Ventus  136










緑の海の上
さざ波の叢の中
聳え立つ大樹の肌の上

乾いた大地の熱風に巻かれ
渓谷の飛沫を吸い込みながら
崖の上から飛び上がり太陽に向かって
凍える山の頂から滑り落ちて
世界を見るわ

殻を破った向う側
檻を壊して伸ばす指先
触れる世界は、知る世界は
生まれ流れて消えて
きっと内に留めてはおけない

それでもわたしは風にとける
あなたの側にいるために
わたしの心は風になる
あなたとともにあるために



ふと頭に浮かんだ歌がある。
遠い昔、家の片隅で聴いた歌。
古いレコードに刻まれた歌は、媒体に似つかわしくなく初々しく、愛らしく、澄んでいた。

その声の主を知らない。
歌姫は媒体を好まないという。
彼女の歌で知っているのはそれだけだった。

その小さな霞んでいた追憶が、再び息を吹いたのはごく最近だった。
小さな驚きだった。
耳にした瞬間、彼女だとすぐに分かった。
懐かしさが胸を熱くする。
飽きずに聴いた声に目を瞑って音を追いかけた。
思い出して、理解した。
あれは初恋だった。
姿も名前も分からない彼女の声に恋をしていた。
懐かしく、いつの間にか終わっていた小さな恋だった。

巡り合わせの間にいたのは、セラ・エルファトーンとクレイ・カーティナー。
彼女らが手にしていたミュージックディスク。
浮かび上がった映像は、過去の声の少女ではなく黒いドレスの女性だった。
歌姫の名はジェイ・スティン。

媒体に残る彼女の映像はこの曲のみ。
やはりまだ媒体が嫌いらしい。
古いディグダの言葉で紡がれる歌は、大人の艶が混じってはいたが昔と変わらない。

眠れない夜。
闇の中で気分を落ち着かせるために、彼女の歌を思い出した。






慌ただしい夜だ。
騒がしい夜だ。
明日の朝は何の授業だったかと考えながら寝台に腰かけたときだった。
召集の通知が入った。
心の準備も体の準備もないまま集められ、荷物のように積み込まれた。

部屋を出るときに制服の上に纏った軍服。
部屋に常備するようになったアームブレード。
自分の立場を見失いそうになる。

学生証は学生たる証明ではないのか。
兵士とほとんど変わらない戦闘服を着込み、夜に召集を掛けられる。
主張もしたいところだが、非常招集でも応じると書類に署名をしていたのを思い出した。
思えばその瞬間、学生である身は半分捨てたのだ。
いずれ辛うじて残していた半分も消えてなくなる。
学校を卒業し、組織に属せば生活は一変するだろう。
その先が、まるで想像できない。
覚悟が足りないのかもしれない。
自問して、立ち止まった。
一体何の覚悟だ?
軍人になるための覚悟。
戦地に赴くための覚悟。
人を、殺すための覚悟。

放りこまれて詰め込まれた輸送車には同じような半身学生、同年代の人間が顔を合わせて座っていた。
息の詰まりそうな車内で一様にアームブレードケースを大形の擦弦 楽器よろしく股に挟んで抱えている。
同じような輸送車が何台出されたのか、数えていたわけではないので定かではないが、この車の中だけでも何となく見知った顔があった。
知っているというだけで、重苦しい空気を破って打ち解けて話す気にはなれず誰一人声を上げずにブレードのケースへ額を押しつけていた。

閉鎖された闇の中では過去に聞いた歌、風景、いろいろな記憶が掘り起こされる。
腰に低く響くエンジン音、タイヤが踏みしめて車体に伝わる振動で今自分が走っている道を想像する。
一つ一つの感覚が脳内深くに眠る欠片に繋がる細い糸を引いていく。

