Ventus  149










痛みと熱で痺れ、手に力が入らない。
体の横に垂らした両腕が重くて鈍い。
包帯で固めた手のひらは堅くなっている。
背中に負ったアームブレードを揺すった。

「邪魔だろう」
「邪魔な訳があるか」
「使えないのを邪魔と言う」
「重くはない。これは俺を守る」
ディグダ兵は小さく鼻で息を吐き、それ以上追及はしなかった。
両手を負傷したこの男が本当に使い物にならないのであれば、補給基地から出さないはずだ。

「何を考えてるんだか分からんな」
ディグダ兵は呟き、頭を振ってテラスの端に出た。

「また猫みたいに屋根伝いに走るのか? そろそろまともな道を歩きたい」
「すぐに地面に着くさ。そのまま這いつくばらんようにな」
カインの同行する兵は痩身で俊敏な人間だった。
彼の任務はカイン・ゲルフという学生兵を駐屯地であるホテルへ送り届けること。
ただでさえ薄い戦力が、彼に同行することでマイナスにしかならない。

彼は友人であるクレイ・カーティナーとセラ・エルファトーンを救出するという。
カイン・ゲルフを野に放つだけならばまだしも、ご丁寧にお見送りまで付ける。
どういう厚遇だ。
彼にどれほどの価値がある。
たかが学生兵に過ぎないじゃないか。
先の実地訓練での戦闘、この度の戦闘データを積んでみても他より格段に突出しているとは思えない。

内心での疑惑を押し潰せるのは大人の度量だ。
何にせよ、命令は命令だ。

「やたらとでかくて骨太い姫君だがお供させてもらいますよ」
ディグダ兵が跳躍した。
後にカインが続く。

「頭、伏せとけよ?」
頭の位置が高い上に金色の髪は目立つ。
制帽でも渡しとくんだったとディグダ兵は尻を追ってくるカインを振り返った。
まだ頭が高いのか、とカインは首を引っ込める。
その姿が注意された犬のようでいて、気が抜けた。
確かにその若さ、殺すのには惜しい。

着地し砂を靴で磨り潰す音も神経を尖らせる。
着地地点が鉄床だと背中の毛が立つ。
先行するディグダ兵が指を下に向けて振った。
地面に降りるという。
俯瞰する世界とはお別れだ。
パイプを伝って降りる荒業かと思いきや、順当に外付けされた螺旋階段を下りて行く。
カインの傷を慮ってのことではない。

「敵兵の散り方が薄い気がする」
とはいえ巡回している兵が皆無というわけではない。

敵兵。
カインはディグダ兵が発した言葉を反芻した。
この町にいるのはもう無関係な一般市民ではない。
ディグダを襲う敵で、駆逐しなければならない敵で、その中に混じるのは元の味方であるディグダ兵。
見分けられるなら敵だけを滅することができる。
だが今回は同じ制服を着ての同士討ちだ。
手を出されたら反撃、後手しか打てない。
歯痒いな。
そう思って我に返った。

待て、そもそも何を殺す気でいる。
いや、殺す覚悟がなくて何が兵士だ。

危険は排除すべき、それは防衛本能だ。
だが相手は人間だ、しかも同じディグダの。

顔も知らない奴に、どうぞ殺してくれと目を瞑り腕を開いて降伏するつもりか。
死ぬつもりはない、だから殺した、でも目の前にいるからというだけで殺すなど。



カインはただ走った。
懸命に、時に立ち止まり息を潜めて敵が行過ぎるのを待ち。
葛藤した。
進むべき道も、とるべき行動も、倫理も道徳も、先など見えない。

死にたくないなら殺せ。
頭の中で鳴り続ける言葉。

なぜ迷う必要がある。
だとしたらなぜお前は道を選んだ。
国を守る意志か。
天に仕える忠義か。
そのどちらでもないならばなぜ惑う。

ただ流されてきただけだ。
アームブレードを握った。
アームブレードしかないと思った。
意志も忠義も信仰もない。
何もない。
ただ、追いかけただけだ。

「どうして軍に入ろうと思った?」
カインの頭を透かし見たかのような問いかけに、カインは言葉に詰まる。

「まあ。今こんな状況で聞くことじゃないかもしれないけどな」
頭の中を整理し切れていないカインは顎を引いたまま、声を失った唇だけを震わせた。

「いや、こういうとき、だからかな。聞いておきたいんだよ。そのうち、なぜってことを問いかけることも忘れちまう」
「なんとなく、なんだ。本当に、理由なんて何もない。アームブレードを始めて、気づいたらそればっかりで」
「好きなんだろうな、それがよ」
肘でカインが背負っているアームブレードを指した。

