Ventus  166










「ああ? 何だって」
訓練後、吹きだした汗にタオルを擦りつけながら、軍服姿の男はカインへ顔を捻った。
手の下から飛び出した額は浅黒い。
日焼けの上に土を被っている。
汚れたタオルに目を落として眉を寄せた。
外は小雨が窓に無数の点を打ち付けている。
降るならちゃんと降れ、降らないならちゃんと晴れてろ。
カインは訓練上がりの先輩が舌打ちするのを、この短期間に何度か耳にしていた。
早々にその理由を体感したのが今だ。
砂埃に小雨で肌に練り込まれた汚れは気持ち悪いことこの上ない。



浴場は年功序列、かつ優秀者先行。
入隊間もない新人は体が冷えて汚れが固まってからようやく風呂にありつける。
その頃には浴場の床は砂の絨毯になっており、最初のころは風呂上りに素足で踏み締める度、不快感で背中が縮こまった。
学生時代の何とも贅沢な生活。
綺麗な風呂で一日を終えられる幸せ。
思い出に浸っている暇もなく、下着一枚で新人がデッキブラシを手にした。
一人が蛇口を捻る。
ホースが体を捩らせ、湯が宙に曲線を描きながら踊る。
タワシ担当は四方の壁、一面に横並びに生えているシャワー、石鹸台から次々に相手にしていく。
おい、と声を上げて腕を挙げれば近くから剛速球で洗剤が跳んでくる。
取り落としたら罰として容赦なく蹴りか湯が襲う。
同時にあちこちから、愚図が、鈍が、備品は大切に、などと罵声が飛ぶ。
デッキブラシ組は端からブラシを走らせる。
砂は残してはならない。

翌日一番風呂の上級兵はまず隅を見る。
己が通ってきた道だから、どこに汚れが残りやすいか熟知している。
風呂上りの爽やかな顔を迎える瞬間がカインたちにとって緊張の時間だった。
カインたち下級兵の列の中を流れて行くの先輩の一人が、カインたち新人へ整列の指示を掛ける。
別の先輩が第二陣の風呂行きを許可した。
前年、同じように整列させられた彼らはお気の毒さま、と逃げるように浴場に消えて行く。
多少の同情はしたとしても決して立ち止まることはない。
止まって呼び止められたが最後、列の末尾に立たされることになるからだ。
第三陣は部屋の端に各々見て見ぬふりをしている。

掃除の甘かった場所が指摘され、後ろを向いて壁に手をつけと先輩の足が浮く。
もたついている人間がいたら即座に足を払われて床を這いつくばることになる。
体罰? 上等。
罪の事実は体の痛みで覚えるものだ。
仕置棒というものが部屋の端に立てかけられている。
消沈した面々がこの後、黙々と浴場の隅を重点的に清掃に励むことになった。



「朱連(しゅれん)です」
「どんな部隊だろうと思いまして」
「それと、何か関係があるっていうのか?」
二人は間にひとつ椅子を挟み、壁際の丸椅子に腰を下ろしていた。
怠い上に湿気を含んで不快極まりない脚を開いて楽にしている。
あまりだらしない格好をし過ぎると上級兵から蹴りか拳が入るので、背中を壁に押し付け上体を立てていた。

二人は揃って浴場の入口を物欲し気に目をやっていた。
ようやく緊張の第一陣が終わり、第二陣が流れて行くところだ。
カインも、カインの隣にいる先輩の順もまだしばらく先になる。
カインの気も少し緩み、暇を持て余しているところで、側にいてよく話をする気易い先輩に質問を振ってみた。

「友人がそこに配属になったんです」
カインの言葉を聞いて、苦虫を噛み潰したような顔をした。
今度はカインの方が訝しげな表情を浮かべた。

「恐いこというなよ」
「恐い?」
「彼女か?」
「彼女? いえ友人、ですが」
何なんですか、とカインは先輩の肩を揺さ振りたい気持ちを呑みこんだ。

「そんな過酷な部隊なんですか」
「それもあるが」
煮え切らない。
情報を小出しにされれば余計に袋を突きたくなる。

朱連は女性の在籍率が高い。
それを聞いてカインは少し安心した。
クレイはセラのように、穏やかで優しい人に囲まれている方がいい。
訓練は厳しくともせめて人間関係だけは、和やかであってほしい。
目尻が微かに下がったカインの表情を先輩は見落とさなかった。
洞察力も訓練の賜物かもしれない。

