仰ってるんだ」
誰が、とは聞かない。
依頼主が、で十分だ。

受け取り場所、届け場所を確認する。
特に堅牢な要塞や未踏の僻地というわけではなさそうだ。
地理的にもディグダクトル近郊。
公共交通機関を乗り継いで行ける場所だった。

「交通手段もそれでいい。ただルートは指定がある」
「書簡の輸送が漏洩しているということですか」
「今日、ここへというのは漏れてはいない。ただポイント、人はマークされているね」
警戒された網の目を潜っての輸送。
それもディグダクトルの無数の人に混じって張られた網だ。
どの網の目を潜ればいいのか難題だった。

「糸切りも準備している」
クレイに絡む警戒の糸はそれとなく解けるように人を配置しているらしい。
相当な厳重体制だ。

「そんな重要な任務を私が」
「荷が重いかね? いい経験だと思うけど」
「いえ、もちろん遂行します」
緊張感が背筋を締める。

学生時代にはなかった感覚。
肌を切るような責任感だ。

戦闘時も、体ひとつだった。
試されているのは自分だった。
己の実力が事のすべてを決めていた。

もし失敗すれば。
自分が消えてなくなるだけでなく、書簡ひとつが何か大きな事を揺るがしかねない。
もはや自分だけの小さな世界に身を置いてはいないのだと、クレイは手が湿るのを感じた。
頼れる朱連第四部隊の先輩はいない。
受け取り場所は、ディグダクトル郊外。

「詳細は端末に」
キースは手のひらを差し出した。
クレイは彼の白い手を凝視する。
一瞬後、ようやく彼が手を開いた意味を察して自分の端末を上着の内ポケットから探り、手の上に乗せた。
彼は手早く机の端に開いてあった端末からコードを引き出して、クレイの端末に有線接続する。
瞬時にデータと電力がクレイの端末に流れた。

「開いてみてくれ。出発は二時間後。服の指定もあるだろう」
任務の詳細が溢れんばかりに詰まっている。
上から下まで気が遠くなりそうな情報量を頭に叩き込んでいく。
頭にルートを図式化し、映像化する。

「どこで服を」
スカートなど履いたことがなかった。
自分で調達するには二時間では難しい。

「ああ、衣装部屋があるのを知らないのか」
まるで劇場の話をしているようだ。

「衣装部屋?」
「というのも通称だがね。装具備品管理部に顔を出して、それ」
クレイの端末を向かいから指で引き倒して、画面に触れた。
バーコードに画面が切り替わる。

「それを見せればいい。必要な装具を用意してくれる」
クレイは画面に顔を落として続きを読んだ。

「質問があれば出発前に聞いてくれ。朝食はまだだね」
「はい」
「これが終わったら済ませて行きなさい。腹が減っては、というからね」
「戦いませんよ」
「不逞の輩はどこに転がっているか分からないからね。そうだ、カーティナーは格闘戦の過程は取っていなかったね」
「アームブレード以外は」
「あれは済ませていたほうがいい。戻ったら組んでおくよ」
「ありがとうございます」
「折角だから」
キースは左手に据え置いてある端末画面に指を走らせる。
片手で器用なものだ。

「これを渡しておこう」
「かんたん! 今日から始める格闘初級マニュアル」
訝しげにクレイが送られてきたデータを開いてタイトルを読み上げた。

「意外とうまくできているんだ。護身術を基本にしているんだが。ああ、これは中央図書館に所蔵してある。どこの分類だったかな」
絵が大きく、図解が分かりやすく見やすいカラーだ。
人の動きが矢印で示されており、いつの時代のものなのか真面目で平静な顔で大きく手を振り、抵抗と反撃をしている様子がシュールだった。

「時間があれば目を通しておくといい。移動中、暇だろうし」
暇であってはならない。
常に警戒を、と反論するではなくキースの表情を読むようにクレイが顔を上げると、彼はクレイの堅苦しさに反して朗らかに微笑んでいた。

「硬くなりすぎてはいけない。緊張感を振りまいては主張と同じ。いかに周囲に溶け込むかが問題だからね」
「記憶に留めておきます」
端末からコードを分離した。

「君の安全は書簡の安全だ。無理はするな。異変を感じたら逐次連絡すること」
立ち上がったクレイとともにキースも腰を浮かせた。
穏やかだが、皺とともに顔には知性が刻まれている。
品のいい、少し丸みのあるおじいさんという風貌だが、これで朱連全部隊を総括している。

「不安だろうが、がんばりなさい」
部下を送り出す言葉はいつも優しい。




キースの執務室を後にしてクレイは食堂に向かう。
端末で任務の内容を確認しつつ栄養士が徹底管理した食事を腹に収めると、早速件の衣装部屋に出向くことにした。
壁に張り付いた矢印と端末の地図を追って目的地に向かう。
朱連が駐屯している敷地は広い。
同じ敷地内のどこかにカイン・ゲルフもいるはずだが、遭遇することはない。
朱連の一角だけでも相当の面積だ。
専用の訓練室、シャワールーム、ロッカールーム、講義室に備品倉庫、食堂、不足なく揃っており、クレイが未踏の場所も多い。
立派な施設の真ん中にいるキースは、ディグダ軍全体での立ち位置を計ろうにも想像ができない。
皆、講義中や訓練中、そのほかは任務に赴いているので廊下はいつも清浄で静かだ。
首からIDカードを提げた事務員が書類や端末を片手に歩いている姿と擦れ違う。
クレイはふと自分の腕を持ち上げる。
手首に埋め込まれたマイクロチップには個体識別コードが入っている。
インプラントチップにIDカード、さまざまな手段でセキュリティーの壁を築いた要塞でもあった。
そんな重要拠点に自分が居ることが不思議な気がした。
人生の半分は饐えた臭いに塗れたゴミの山と水が濁った路地裏で生きてきたのに。
恵まれた環境、だが享受するばかりは許されない。
それは責任と引き換えに。




備品室の前で腕を差し出しチップを読み込ませた。
IDの提示を機械的に求められる。
ガラス一枚で隔てられた向うの人間は、機械人形のように背筋が伸び無表情で機敏に動きまわる。

「入室許可します。どうぞ」
鉄扉を潜り、部屋の中に入った。
別の人間がクレイの隣に並ぶ。
先ほど窓口で応対した女性とは髪形が違うので別人のはずだが、空気は同じだ。

「初めて利用されるとのこと。備品室へご案内します」
言うが早いか、タイトな制服に身を包んだ彼女は足早に奥に進む。
通称、衣装部屋の前で衣装部屋受付と一言二言引き継ぐと、小さく一礼して案内人は去った。

「こんにちはー」
朗らかな声が窓口から響いた。
髪をカールさせた少女が小さく手を振っている。

「コード、持ってますー?」
化粧は完璧、小さな窓口からひらひらと手を出した爪も美しくネイルアートされていた。
気圧されながらも、クレイは端末を彼女の前に提示した。

「そのままでー」
バーコードリーダーを取り出しクレイの端末画面に翳した。

「はーい、いいですよー。あ、中に入ってお待ちくださいね」
受付嬢が引っ込めたリーダーがちらりと視界に入る。
実に美しく煌びやかに飾り立てられていた。

「ふーん、これと、これと。あ、これね」
端末に入力していくが、キーボードの上で踊る手の早いこと。
目は左右正面三台を行き来し、指を画面上のあちらこちらに滑らせる。
時折、そこに立っているクレイを横目で確認しつつ、手は動かしたままだ。

「お待たせしましたー。装備品、準備できましたので奥にお進みください」
鼻にかかったような甘い声で奥に誘導された。












go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page

















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送