Ventus  141










時折彼女は発作のように立ち止まって、額に拳を押し当てる。
何かを堪えるかのように拳の陰で顔をしかめて、体を堅くする。
指定ルートを外れ、任務を放棄した罪悪感に駆られたわけではなさそうだ。
公園から階段を駆け下り、来た道をホテルの方へと戻っていく。

「他のルートを取った方がいい。ここは」
「他に最短ルートがあるっていうのか!」
止めるのも聞かず、突き進んだ先には案の定不穏な空気が漂う。
回り道もあるはずだと掴んだ腕を彼女は勢いよく振り払った。
危うくこちらがよろめくほどだった。

「時間がない」
言うが早いか彼女はアームブレードを構える。
敵が誰であろうと斬り進む。
その言葉は偽りではない。

「CRD(カルド)がCRDを殺す? それに関係した者をすべて? いいCRDに悪いCRD、分裂だろうが関係ない」
彼女は蛇行した階段の手摺に足をかけて跳躍した。
クレイ・カーティナーの体は高く宙を舞う。
呆気にとられて彼女の軌道を見上げて追った。
土の斜面を踵で削りながら、こちらを見つけて階段を駆け上がっていく人影に向かって滑り落ちて行く。
遅れてなるものかと開いた口を引き締め、彼女の立てた土埃が消えぬうちに手摺を乗り越える。
情けないことだとは思うが、きつい傾斜に一瞬怯んだ及び腰を叱咤して引き延ばした。
左足を先に立てて斜面を降り始めた時にはカーティナーはすでに交戦状態にあった。
相手は二人、対するカーティナーは素人だ。
彼女の型は我流なのか、正統派なのか、軽やかでしなやかな初めて見る動きだった。
近接格闘術を交えながら相手のブレードを追い詰めていく。
相手はディグダ兵服、こちらの制服と様子を見れば一目で学生と分かるはずだ。
それにも関わらず、カーティナーが斬り込むより先に戦闘態勢に入ったのはディグダ兵の方だった。
声を掛けようと立ち止まったり躊躇ったりする様子は微塵もなく、探していた目標へ即座に飛び込んでいった。

いいCRDか悪いCRDか関係ない。
彼女は正しいと確信した瞬間だった。
見分けようと立ち止まれば殺される。
現に、そうして追われて来たから公園まで逃げて来たのだ。

彼女の剣の下に仰向けに倒れ劣勢にいる。
カーティナーを退かそうと蹴り上げた脚を彼女は腰を引いて避け、振り切って逆に体勢を崩したディグダ兵の見開いた目の前にアームブレードを刺した。
倒した顔の垂直に突き立てた風圧を眼球に受けて硬直する。
アームブレードを軸にして、カーティナーの脚が水平を切り、背中へと回った。
そこからは映画のワンシーンのようだった。
遠心力で唸る足先は計算したかのように美しく背後に迫った男のアームブレードの肘を打った。
肘から下を覆うアームブレードだが上腕は露出している。
最軽量の素材で構成されたアームブレードだが振り回せば空気抵抗を受ける。
振り上げたときに僅かに隙ができた肘は弱点でもある。
相手の姿勢は一瞬崩せたものの、怯んでいたカーティナーの足下の兵が身動きした。

一瞬でも体勢を崩せれば上等だ。
階段への着地と同時に、カーティナーの背後で弾かれたブレードに煽られたディグダ兵の胴を飛び込み様、力一杯叩きつける。
肋骨と腰骨のちょうど狭間に上手く食い込んだ。
重い、だが階段上部にいるこちら側は地理的に有利だった。
左手にある手摺に擦り付けるようにブレードに食いついたディグダ兵の胴を振り払って、ブレードを力強く引きながら下がった。
兵士の体は手摺を脇に挟みながら、ぶら下がるように崩れ落ちた。
体の上下が離れかけた彼は最早立てそうにない。

カーティナーは身動ぎした足下のディグダ兵の顔の横へとブレードを再び振り下ろした後だった。
動きを封じられればいいというだけの思いだったのだろうが、ブレードが土道を裂く音を立てると同時に苦痛の叫び声が上がっていた。
ディグダ兵の耳を飛ばしたのだった。
拷問の術すら知らない彼女だったが、極限状況の今、彼を黙らせる方法を彼女は知っていた。