「それで、いいんじゃないか?」
いいのか?
理由にもなっていない気がする。
壁に背中を張り付けながら考え込んだ。
もっとも、周囲を警戒する場面で悠長に話している場合ではないのは分かっている。
ただこの機会を逃すと、もう二度と考えることなく流してしまう気がした。
それが怖かった。
こういうとき、だからこそ考えるべきだ。

「アームブレードは確かに人殺しの道具だけどな。それだけじゃない」
「ほかに、何が?」
兵士はアームブレードを目の前に翳した。
午後の斜めから差す光の下、青く空ける刃は溜息が出るほど美しかった。

「綺麗だろ。綺麗なんだ、アームブレードは」
綺麗。
聞いたことがあった。
言っていたのは、セラか。

クレイのアームブレードを綺麗だと言っていた。
クレイの剣は美しいのだと言っていた。
カインと顔を合わせば二人でクレイの話をすることが多かった。
セラは綺麗だ。
心はもっと綺麗だ。
一緒にいて空気が心地いい。
春風のように暖かで軽やかで、芯は強いのに纏う雰囲気は羽毛のように柔らかい。

楽しかった記憶。
些細な幸せ。
陽だまりでした他愛もない話。
学校のこと、先生のこと、友人のこと。
授業で出た笑い話。
クレイの表情。
手の届く範囲の小さな小さな世界。
それでもとても暖かで清らかで宝石のように輝いた、美しく愛すべき世界。

雨粒が窓ガラスの外に傷をつけたように筋を作った。
セラが内側からそっと指を乗せる。
彼女が何かを呟いたが忘れてしまった。
厚い雲が光を隠し、高い天井から降るほの明るい光の下で彼女は微笑んだ。
その子供のような仕草、無垢な微笑み。
そんな彼女を、クレイは愛した。
リシアンサス、マレーラ、そしてカインやレヴィも愛した。

道を外れようとしたクレイを叱咤した。
愛情というものをクレイに教えた。
大切なものは何かということをクレイに見せた。
その強さを、クレイは愛した。

他の誰もできなかった。
開かれるはずのないクレイの殻を無理矢理こじ開けて、世界を見せた。

わたしは、特別なんかじゃないわ。
そうだ、あのとき、あのガラス窓に写る彼女はそう口にしていた。

クレイみたいに強くない。
カインみたいにアームブレードを使えない。
普通の、ただの人間なの。

「おい。どうした」
ディグダ兵に肩を叩かれて顔を上げた。

「お前、一体」
目を見開いて視界がひどく歪んでいるのに気づいた。
鼻の奥が熱い。
両目を片手で覆った。
嗚咽を喉に押し込めた。
背中をつけた壁が冷たい。
体は寒い。
手に巻いた包帯は濡れ、傷が沁みて痛んだ。

なあ、俺はどうしてこんなところにいるんだ。
セラとクレイはどうしてこんな場所に連れてこられたんだ。
あのころに戻りたい。
みんなで、誰一人欠けることなく。
揃って初めてあの世界が生まれるんだ。

神さまがいるなら祈ろう。
すべてを掛けて願おう。
どうか、俺たちを助けてくれ。
このどうしようもなく歪んで荒んだ血溜まりの世界から、どうか。

どうか、俺たちを引き離さないでくれ。






歌が聞こえた。
囁くような掠れた声。
透き通った歌が聞こえた。
体はどんどん冷たくなっていくのに、その歌は温かかった。
そして酷く懐かしい想いが込み上げてくる。
熱い涙が上ってくる。
この感覚は、何だ。

失血で意識が途切れがちな医師は、重い目蓋は閉ざしたまま、意識を繋ぎ止める歌声に耳を澄ませた。
動かない左腕が痛んだ。
どうせ動かないのであれば痛覚も遮断してくれれば良いものを。
自由にならない重い体を運ばれ、頭の中で誰へともなく恨みごとを投げつけた。

体中は痛むなか、その歌声が体を包み込んだ。。
体全体を守られているような、抱きしめられているような安心感。
白く柔らかな毛布。
背中に押し当てられた温かい手。
母親の腕の中だ。

古い古い音で紡がれた。
長い長い時を越えた。
それは、慈母の歌だった。












go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page

















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送