Ventus  146










カインは促されるまま手のひらを上に向けて両腕を前に突き出した。

「ひどいな」
女はそれだけを呟くと隣にいた青年から瓶を受け取ると綿に口を傾けた。
周囲に尖った消毒液の匂いが溢れる。
滴るほどの綿を、水で洗い流して生乾きの手へ押しつけた。
電流が走るような鋭い痛みに奥歯を噛み締めた。
震えて丸まりそうな指に力を入れて関節を伸ばす。
薄紅に染まった綿の下で、傷口は弾ける音を立てる。
何度も綿を変えては拷問のように消毒液に浸されて、ようやく包帯を巻いて傷を封印しながら彼女は言った。

「しばらくまともにアームブレードは握れないだろうな」
「それは困る」
「仕方がない」
「女が来ただろう。学生の」
「お前はさっきからそればっかりだな」
女医、なのだろう。
古びて汚れた腕章をしていた。

薄暗い陰鬱な建物に群れるディグダ兵服の人間たち。
捕らわれながらも命を取る気はないらしいので、外で襲ってきたディグダ兵とは違うようだ。
違うのは分かった。
だが見えない足下で蠢いている勢力図が判然とせず気持ちが悪い。

「黙ってこっちに来い」
「はあ」
「現状を説明してやろうっていうんだ愚図」
そしてこの女医は酷く口が悪い。
長く肩甲骨まで届く琥珀の髪は、直線に切り揃えられている。
戦場らしからぬ艶やかさだ。
服は立襟を緩め、生白い首が細い。
はっきりとした目元はクレイに似ていなくもない気の強さだ。
全体としては美人なのだろうが、いかんせん乱暴な口で帳消しになっている。
叫べば轟くような深みのあるアルト。
手を出せと言われて体が先に反応して、素直に腕を前に持ち上げたのは彼女の声質のせいだ。

空箱の上で脚を開いて座っている無精髭の男が煙を燻らせる。
女医は長い裾を抑えるようにポケットに両手を突っ込んで闊歩する。
空箱の側を通り過ぎようとした時、彼女の真横で箱を叩き割る爆発音のような音がした。
その部屋にいた全員が一斉に振り返って固まった。
もちろん、カインも切れた目を見開いて顔を強張らせた。
音がする直前の光景と音が結びつかなかったため、事態に絶句した。
箱の上で呑気に煙草を咥えていた男が、情けない顔を引き攣らせていた。
カインの目でも捉えられなかった女医が脚は上着の裾を割って、靴底は空箱を陥没させていた。

「ここで吸うなと、言わなかったか?」
「い、」
「それ」
蹴り上げた脚はそのまま空箱に置いたまま、顎をすっと持ち上げた。

「は、はい」
「火事んなるから、な」
口から落ちた煙草の火を顎で指した。
髭の男は慌てて素手で叩き消そうとして火傷する。
それを横目に女医は脚をようやく上着の中に収めると、手を上着に突っ込んだまま何事もなかったかのように箱の隣を通り過ぎた。

「夢を見ることはあるか」
「夢、か」
倉庫から廊下に出た。
窓は少ないが、部屋は教室の造りをしている。
今は棄てられた机や椅子が乱雑に部屋の隅に寄せられて砦か小山のようになっている。
埃っぽい臭いが満ちていた。
それもそのはず、廊下と教室とを仕切る壁や格子窓は厚く埃が降り積もり、元の色彩を淡く濁していた。

「何を夢見て生きている」
「真剣に考えたことないかもなあ」
「あれだけクレイはどこだと叫んでた割にか」
「クレイは、俺が守るまでもなく強いんだ。俺よりずっと。それに、セラが一番で」
「情けないな」
「情けなくても事実だから」
「確かにあれは強い。だが、折れるときは脆いもんだ」
「見たのか」
この女医はクレイを知っている。

