Ventus  164










訓練課程から帰って腰の落ち着かない日々が流れた。
居心地の悪さは皆変わらないようで、同じく訓練課程に参加していたカインもクレイと同じ感覚だった。

間もなくクレイ宛てに人事の通知が届いた。
封書の文面で朱の押印がされ、正式文書の扱いだ。
端末を介してでないところが逆に新鮮味と感慨を覚えた。
配属日と部署名が書いてあるが、まったく想像ができない。
細かい手続きについては配属が決まり次第、各自がネットワークで情報を確認すること、と訓練の最後に締めくくられたのを思い出した。
寮の管理人の元で保管されていた封書を片手に摘んだまま半円状に巻いている階段をゆっくりと登っていく。
大きく取られた窓の外には女子寮の背中が見えた。
広い園庭を見下ろして聳え立つ、男子寮、女子寮、そして中央棟。
馴染んだ女子寮から中央棟特別寮に移ったのは最近のことだ。
外から戻ると、うっかり元の女子寮の入口に踏み入れそうになり慌てて引き返す。
その女子寮の外壁を見ている。
落ち着かない理由は回りの視線とその違和感のせいだった。
根を下ろす間もなく事態は転化し続ける。
この仮住まい生活も終わる。

変化は苦手だ。
自分が変わり、適応していくにはエネルギーが要る。

携帯端末でも情報を見ることは可能だったが、クレイはあの手のひらの上で見る小さな画面が好きではなかった。
携帯不携帯をよく周りに指摘されるくらいだ。
部屋に帰って据え置いてあった端末を開いて立ち上げた。
一通り配属手続きの内容に目を通してから、メールの処理に当たる。
一通、クレア・バートンから届いている。
簡素な訓練の労いを一言、また訓練棟に顔を出せともう一言、以上。
用件だけを吐き出した、相変わらずのメールだったが逆に安心した。
椅子に背中を押し付けて仰け反った。
平らな白い天井を見上げ、半ば目を伏せながらゆるゆるとこれからのスケジュールを組み立てていく。
部屋の荷物を纏めておかなくては。
期限はまだあったが、面倒は早めに片付けておきたい。
それにクレア・バートンのところにも。
アームブレードの箱に視線を流した。
特別寮ではブレードを収納できる専用スペースが部屋に備え付けられている。
いつでも召集が掛かれば応じられるように、だろうか。 さて。
クレイは勢いをつけて体を起こした。
引越し用の箱は管理室に用意してあるらしい。
さっさと済ませて軽くなりたい。
箱を三箱貰い、組み立てて詰め込んで。
一、二時間で纏まるかと思ったが思うように手が進まず、気がつけば午後に入っていた。
昼食を食べに行ってもいいが、胃はあまり乗り気ではないようだった。
街に出るにもシャトルに乗り電車に乗り歩き、と手間が掛かるため物を収集することはなかった。
それでも生活必需品、衣類、書籍、その他諸々を箱に納めると結構な重さになる。
しかし、両手で持ち上げられるだけがクレイの生活のすべてだったわけだ。
すっかり空になった部屋を見回すと、少しの感動を覚えた。
箱に名前を記し、次に移る寮の地区名を下に書き記した。
最後にペンを箱に納めて封をする。
テープを箱の上に乗せて終わり。
腰を伸ばして視界の端に入った窓に歩み寄った。
ガラス窓の鍵を外してそっと開く。
冷たい風が流れ込んだ。
睫毛の先を行き過ぎる風に目蓋を下ろす。
時間も、風も、人も、すべてが立ち止まってはくれない。
いつだってその身を転じて流れて消えて行く。
そのままの永遠を願っても、手の中をすり抜けて行く。

「夢を、見ているようだ。いつまでも、いつまでも、いつまでも。ずっと、覚めない夢を」
痛みを伴う夢を。

「次の部屋も窓があればいい。風が流れる部屋がいい」
クレイは顔を引いて窓を閉ざし、人差し指で引っ掛けた鍵を下ろした。
管理人室に行かなくては。
もうこの部屋に帰ることはない。
その足で、新しい部屋に行こう。
寝台に投げ出していたコートを羽織り、携帯端末をポケットに滑り込ませた。
床に近い壁へ埋まったスイッチを爪先で蹴るとガラスの蓋がアームブレードを
乗せて手前に飛びだした。
手持ちで一番大きく高価な荷物をレールから引き抜くとホルダーを肩にかけて部屋を後にした。




