Ventus  150










願うのはただ一つ。
祈るのはただ一つ。

守りたいだけだ。
手の中にある大切なものを。

一緒に過ごす時間。
何気ない会話。
穏やかな声のトーン。
ふと絡む互いの目線。
同時に口を開き、照れた横顔。
立ち上がって引き上げた、細い手首。
二人で走って上がった呼吸。

ずっと続けばいいのに。
このまま終わりが無ければいいのに。
ひどく寂しそうに呟いて降りた、セラの睫毛。

小さな幸せ。
小さな、平和。
守るための力。
だからこそ、強さを求めた。

見上げた新緑。
触れた土の柔らかさ。
頬を寄せた木肌の堅さと香り。
子供っぽさに笑いあった声。

どれも今は遠く、手の届かない場所にある。
引き戻したくて、もがいて。
できるのはただ、この場所から逃げ出すこと。
戦うこと。




窓ガラスが割れる音が鼓膜を叩いた。
反射的に音のする方にアームブレードを薙いだ。
一人目は剣先が顔を叩き、裂けた頬肉を庇いながら地面で暴れた。
撥ね上げた泥水がクレイの制服に新たな斑点を作っていく。
腰を入れなかったので頭蓋骨は砕けていない。
運が良ければ助かる傷、だからこその地獄に血を拭きながらのた打ち回る。
気に掛けている暇を与えられずに、二人目が払ったアームブレードで開いた胸目がけて短剣ごと飛び出してくる。
近い。
避けきれない。
盾になるブレードを引き起こしている時間はない。
その一瞬の瞬間、目の前の敵が吹き飛んだ。
何だ、と追った先、同行していたディグダ兵が体を低くし土を削って壁際に着地した。
その足元では一瞬で息の根を止められた敵兵が横たわる。

さすがの手腕だ。
ディグダ兵は女。
彼女はマーカーと呼ばれていた。
クレイより頭半分大きな背丈に合わせたブレードを払った。
染みた血が飛沫となって背にした壁に散る。
地面で痙攣している敵兵の首に靴を乗せた。
表情を変えないまま片足に力と体重を乗せて踏み下ろした。
気味の悪い異音が鈍くくぐもった音を立て、足下の体は動かなくなった。

「嫌な空気。感じない?」
細く針を刺すように鋭い彼女の目がクレイを捉えた。

「初めから」
「どうしてだろう。この落ち着かない感じ」
戦闘地域で涼しい乱れない顔でざくざくと人を倒していっていることが以上だとクレイは思うが、彼女が言っていることはいわるゆ嫌な予感、という勘だ。
敵の動きに違和感を感じた故のことだろうが、経験値が不足しているクレイにはその違いが分からない。

「そっち! 斜め上二人!」
立ち上がったマーカーはクレイと同行してきた学生兵に指示した。
アパートの二階から降下してきた二人の上から叩き斬る一撃を
飛び下がって避け、クレイが一人、学生兵が一人と押さえた。

マーカーが兵服を翻し、二人を伴って走り出す。
目的地はそう遠くない。
横切る通りの一角は封鎖区画。
巡廻のディグダ兵にさえ注意して抜ければ問題ない。
だが、いつにない敵の動きに気味の悪さを感じた。






カイン・ゲルフの額に粒が浮かぶ。
集中と緊張とやせ我慢で痛覚は麻痺していると思っていが、時間が経つにつれ手のひらが汗ばみ、包帯の中が熱を持つ。

駐留基地に来るまでやってきたような、敵の妨害を斬り捨てていく大胆さは使えない。
息を潜めて敵の背後を抜けるような地道かつ緻密な進み方でホテルににじり寄っていくしかなかった。
それは先行するクレイも同じことだ。
敵の警戒を避けるためにクレイと別の最善のルートを用意された。
それでも異常を感知されれば終わりだ。

「お友達はうまくやっているようだな」
警戒が薄い。
時間はかかるが順調に先には進めている。
このまま敵と接触することなく、と願ってはいたが、やはり障害が立ち塞がる。
路地の中央に立って武装警備しているメセト・メサタの抵抗勢力の背中に回り込み、口を塞いで短刀を素早く胸に突き入れた。
男が脱力すると音を立てぬようドラム缶の陰の濃い壁際に寝かせると、生温かい死体の服で血を拭って短刀を腰に収めた。