最初に召集され、輸送車に乗り込んだときの景色が引き上げられた。
緊張に胃が痛かった。
せめて顔だけは平気を装おう。
混乱は命取り、冷静さを欠けば終わりだと教官にも言われ続けてきた。
喉が引きつるが目は前を向けた。
向かい側の席の男子学生は泣きそうな顔で床を見つめて肩が震えていた。
隣の学生もブレードケースを持つ手が小刻みに揺れている。
奥に座った学生は目が泳ぎ頬が引きつっていた。
当然の反応だ。
人を殴ったこともない人間がそろってアームブレードを抱えて戦闘区域に向かう。
手にしているのは今まで慣れ親しんでいた競技用のブレードではない。
保護具を外された下に現れた刃は、人の肌に食い込み骨を砕くことができる。
それはすでに武器だ。

回を重ねると、唇を噛みしめて耐える人間らしい人間の姿は見なくなった。
今、目の前にいる人間の目は冷たく鋭く静かだ。
あるいはもう何も見ていないのかもしれない。
かつてすぐ先にある恐怖を見ていた目は、鈍化してしまったのか。
それとも耐えきれず輸送車を降りたのか。

人を殺すのは悪魔じゃない。
どこにでもいるただの人間だ。
人は誰かを殺せば変わってしまうのか。
もう以前には戻れないのか。
ならばここにいる人間たちは、自分自身は。
今は考えるなと脳の一部が言う。
今は目の前にある現実を見据えろと言う。
そうか、そうやって変わって行くのか。
人の境目はそこにあったのか。
目は濁り、先は見えなくなる。
未来を忘れ、痛みを忘れ、ただ今だけを生きるようになる。

暗闇の中、戒めのようにブレードに強く額を擦りつけた。
目に見えた境界、ならばしっかり見据えておこう。
俺は越えない。
俺は未来を忘れない。
痛みを忘れない。
俺は人であり続ける。
たとえ誰かを手に掛けようとも、顔を上げて前を見続けよう。

積み込まれて蓋を閉じられる前に、兵士は学生らに仮眠を取るようにと言っていた。
目を閉じていても、闇の中で開いている錯覚に陥る。
早く朝が来ればいい。
密閉空間で張り詰めた空気に、精神力が薄く削られていく。
せめて光の下で見る世界は、今よりも幾分ましな世界だろう。
しかし、それはすぐに打ち消される。
光はあらゆるものを照らし出す。
闇に覆われていた細部まで露わにする。

後部扉が開放され身構えていた学生らが流れ出して胸を張って整列した。
カイン・ゲルフも彼らに倣って背を伸ばし直立する。
下ろされたのは町の郊外だ。
町はすでに作戦進行中。
人員補充で後発部隊に投入されたというのは確かなようだ。
乾いた土道。
舗装されていたのだろうが、地面は割れていた。
気分が悪くなる。
ここは、生きた町の匂いがしない。
霊や悪鬼や超常現象に興味はないが肌に張り付くような重い空気が周囲に漂っていた。

空は明るくなり始め、雲は点々と散っている。
日差しの手は地面に届き、今日はよく晴れている。
しかし清々しさがまるでない。

道の脇に建った小屋の薄い屋根は剥がれかけ、大穴が開いている。
丈の長くなった雑草に埋もれて人の入った様子はない。
寂れた地だが、禍々しさに溢れている。
町から流れてくる風は何とも表現できない重々しい臭気に満ちている。
錆びた蝶番にぶら下がった扉の向うに、肉を剥がれた白骨が転がっていてもおかしくないような荒れようだった。

踏み入れてはならない裏道に迷い込んでしまったような感覚だ。
感覚が無意識に警鐘を鳴らす。

ただの薄気味悪い廃屋であってほしい。
この警鐘が誤報であってほしい。
錆ついて腐食に耐えきれず半ばから折れた鉄パイプを横で、殴りつけられるような指示に学生らは同じ動きでアームブレードを取り出し装着した。

草むら、左右と点在する廃屋と付属する小屋から何か出てこないものかと緊張に筋肉が強張る。
剥げた壁の塗装、割れて抜けたガラス窓、鉄骨が剥き出し錆が溶け出て汚れた外壁。
それらに挟まれて逃げ場のない学生たちに命令が下る。

アームブレードを下げながら、揃った足音は町に向かって行軍を始めた。












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