Ventus  138










輸送車から足を下ろしてまず眉間を寄せた。
酷い臭いだ。
今まで嗅いだ事のない臭いをどう表現していいのか言葉に詰まる。
意識しないままに手が持ち上がり口を覆った。

酸っぱいような、湿っぽい臭い。
焦げたような臭いも混じる複雑な空気が漂っている。

「気分が悪いのも仕方ない」
慰めにならない慰めの言葉を掛けられる。
隣にいる男は、嗅覚ならじきに慣れると続けて言った。
あまり長く居ると悪疫にでも罹患しそうな空気の淀みようだ。
よく見れば道端の草の上に赤黒い痕が散っている。

奇妙な町だ。
不調和を鍋でかき混ぜて煮詰めたような町だ。
大通りが敷かれており、乾いた土の上に街路樹が破線を作っている。
立派な石畳だったのだろうが、歪み、割れ、剥げている。
縁石から漏れた土が石畳の隙間を埋める。

大通りに面した一帯は治安が良かったという。
それも以前の話だ。
北東に広がる工業都市群への中継都市として発展の兆しを見せた。
その工業地帯も経済力という盾は万能ではなくあっさりとディグダに呑まれてしまった。

ディグダが工業地帯の旨味を吸おうと鉄道を走らせた。
交通網の発達により、この町は中継地点の役目を終えた。
そうして町は静かに消えるか、新たな道を模索すればよかったのだ。

「町が腐っていく」
微かに繁栄の名残があるのが痛々しい。
見捨てられた町に蔓延ったのはディグダだった。

「メセト・メサタ 28区」
同行していた中年の男が雨上がりの晴れた空を見上げた。
町の外だったら何とも心地のいい青だったはずだが、今は皮肉さが勝っている。

「この町に付けられた記号だよ。ここまで腐らせたのは俺たちディグダだ」
腐敗の種はあった。
そこに栄養剤のようにディグダが流れ込み、種を芽吹かせた。
荒れた土地では荒れたディグダ兵が駐在、警備という名で占拠する。
統治などという組織めいたものではなく、ディグダ下層の人間たちが集まった。
たとえ白であっても、回りが黒ならば染まっていく。
理性は本能の前に頭を垂れる。
それがこの町だ。

大通りを胴体に多足類のように横道が伸びる。
町の入口にあった歪んだ鉄塔のから、背骨のように町を貫いている大通りは寂れた空気が流れているが、横道は更に異様な空気が流れてくる。
細い道は通れないほど塵で埋まっている。
それもはっきりと空き箱や空き缶といったものばかりではなく、布や靴、得体の知れないものが腐って泥になっている。
虫が羽音を立てて集り、寄れば顔の近くに纏わりつくので近づこうとも思わない。

塵が折り重なった塀の向こうで人影が過った。
異臭の奥でも人が住んでいるということだ。
どうしてこの町から逃げないのか。
命の危険を承知で住み続けるのか、人を引きとめて尋ねようにも、肝心の町の人間がいない。

「こんな場所に幼気な学生なんぞ投入するのが間違っている」
「私は構わないのですか」
「君は保護者同伴だろう」
「保護者、ですか」
「年齢を偽っていないかと俺は聞きたいけどね」
「偽っても私に益はありません」
「子供は子供らしくなんてな。この場所で口にする言葉ではないか」
堅く目蓋を下ろして、覚悟を決めて顎を引いた。

「ではそろそろ行くとしよう。君は俺の後を離れずついてこればいい。襲いかかられたら斬り捨てろ。身の危険を感じれば先手を打て」
「しかし」
「薄ぼんやりしてれば死ぬことになる。保護者としての責を果たすが、それにも限界ってもんがあるからな」
「場違いだと思いますが」
「通過儀礼だと思えよ」
貴重な経験をさせていただきありがとうございます、とでも言うべきなのだろうがこの現場は身に余る。

「見てわかるものなのですか。CRDというのは」
「識別可能だ」
「いざ悪鬼の巣へ、ですか」
「緊張しているか」
「私はこんな場所で死ぬつもりはありません。任務も遂行してみせます」
「いい心がけだ。死にたくないって思う奴は強い」
男は砂粒を磨り潰して一歩先に踏み出した。

「犠牲は少ない方がいい。間違いは正されなくてはならない。そうだろ」
「私は意志を継ぐものです。あなたも同じ精神だからここに来た」
「その通り。大樹に害をなす虫どもは払うべし。裏切りは許されない」
中年の男は年齢相応に堂々と腰を据え、並ぶ助手は髪を巻き上げて伸びた背筋と首筋が凛と美しい。
爛れた大地の上ではどちらも似つかわしくなかった。