「せっかく生き延びた命だ。おっきな夢を見ろ。夢があるから、生きようと思うんだ。生きようとする力こそが強さになる」

狭い廊下だが、すれ違うディグダ兵は皆、彼女に道を空ける。
女医とカインは淀みなく進む。

「ここが何の施設だったか分かるか」
「学校、だろう」
「まあな」
彼女の目は鈍い光を落とす高い窓に向けられた。
空き家の蜘蛛の巣に埃が絡み付き、空気の流れに漂っている。
厚い窓ガラスを挟み込むように鉄の格子が埋め込まれていた。

「お前のような奴には分からないか。この圧迫感。閉塞感」
彼女は顎を引いた。

「まるで監獄だ」
「でも机や椅子が」
「学校だったからな」
「どっちなんだ」
突当たりの部屋の扉を横に引いた。
窓際に打ち捨てられた古びて壊れた机や椅子を、引っ張り出して並べ直し、それらの前に真新しいスクリーンが掛かっていた。

「映写室。あのスクリーンは自前だ」
ここに元々あったものは教壇の裏に丸めて放り出してある。

「あれで何が映し出されていたのか。何をここで教えていたのか。想像するだけで吐き気がする」
ディグダ兵がスクリーンに映った地図を指し示しながら顔を寄せ合っている。
四角の並んだその地図は良く見ればこの町のものだ。

「そこに座れ」
「いつお客が来るかわからないから手短に言おう」
そうして椅子をひっくり返し、カインと対面して座った女医の脇に青年が水のボトルを持って現れた。
アームブレードなどより楽器の方が似合いそうな、線の細い男だ。

「これは弟」
ボトルを受け取りながら、カインは彼と女医とを見比べてしまった。
彼も女医の隣で椅子を返すと自分も残ったボトルを手に同席した。

「ここでは何をしていたんだ」
「人の殺し方を教えていたんだ。本当に小さな頃からね」
ボトルの水を傾けながらさらりと口にしたのは女医の弟の方だった。

「窓を見ただろう。格子は外から来る敵から守るためのものじゃない。逃げないようにするためのもの。そしてこの地下には工場がある。薬を作るための工場だ」
「捨てられていたスクリーンには何度も何度も、人が殺される様が映された。シミュレーションじゃない。演技でもない。本物を、だ」
女医が手にしていたボトルが微かに凹んだ。

「ディグダは今、分裂している。CRDとは小国の寄せ集めで膨張したディグダを再構築、纏め上げようとした組織だった」
CRD が大きくなるにつれ、意見は散った。
体というのは脳が指令を出さなければ動かない。
小国を御したディグダは頭だ。
抑えるべきところを抑えずしてどうする。
箍は締めねばならぬ。

もう一方は言った。
小国こそ土台だ。
重すぎる加重はやがて土台自体を潰してしまう。

メセト・メサタのように人外の駐屯基地程ではないが、各地で人の道に悖る行いのディグダ兵が出始める。
ディグダの各地で独立、分裂の声が上がった。
国家の転覆を危ぶむ者が出てきた。

「そこで奴らはのろまな奴らを潰して見通しを良くしようと考えた」
「種であるうちに摘み取ろう。そういうことだ」
弟がカインを見た。
種とは穏健派CRDに接触した者だ。
彼らはやがてCRDになる可能性が高い。

今回、CRDの作戦は荒れたメセト・メサタの鎮圧。
首謀者の捕縛だった。
注ぎ込まれた CRDに紛れて関係していた学生を集めた。

学生らがCRDの関係者だと気付き、派兵を差し止めようとしたが遅かった。
こちら側の CRDはいるが分が悪い。

「援軍をすぐに手配した。だが搖動の部隊は先回りされ、第一部隊もまた足止めされた。第二部隊の到着を待っているのが現状だ」
「来たら、どうするんだ」
「別動隊と合流し、学生、関係者含め、こちら側のCRDを回収して撤退する。もちろん、メセト・メサタは本隊が処理する」












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