CRD から分裂した部隊が、敵であるメセト・メサタと手を組んだ。
邪魔な芽を摘もうと言うのが、そもそもの作戦だった。
分裂部隊の指針に異を唱えた保守勢力とその関係者を、メセト・メサタの制圧作戦中に個別に潰していく。
駐屯基地であるホテルに集まったところをメセト・メサタの勢力で以て叩き潰す。
大掃除と称された作戦だった。

点在しているメセト・メサタの勢力。
一点に集めて流し込む。

ディグダ兵が私服のメセト・メサタ兵から通信機を毟り取る。 イヤフォンを耳に嵌め、目を細めた。

「グルエデの鍵が届く? 何だそれは」
独り言に形ばかりの唇が動いた。
眉が寄ったその直後、ディグダ兵の顎が跳ね上がる。
首を巡らせながら頭上を見上げた。
登るつもりか。
カインが兵の腕を叩き、彼らが通り過ぎた壁に非常用梯子が張り付いていたのを示した。
通信機を回収し、耳に繋いだままディグダ兵が先行して梯子を登る。
カインも周囲を警戒しながら痛む両手を堪えつつ遅れを取らないようディグダ兵の尻にかじりついた。

兵の動きが止まり周囲を見回した後、空のプールのように一段落ちる屋上への塀を跨いで体を滑り込ませた。
カインも同じく体を低くして塀を越え、長い体を壁際に横たえた。
ディグダ兵が頭の先を出して偵察する。

「潮目が変わった」
頭を出しては四方を見渡していた、その顔が何度目かで引っ込んだときに低く呟いた。

「なるほど、あれがグルエデの種子、か」
「意味が分からない」
「だろうな。外を見てみろよ」
注意しろよ、見つかったら飛び出た頭を奴らが取りに来るぞ、そう警告されながらカインは素早く頭を出し、勢いよく引っ込めた。

「見えたか」
「道に人が、等間隔に配備されている」
「その先が目的地だ」
おそらく幾重もの輪になってホテルを取り囲んでいる。
厳重な警備、それは当然のことだ。

「鍵って」
「奴らは言ってた。扉が開く、とな」
カインが再び顔を出した。
連なっていた配置がたわむ。

「思ってた以上にガン細胞が転移してたってことだな。急ぐぞ」
「鍵ってのは、配置を崩す合図? 扉が開くってのは」
「潜んでた裏切り者たちが、CRDを喰いにかかる狼煙だな」
混乱に開いた口に流れ入るメセト・メサタ勢力。
いや、むしろ招き入れられた。
防御網が扉を開ける。
殻を外から壊しにかかるのとは訳が違う。

「殻は開いた。種子の仁は、剥き出しだ」
「防衛線は殺し合いの真っ最中だ。時が悪すぎる。あいつらは」
先行しているクレイは。

「おい、どうする。行くんだろう? 勇ましい姫君を助太刀するんだろうが」
「ルートは!」
カインは背中のアームブレードを鳴らした。






生温かい風が青々とした芝を撫でた。
セラ・エルファトーンは処置している手を止めて空気の変化に顔を上げる。
皆、忙しなく動きまわっているのは変わらないのに、言葉にできない違和感が混じっていた。
ようやく運び込んだ医師の容体が気になっているのもある。
失血がひどかった。
輸血用のパックは足りただろうか。
他の医師に申し送りをし、すぐに手が足りないからとその場から引っ張り出された。

だめだ、こんなことでは。
頭を切り替えて、包帯を取りかえる手を進めた。
柔和なディグダ兵は巻き上げられた脚の裾を力ない目で眺めている。
痛みがあるのだろう、息が荒い。
低い石積みの塀の陰に脚を伸ばして横たえた。
鮮やかな緑も、今はその上に負傷兵が転がり痛みに呻いている。
ホテルの裏庭に運ばれて間もない兵を渡り歩く医師と助手。
混乱で右往左往する学生の助手に医師が叫ぶ。

病床が埋まってしまってどうにもならない。
屋内はさらに混乱を極めている。
ディグダ兵に混じって若い学生兵が嗚咽しているのに胸が締め付けられる。
彼らは数日前までセラと同じような机で学んでいた生徒たちだ。
同じ教室で同じ空気の中、同じ教科書を開いて、友人たちと笑いあっていた。
その顔が、今は包帯で巻かれて苦痛に涙を流している。

「そこの人、手を貸して下さい。この人をそちらに移します」
すぐ前の壁際に一人分空きができた。
処置した男をそこに詰めて寝かせたい。
セラが頭を持ち、手を借りた軽傷の兵士に足を頼んだ。
声を合わせて持ち上げ運び始めたとき、建物の左手で爆発音が響いた。
驚いて手が滑りそうになるのを堪え、兵士と目を合わせて上半身を壁に凭せ掛けた。

