Ventus  165










カインとクレイにウォーミングアップを命じて部屋を出ると、宣言通りきっかり十五分後に三人分の飲み物を手に部屋に戻ってきた。
初めにカインを指名して部屋の中央に立たせた。
飲み物を壁際に並べ、クレイにはそこでストレッチしつつ見学を命じる。
カインの軽装で判断したのか、すでにひと汗流して体の準備が整っていることを彼女が見抜いたのにクレイは驚いた。

「カーティナー。足下のスイッチを押せ」
要領は特別寮で心得ている。
壁に埋まったスイッチを爪先で蹴れば縦に長い扉が手前に飛び出す。
上から手を突っ込み、引き抜いた。
しかしクレイには長すぎる。
カインへとアームブレードを突き出した。

「どうだ」
「悪くないです」
カインは手早く装着し、左右に振ってみる。
自分用のアームブレードより違和感はあるが、カインの身の丈に合わせたアームブレード。
クレアの見立てに狂いはなかった。
クレアも壁に下がり、凭せ掛けていたアームブレードを手にした。
壁を蹴って、上に口を開いた壁のポケットに腕を入れるとプロテクターを取り出した。
一式をカインに投げ渡していく。

クレイはもう一度壁を蹴ってみた。
同じように口を開けた箱の中を覗き込んでみるがこちらは空だ。
どういう仕組みになっているのか箱の隅を確認してみた。
エレベーター方式なのだろう。
学生用のアームブレードを地下で管理しているように、ゲスト用のも完備されているというわけか。
クレアが下でカインの体格データを入力するなり申し込むなりすれば、見合うアームブレードを揃えてくれるのか。
便利なものだ。
蓋が閉じて壁に同化し、クレイが前に向き直ったころにはクレアとカイン、両者が向き合って準備は整っていた。
これはなかなかの見物だ。
クレイがカインと剣を交えたのはいつだったか。
クレイがベッドにいる間もカインはここに通うなり、訓練に参加するなりして腕を磨いているはずだ。

クレイは顎を引いた。
砂を舐めたような、妙な感触に胸がざわつく。
緊張しているのか。
あるいは、不安か。
振り切るように鼻から息を吐いたが、今度は心臓が脈打っているのが気にかかる。
私は、遅れを取っている。
数ヶ月間、カインの方が先を行っている。
以前はカインより腕は上だという無意識の安心感があった。
清女の祭でのアームブレード試合でも、クレイの方が上だった。

カインが構える。
クレアもアームブレードを引いた。
教本にも出ていた、美しい構えだ。

来い。
腹から叩きだしたクレアの声に、カインが踏み出した。
体の外から中へ、大きく宙で弧を描く剣先。
クレアはあえて大きく下がらず目の先で避けた。
カインも回避を読んで、今度は内側から外へブレードを切り返した。
その剣の軌道の下をクレアのブレードが流れる。
勝負が早々に決着するか。
クレイの眉が動いた。
それはあまりに詰まらない。

しかしクレアの切先がカインの肌に触れる直前、カインが体を捻って転じた。
クレアのブレードは空を切る。
ブレードの遠心力に乗って腰を振り膝を前に上げた。
跳躍するような大きな一歩でクレアの斜め後ろに回り込む。
クレアが目を大きくし、視界の外に流れたカインを追った。

何だと。
クレアと同じく、クレイもカインの動きに釘付になった。
空気抵抗を受けるブレードに体が持って行かれる。
逆にその遠心力で体の軸を転じる。
クレイが良く使った技法だ。
それをカインが吸い取った。

しかし、カインのブレードが定位置に戻る前に、クレアのブレードがカインのブレードを下へ叩いた。
軽い、だが軌道を逸らすことができた。

体が大きく、大振りになるのが災いした。
クレアの死角に飛び出しても体勢を整えるのに時間が掛かる。
そこからクレアの鮮やかな巻き返しが始まった。
叩き落としきれないカインのブレード、重く力強く踏ん張ったカインの腕。
それを自分のアームブレードを支点に跨いで跳び上がった。

クレイほど小柄でもない、助走もない。
その体がカインのブレードを飛び越えて今度は逆にカインの死角へと回り込む。
カインも悔しさと焦りを滲ませながら、アームブレードに左手を添えてクレアをブレードごと弾き飛ばした。
クレアは着地した直後で防御態勢が取れておらず、カインの力をそのまま受けることになった。
生徒ならば、そのまま壁に激突するか、床を滑っていくかしたところだが、さすがは教師。
一瞬崩れた体勢も次のステップでは踏み止まって低く構えた。
カインはすでに追撃を始めている。

