Ventus  152










カイン・ゲルフの隣で、ディグダ兵が声を上げた。
眼前、眼下に広がっているのはディグダの帯だ。
ディグダ色とも言われる蒸栗色をした軍服が密集し横に伸びている。
疎らに黒く散っているのは敵である抵抗勢力、メセト・メサタか。
帯の端から流し見ていくと、一角に濃く固まっている。

「防衛線が破られてる」
ディグダの壁が崩されている。
カインが声を絞り出した。

「いや、これも計画のうち。これが、グルエデの種子か」
鍵が動き、味方であるはずのディグダのCRDに手引きされたメセト・メサタが防衛網の薄い箇所に喰い込んだ。
一枚一枚、外壁が剥がされていく。
敵と味方、味方の皮を被った敵と欺かれている味方、入り乱れて血飛沫が撒かれる。
味方が味方を斬り、それを見た味方が混乱し疑心暗鬼に剣を振る。
狂気だった。
その直中を一人、行く手を刻み行く小さな姿があった。
頭を振る度広がる黒髪、体を引いては切り進む。

カインは息を沈めて真っ直ぐに見据えた。
高見の見物は終わりだ。
今、このために、彼はここにいる。
背中に右手を回した。
背負っていた重みをゆっくりと引き抜いた。
アームブレードを結わえていた肩紐、腰紐を解いて腰に締め直す。
力が入らなかった右腕に装着した。
手を握っては開き、動くことを確認する。

中二階の階段の踊り場から、手摺を乗り越え跳んだ。
迷いが無く、あまりに軽やかだったので同行していたディグダ兵は一瞬声を掛けることすら忘れていた。
カインが着地する砂の音を聞いたのと顔を踊り場から覗かせたのとが同時だった。
カインの金色の頭を視界に留めながら一階へ駆け下りる途中、左に巻く階段を飛ばして、カインに続き手摺を飛び越えた。
体を捻ってぶれることなく着地すると、アームブレード片手に切りこむカインの背中を追った。
突如降って湧いたカインの道を塞ぐ者はない。
敵も味方もグルエデの扉に集中していた。
まだ生温かい死体の上を飛んだ。
壁に接近してようやくカインの上にも剣が降る。
巧みに避けつつも舞い落ちる火の粉を打ち払うかのようにブレードを振った。
ディグダ兵も加勢する。
黒髪の女はいない。
彼女に付いていたマーカーはどうした。
少し遅れていたようだが、生きていればいいが。
騒音の中、風を切る音に体が反応し、アームブレードを下から上に振り上げた。
重い感触を受け止めたアームブレードを引いた。
傾き始めた日の逆光の中で、腕の形をした影が飛ぶ。
足下に落ちたそれは、ディグダ色の袖を巻き付けていた。
口の中だけで舌打ちすると、彼から離れて先に突き進むカインに遅れまいとついて行った。


クレイ・カーティナーは先陣を切り、出してくる手という手を容赦なく切り落としていった。
油が回り、ブレードの切れ味が鈍ってくる。
倒れて痙攣するメセト・メサタの背中の布で刃を拭った。
身を屈めたクレイに被さるように剣を振り被ったのはディグダ兵だ。
刃でも欠けたのか、アームブレードはその腕になく、代わりにメセト・メサタの剣を手にしている。
刃を傾けて狙う間はない。
刃の裏に左手を添えて、盾で敵を押し切るように相手の腹に押し込んだ。
鳩尾に嵌り、よろめくメセト・メサタ。
追撃で地面を強く踏み切り肩を叩き入れる。
それでも踏み止まった敵の肩口に、クレイの頭上から剣が落ちた。
顔を上げれば、学生兵の顎が見えた。
礼の言葉が頭に閃く前に、脇に腕を回され乱暴に体を引き上げられた。
マーカーと呼ばれたディグダ兵だ。
立て、走れ、戦え。
言葉ではなく、クレイの背を突き飛ばして示した。
ここは混乱の中枢。
最早引き返すことなど不可能だ。
ただ前進し、来る第二部隊に拾ってもらう。
そのためにマーカーはクレイに付いてきた。
彼女とともに、突き進み、生還するより道はない。
死地に踏み入れた彼女の覚悟は堅い。
なぜ覚悟を固められたのか。
たかが未熟な学生の脅しに屈したとは思えない。
その先にある何か、他の理由。
それをクレイが彼女に問うにはあまりにも時間がない。
好意でも善意でもない、彼女の助力を今は受けよう。
クレイはアームブレードを振って、飛び出した。

