Ventus  153










斜陽がクレイ・カーティナーの横顔を赤く焼く。
黄昏がクレイ・カーティナーの背中を重く包む。

溶鉱炉のような太陽が地平に身を沈 めていく。
大地に染み込んだ夥しい血を干していくように。

無情も理不尽も憤怒も、感情のすべてが彼女の中から消えた。
彼 女の中にあるのは絶え間ない激痛を伴う虚無だけだった。
今、すべてが消えた。
クレイ・カーティナーを形作る、すべてを失った。

彼女は、クレイ・カーティナーにとって神だったといっても過言ではない。
誰かを愛すること、何かを守ること、尊重すること、敬愛すること。
それらを忘れ、諦めてすらいたクレイ・カーティナーに、持ち得る愛すべてを注いだ女性。

彼女がクレイの閉塞した世界に変革を齎した。
クレイの世界、氷壁に囲まれた絶対不可侵の領域を開放した。
その偉業はクレイの生きざまに大変革を引き起こしたと同時に、クレイにとって彼女は神格化された。
存在意義は彼女と共にあった。

それが彼女と共に創生された世界ならば。
世界は、創造主と共に終わりを告げるべきか。
カイン・ ゲルフはセラ・エルファトーンを抱き続けるクレイ・カーティナーを前に沈黙した。
この美しき獣を御せるのは彼女以外になかった。
彼女は、クレイの世界の中枢に座していた。
当人にその自覚こそなかったにしろ、彼女はクレイの芯だった。
クレイ・カーティナーの中に眠っていた、その強さも鮮烈さも、芽吹かせたのは彼女だ。
何人もセラ・エルファトーンに代わることなどできはしない。

クレイ・カーティナーは生きることへの執着を失うだろう。
それは死への意識に傾くことを意味しない。
生も死もすべてが無意味となり、彼女の中にあるのは虚無だけとなる。
だだひたすらの無、それだけだ。



それはクレイ・ カーティナーの願いに背くこと。
だが、それはセラ・エルファトーンの願いだ。
何よりも、彼自身の願いであった。

クレイ・カーティナーは生きなくてはならない。


彼女は死を望むだろう。
だが、そんなことはさせない。

彼は捨てたアームブレードを再び手にした。
血で滑り、傷だらけの腕に力は入らない。
投げ捨てられていた包帯を掴み取る。
左手と口で、アームブレードと右腕を縛った。
乱雑だったが、アームブレードが固められればそれでいい。
メセト・メサタはまだそこにいた。
彼らの目に鈍く光るのはディグダへの深く烈しい憎悪。
肉親を弄られた怨みと哀しみ。

剣を振り翳し、二、三人が塊となってカインに襲いかかる。
振り切れなかったディグダ兵は地面に伏したまま動かない。
カインは剣を構えた。

火種を作ったのはディグダだった。
裁かれるべきも、ディグダだろう。
だが今、カイン・ゲルフには守るべきものがあった。

セラがいた証はクレイの中にある。
彼女は確かにクレイの中に存在を遺した。
それを、消させはしない。

命が続く限り、地に足を突き立てられる限り。
クレイとセラには誰も触れさせない。






後に、救援部隊となる第二部隊が到着した。
マーカーが手を上げてクレイ、セラ、カインらを保護を指示した。
セラを引き剥がされるクレイは激しく抵抗する。
部隊の一人がクレイの体を背後から抱えて押さえ込む、一人がセラを引き離す。
もう一人が頭に乗りかかるように頭を押さえつけると、暴れるクレイの腕を取った。
待機していた医師が袖を破り、曝された肌に注射針を押し当てた。
顔を赤くし、咆哮を上げながら抵抗するクレイの体がやがて弛緩する。
慎重に抱え上げられ、カインやマーカーらとともに車両に乗せられた。
ホテルの庭に転がった遺体は、後ほど回収の部隊が来るのだろう。
セラの体だけは袋に包まれ同じ車両の床に寝かされた。
隣にはクレイが横たわる。
体が動かないのだろう。
寝返りはおろか、首を捻ることもできない。
ただ目だけは開き、車の内壁を瞬きもせず見つめていた。
あまりにも残酷だ。
血と土とで汚れた青白い顔があまりにも痛ましい。
動き始めた車に揺られながら、カインは立ち上がった。
崩れ落ちるように床に膝を突き、クレイに覆い被さるように体を腕で跨いだ。
アームブレードを外した傷だらけの右腕で体を支えて、汚れた左手を服で拭う。
クレイの額から薄く開いていた目蓋をそっと、左手で撫でた。


今は、どうか。
今、この瞬間だけは彼女に眠りを。

目覚めたら今以上に苦しい現実が待っている。
だが、誰もクレイを一人になどさせない。
クレイを愛するものたちがいる。
それこそが、セラがクレイに遺し、カインらに遺したもの。

目を閉じたクレイから離れて、カインは背中に伝わる車体の振動に意識を傾けた。
俺たちは戻るんだ。
生きていることが、あたりまえだった場所に。
平穏で、退屈で、課題や授業に時折愚痴や笑いを呟いていた場所に。
最初、ここに来た時は、少し厳しいだけの実地訓練かと思っていた。
人の生き死になど深く意識していなかった。

与えられたコースを辿り、与えられた任務を全うし、そうすればポイントが貰える。
素早い判断と適切な行動、磨かれた技量。
より高いポイントは成績に直結する。
好成績取得者の未来は明るい。

それだけのために。
俺たちはこんなところまできた。
たくさんの人を殺し、それに繋がるたくさんの人に苦しみと悲しみと恨みを植えつけて。
そして、大切な人を奪われた。

これがディグダだ。
俺のいる場所だ。
カインは両目を手のひらで覆って奥歯を噛みしめた。
無力、だよな。

ディグダについて。
自分について。
メセト・メサタについて。
知らなかった、見ようとすらしなかった世界について。
考えることはあまりに多く、しかし成せることは極僅かだった。
それでもきっと動かずにはいられないだろう。
セラが死んだのだ。
誰に殺された?
グルエデの鍵、それを手渡したもの。
どうしてセラが死ななければならない。
どうして俺たちは集められた。
考えることがあり過ぎた。



帰っても、以前のカイン・ゲルフでいられるのだろうか。
見たこと、聞いたこと、感じたこと、それらすべてを無かったことにして生きていられるのか。
平和の向う側に立った者が、以前と同じように笑っていられるのだろうか。

元になんて戻るはずがない。
元いた場所に戻れば、すべて何もなかったかのように続いていくわけはない。
そこにセラはいないのだから。

時が経てば経つほどに、傷口が広がっていく。
セラがいた場所に空いた、穴の大きさに気付いていく。
当り前にいた場所に、続いていくはずだった時間に大きな欠落を感じるようになる。

セラはもう、そこには戻らない。
もう、二度と。
絶対に。

改めて気付いて、形にして、喉と胸が締まっていった。
呼吸を細く紡いだ。
押しあてた手のひらのしたでは涙が溢れて顔を濡らす。
願っても、祈っても戻らない時間を嘆いた。
死なせてはならない者を守れなかった弱さを嘆いた。
この先に二度と訪れない、セラとの時間を愛おしんだ。


これを最後に、涙を流すことはやめる。
クレイの側では強い男であろう。
今だけは、セラを想って情けなく泣き崩れる男でいさせてくれ。
ごめん、セラ。
守れなくてごめん。

だから、クレイだけは。












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