美しい攻防だ。
クレイは激闘に眼球を忙しく動かす。
手は湿って、すぐにはアームブレードを握れそうにない。
だめだ、だめだ。
喉が渇いてきた。
肌が泡立っている。
強い。
ただ大振りで力任せだったカインの動きに、鋭さが混じっている。
性格そのままで実直にただ真っ直ぐに切りこんでいた剣が、技巧を備えてきている。
弱点を補おうと繰り出される体軸の流れ、空気を流すブレードの動き、それらが練られている。
素直さゆえに、か。
だからこそ、他人の動きで良いと思ったものをすぐに取り入れようとする。
体に合わなければ切り捨てる。
新陳代謝の良さ。
適応力。
応用力。
探求心。
カインに備わった、性格とブレードの性質が調和している。

「私に、なかったもの」
一人で我武者羅に剣を振ってもだめなんだ。
我流、では行き詰る。
ただ他人の動きをそのまま映すだけでは、それ以上にはなれない。
模倣、は本物を超えられない。
模倣を繰り返し、経験として数多く蓄積し、自分に合うように練っていく。
それこそが鍛錬、洗練。

クレイは震えた。
必死で過去の自分の剣を取り戻そうとしていた。
自分の背中を追っているのと同じだった。
それではだめだ。
本当に強くなりたいなら、アームブレードを望むなら。
それでは先に進めない。

目を開け、クレイ・カーティナー。
濁った眼では、先の先は見通せない。
私に、足りないものは何か。
ありたい姿とは何か。
考えろ、そして想像しろ。

高く澄んだ音が響いた。
クレイの眼は、クレアのアームブレードがカインの脇腹に触れているのを捉える。
カインの防御が遅かった。
勝負は決した。

カインが息を上げている。
クレアの額にも汗が浮いていた。

「良い腕だ」
クレアがカインを見据えた。

「勝てなかった」
カインが腕を下ろす。

「そう簡単に勝たせてたまるか。私はお前たちの教師なんだ」
クレアもブレードを下ろしてカインから間を取った。

「いつでも教えを請いに来い。相手にしてやる」
「本当に?」
「ああ。もちろん」
満足そうにクレアが微笑んだ。

「そういえばカーティナー。お前、体を動かしてなかっただろう」
飲み物を寄こせと手振りしながらクレイを睨み付けた。

忘れていた。
それどころではなかった。

「まあいい。五分休憩。その間に体を伸ばしておけ。そっちの」
「カイン・ゲルフです」
「ああ。そっちも体を解しておくように」
「ありがとうございました」






「それで? マアはどうだったの?」
黒い瞳を煌めかせて話の先をねだる。

「うまく体が動かなかった。腹の底に力が入らないというのか」
ブランクがあったせいだと、最初は思っていた。
しかしそうではない。
何かが、欠如している。
クレア・バートンとの試合が終わり、汗を流すために頭から熱いシャワーを被りながら反芻し、確信した。

「噛み合っていない、というか。言葉にするのは難しい」
昔から、自分のことを説明するのは苦手で、口にする前にセラが解説してくれた。
しかし実際に一人になってみると、言葉として自ら表現しなければ伝わらない。
コミュニケーションの難しさに戸惑い苦笑する。

「私も、アームブレード、してみようかな」
「まだ早いと思う。もっと大きくなってから、どうしてもしたくなったら」
クレイにとってアームブレードはもはや競技としてのものではなく、武器としてのものだ。
生々し過ぎた。

「新居はどうなんだ。前より賑やかになったんじゃないか」
以前はディグダクトルより車で離れた場所に陽花(ヤンファ)は住んでいた。
趣は別荘というよりむしろ離宮というに相応しい、広大な庭と土地を贅沢に使った板敷、木造の邸宅が構えていた。
色彩煌びやかという豪奢さはなく、欄間一つ、柱一つにしても質の良い材木を使い、木目の美しく滑らかな造りをしていた。
装飾は技巧が見事で、一日中眺めていても飽きない。
陽花にはいくつか部屋を与えられていたが、彼女が寝起きし一日の大半を過ごして好んだのは、欄間に花が彫られている一室だった。
その居室とも別れ、陽花はディグダクトルの中枢部に呼ばれて身を寄せた。
彼女の後見人である、老(ラオ)という人物の一声だと陽花の口から聞いた。
いかに離宮と別れ惜しかったか、陽花は彼女がマアと呼ぶクレイに叙情をたっぷりと語った。
無理もない。
彼女はそこで生まれたも同じだからだ。
彼女の世界はその離宮の中だけだった。
戦の最中、母の血の海で一人座りこんでいた陽花。
茫然と呼ぶにはあまりに無表情過ぎる顔は、蝋か陶器で作られた人形のようだった。
部屋の奥の奥で、母親は陽花を守ろうと腹の下に隠したのだろう。
母親の温もりが消えていくのを幼い陽花はその下で息を潜めながら感じていた。
最後に母親と交した言葉は何だったのだろうか。
彼女と母親が生きてきた道はどういうものだったのだろうか。
記憶を失った陽花には問われても答えられない。
彼女の記憶の始まりはこの離宮だった。
世界の始まりはクレイの腕の温もりだった。