敵味方入り乱れ、折り重なる屍を踏み越えて敷地内に踏み入れた。
青々と密になっていた芝は体液を吸い、重く沈んでいる。
枝の鳥たちは、辺りに響く喉が千切れんばかりの断末魔に耐えきれず、飛び去った。
野良犬たちは、噎せ返る臭気に耐えきれず、逃げ去った。
戦意を喪失し、絶望にすすり泣く声は隣の絶叫にかき消される。
愕然と膝を落とし中空に視線を投げている立木のような体は、敵に横から薙ぎ払われた。
それらはクレイの視界を掠ったが、彼女は見てはいない。
眼球を忙しなく動かし、見落とすはずのないただ一粒の人間を探す。
彼女はここにいるはずだ。
この汚泥の中で、彼女は泣いているかもしれない。
助けてくれと心の中で叫んでいるかもしれない。
あるいは、気丈にも忙しく飛び回っているのかもしれない。
汗が目に入り、滲む視界に瞬きを繰り返して先を睨み付ける。
動き続け走り続けた体は疲労の極致だ。
散々と人を払ってきた腕は震え、満足に力も入らない。

どこだ、セラ。
セラ、セラ、セラ。
世界で一番大切なひと。
世界で一番逢いたいひと。
彼女はクレイの中心にある。
彼女がクレイを作り上げた。
彼女がすべてだ。
その名を祈りを込めて呼ぶ。

味方は敵に切られ、その敵を味方が払う。
不安定な戦局。
あちらこちらで斬り結ぶ音。
鳴り止まない動悸が胸を打つ。
脈は耳元で太鼓のように叩く。

手を離してはいけなかった。
側に置いておかねばならなかった。
手に届く幸せは、守るべきだった。
それすら守れず、何を守ると言う。

「セラ」
目に馴染んだ甘い色の髪。
項垂れた顔。
両脇に力なく垂れた腕。
彼女が座る、おびただしい血の海。

クレイが駆けだした。
アームブレードを抜き、大旋回させ周囲を一掃する。
セラの背中に腕を入れ、仰向かせた。
薄く開いた目はもうクレイを見てはいない。
地面についた手はもう動くことはない。

何だ、これは。

クレイの肩を誰かが掴んだ。

何が、起こっている。

クレイはアームブレードを鳴らして立ち上がった。

脈が脳を掻き回す。
乱入してきた学生兵のただならぬ空気を感じ、彼女の背後に回り込んで止めようとしたディグダ兵に、クレイはアームブレードを跳ね上げた。
切先は脇腹から鼻の頭へと抜ける。
ディグダ兵は体を反らして背中から倒れ、地面で暴れた。

一瞬怯んだが、ディグダ兵が三、四人、クレイに圧し掛かるように押さえに掛かった。
大人が数人息を揃えて体で押し潰せば、クレイの華奢な体など地面に縛り付けられるはずだが、足並みを乱したがために一人、二人と塊の中から弾き飛ばされる。
クレイの腕さえ押さえられればアームブレードは振るえない。
だが接近する前にクレイのブレードが閃いた。
一人が脇腹を裂かれて尻をついた。
一人は切られた胸を押さえて倒れ、地面に額を擦り付けて唸った。
垣根から一人一人、ディグダ兵が剥がれ落ちていく。

交戦中のメセト・メサタをすれ違いざまに横合いから首を切り落とした。
隣でディグダ兵を貫いた剣を下げたメセト・メサタの胴に刃を滑らせた。
振り返った顔は血を頭から被り、目だけが大きく白く開いている。
クレイから距離を取り、地面にへたり込んでいたディグダ兵たちは、あるいは失禁し、あるいは失神し、あるいは引き攣った音を喉で鳴らした。
見開かれた彼女の眼が定まった。
重いアームブレードの切先が地面に線を作りながら、クレイは前進する。
眼はただ一点、ディグダ兵に拘束されているメセト・メサタの男へ向けられていた。
一歩一歩、殺意を踏み締めるように迫ってくる。
メセト・メサタの男を確保していたディグダ兵が先に地面を這いながら逃げ出した。
メセト・メサタの男はクレイの瞬きすらしない眼を見据えた。
静かにクレイはアームブレードを振りかざす。
男は目を閉じることなく降り落ちてくる死を仰いだ。

そのクレイの腕が止まった。
彼女の意思ではない。
物理的に、妨げられた。
腕を背後から掴まれ、下ろせない。

「もう、殺さなくていい!」
男の声で、クレイの耳元で叫んだ。

「もう遅いんだ。もう」
噛み締める声に、ブレードへの力を抜いた。
カインの声だった。
だが、クレイには声の主は見えていない。
クレイへの背後からの拘束も緩んでいく。
ブレードの剣先が落ちたとき、クレイはアームブレードを外し、地面に落とした。
周りにはもう誰も邪魔する人間はいない。
妨げる者は切り捨て、静かになった。

セラ。
地面に横たわった彼女のもとに戻る。
戦の道具を捨て、空になった彼女の手はセラの友人の手に戻った。
力を失ったセラの体を掻き抱いた。
まだ柔らかい。
まだ温かい。
頬を寄せた。
名を呼び続けた。
動かないセラを胸に引き寄せて、雲に溶けた太陽の下、燃える空に慟哭した。

人ともつかない咆哮を聞きながら、カインは立ち尽くす。
何人も、彼女らに触れる者は許さない。
クレイとセラ、二人の背後で寄り付く者を押さえた。

クレイは失われゆく最愛の人の体温をただ抱き締めた。












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