「よう」
玄関の階段を下りる足を止めたのは、背中に投げ掛けられた声だった。
振り向かなくても分かる。
クレイを呼び止める男は数えるほどしかいない。

「久しぶり」
「訓練課程で顔を合わせただろう? お互いに」
後ろに向きを変えながらクレイがカインを見上げた。
ただでさえ縦に長いというのに、段差を加えると反りかえらなくてはならない。
思うより前に、カインが階段を下ってきた。

「楽しくおしゃべり、なんてできなかっただろう。まずはお互いに無事帰還したことを祝おう」
「大げさな」
「引越の準備は?」
「さっき終わった」
「早いな」
「仮住まいに物を広げたのか」
何度も移動するのが面倒だとカインが渋った。

「何ならずっとここに住むか」
「分かってるよ。今夜。ちゃんとやる」
「レヴィを呼べばいい。すぐに片付く」
「怒られながら、か。けど、うん。いい案だな」
「嫌がるレヴィが見える」
「早速っと」
上着に手を突っ込んで端末を探り当てると親指を走らせた。

「その勢いで片づければいいものを」
「片づけってのは一人でやるより二人、二人でやるよりたくさんでやるほうが楽しくていいだろ」
「根本的に違う気がする」
「せっかくだ、散歩しないか」
ふと、カインの笑みが解けた。

「もう、たぶん。ここにくることはないだろうから、さ」
何か急ぎか? とクレイを覗き込んだ。
クレアのところにでも行こうかと考えていたところだ。
それも、約束があるわけでもなければ、急ぎでもない。

「そうだな。一回りするのも悪くない」
そうか。
クレイは空を仰ぎ見た。
聳え立つ三本の棟。
広い空。
降り注ぐ陽光。
この世界が、好きだった。
この空気が、好きだった。

「決まったんだろう、配属先」
円形の庭へと踏み入れた。
足裏の芝が柔らかく沈みこんだ。
中央に聳える大樹は暑季や過ごしやすい時期になると木陰に人が絶えず寄る場所となるが、寒い今は外で座り込んでいる人間はいない。

「朱連、と聞いた」
「しゅれん?」
「そうだ」
クレイは指で宙を切り、スペルを描く。

「軍に入るともなると、なかなかこうして話をしたりもできなくなるんだろうな」
「今までだって、学科が別れれば話せないといいつつ、何だかんだで一緒にいる時間を作ってきた。リシアンサスやマレーラとも」
「まぁ。そうだな。時間はできるものじゃなくて、自分で作るものっていうもんな」
「とはいえ、状況は変わる。環境も、あるいは私も」
「不安か」
「どうだろうな」
クレイは頭上でざわめく木の葉を見上げた。
正直のところ自分の気持ちが見えていない。
見えない代わりに、自分の代わりに、心の底に沈んだ澱をすくい上げてくれるひとが側にいた。
変化を恐いと思うのは、崩れて失いたくない何かが自分の中に立っているからだろう。
守りたい、何か。

「アームブレード抱えてどこに行くつもりだったんだ? 訓練棟か」
「授業を受けてもいいんだろうが、そういう気にもなれなくて」
学生は卒業、軍人にはまだ列に並べない。
中途半端な数日だ。
身辺整理をしろ、家族と過ごせ、友人と会うのもいい。
心から寛ぎ、時間を贅沢に使える僅かな期間だった。
しかしクレイにしてみれば余る時間をどう過ごせばいいのか分からない。
マレーラやリシアンサスは授業を受けている。
レヴィも同じく近くにはいない。
結局のところ戻る場所はアームブレードだった。

