Ventus  161










二つのなすべきことを携えて彼女はやってきた。
セラをずっと大人にしたら彼女のようになっていただろう。
柔らかで純朴な少女のような空の中に息を潜める知性。
クレイからは口を開かず、行く先に顔を向けながら時折隣を歩くセラの母親を目の端で伺った。
歩きましょうかと促したのは彼女だった。

「寮へ?」
「そうね。そのために来たのだから」
セラの部屋はそのままにしてある。
実のところ部屋を見たわけではない。
マレーラの口から聞いた光景だった。
セラの部屋へと足を向けようとしたことはあった。
しかし扉に近づく前に足が竦んでしまった。
彼女が出て行ったままの部屋。
残された物たち。
主は今すぐにでも帰ってきそうだ。
その生々しさが耐えられなかった。
それはセラの母も同じで、結局中を見ず背を向けてしまった。
何のために来たのか。
逃げてはいけないのに、直視するのが怖かった。
葛藤し、頭の中で叫びながら、クレイの元を訪れた。

「私は以前にあなたに会ったことがあるの」
「私に?」
記憶にはない。
どこかで擦れ違いでもしたのだろうか。

「覚えていなくて当然。あなたがベッドにいたときのことだもの」
およそ人の目に触れさせられる風貌ではなかった。
まして初対面の人間だ。
ばつの悪さを感じてクレイは黙り込んでしまった。

「気を悪くしないでちょうだいね。私、どうしてもあなたに会っておかなくてはと思ったから」
クレイはもっとじっくり話をしたかった。
ただどこかに腰かけてしまえば、もっと黙り込んでしまうように思え、寮まで人を避けて遠回りをすることにした。
敷地内を巡るシャトルが広い道を横切っている。
あれに乗ればすぐに寮の前まで行くことができるが、二人ともシャトルが行くのを遠巻きに眺めた。

「理由を聞いていいですか」
「セラからあなたのことはいろいろと聞いていたわ。親友だって。最初にできた友達だとも言っていた」
「私にとってもそうだ。セラが私を救った。彼女の後は誰にも埋められない」
「あなたはディグダが嫌い?」
「ディグダ軍にいたからセラは。でもここは私の生まれた場所で、私はここしか知らない。ここは、セラと会った場所だから」
セラの母は途切れがちなクレイの言葉を拾い上げながら反芻した。
彼女にとっての世界のすべてがディグダクトルにある。
それは踏み締める土であるだけだ。
今の彼女には憎悪を感じるだけの現実感はないのだろう。
未だ、夢の中にあるように漂っている。
セラの母親は堪らなく悲しくなった。
クレイが不憫に思えた。




セラの葬儀を終え、ディグダからファリアへと棺に納められた娘を連れ帰った。
故郷の風儀に則り、体は焼かれた。
高く昇っていく白い煙は静かに風に溶けていった。
茫然と見上げてしばらく抜け殻のように時間を削っていった。
悲しみはやがて怒りに擦り変わり、それらが凪に変わったころ、セラの母は再びディグダクトルへと踏み入れた。
決着をつけてしまいたかったのかもしれない。
あるいは娘の残り香を集めに来たのかもしれない。
自分でも判然としないまま来てはみたもののセラのいた寮に向かおうとした足は竦んでしまった。
案内役に立った教師は母の心情を汲み取ってくれ急かすことはしなかった。
クレイが病院にいることを知ったのはその教師との話の中でのことだった。
このまま何をするでもなく帰るのも辛い。
部屋はそのままにさせておくから、という教師の厚意に甘え、さらにクレイへの面会を求めた。
教師は一瞬躊躇った。
当然だ。
クレイは話ができる状態ではない。
その事情をセラの母は知らない。
悩んだが、教師はクレイと会わせることを了承し、セラの母を病室に案内した。
四角いチューブのような廊下は目に焼き付いている。
廊下を歩いている患者に一人も出会わなかったのが今考えれば不思議だった。
空気が堅かったのも、この病院が外来併設の病院ではない特別な病棟だからなのだろう。
扉が開かれ、カーテン越しの淡い光の中に白いベッドが浮かんでいる。