黙れという警告すらなく、彼女は膝ををディグダ兵の胸部に落としながら、刃を下にして水平に構えたブレードに左手を添えそのままギロチンの刃のように下ろした。
苦痛で呻き開く男の口角寸前で止めれば自然と男の呻きは治まった。
動けば口を裂かれる。
少しでもカーティナーがブレードを下に落とすか、横に引くか、あるいは添えた左手を離すかすれば男の口は血を噴くことになる。

「私は男の急所の痛みを知らない。お前、知ってるか」
遠回しの指示が読み取れた。
顔に神経が集中し、だらしなく開いた両脚の根元へとブレードの剣先を突き付ける。
拷問の趣味などない。
それが自分だと想像するだけでぞっとするが、何より今この場で一番恐ろしいのは、背中を見せていても殺気立つ気配が襲ってくるこの女、クレイ・カーティナーだった。

「私はまだ学生だ。筋力も鍛えられていない。お前、分かるな」
今度は組み伏せているディグダ兵に対してだった。
大きく開いた口の中で舌が小刻みに動いている。
乾いた口から乾いた空気が入り、喉は緊張して微かに上下している。

「両手を首の下に入れろ」
その間も、カーティナーの刃は男の口角すれすれのところを保っていた。


「お前はCRDか」
カーティナーの背中の向うで男の眼球が揺れる。
動揺、イエスか。

「お前の任務はCRDの関係者の抹殺」
瞬きが繰り返される。
同じくイエス。

「お前の敵は対立しているCRD」
男の目の色が敵対から懇願に変わる。

「人殺しは、正義じゃないよな」
そう言いながら、彼女は刃を微かに浮かして引き抜いた。
下半身は変わらずこちらで押さえている。
目を剥きそうになっている男の額を、カーティナーのブレードの峰が割った。
男が枕にしていた石の階段とブレードに頭蓋が挟まれディグダ兵は沈黙した。

「だけど生かしておいたら応援を呼ばれる。そうだろう」
振り返った彼女の顔は、血の気も表情も失って蝋のように白かった。
もう遅い。
もうどこにも逃げられない。
二人とも、服もその中の体も手にしている武器も、全部が真っ赤な異臭を放っている。

クレイ・カーティナーは階段から下に広がる死にかけた町を見つめた。
腐った人を食らうディグダ兵。
腐らせたのは彼らだ。
そうした腐り腐らせた者らを使ってCRDは殺し合う。
穏やかだった世界から引き摺り出され、皆殺されていく。
狩られるために訓練を積んだ訳じゃない。
ディグダを守るために訓練を積んできた。
だがその守るべきディグダは、今は見えないでいた。

「休むのか」
「いや」
一言呟き俯いた彼女の横顔を覗き見てぞっとした。
笑っている。

「何が、可笑しいんだ」
「全部だ。全部。馬鹿馬鹿しいじゃないか」
「誰も守ってくれない。くれるはずないな。誰が仕組んだのかは知らないが、CRDの敵対組織に関係してる奴らが集められた」
「私は弄り殺されるなんて御免だ」
「同じく。ホテルにいる医療班に友達でもいるのか」
「死なせない。絶対に」
その前に辿り着けるかが問題だ。




「これは」
木立に両脇を挟まれた小道に折り重なった二体の死体を飛び越えた。
ディグダ兵服の背中だった。

「知らない。さっきここを抜けてきたときにはいなかった」
死体に屈みこんで手に握られていた端末を取り上げた。

「端末の起動中に襲われたのか」
死んだ兵士のIDでログインしたままの状態で画面が薄暗く光っている。

「持って行くなよ」
カーティナーに言われるまでもなく、端末に位置探索のチップが埋められていることは知っている。

「やっぱり学生リストがある」
もっとゆっくりと確認するなり可能ならデータをこちらの端末に移したいところだが、覚える時間もなければデータを弄れば足跡を残してしまう。

「分かったのは?」
「こちらを殺そうとしてるCRDが殺されてた。敵の敵は味方と言い切れはしないが、少なくとも絶望じゃない」
「あいつらは死んで間もない。すぐに臭いを嗅ぎつけて仲間が集まってくるだろう」
「ホテルに戻ってどうする。連れ出して町から逃げて、歩いて帰るっていうのか」
何とかするさ、と彼女は言った。