大通りを行けば道に面してホテルがある。
廃れた町では浮いている豪奢な建物だった。
四層の表には丸窓が抜かれており、石造りの古い建造物だった。
裏に回れば建物を回り込むように庭が広がっている。
花壇は空になっていたが、芝生は刈られ最低限の手入れが施されている町の中では異質な空間だ。
中継都市としての繁栄の名残だが、それをやってきたディグダは駐屯基地として利用した。
ホテルマンから支配人、給仕に庭師までもをそのまま囲い込んだ。
ディグダがホテルに目を付けたという情報をいち早く耳に入れた支配人は、すぐさま従業員の女性たちに一定額の退職金を握らせ強制的に町から出した。
十分に状況が飲み込めていない女性も中にはいたが、それがホテルを守る支配人の最大限の配慮だと気付くのにそう時間は掛からなかった。
道を何本か奥に入れば流れ者らの吹き溜まりとなっていたが、ホテルや商店が立ち並ぶ大通りは元より治安の良い場所だった。
大都会に出るまでに誘惑に流され町の一角で燻ぶる者たち。
夢破れて大都会より流れてきた者たち。
それが町の裏の顔だった。

町はディグダによって中継としての役目に幕を下ろされた。
陰り始めた町の病は増殖を始める。
産業、農業、資源にすら恵まれない町にあった観光という収入減。
失って力を持ち始めたのは、商品としての人だった。
反政府組織が動き始める。
ディグダに強硬姿勢だった組織が組織力を強化し始める。
反ディグダ組織は町の外の組織とも手を組み、町で養った人材を外へと排出し始める。
テロリストの製造工場とは彼らの中で冗談めかして表現したこの地のことだ。




派兵されてから数時間。
負傷者はどんどん担ぎ込まれてくる。
建物の中に収容できず、軽傷者は屋外に運び出されていた。
セラ・エルファトーンは軽傷者の手当てで鎮痛剤と包帯を手に飛び回っていた。
まだ腕が飛んだり足がなかったりしないだけましだ。
重傷者は割り当てられた部屋に担ぎ込まれていく。
士気を下げないためだという。

「晴れていてよかった」
緊迫した空気の中での緩い言葉にセラが振り返った。
確認した先に人の姿はなく、目の前で痛みに呻く患者の側に人影は滑り込むように屈みこんだ。

「よし、血は止まっているね」
押さえていたガーゼを袋へ捨てる。
セラが言葉を返す隙を与える間もなく、白衣の男の指示が飛んだ。
傷口を洗い清め、塗り薬を取り出した。

「しかしどうしてこんな場所に学生さんを派遣するのだろうね」
「お邪魔、ですか」
「手があって助かるよ」
腰を屈めたまま、低い姿勢で回りを見回した。
年若い医師見習いや助手たちが忙しく動き回っている。

「でもね、来ていい場所と悪い場所がある」
穏やかそうな医師が少し不満そうに鼻を鳴らした。

「ここは実地研修の域を越えているね」
「治安の問題ですか」
「率直にいうとそうだね。しかもそんな場所に学生を投入させて」
「申し訳ないです」
セラが首を垂れたので医師は慌てて彼女の肩を叩いた。

「いや君たちが悪いわけじゃない」
二人で立ち上がり隣の患者の容体を見た。
応急措置は済み鎮痛剤の投与も終わっている。

「特殊部隊を作戦投入するはずなんだ」
「この負傷兵たちは」
「彼らは下がってきた部隊だ」
通常戦力は後退の指示が出ている。
重傷者、軽傷者共に待機命令が下っている。

「そこに素人を混ぜ込むなんて」
「ちょっと待って下さい。ここにいるわたしたち以外にも学生が、しかも一線に」
「さすがに全面に出して盾代わりに潰されるのを待つ、なんてことはないだろうけど」
少なくとも研修の場でないことは確かだ。
もしかしたらここに運び込まれてくるのが見知った顔かもしれない。
そんな辛いこと考えたくもなかった。
それが戦いなのだと、言いきればそうかもしれないが余りにも酷だ。

「君はなるべく私たちの回りにいることだ。いいね」
「ええ」
「君たちは身を守る術を知らない。そういう子たちをここに連れてくるのが間違っている。だけど、来てしまった以上どうすることもできないからね」
意識を失っている負傷兵の容体を見ながら、隣で同じように屈みこむセラに語りかける。
医師とは一人でも多くの命を救うことが使命だ。
当り前のことだが、それは酷く難しい。
兵の力量と配置により犠牲者は減る。
今回戦力として未熟な学生を使うことで、無駄に命を削ることになる。
それが医師にとって堪らなく苦痛だ。
ディグダに身を置きながらも、戦いの火種を生み出し続けるディグダに憤りを感じる。
変えられない無力さを嘆くしかない。

「ならばできることを考えるだけだ。救えるものを救うだけだ」












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