Ventus  134










体中が痛んだ。
打撲なのか切り傷なのか、汗なのか血なのか、泥なのか汗なのか。
砂埃が気管に入り、噎せて涙が滲み、周りの状況も自分の状態も把握できず、混乱と混沌の中喘いでいた。
粉塵で視界は奪われ、耳鳴りで聴覚はやられた。
体が酷く重く、両腕で前に這いだした。
背中に被さる重みは人の温かさを感じたが、意識が無いのか叩いても揺さぶっても反応が無い。

連れ立って逃げた男の一人だ。
爆風の中、彼女を庇って覆いかぶさった。
男の頭を抱き何度も呼びかけるが呻き声一つ上げようとしない。
触れた後頭部が濡れている。
引き上げた手の中は真っ赤に染まっていた。
彼女は呼吸も忘れ、ただ手に握られた赤を目に焼きつけていた。
生まれてきて初めて見た生々しい光景に動くこともできず、まだ生温かい体に顔を近づけた。
薄く開く弛緩した唇から流れる呼吸はない。
胸に耳を寄せてみるが叩く音はない。
そこにもう生はない。
今まで確かにあったものがもうここにはない。
残されたという絶望や生かされたという希望より、空っぽの肉体を抱えている恐ろしさが体を締め付けた。
呼びかけても取り戻せないもの、手繰り寄せられないもの。
始めて触れる死に愕然とし、へたり込んでいた。
一人でどこに進めばいいのか、脳は先を描くことを拒んだ。
現状把握すらまともにできない彼女の前で瓦礫が揺れた。

生きている。
誰かがそこにいる。
火が点ったように、急に体が動きを取り戻して壁の残骸を一つ一つ退かしていく。
上手い具合に傍らに落ちた石壁の一部が柱になり、隙間に頭が収まって直撃は免れた。
頭が小さな破片の中から出、掘り起こされた男は彼女を見て、砂埃で咳き込みながらも無事で良かったと呟いた。
首を巡らせて、すぐ側に転がったもう一人の男の静かな姿を見て悟った。

「逃げなさい。ディグダの手の届かぬうちに。早く」
少女を押し遣るが、彼女は首を振ったまま動こうとはしない。

「一緒には行けないんだ」
酷く悲しそうな表情をする男の腕に、彼女は細い腕を絡めて引っ張り出そうとする。

「無理だ。脚が、潰れている。動けないんだ」
「引きずって、行くわ」
涙が溢れ出る。

「私が背負う」
「馬鹿なことを。川に沿って上流に向かえ。森の中を行くんだ。陸路の合流地点がある」
「森まで引っ張っていく。人を呼べばいいわ」
「時間が無いんだ。見つかってからでは、逃げられない」
「一人だけ逃げるなんてできるわけない」
「なあソニア。頼むよ。行ってくれ」
男の手が伸びて、ソニアの腹を突いた。
油断していたソニアは後ろに呆気なく跳ね飛ばされる。
視線が重なった向うにいる男は、微笑んでいた。
爪先で瓦礫が崩壊していく。
男の命を支えていた石は彼の手で押し倒された。
折り重なり絶妙なバランスで組み上がっていた石が崩れていった。
ソニアは声にならない掠れた音を喉で鳴らしながら瓦礫に近づくが、男は指の先までも埋まってしまった。

逃げなさい。
逃げなさい。
ディグダが来ないうちに。
ディグダに囚われないうちに。

傷だらけで鉄球に繋がれたように重い体を持ち上げ、震える脚を地面に打ち立てて立ち上がった。
脆く残った建物の壁に沿って歩き始める。
右手には川が渦を巻きながら海へと流れ込む。

米神に脈打つ血の音を聞きながら、止めどなく流れる涙そのままに、ソニアは川上を目指した。
散らばる瓦礫と火薬と血の匂いが混じり合い噎せ返る。
気持ちの悪さに意識が落ちそうになるのを必死で繋ぎ止めて前に進んだ。