順調な、といったらこの異様な状況下でおかしな表現かもしれない。
しかし、雑木林を抜けて市街地に向かう道に差し掛かっても、身構えていた相手とは遭遇しなかった。
取り逃がしてなるものかと警察よろしく追いかけてきた、あの追跡が嘘のようだった。
あるいは潜んで急襲を掛けようというのか。
変に動悸がして息が上がってくるというのに、カーティナーはというと周囲を警戒することなく進む。
その度胸と勇ましさを危なっかしく思う反面羨ましくすら思う。

坂を下り、短い階段を飛び降りた。
左手で掴んだ手摺は塗装が剥げ、錆付いて外皮の破片が指に張り付いた。
コートで払い落しながら走り続けた。
道なりだった公園からの道がここで二手に分かれる。
減速したカーティナーが身を翻して壁に張り付いた。
彼女に倣って同じく左手の壁に背中を付ける。

息を整え策を考える時間は与えられなかった。
角の向う側から砂を踏みしめる音がした。
一応舗装された道路だったが、古く崩れていたお陰で石を踏み潰す音で相手の動きが読み取れる。
カーティナーと間を開けてアームブレードを構えた。
彼女も続いて腰を落とす。

人影が角から覗いてすぐにカーティナーが飛び出した。
先制を取った彼女だったが、同じブレードで弾かれる。
彼女が引く前に今度はこちらから飛び込んだが、正面から受け止められブレードは相手の体の横へと流された。
武術を体得しているらしく、流れるような動きでこちらの力は受けて流され飛ばされる。
情けなくも後方へ押し出されてる隙に、カーティナーが絡め取られた。
素早いが軽いカーティナーの剣をブレードで回し右へと払い、間合いを縮めた。
動物の首根っこを掴んで持ち上げるかのように、カーティナーの襟首を取ると、自分が回り込むではなく彼女の体を回して背中を取った。
あっという間に関節は抑えられ彼女は身動きできなくなった。
そのまま強く締め上げれば彼女の関節は抜ける。

「学生だな」
若いディグダ兵士、敵か。
アームブレードを構えるが人質に取られているのだから動けるはずはない。
その心理を読み取ったからこそ、クレイ・カーティナーの方を押さえたのか。
それともカーティナーが女だからか。
考察する間もなく話は進んでいく。

「熱り立つのも分からないでもないが、とにかく落ち着け」
「その手を離せ」
話はそれからだ。
カーティナーは黙ったままだった。
少しでも隙があれば切り刻むつもりだろう。

「離せば俺が殺される。まともに話もできんだろう」
「お前が殺すつもりだろうが!」
「だとしたら先にこの女を殺してる。お前ら、どこに行くつもりだ」
「大人しく殺されるか」
「なるほどな」
何を納得したのかは知らないが、変わらずカーティナーを抑え込んでいた。

「道理で若いのが死んでる訳だ。そもそもこんな場所に学生なんぞどうかしてると最初から」
「CRDか」
ここにきて初めてカーティナーが口を開いた。

「そうだ」
二十代半ばほどのディグダ兵の顔が固まった。

「あっちの通りにいた奴らはお前が殺したのか」
「違う」
先ほどカーティナーが見た光景が目の前に浮かぶ。
壁に凭れたディグダ兵の死体、その前に屈みこむ青年兵。

「彼は、パートナーだった。殺したのは、同じディグダ兵」
アームブレードを下ろし話し始めると、青年兵もカーティナーの体を解放した。
彼女は直立したまま動かなかったが、緊張は解いていない。

「同じルートで公園の方へ、目標地点まで行くものだと思っていた。それが、いきなり襲われた」
壁際のディグダ兵の側に二つの死体が転がっていたはずだ。
それは息絶えたパートナーが仕留めたものだ。

「襟なり袖なり見てみろ。どこかに徽章がある。みんなCRDだ」
「いつかなるだろうと思っていた現実が、こんな場所で、こんな形なんてな」
聞きたいことはあるが時間がない。
カーティナーは一瞥するとディグダ兵に背を向けた。
彼女に並んで歩き始めると二人の背後からディグダ兵が声を掛けた。
カーティナーは振り返らない。

「道案内は二人も要らない」
「しかし学生二人きりで」
「構わなくていい」
彼女に促されて、先を急いだ。












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