「そっちは手ぶらでどうした」
「散歩」
「楽しいのか」
「それにランニングと下見もな」
片づけにも手を付けないまま先に部屋を見に行ったらしい。

「で、訓練棟に行くんだろ」
カインが先に立ち上がり、クレイを見下ろし手を差し出した。

「何だ」
訝しげに腰を浮かしたクレイの脇に腕を潜らせて引き揚げた。
驚いて身を引くクレイの腕をそのまま掴んで引き摺るように歩きだした。

「どこに行くつもりだ」
「だから訓練棟だろ?」
「おまえが、だ」
「散歩の続きをしよう」
「アームブレードは?」
「俺と手合わせするか。それもおもしろそうだ」
本気でそう思っているのかカインの表情が輝いた。

「そうじゃなくて。ちょっと、話がずれてるぞ」
「まあ、無理強いはしない」
「無理強いも何も、現状、これは強引とは言わないか」
相変わらず腕を引かれたままの状態で園庭を横切る。
身長差もあれば悲しいかな歩幅も違う。
ついていくクレイは跳ねて踊るように大股だ。

「漆黒の姫君にご一緒願っている」
「連行、だろう」
反論はせず上腕から下に手を滑らせて、カインはクレイの手首を握った。

「クレア・バートンが顔を出せと言っている。講義が空いたときはクレアは大抵訓練棟にいるらしいから」
「ああ、病院でも何回か会ったな」
「まあ一応」
遅ればせながらの礼を言いに行くのだろう。
クレイにしては珍しいことだが喜ばしい進歩だ。
カインはレヴィの話をした。
クレイはマレーラやリシアンサスの様子を返した。
次に移る寮のこともカインは説明した。
そうこうするうちに環状訓練棟の環の一部が見えてきた。

「へぇ、案外人がいるもんだな」
授業の合間にカインは訓練棟に通った。

「外が寒いからじゃないのか」
確かに訓練棟は空調完備で年中快適だ。
しかし暖かい場所ならこんな僻地にこなくてもいくらでもあるだろうとカインに返されて、クレイは納得した。

「学生服を着てはいるがたぶん、俺たちと同じだ」
すでに支給されている軍服に袖を通さず学生服で構内を歩くのは視線が煩わしいからだ。
中途半端なクレイたち特別寮生はどこにも属せず浮いている。

「みんな、結局行く場所を求めてここにきてしまう。そういう人間だから引っこ抜かれたのか、そういう人間しか残らなかったのか」
「だとすればあえてここに寄り付かず、散歩して回るカインはそれ以外の何なんだろうな」
自分のことは詰めて考えるつもりも集中力もないようであっけらかんと笑っていた。

「それでクレア・バートン先生はどこに」
「さあ」
「待ち合わせなしか」
「今連絡を送る。返信がくれば会うし、こなければ部屋を取る」
端末を服から取り出して指を動かした。
クレイの不携帯携帯も操作に慣れてきたのが指の滑らかさで分かる。

クレイの指が止まった。
顎を微かに持ち上げる。
垂れた前髪の向こうに人影が横切り、予約カウンターに吸い寄せられるように止まった。
カインもクレイの視線を追った。
艶やかで流れるような長い髪に見覚えがある。
名前は知らない。
ただ目尻の上がった気の強そうなはっきりと大きな瞳。
性格をそのままに現したような切り揃えられた髪。

知り合いか? とカインが視線で聞く。
クレイは答えず観察している。
その視線に気づいて彼女はこちらに振り向いた。
やっぱりだ。
クレイは視線を逸らさない。
見たことがあった。

両者とも視線を外すことなく静寂が流れる。
そのとき、クレイの携帯端末が着信を知らせ、同時に予約カウンターに立っていた女へも予約係が声を掛けた。
クレイは端末の画面に目を落としメールを開く。
スクロールさせるほどの分量のない簡潔なメールの文字に従って二階の階段へと向かった。

「さっきの女は」
怖い印象のある近寄りがたい美人だった。

「訓練課程で見た。食堂で擦れ違っただけだ」
「あっちもクレイを知ってるみたいだったが」
「何も。話はしていない」
知り合いではない。

「クレアに会うつもりか」
「そうだな。暇だしな」
「どこまで流されていくつもりだ」
「止まりたい、と思うところまで」
好きにしろ。
クレイはクレア・バートンが取っている訓練室の扉にあるカードリーダーに身分証をかざした。












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