Ventus  151










脚を引き上げ大きく踏み出すと同時に、顎と肩との狭間を狙いアームブレードを振るう。
腰を捻らず腕だけの力では押し遣られる。
前方に注意していた相手はアームブレードを喉に横から叩き込まれ、ブレードの勢いに引き摺られて横に飛んだ。
頸椎の砕ける音と衝撃が腕に響いた。
綺麗に決まれば、骨を砕くまでもなく首を飛ばせる。
だが勢いよく飛び込めば学生兵も巻き込むことになる。
躊躇で微かに剣が鈍り、浅くしか踏み込めなかった。
ブレードの引きが甘い。
首は砕けたが、繋がったままだった。

体を半回転させ、踏み出した右脚を軸に浮いた左脚で相手を蹴り飛ばし学生兵から引き剥がした。
土埃を上げながら着地する。
抵抗するどころかアームブレードの切先を落としたままの彼女の肩を掴んで、強引にこちらに顔を向けさせた。

「何をぼうっとしている! 死にたいのか!」
彼女の頭に叫ぶ。
振り向き際、ボブの黒髪が広がった。
白い首、白い頬、その上に散る生温かい鮮血の斑点。
月のように青白い顔に乗る、深紅の唇。
半ば伏せていた目蓋の縁を滑るように、黒目が目尻に吸い寄せられる。
僅かに上がった顎はまだ子供らしい柔らかで滑らかな肉をつける。
冷たい人形のようだ。
ディグダ兵は思った。

黒の瞳が揺れる。
目尻が暈ける。
開いた目から頬を伝う滴。
泣いているのか。
なぜ?
動揺が走った。
この心の揺れは、冷たい陶器のような彼女が流した熱い涙が意外だったのか。
脆く儚い、触れれば壊れそうな少女を前にしている。
涙で洗い流される瞳は吸い込まれそうな漆黒はさらに黒を艶めかせ、澄んでいた。
こんな濁った空気の中にいて、どうしてそんな目をしていられる。



セラが歌う。
セラの声が聞こえる。
セラの温もりを感じる。
なのに、セラはここにいない。

クレイは瞬きをした。
目を開くと、女のディグダ兵の背後に剣先が煌めいた。
ディグダ兵の脇腹を突いて退かせて位置を奪うと、アームブレードを下から振り上げた。
刃が敵の腕に牙を剥くが、クレイの腕力では重力を振り切れない。
勢いがなく浅いブレードは、敵の服と肉を裂いたに留まった。
ブレードを横に滑らせ切先を引き抜きながら、振り上げた脚で相手の腹を蹴り飛ばした。

メセト・メサタ。
間合いを稼ぎ、反った体を前傾に引き戻すと、低い位置から飛び出した。
鮮血を纏うブレードを水平に構え、怯んだ相手の腹へと斬り付けた。
助走でブレードは腹の肉に喰いつき、同時にクレイが腰を捻った力に乗ってブレードは肉を裂く。
小柄ながら重い一撃だ。
低い位置から踏み切り、助走で相手の懐に入って切りつける。
クレイの得意な術だった。

内臓まで刃の届いた中年の男は血を吐いた。
しかしクレイに掴みかかろうと腕を持ち上げる。
クレイは飛び下がり、ブレードを男の腹から抜くと砂利を軋ませて踏み締めた地面を膝を伸ばして飛び上がった。
アームブレードを背中に回す。
丸まった男の背中に振り落とした。
肩甲骨の狭間に喰い込んだ。。
重力、腕力、クレイの体重を乗せたブレードは男を地面へと叩き伏せ、クレイは脇を締めて腰とともに一気にブレードを後ろへ引いた。



敵が湧いてくる。
情報は伝播する。
これだけ暴れて人を殺せば、知られないはずはない。
穏便に終わるとは思ってなかったが、予想以上の荒れ模様だ。
それにしても、多い。
切り抜けられるか。
できなければ、死ぬだけだ。

クレイ・カーティナーが攻め寄る敵を斬り捨てて、蹴り落とす。
腕を落とし、首を飛ばし、袈裟に裂き、ブレードを下から撥ね上げる。
斬撃を切り結びながら、身を滑らせるように体を反らし、後ろに飛び下がり、前へとすり抜け、敵の剣を躱していく。
まるでリズムを刻むかのような軽やかさだった。
クレイの討ち漏らした敵を、ディグダ兵が拾うように切っていく。
クレイの動きを目で追い、見惚れていた。



クレイの中には、脈打つ血潮に音が混じる。
重かった彼女の腕を引き上げる。
動かなかった彼女の体を浮き上がらせる。
弦を引く艶やかで強く深い音が腹に響く。
ジェイ・スティンの音に重なるのは張り詰めて伸びやかな声とは色合いが異なる、繊細でしなやかで、とても暖かい音。
セラの音だった。
日溜まりの慈母、月光の女神が両手を広げて包み込む。
白く清らかな聖母が澄んだ音を喉から紡ぎ出す。
音の波がクレイの中に広がっていく。
脈と呼吸に重なっていく。



辺りが静かになった。
どうした。
ディグダ兵が顔を上げて見回した。
クレイ・カーティナーは立っているか。
彼女は、少女はアームブレードを下げてそこにいた。
血だまりに佇んで、空を振り仰いでいる。

「無事か?」
マーカーと呼ばれたディグダ兵の問いかけに、真っ赤に染まったクレイは答えなかった。
鼻先を掠める風に目を細めた。
流れる音を聞いていた。
横顔は引き締まっている。
先ほどの儚い少女とはまるで違う。
脇腹と背中の筋肉が締まる。
緊張からくる寒さすら感じた。