「ここも好きよ。ラオは前よりよく来てくれるし、マアに近いもの。それに前の場所だってなくなるわけじゃない」
「ああ。いつだって行ける」
クレイも、あの離宮の雰囲気が好きだった。
屋敷の中に住み込みで働いている女中たちも、陽花にとって家族同然だった。
女中たちの纏う空気は離宮と同調し、嫋やかで浮世とは乖離している時間を漂っていた。
物語の一頁を開いているかのようだった。
それは彼女たちが陽花に付いて外に出たときも変わらず、現実という背景に雑誌の切り抜きを張り付けたような、彼女たち一角だけが現実から妙に浮いていた。
維持管理として離宮にそのまま残った者もいたが、陽花が特に馴染んでいた女中たちは彼女とともにここに居を移した。
離宮の空気が新居でも漂うのはその理由もある。
造りは離宮に良く似ている。
天井はディグダクトルでクレイが今まで生活してきた空間とは違い、幾分低くしてある。
外殻はコンクリート造りだったが、内装はやはり木目の美しい木が使われている。
柱が取り払われた見通しの良い施設が多い中、ここは大広間に整列する柱が見事に空間を彩っている。
朱で装飾された模様も繊細で、訪れた客人の目を愉しませる。
もっとも、この屋敷を訪れるのは極親しい、限られた者だけだった。
陽花はほとんど敷地内から出ることがない。
閉塞感がなく伸び伸びと生活が送れるのは、広い屋敷と庭に、豊かな木々と川が流れているからだった。
屋敷に人に、すべての環境にここの主の趣向が行き届いている。
陽花の元に数え切れないほど通っているクレイだったが、ここの主の姿を目にしたことがない。
これだけ見事な空間をプロデュースした人物、陽花が心を許しているラオという人間に会ってみたいと思う。

「ねえマア。今度、カイン・ゲルフというひと、ここにお招きしてね」
「ああ。会ったことがあったんだったな」
「前に、一度だけ」
「そうだな。陽花と話が合えばいいな」
気が合うような気がした。
カインは曇りのない男だ。

「犬のような奴だ」
「いぬ?」
「知らないか」
「うーん」
「真っ直ぐでおもしろい奴だ」
「楽しいひとなのね」
「だけどまず、ラオに相談してからだな」
「きっといいって言うわ」
「そうかな」
乱暴ではないが落ち着きがない、ということで撥ねられはしないか。

「だってマアのお友だちですもの。それに、私お友だちがほしいの」
「そう、か」
そうだ。
陽花の周りには、家族同然の者しかいない。
同年代やそれに近いものはいない。
走り回れる友人がいない。

「私にも、陽花と同じ年の知り合いはいない」
「そっか」
陽花を伴って彼女の部屋を出た。
新居を一巡りしたが、もう一度庭を見に行こうと陽花に手を引かれた。
彼女の向かう先を察したのか、女中の一人が彼女の羽織を手に後ろに従い、そっと距離を詰めると彼女の肩に掛けた。
クレイへ用意した羽織も腕に掛かっており、クレイの腕をそっと通した。
卒のない動き、よくできた女だ。
彼女に向かって陽花は礼を言う。

「ジェイ・スティンの話をしたかな」
「いいえ。聞きたい」
クレイを隣で見上げた陽花の後頭部に手を当てた。
綺麗に結い上げられた髪は、器用なもので耳の上で大きく輪を作っている。

「古いディグダの言葉の歌を歌うんだ。聞かせてあげよう、今度」
「本当に? 楽しみにしてる」
先ほどは廊下から眺めるだけで通り過ぎた庭に下りた。
靴を勧められたが、陽花は首を振って素足のままクレイの手を引っ張る。
クレイも陽花に倣い、裸足で庭の石を踏んだ。

「冷たい?」
「ああ、冷たい」
「こっちは冷たくないわ」
土の上に陽花が跳ねた。
そのままクレイの手を離れて駆け出した。
土を足の指で掻くように走り、立ち止まっては風の流れを感じる。
再び植木の脇を走っては、緑の香りを愉しんだ。
クレイはその陽花の影を追う。

「花も、ここにお引越ししてきたの」
見覚えがあった。
懐かしさに胸が熱くなる。

「お仕事、忙しくなるかもしれない。でもね、ここに来てね」
「ああ。来るよ」
クレイは花壇の前で膝を抱え込むようにしゃがみこんだ。
小さな植物に手を伸ばし、指でそっと触れる。

「帰ってくるよ。ここの空気は体に馴染む」
安心できる。
帰るべき場所、ということを頭より先に体が理解していた。
まだ、帰る場所は残っていた。

「マア」
クレイの腕に陽花がしがみついた。
その体温が溶けるようにクレイの中に流れるのを愛しく感じていた。












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