大きく崩れ落ちた瓦礫の山を越えようと手を掛けた。
その狭間から金茶色の髪が覗く。
体の大半を崩れた外壁と砂に埋もれていたが、その色を見間違えるはずはない。
跳び寄って傍らの白い手を握り込む。
絶望の縁、孤独に押し潰されそうになる中、希望を誘うような手だった。
見慣れた爪の形、滑らかな肌。

「ツィジィ」
握り返す力はなかったが、確かに彼女の手だ。

「ツィジィ」
指を絡めて引き上げれば、続く腕は軽く持ち上がった。
その先にツィジィはいない。
彼女は目の前にいるのに、ツィジィの姿はない。

引き攣った喉を反らせて、ソニアは絶叫した。








第一部隊が全滅。

耳にしてクレイ・カーティナーは眉を潜めた。
予期していたかのように、瞬く間に再編成された第二部隊が突入を始めた。
相手はただの一領主で民間企業だ。
それに軍隊が施設の封鎖ではなく直接、即行の武力行使。
目的は施設の制圧ではない。

河口から海上の動きほうが騒がしくなった。
焦点は中にいる人間の動きを追って流れている。
瞬く間に再編成された部隊が施設に押し寄ると中の人間を引っ張り出す。

崖の高みから見れば全体が見える。
何をしようとしている。
抵抗する者を強引に後方部隊に引き渡す。
頻りに飛び交う暗号も、一集団の中だけ理解できるもので疎外感を感じる。
表立ってはできないことの現れだ。
後ろめたい何をするつもりだ。
頬を抜ける冷たい風に髪を抑えた。
目を開き、左右に黒の瞳を微動させながら監視した。

人を選別している。
捕獲対象者が予め決まっている。
途切れ途切れの無線を何度も聞き流すうちに、解読の糸のようなものが指先に絡まった。

地面を這い転がされたままの人間と引き摺られて確保される人間。
子供はいないが、年の老若は関係ないらしい。
男女問わず手荒な方法で連行していく。

クレイは手にしていた双眼鏡を腰に戻し、崖を飛び降りた。
人が蟻のように群がる施設の入り口や大窓から離れ、裏手へと急斜面を駆け下りていく。
無線のイヤフォンは片耳を外し、雑音を耳に入れずひたすら下を目指す。

「おい! クレイ!」
岩肌を厚い靴底で削りながら、同じように降下してきた男に肩を掴まれた。

「どういうつもりだ、待機命令だろ!」
「軍紀違反だな」
「それも重大な」
振り返ればカイン・ゲルフがいた。
学生には不似合いな重装備で固めた二人だ。

「それを言うならカインもだろう」
「あ」
今、気付いたのか。
呆れて笑いが込み上げてくる。
持ち場を離れたクレイを追った彼も同罪のようなものだ。

「共犯、だが戻るなら今だぞ」
「ちょっと待て」
カインが呼び止める声に振り向きもせず、クレイはそのまま前を向き降りていく。
今戻れば大事にならずに済む。

「でもなぁ。この崖を登れって言うのか?」
切り立つ急斜面を見上げて溜息を吐いた。
クレイへと視線を戻すと、彼女の背中は小さくなっている。

「共犯、結構」
勢いを付けて斜面を駆け下りた。






「何を見つけた?」
「子供だ」
ディグダ軍が集まる河口部とは反対方向に進むクレイに、カインは追い付いた。

「どこだ」
「あれだ」
瓦礫の陰に茶色い頭の先が見える。

「よく見つけたな」
「おいそこの」
口にしてから、クレイは言葉を失った。
彼女の肩口から子供を覗き見たカインも固まって動かない。

まだ十五かそこらの子供が、白い腕を抱えて座り込んでいる。
呼びかけても反応しない。
耳をやられたか。

小さな肩に手を掛けて顔をクレイの方へ向かせた。
涙の痕のを黒く残した汚れた頬、目は辛うじてクレイの目を見つめた。

彼女は片腕で自分の物ではない腕を抱え、膝の上で薄く開いた手の中には徽章が置いてある。

「これは」
クレイが記憶を呼び起こすより先に通信機器が反応を示した。
勝手に動き始める端末を取り出してモニターに顔を近づけた。

「どういうことだよ」
カインの端末は反応していない。

「知らない。ヘッドギアのカメラが反応している」
「接続、照合、何だこれ」
カインがクレイの手の中にある端末と彼女の横顔を見比べた後、肩を支えられている少女に目を落とした。