ディグダ兵が走り出す。
軽傷で看護の手伝いに当たっていた兵たちが音の方に流れていく。
立ち竦むのは若い学生ばかりだ。
彼らも肩や背中を叩かれて追い立てられて行く。
アームブレードの金属的な音、怒号。

人も、壁や建物に立てかけられていたアームブレードも消え、震え上がっているのは年若い医師とやはり助手の学生だ。
死にたくない、と蹲る姿もある。
散々脈拍が浅くなっていく手首を取ってきたのだ。
同じような背丈の同級を運んだ。
皆不安で、皆泣き出したかった。

庭に、流れ込んでくる人の塊。
押し込まれてくる、ディグダ兵の背中。
近づいてくるアームブレードの音。
掻き分けるように突き進んでくる、怒りの尖端。
彼らがメセト・メサタ。
薙ぎ払われて、押し退けられて、切り飛ばされて、医師も兵士も学生も散っていく。
人の林が刈られていく。
振り上げられる剣先が人の波の向うに見える。
鈍く光る眼。
それがセラを捉えた。
いや、その背後だ。
包帯の巻かれた脚を投げ出したまま腰を浮かせようと、石垣に手をかけた。
顎を引いた眼は、先ほどの穏やかなものとは一変し、身を切るような怒気と殺気が混じり合う。
一直線に駆けるメセト・メサタの男。
セラの背後にいるディグダ兵は、横倒しになって持ち手の現れないアームブレードを既に手にしていた。
ディグダ兵の引き結ばれた唇、それが歪に持ち上がった。

目を見開き前に顔を戻したセラの眼前に、メセト・メサタの男が剣を振り上げた。
憤怒の表情を見上げたセラの耳に届いた声。

「俺の子を、握り潰した、お前が!」
鼓膜を揺さぶる慟哭、振り下ろされる剣の唸り。

「クレイ!」
見開いたセラの瞳に、クレイ・カーティナーの黒髪が風に煽られて蒼穹に流れる。






黒の瞳が開く。
白い顎を引き上げて、鼻は短く息を吸い込んだ。

街路樹が風で揺れる。
音が懐かしい。
今は何もかもが遠い。

兵服で体を締め上げられ、腕はアームブレードを振ってガタガタだ。
血で染まって臭いの染みついた手で、大切な友人に触れたくない。
血は、落ちるのだろうか。
何人もの人間を殺めた。
その重みは拭われるのだろうか。

セラ。
呟いた途端溢れだした。

眩い太陽の下、輝く琥珀の髪。
綺麗だと指を滑らせたら、セラは恥ずかしげに掻き上げた。

しばらく行っていない、林の中の秘密の場所。
マレーラやリシアンサスは足を運んでいるのだろうか。

寮の窓からはディグダクトルの街の明かりが見える。
セラが、ガラスを砕いたみたいだとはしゃいでいたのは、一年のころだっただろうか。
子供みたいだと窓に並んで、その横顔を眺めていた。

初めて二人でディグダクトルから遠く旅をしたとき。
島の草原の中で、埋もれて寝転がって同じ空を眺めた。
行き過ぎる鳥の翼に、手のひらを空に伸ばして、いつか一緒に空を飛びましょうね、と冗談にすらならない夢を口にした。

初めて、失いたくないと思った人。
愛おしいと思った人。
大切なものを守りたい、そう言った澄みきった人。
自分の弱さを知る、強い人。
一緒にいたい、そう言って抱きしめてくれた温かい人。
罪も怖れも後悔も痛みもすべて抱きとめてくれた優しい人。

わたしを、みて。
わたしは、ここにいる。
クレイの前に、クレイの側に。
命をかけて、体すべてで、一緒にいようと言ってくれた。

声が聞こえた、気がするんだ。
ジェイ・スティンの歌。
いや、セラの歌う声。

囁くような、歌声。

気配に振り返り、目蓋を引き上げた。
影が覆い被さる。
メセト・メサタ。
敵。

人間の臭い。
血の臭い。

痺れて腕が動かない。
敵の、肘が眼前に留まる。

握られた剣に陽の光が反射して、白く視界を焼く。
クレイは唇を開いた。
祈りの代わりに、言葉が漏れた。
セラ。

セラ。

言葉は振り下ろされ、空気を裂く剣の下に消えた。












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