Ventus  130










造り物のような建物、その狭間を埋めるのは潮風。 違和感が絶えず足下に絡みついて離れないのは、人の気配が無いからだった。
気味が悪い。

「嫌なことを思い出す」
どろどろとした、地を這うような闇と濁った空気を思い出す。

「吐き気がする」
綺麗なままでいたかったのに。
禊では濯ぎきれなかった罪を思い出す。

「嫌な風だ」
生温かく肌にまとわりつく。
すべてを振り切るかのように目を強く閉じた。

「セラ」
名を呟けば現実を思い出せる。
自分の居場所を思い出せる。
すべての痛みから守られる。








「久々に顔を見たと思えば、少し痩せたか」
「ちゃんと食べてる。むしろそうした体調管理は徹底されてる」
「ありがたがるより迷惑そうだな」
「息苦しくて堪らない」
一度目の実地訓練を終えてから、校内のメディカルセンターがやたらと絡んでくるようになった。
定期的なフィジカルチェックとメディカルチェックに加え、どこで見ているのか食生活まで指導される。

クレア・バートンはベンチの背に沿って背中を反らせた。
丸く切り抜かれた遠い天窓からは厚い雲が見える。
濁ってはいないから雨は降らないだろう。
窓の脇から頭を出した雲は大きな胴体を引きずりながら、天窓から光を削っていく。

こうして並んで座ったことがあっただろうかとふと思う。
ゆっくりと話をしたことなどなかった。
用件は数行のメールを送れば済む話だし、状況を知りたければ乞わずとも頻繁に連絡を寄こすセラのメールを見ればいいだけだった。
セラとクレイ、この二人の関係は興味深い。
付き合いはそう長くはないらしい。
クレイが編入してきてからのことだから二年ほどだ。
二人を取り巻く人間関係を洗っていくとなかなか面白い。
クレイは確か中等部から高等部に持ち上がってきたはずだが、中等部時代の友人らは皆無という。
さしたる問題生徒というわけではなく、いじめもなく、目立った情報は残されていない。
至って影の薄い生徒だった。
あるいは、あえて息を潜めて生きてきたような人間だ。

クレアは黙り込んだクレイの横顔を目の端で盗み見た。
漆黒の髪は濡れたように艶やかだ。
これだけで目を引く。
それ以上に印象を刻みつけるのは真っ直ぐ鋭く貫く強い目だ。
正面に抉るように見据えられたら思わず怯む。
聡明でしなやかな獣のような眼。
戦いの作法を知らないうちはクレアが優位でいられたが、彼女が喉元に食らいつき一撃で相手を討つ業を身につけるのは遅くない。

セラ・エルファトーンはクレイ・カーティナーの剣技を知らない。
恐らくクレイ自身も実力の度合いを知らない。
クレアの同僚を始め、軍の人間たちも目ぼしい学生に目を付け始めた。
手持ちの優秀な駒はあればあるほどいい。
軍に属している以上必然的に関わり合いのある派閥。
わずらわしいごたごたにクレアも全く無関係とは言えない。
それら各派閥は自分の屋台骨を支える兵や軍人を集めるのに必死だ。
少し前から風向きが悪くなった。
グラストリアーナ大陸を呑みこみ勢力を拡大してきたディグダだが、その膨張のつけを払う時が来たのだ。
成長が早すぎた。
体ばかりが大きくなりすぎた。
焦りが見え始めると国は崩れる。

正直な気持ちとしては、学生には純粋に剣を学んでほしい。
クレアが最初にアームブレードを見て惚れ込んだその滑らかな形状と澄んだ刃の美しさ。
振れば空気を裂き唸り、幅の広い刃はただ力ばかりで叩きつければ相手を切るどころか、孕んだ空気の重さに体が倒される。
刃の形と空気の流れを読み、腕に無理の掛からない力の強さと動きとで操る。
一流の使い手の剣技を大会で見た。
すり鉢状の座席の真ん中あたりで模範演技を目にしたときの感動は忘れない。
あれは舞だ。
音といえば歓声とアームブレードが重なり合う音だけだったが、まさに剣舞だった。
跳ねる軍服、迫っては弾けるように距離を置き、アームブレードは残像を引きながら水平に流れる。
対峙している二人の気迫に呑まれていた。

そのような選手になりたいとクレアは思ったし、今もその時の像を追いかけている。
また、美しい剣を操る学生を送り出したいとも思う。
可能性を秘めたクレイにも、剣を探求してほしい。
ただ戦場で散るだけの雑兵としての人生に彼女をくれてやるには惜しい。

