Ventus  145










額の汗を手のひらで乱暴に拭い、刈り上げた短い金髪をかき混ぜた。
深呼吸を二回。

クレイ・カーティナーの影は見当たらない。
大丈夫だ、この近くにいるはず。

トタン屋根は錆付き割れている。
隣接する建物は一段高くなっており、足掛かりになりそうなパイプも通っていない。
窓枠に指を掛けて飛び移れたとしても、周囲は汚れた壁ばかりで上によじ登れそうにない。

確かにクレイはこの屋上に着地した。
階下に降りたのかと、階段室のある塔屋へ大股で屋上を横切って飛び付いた。
ドアノブを捩じったり扉を揺すってはみたが施錠されている。
クレイたちが律義に鍵を掛けて建物に入ったとも考えにくい。
他に隣へ移れる場所はないか。
屋上の周囲を囲む柵に身を乗り出して隣との距離を目測した。
手摺を越えて踏み切れば、何とか隣の建物のバルコニーに手が届く。
屋上まで壁を這い上がれば道は開けそうだ。
一通り他に飛べそうな箇所を探ってみたが、バルコニーくらいしか手が届きそうにない。
一歩ルートを誤れば、屋上に閉じ込められて誰も助けを呼べない状況に陥る。
他に人が現れたとしても、その時は自分が殺される時だ。

バルコニーから壁伝いに屋上に指を掛けた。
足をパイプに掛けようと目を横に振れば、パイプのビスが緩んでいるのに気づいた。
遠目には固定されているものと見ていたが、真上から見下ろせばネジ一つ、二つで辛うじてぶら下がっている状態だった。
足を掛けて体重を乗せれば、踏み上がる前に大きな音を立てて下へ蹴落とすことになる。
不安定な鉄柵を足場に屋上に飛び付いたはいいが、着地するにはバルコニーははるか下方、鉄柵には戻れない。
悪態をつく体力さえ惜しい。
外れかけたビスをカインの目はしっかりと捉えていた。
腐食はしている。
だが壁に埋まっていた箇所の錆つき方が甘い。
クレイがこの場所を確かに通った、小さな痕跡だった。
希望がカインの指先に力を込めた。
奥歯を噛みしめながら、上半身を懸垂で引き上げる。
顔が壁を抜けたところで、左手を伸ばした。
左手の皮膚はコンクリート壁に擦れていたが、今は痛みを感じない。
壁に体を転がして、息を吹いた。
擦り傷、切り傷が見えないほど汚れ、血と混じって赤黒くなっていた。
このまま寝転がって戦いが終わるまで眠ってしまおうか。
目が覚めて、誰もいなくなったら、町を出ればいい。
クレイの足跡を見つけなかったら、カインはそうしていた。
しかし見つけた以上、追い掛けずにはいられない。
背中で下敷きになったアームブレードは捨てていない。
これは生きる意志だ。
生きて帰る。
カインは跳ね起きるとところどころ痛む体を軋ませながら建物の端へと駆け寄った。
背の高い建物だ。
あまりうろついていては目立ってしまう。
塔屋に左肩を擦り寄せるように屈みこみ、端から下を見下ろした。
クレイ・カーティナーはどこにいる。
目を皿にして左手から右手へ動く者を捉えようと顔を動かした。
右手、二つ先の屋根の上を走る三つの背中がある。
周囲を警戒しつつ、身を低くして進んでいる。
すぐにでも飛びだしたい気持ちを抑えつつ、先に他の建物を注視した。

大通りを挟んで向う側の建物の屋上には警備中のディグダ兵が見える。
数は二。
その先の建物では窓に人影が映っている。
視線までは見てとれないが、通りを見下ろし警戒しているらしい。
数は一。
いや、隣の部屋でも窓の奥から下を見ているので全部で三だった。

腹這いになり、塔屋伝いに道に面した屋上の一方へと匍匐前進した。
頭の先は塔屋に向けて、足先はクレイを確認した方角へと向ける。
横倒しにした体を、屋上床を囲む一段高いパラペットへ密着させて目だけを上部から覗かせた。
男のカインが横に寝て肩を窄めて、何とか収まるだけパラペットの高さがあってよかった。
通りを挟んだこの建物の真向かいの建物屋上で並ぶ人影が二つある。
彼らには高い位置にあるカインの姿は見えないはずだ。
カインは目を細める。
一人は銀髪。
肩幅、身の丈からカインが察するに男のようだった。
長いコートの下に体に張り付いたような黒い服を着ていて仁王立ちしている。
一般人ではない、堂々とした風体。
通りはディグダ兵が固めている。
その建物の上で陽の下に姿を曝しているのは彼らがディグダの人間だからだ。
もう一人は女性の体格をしている。
コートの上に突き出た顔は人形の物のようで、景色の中で白く浮いていた。
肩を並べて通りの先に目を向けているので、顔をこちらへ横に振って見上げない限り気付くことはない。
上下と高さの違う肩を並べ、顔を微かに動かしているあたり、何かを話しているのは見てとれた。
女の背が低いわけではない。
隣の男が大き過ぎるのだ。

階段室への扉が薄く開き、一人の女が滑り出た。
後ろ手で扉を押しこむように音を殺して丁寧に締めると、二人のうち女へと顔を向けた。
制服ではない。
ディグダ兵ではないらしい。
一般人がなぜディグダの人間と交流している。