ディグダ兵がアームブレードの血を払った。
空気を裂く音にクレイが振り向く。
その瞳と重なり、マーカーの背中が泡立った。
体全体の毛穴が立つ。
動悸が耳に響いて煩い。
鼻の奥が冷たくなった。

クレイ・カーティナーの頬に血が筋を作る。
彼女が頭から被った赤の鉄臭さが流れてきて鼻に染みる。
戦いに浮かされた目を今まで何人も見てきた。
高揚に目がぎらぎらと光るのを前にしてきた。
だが、彼女の眼はそれらとは異なっていた。

肌を切るように凍てついている。
刃で肌を撫でられたような緊張感と冷たさだった。
冷たく美しい獣。
アームブレードの牙を収めても、その冷え切った殺意は静かに放たれたままだ。
討伐に行った仲間から獣(ビースト)の話を聞いたことがある。
奴らは荒々しく人を喰い散らかし、臓腑を引き摺るようなことはしない。
的確に致命傷を与え、屍を積んでいくのだという。
その想像上の姿は、眼前に背を伸ばして立つクレイ・カーティナーに重なった。
獣(ビースト)。
鬼神。
彼女に相応しい形容を探った。
その間にも、彼女の髪から滴る血潮が腕を伝ってアームブレードに流れる。

「もっと上手かったら、汚れないですむのだろうに」
クレイがアームブレードを動かして身動ぎした。
固まっていた空気も動き始める。

「怪我はないようだな」
彼女は答えない。
そんなことは彼女のとってどうでもいいことだ。
彼女が見ているのは一つだけだ。

「どっちだ」
クレイがアームブレードを払って、マーカーへと体ごと向き直り行く先を促した。






風の音。
鼓動の音。
みんなが騒ぐ音。
世界が自分に覆いかぶさってくる感覚がした。
あるいは、自分が波打つ世界に沈み込んでいく感覚。
体の力が抜けていく。
大地を踏みしめていた脚は萎えてしまった。
赤ん坊のようにへたり込み背中を壁に寄り掛からせた。

どうしたんだろう。
いったい。
跳ね飛ばされて、立ち上がろうにも動かない。
セラ・エルファトーンは痛む腹部を抱え込んだ。

どうしよう。
止まらないの。

どうすればいい。
混乱して涙が溢れた。
見回せば誰もいない。
知っている顔はいない。
家族も、友人も。
安心できる人は誰も。
安心できる場所はどこにも。
怒号に悲鳴に絶叫の渦中にあるにもかかわらず、それらはどこか遠くにあるもののように思えた。

医療班! おい! 急げよ!
止血でセラの腹部に布を押さえているディグダ兵が叫んだ。
声を頼りに医師が駆け寄ってくる。
しかし、その女医は乱闘中のメセト・メサタの壁を抜けきることができず、彼らに背中を叩き切られて地面に倒れ伏す。
悲鳴を上げることもなく、死に抗って土を握りこんだ手はそのまま動かなくなった。
医師を切り捨てたメセト・メサタは、武器を構え直す前にディグダ兵のアームブレードに切り倒された。
折り重なる死体
その山の向うから、医療班の腕章を着けたディグダ兵がやってくる。
戦場で、一人でも味方兵を救護するのが彼らの使命だ。
それはセラの使命でもあった。

セラを切った男は捕縛されていた。
セラの陰にいた負傷兵は彼女より少し離れた位置で息を荒く固まっていた。

わたしたちは、幸せだったはずよね。
涙が睫毛を伝って動かない足に落ちた。

幸せな場所にいたはずよね。
セラは腹を押さえていた手を目の前で広げた。

痛みよりも悲しみと寂しさで涙が止まらない。
ここはとても、寂しくて冷たい土の上。
温かい血を吸いこんでも、どれだけの命を呑みこんでも、冷たい土の上。

暖かな陽の光を含んだ、柔らかいディグダクトルの土は遠くて。
でも繋がっているのに。
どうして、わたしたちは、みんな。

セラが口を開く。
側にいたディグダ兵が顔を寄せた。
彼もセラやクレイらと同じ学生だった。

「いいこと、わるいこと、クレイならわかるはず」
医師がようやくセラの下に駆けつけた。
側にディグダ兵が付いて周囲を警戒した。

「みつけて。たいせつなもの、あたたかいもの」
どうしようもない切なさと、愛おしさが胸を締め付け、焦がした。
クレイ、さむいよ、あいたいよ。
おかあさん、ごめんね。

ごめんね。
ごめんなさい。

セラは中空に手を伸ばした。
胸に溜まった熱を逃がすように背筋を伸ばし、胸を開いて空を仰ぐと、ゆっくりと長く息を吐いた。
暮れかけた美しく蒼い空が目に染みる。
いつか見たことのある空だ。
いや、いつも一緒に見てきた空だ。

彷徨っていた手が木の葉のように力なく落ちていく。
後ろに流れる琥珀の髪は斜めに掛かる陽を浴びて輝いていた。

彼女の中に残っているのは誰に対する憎しみでもない。
哀しみでもなかった。
ただ、愛することに涙を流した。
言葉という形にならなくても、セラは愛する人たちの名を呼び続けた。

体が、感覚が融けていく。
風の中に意識が融けていく。
蒼が霞んでいく。
愛おしさが、拡がっていった。












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