「セラ・エルファトーンは元気か」
「ええ。相変わらず。先日、また戦場で救護班に同行したとか」
クレイは正直だ。
すぐに声に出る。
今まで無表情に無感情とあるデータは偽りではない。
情を掛けるに足る人物と巡り合っていなかっただけだ。
クレイの過去に触れる物理的な権限をクレア・バートンは持ち合わせていないので知り得ないが、クレイにとってセラ・エルファトーンは唯一無二の存在だ。
彼女への依存度は極めて高い。

「心配なのは当然だが」
「私は死にかけた。セラもそういう場所に連れて行かれたりしていないだろうな」
「救護班は後方で待機をしている。加えてエルファトーンら学生は戦力にならず、救護班の更に後ろで手伝いをしているだけだ」
クレイにとってセラは深い友人であり、母親のようだった。
取り巻く環境の中で心を許せるただ一つの存在だ。
心配し、狼狽えて当然だった。
セラによってクレイは立っていられる。
セラの存在はそれだけ強い。

「それで」
伸ばした背とその延長にある両腕を前に引き戻した。

「ここに呼び出した用件を聞こうか」
腕を折りたたんで開いた膝の上に乗せた。

「稽古をつけてもらいたい」
「いつものことだろう?」
ちょうどここでクレイと会う前に実地訓練に配置される候補の学生の腕を見てやっていたところだ。

「戦場で戦える剣がほしい」
「そんなものは実際に軍に入ってからで十分だ」
「それでは遅い。今、必要なんだ」
「何を焦る必要がある」
「死にたくないだけだ。生き残るには力がいる。何かを守るには力がいる。私はただ殺され積み上げられる屍にはなりたくない」
しばらく間を置いて考えた後、腕を組んで頷いた。

「訓練室を借りて準備をしてこい。十分後、私も行く」




時間通りだった。
クレアが訓練室に踏み入れた時にはアームブレードを装着済みのクレイが立っていた。

プロテクターはどうしたのだと、制服一枚の身軽な姿で立っているクレイに言い放った。
実戦に近い姿で試合をしたい。
いくら装着しても頑として同意しないクレイに、先にクレアが折れた。

「いいだろう。構えろクレイ」

アームブレードを水平に持ち、腰を落としたクレイに一呼吸の暇も与えることなくクレアが距離を詰めた。
いきなりのことにクレイが反射的に顔を引いたところでアームブレードにアームブレードを叩き付けた。

太い音と振動が鼓膜を突きぬける。
力を抜いて衝撃を流すこともできず、強張った腕で受け止めたので腕が痺れる。
一度距離を取って、落とした腕を二度三度振ってから、下段に構えた。
隙を突いたクレアがアームブレードを振りかざして、上段から大きく振り落とした。
身を屈めてクレイが左に避け、腰を捻りながらブレードを回転に乗せて下から上へ斜めに切る。
クレイの動きに反応して目の前にアームブレードを翳し、強打を防いだ。
至近距離で、重い一撃を片手だけで受け止めればクレアは弾き飛ばされるところだが、空いた左手でブレードを支えて受け止めたので体の軸はぶれない。
だが両腕は塞がっている。
アームブレードを押して次の行動へ先に移れるのは攻勢のクレイだ。
アームブレードを引き戻し、と次の動きへと流れていたところ、腹に凄まじい一撃が入った。
蹴り飛ばされたのだと分かったのは壁までの宙を飛び、壁沿いに床へと落ちて咳き込んでからだった。
ようやく気付き、クレイのスイッチが入った。
競技場で対峙する上品なアームブレードの戦いじゃない。
クレイが望んだのは、クレアの本気だ。
戦い、生き残るためのアームブレード。

クレイは壁に頼らず立ち上がり、痛む腹を伸ばして再び構えた。
体術を学ぼう。
クレイは前傾姿勢で跳躍した。
一気にクレアまで距離を縮める中で、アームブレードは水平に保ち体を左へと倒した。
クレアはクレイの右へと避けたが、クレイが寸前に腕を伸ばした。
体を捻る遠心力に伸びたリーチはクレアを掠る。
深く入らないのを予測していたように、クレイが脚を撥ね上げてクレアを後ろ蹴りで沈めた。
入った、と目の端で崩れるクレアを認めようとしたが、クレアはびくともしない。
クレイは足を引き抜こうとしたが、こちらも動かない。
抜けないのはクレアがクレイの足を掴んでいたからだった。
抱え込まれた足に身動きが取れない。
さあどうする、クレイ・カーティナー。
クレアは楽しくなるのを隠せなかった。












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