電流が走るのと同時に嫌な汗が脇腹に浮かんだ。
ディグダの女は顎を向けて何か言葉をかけている。
一方、扉から現れた女はディグダの人間へ顔を上げ、頷きつつ身振り手振りで 食いつくように言葉を交わしていた。
数十秒間のことだった。
終わりか、と思ってパラペットから体を離していたカインの視界に建物の下を走る大通りが掠った。
二人の男女が並んでいたその建物の前で先ほど屋上に現れた女を目にした。
正面玄関からではなく、塵の詰まった建物の隙間から姿を現すと玄関前を駆け抜け、細い路地へと素早く曲がる。
カインは彼女の動きを追って、路地の見えやすい屋上のもう一辺へ移動した。
全貌は建物の角が邪魔をして見えないが、女と仕草風貌からして明らかに
敵である町の抵抗組織の男が顔を寄せて話をしている。
偶然出会ったのではなく、男はディグダの人間と繋がっている女を待っていたのだ。

カインは混乱していた。
何とか頭の中で筋が通るように図を懸命に組み立てようとした。
ディグダと抵抗勢力が繋がっているのは見えた。
だが理解はできない。
今は事実は事実で脳の隅に置いておく。
判断が即座に下せない以上、優先事項は下がった。
答えは保留。

数分のできごとは精神的には衝撃だったが、その間で体力は回復した。
縁を離れ、跳ね起きる。
電気を通すことがもうない、死んだ電線が頭上で複雑に絡み付いていた。
こちらまで届いていて谷間に橋を架けているのが二本。
向うの壁に垂れているのが三本。
カインは迷わず頭上で繋がっていた電線を一本、背中から抜き放ったアームブレードで刈り取ると、手に取った。
手のひらに二周巻き付けて、二三度強く引き下げて強度を確かめる。
屋上の端から飛び出した。
体が宙に浮かんで落下すると同時に、解く気力が削がれるほど絡みあった電線が下に引かれて沈んだ。
対面する壁へ両足を開いて、見事に着地した。
両手で電線を交互に手繰り寄せて掻きながら上っていった。

屋上から屋上へ、屋上から屋根の上へ、カインはクレイを追って行く。
完全にクレイの姿は見失った。
だが進んでいる方向に間違いはない。
何度目か、屋上へと音を抑え手を付いて着地した。
砂を潰す音にはっとし顔を上げた、その肩口を力一杯蹴り飛ばされた。
床の上を転がった中で、アームブレードに右腕を差し込み、下半身で反動を付けて立ち上がったと同時に構えていた。
いつでも飛びだせる、前傾姿勢の低い構え。
クレイの試合でよくみた構えだ。
瞬発力が活きる。
彼女のその体重の軽さで剣の重さを殺してしまうが、前傾姿勢で一気に懐に入り込むことで、スピードを剣の重さに換える。
安定して、勢いよく切り込むにはこの構えが一番なのだという彼女の我流だった。
相手に喰いかかるような猛進とバネのような瞬発力を目にして、皆囁いた。
あれは獣(ビースト)か、と。

カインの体は縦に長い。
だが腱の太い足が踏み出した一歩の速さに彼を蹴り飛ばした大柄な男は怯んだ。
クレイのように水平にブレードを斬る。
彼女のように水面を波を立てず切るように滑らかでも疾風のようでもない。
踏み出した速度、体を捻った遠心力はまさに唸るスイングだ。
避ける間もなく太く黒い両腕を低く持ち、前面に出したアームブレードで防御態勢を取る。
足を前後に開いた不動の体勢は、カインの一撃でぶれた。
後ろに押し出されたのを踏み止まろうと一瞬重なった両脚へ、カインが床に手を付き大きく強烈な足払いを掛けた。

男が床に震わせて倒れる。
先ほどからの騒動で駆けつけた三人が、アームブレードを引き上げる間もないカインへ飛び付き、雪崩れかかった。
アームブレードも肉弾戦もない。
それぞれ恰幅のいい男に押し潰され、背中で腕を捻りあげられて捕縛された。

「お前、学生か」
「だとしたら、どうした。あんたも俺を殺すつもりかよ」
息が切れて言葉が紡げない。
喉に乾いた空気が張り付いて酷く噎せた。
頬が痛い。
圧し掛かられた時に何発か殴られた。

「理由如何では生かしておく」
「何の理由だ。あんたらこそ、どういうつもりだ。あんたらディグダ兵ってやつは!」
叫んでカインは再び噎せる。
咳をし過ぎて肺が痛い。

「どうしてルートを逸脱した」
「尋問かよ」
「答えた方が身のためだ」
「殺されそうになったからだ。いきなり背中からだ」
「誰に。抵抗勢力、ではないだろう」
「言わせるのかよ。しらばっくれるのかよ。おまえらだろうが。同じブレードで、同じ兵服で、同じルートを与えられた、味方じゃなかったのかよ」
「で、逃げてきた訳か」
カインは押し黙った。

「ディグダ軍は今分裂の危機にある。正しく言えば、今ここに派遣されてる部隊が分裂している」
「敵は抵抗勢力じゃないのかよ」
「内輪揉めだ。正式には部隊にある組織の人間が多く混じっている」
「CRDってやつか。そうなのか? どうなんだよ。どうして俺たちに纏わりつくんだ」
クレイ。
お前も捕まったのか?
カインは首を落とした。

「少し話をしよう」
「話しなんてしてる暇、ないんだよ!」
クレイはどこだ。

「大丈夫だ、殺すつもりはない。お前はどこに行くつもりだ」
カインは再び顔を持ち上げて、睨み上げた。

「お前はさっきの学生を追っているんだろう」
「女、いるのか」
「とにかく中に入れ。これ以上騒がれると厄介だ」
言い終わらないうちに、カインは階段室へと引き摺られていった。












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