「白いシーツに包まれたのは痩せ細って死線を彷徨っているあなただった」
ああ、なんていうことなの。
思わず手で顔を覆った。
ああ、神さま。
どうしてこんな惨いことを。

教師はセラの母に椅子を勧めた。
崩れるように丸椅子の上に腰を落とすと震えて堅くなった指に目を落としたまま固まった。
誰もが見るに堪えない酷い光景だ。
生きているのか生かされているのか、ただ呼吸する肉体が横たわっていた。
これがクレイ・カーティナーです。
教師は直立したまま彼女を見下ろした。

セラ・エルファトーンが亡くなってからずっとこの状態なのです。
淡々と語られた。
その平淡な口調が逆に、クレイへの情を深めまいと自制しているようにも思えた。
あくまでも事務的に教師はセラの母に話しかけた。
痙攣する唇を血が滲むほど噛み締めて、母は頷いた。

「あなたがセラを守ってくれようとしたこと」
しかし結局は何もできなかったとクレイは手のひらに爪を突き立てた。

「あなたがセラを大切に思ってくれたこと」
思いなど、いくら強くてもセラを救い出すことはできなかった。

「あなたを見ていてよく分かったわ。陽が暮れてもそこにいて、いろいろ考えたの。本当に、いろいろ」
ゆっくりとセラのことを考える環境がなかった。
故郷にいれば離れているディグダクトルのことが気になる。
実際にディグダクトルに赴いて、その中でようやく娘のことを真っ直ぐに考えられるようになった。


「カインさん、だったかしら。男子学生さんにも会ったわ」
一言だけでクレイにはカインとのことは詳しく語らなかった。

夕闇が濃くなっていく病室で、白い蛍光灯に浮いているクレイの顔を見つめていた。
どうしてセラを守ってくれなかったの、などという恨み事はひとつも浮かばない。
愛情が歪んだとしても、憎悪は一欠けらもクレイには向かなかった。
クレイが軍に入ると言うから、影響を受けてセラも軍医に流れたなどという転嫁は思い付きもしなかった。
セラが他人に流されてばかりの人間ではないことは母親の彼女が一番良く理解していた。
愛想も口数も少ない教師から、断片的ながらセラとクレイの話を聞いた。
セラがクレイを変えたのだと教師は言っていた。
何を、どのようにと詳しく訊く前に病室についてしまった。
クレイの血の気を失い削げた頬を見つめて訊けなかった答えを探ろうとした。

答えが見いだせないまま時間が過ぎて行く中、見舞うのが習慣になっていたカイン・ゲルフと出会った。
扉が開く音に立ちあがったセラの母が名乗る前に、カインは察し深々と彼女に頭を下げた。

いつか話をしなければと思っていたところです。
カインはクレイの腕から繋がった点滴に目をやりながら、セラの母との間に横たわった沈黙にそっと刃を入れた。
カインの目を通して見てきたセラの姿、その側から離れなかったクレイの話。
最後までセラの亡骸を手放そうとせず抱き締め、薬を投与されて無理矢理二人が引き剥がされる話まで。
側で見てきた彼は鮮明に目に焼き付いた情景を吐き出した。
言葉を詰まらせることなく淡々とカインは状況を説明する。
これ以上セラの母を痛め付けるつもりはなかった。
ただ多少痛みを伴ったとしても伝えておかなければならない過去と事実があった。
窓の外は紺を深くし、面会時間の終了を告げに看護師が巡廻に来た。
カインは慣れた様子で看護師に向かって頷き、蒼白ながら気丈にも手を借りず一人で立ち上がったセラの母を伴って病院を出た。




ゆっくりと歩いてきたつもりだったが、園庭の外周を巡る回廊を踏んだ。
クレイの胸が締め付けられ、無意識に胸元を握りこんだ。
そこかしこにセラとの思い出が染みついている。

今度はちゃんとセラの部屋と向き合おう。
管理人がキーカードを滑らせて扉を開く。
セラの匂いが残る部屋に二人は踏み入れた。












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