「おまえ今すごく間違ったの、イメージしただろう」
「朱連に食い込める、ってのはそりゃすごいことだ」
「ええ。すごく強かったです」
しかし、それを称賛したり僻んだりするような空気が先輩からはまったく流れてこない。
それをカインは不可解に思う。

「なんつったらいいんだろうな」
先輩が開いた縦襟の下を掻いた。
華やかな女の園というわけではないのは見てとれた。

「マッチョ」
「は」
「おまえの彼女はマッチョか」
「彼女じゃありませんし、マッチョでもありません、たぶん」
小柄で俊敏、確かに筋肉はついているだろうが隆々というには遠い。

「いや、マッチョなんだ。あそこは」
膝の上に両肘を乗せて背中を丸めた。

「何にも知らない奴が、朱連の女に手を出した。翌朝、やつれた顔で寮に帰って来てその日一日は部屋に籠り切り」
他にも同じような同僚がいた。
彼もまた、抜け殻のような態で這いつくばって玄関で力尽きたと言う。
ベルトは緩んだまま、目を見開いて小刻みに震えながら、女が怖い、女が怖いと憑かれたように繰り返したという話だ。

「すごい言われようですね」
「おまえ、間違っても同じ轍を踏むんじゃないぞ。カラッカラに絞り取られるからな」
雄々しく、猛々しい、それが朱連だという。

「生きられるのか? クレイ」
口に押し当てた泥臭い手の中でカインが吐き出した。

第二陣と入れ替わりに第三陣が流れて行く。
ようやっと次だ、と先輩が体を起こした。

「その朱連でも俺たちみたいに掃除したりするのかな」
クレイたちがブラシを持って磨きまわる姿。
クレイは堅く真面目だから一心不乱に床を見つめて手を動かしているのだろうか。
それとも朱連の豪胆さから、一触即発で大乱闘が勃発したりするのだろうか。
カインの独り言を手持無沙汰の先輩が拾った。

「するさ。でも俺たちの掃除とはちょっと違うけどな」




薄暗い部屋の中で、六人が顔を突き合わせていた。
彼らが囲んでいる縦長のテーブルの上では、青白い地図が浮いている。
二層に分かれた電子画像は、下段に広域図、上段には今説明を受けている拡大図が静止していた。
クレイは目を見張り、一言一句を丁寧に噛み砕いて理解し、脳に記憶として染み込ませている。

六人のうち、この朱連 第四部隊に配属された新人は二名。
他の部隊でも採用の動きはあったようだが詳細は不明だった。
クレイが朱連に配属されてからの訓練は、強化訓練ほど煮詰めたものではなかったものの、体に馴染むまでは食後すぐに寝台に入っていた。
それも徐々に体が適応し、それなりになんとか生活としてのリズムを掴み始めたところで、任務の知らせが入った。
召集された小会議室でブリーフィングが始まる。

任務の内容は獣(ビースト)の討伐。
名前は聞いたことがあるが、実際に獣(ビースト)がどのような存在なのかはっきりと見ていない。
訓練中の講義で得た情報だけで対峙しようなど、明らかに不足している。

部隊長を冠している女性が画面の上に指を滑らせて、四角く表示された圧縮データをクレイに滑らせた。
クレイは人差し指で受け取ったデータに指で弾いて開く。
数十枚に渡る獣(ビースト)のデータが展開された。

「作戦開始時刻までに読み込みなさい」
眼鏡の下の目は穏やかだ。
情報を与えるなど甘やかしすぎだと、残りの三人は思っているだろうが彼女は意に介さない。
かといって、特定を取り立てていたり、また独断で暴走することもなく、全員に気を配ることを絶やさない。
時に煌めく決断力もあって、彼女を一目置いている人間はいても、顔を背ける者はこの部隊にはいなかった。
データは即時、新人二人がテーブルに有線接続し端末に取り込んだ。

「質問も尽きたようなので、一時解散」
照明が一瞬にして隅まで白く染める。
膨大な情報量と明るさに、クレイの目は眩んだ。












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