「CDR、照合」
「CDRって。セラ、どういうことだ」
「何でそこでセラの名前が出てくるんだ、説明しろ」
「私も混乱してるんだ、ちょっと待て」
大きく息を吸い込み、カインを見上げた。

「カルド、それはそう読む。セラが前に出会った奴らだ。ディグダ軍の中に、混じってるみたいで」
クレイも額を手で覆った。

「セラに危害は加えていない。敵、ではなさそうだ。今のところ」
「それの徽章に反応ってことは、この子がカルドってことか?」
「お守り、なの。ツィジィのお守り。だからツィジィに返すの」
歌うように澄んだ声が少女の震える細い喉から流れ出た。

「俺たちのせい、だよな。ディグダ軍のせいで」
カインが拳を握り締める。

「対象者はどこだ」
図太い声が、抑え気味に二人の背中にぶつかった。
体格のいい男が、クレイとカインの目の前に塞がる。

「ディグダ軍だな」
カインが見据えた。

「CRDの反応があった」
顔が無精髭に覆われた、荒っぽそうな男は太い指で自分の襟を捲った。
階級章の裏には少女が手にしている徽章と同じものが縫い付けられていた。

「あんたが、カルドってやつか」
「そういうお前たちは何者だ」
「さあ、もう自分が一体何者なのか分からなくなってきた」
カインが少し攻撃的な空気を緩め、隣のクレイの様子を見る。

「私はCRDっていうのも、ディグダ軍が何をしたいのか知らない」
「知らないのに、どうしてCRDの通信機能を載せてやがる」
「支給された機械のことなど一々調べることはしない」
「まあいい」
「いいのか? 俺は良くないぞ」
疑問も解決の糸口すらないままに男はあっさりと放り出してしまい、カインは納得できていない。

「考えてどうなるものでもない。それよりその子供だ」
「他の奴らみたいに引っ張って行くつもりか」
「乱暴に扱うつもりはない」
「この子もカルド、なのかよ」
「徽章を持ってるってことは、関係してるのは違いない」
「それよりなにより、カルドって何だ」
「まあ、組織」
それだけ言うと、男はカインもクレイも押し退けて少女に歩み寄った。

「俺はお前さんが見てきたあいつらとは違う。それはお前のか」
手の中の徽章を指差す。

「ツィジィのよ」
「俺はそのツィジィってのの知り合いだ。ここにいりゃそのうちディグダ軍に捕まる。俺と来るか」
「行かなきゃ、いけないの。森に、みんなが合流するところがあるって」
「行けるのか」
「分からない。お母さんに会いたい。お姉ちゃんに会いたい」
「俺と一緒に来い。お前を保護できる。お前がツィジィの友達ならな」
屈みこんだ男が少女に両腕を差し出す。

「いいわ。でも、お願い。お母さんに会わせて」
彼女は男の手を取る。
その細い腕を引いて、脚の立たない彼女を軽々と抱き上げる。

「それで、お前さんたちはどうする」
「さあ。どうしよう」
クレイは黙り込んだ。
まだ混乱している施設に入りこんで、何食わぬ顔でことが収まるのを待つか。
言い訳をあれこれと考えるのも面倒な気がした。

「ひとまず二人まとめて俺についてこい」
「それで?」
「そうだな。その時考える。待機命令を無視しての行動、その言い訳くらいは用意してやるよ」












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