Ventus  129










たっぷりと時間をかけたメンタルチェックとフィジカルチェックを終えてから、メディカルセンターを後にした。
午後は検査を入れていたので休暇にしてある。

体のだるさが抜けないので敷地内を宛てもなく歩いた。
今こうして歩いているのが、まるで夢の中にでもいるかのような現実感のなさだ。
命を削り合って戦っていた。
見たこともないような大量の血と惨殺遺体に冷静さをかき乱された。
嵐のような現場から学園の囲いの中に戻れば、嘘のように波が穏やかだ。
授業が詰まっている昼下がりに、校内をうろつく生徒は少ない。
空いた道の真ん中を気の抜けた顔で歩いていても、見咎める目は近くにない。

低木の間に空いた芝生の上に座り込む。
日は降り注ぎ、木は視界を邪魔しない。
両手両足を伸ばしても引っかからない程度に開けた芝生だったが、道から外れたこの特等席は近づいて覗きこまない限り外からは見えない。
草が髪に絡むのを気にせず寝転がった。
芝の青い匂いがする。
瑞々しい香りに生命の芽吹きを感じて、愛おしくなって顔を埋めた。
これが正しく生きているという実感。
湧き上がる愛おしさに胸が焦げる、熱い思いが込み上げる、生きているのだというささやかな感動を幸せだと噛みしめる。
あの生臭い場所にはないもの。
しかし、血に濡れた人の思いが汚泥のように沈殿したあの場所と、緑の匂いがするこの場所は並列で存在している。
理由がよく分からない涙が鼻の丘を越えて頬に流れて芝に落ちて行く、その瞬間にも人の命は散っていく。
何もできない無力さと何も知らない無知への悔し涙も混ざっていた。
同時に、見知らぬ世界にどんどん足を踏み入れて抜け出せなくなりそうで、怖くなった。
丸めた手足を伸ばし、芝の上に大の字で体を広げた。
空が青い。
雲が白い。
風で押し流されていく水の粒たちは不定形で、白い塊は二度と同じ姿を取ることなく消えていく。
すべてのものは同じ一瞬を再び迎えることなく移り変わっていく。
同じに見える世界でも、微小な変化を繰り返して、ささやかな感覚や経験を塗り重ねて今という一瞬に至っている。

「不思議な感覚」
見たもの、聞いたもの、触れたもの、その時の感覚を混ぜ込んでできる、次の一瞬ってどういう色をしているのだろう。
まったく見えなく、想像できない。
ただ単純に、勉強で知識を吸収して研修で経験を重ねて、ディグダの白い病棟を経てから故郷に戻れると思っていた。
困惑が不安を麻痺させる。
穏やかな温かさと、人気の無さが眠りを誘う。
ひと眠りして目が覚めたら、また考えよう。
今はただ、今ある穏やかさを享受したい。






「全体ではステージ五が終了です。計画ではフェイズ一が終了となります」
薄暗い部屋に澄んだ柔らかい声が通る。
キーボードの音が途切れることなく声に重なる。
長い机の一番奥に深く腰掛ける影が部屋の中で一番暗く落ち込んでいた。

「情報提供者についてですが、未だ特定に至っておりません」
淡々と続く報告に、奥の影は頷きもしない。

「幾重にも巡らせた強固なセキュリティ網を掻い潜って外部から接触するなど」
考えられないことです、との一言を彼女は呑みこんだ。
暗い部屋で光る端末のモニターから顔を上げて部屋の奥へと視線を投げる。
長い机の中央を走る一本の黒線の上に、メインモニターが浮いている。
彼女は席を立ち、部屋の中で光を放っているモニターに近づくと手をかざした。

「三十七の防壁、ゲート開閉プログラムは決して脆弱な作りではなかった」
起こってしまったことは仕方がない。
セキュリティの脆弱性を埋めること、同時に侵入者の特定をする、当り前のことをするだけだろうと、抑揚のない深い影から発せられた。

「痕跡を見事に潰していた。いえ、完全に消していた。侵入ルートを推測できるだけの欠片を拾い上げた解析班は評価に値します」
しばらく黙りこんだ後、細く息を吐いた。

「こちらをすっきりさせてから新しい任務に就きたかった気持ちも嘘ではないのです」
渋い声が、沈んだ彼女を労う。
手放すのは痛手だと、苦さ混じりに漏らした。

「当面の問題は人材確保です。優秀なのは元より信頼性がなくては務まりません」
人選は困難を極めると奥で呻きに近い声がした。

「それと同時に今一度CRDを洗い清め、壊死した部分は切り落とすべきです」
白い光を放つモニターに指を触れた。
羅列した名前が浮き上がり、顔写真が重なって表示される。

「しかし今は時間がありません。お見せした候補者の中からいくつか厳選してリストを作成しておきました」
彼女の置き土産に満足そうに顎を引いた。

「後継は確保してあります。聡明な人間ですので必ずや貴重な戦力になるでしょう。ただ少々堅物なのが問題ですが」
苦笑する彼女を奥に座る影は複雑な面持ちで見つめる。
彼女の実力を惜しみながらも新しい任務を与えた人間に彼女は微笑みかけた。

「暖かい南の島でやり甲斐のあるお仕事ができるとあって嬉しいのですよ。ご報告、楽しみにしていてください」
課せられた任務の重責は重かったが、それも彼女への評価の証。

「世界が胎動しています。私たちも動かなければなりません。代謝を止めれば腐りゆくだけ。生きるために、私たちは戦わなければなりません」






頬の上を流れる風が柔らかで、肌寒くも汗をかくほど熱くもなく。
囁き声のような草木のざわめきは心地よい眠りを優しく包み込む。

気が昂っていたんだわ。
胸の中が棘々していたんだわ。
ざらざらとした気持ちが底の方に沈殿していた。
いつもならばクレイが黙って側にいて、嫌な気持ちはいつのまにか消えていくのに。
微睡の中でセラ思いは言葉という形になる前に融けていく。

こめかみに温もりを感じた。
くすぐったくて柔らかくて少し幸せな感触に寝ぼけながら口元を緩める。
睫毛を震わせながら重い目蓋を持ち上げた。
もうしばらくこのまま微睡んでいたい。
しかし丸めた背中の向うに誰かがいる。

「こんなところで眠っているなんて。無防備にも程があるよ」
すぐ側にいるのに遠くから聞こえてくる。
眠りの壁は厚い。
重い腕を動かして、体を引き起こしてみるものの上手く意識が引き揚げられない。

「クレイ?」
掠れた声で名を呼んだ。

「外れ」
「あ」
少しずつ浮上してきた意識で名を呼んだ。

「レヴィくん」
「正解」
「どうしたの?」
「こっちがどうしたの、だよ。保護者はどこ?」
「わたしの方が保護者なの。クレイは出張中」
「また? この間行ったばかりじゃないか」
「それはわたしが言いたいわ」
頭の草を払って衣服を整えてレヴィ・ゲルフに対面した。

「おはようございます」
「おはようございます。お兄さんに会いに来たのでしょう?」
「そう。というのは建前で、セラたちやマレーラとリシーに会えたらなあって思って」
「マレーラならリシーと図書館の蔵書受付に行くって言ってたわ」
「そっか。だったらセラ姫を送り届けてから寄ってみようかな」
セラが先に立ち上がり、腰を下ろしたままのレヴィに手を伸ばした。

「小さな王子さま。わたしなら一人で帰れますわ。お心配りには感謝いたします」
演技染みて膝を小さく曲げるとセラの上に重ねたレヴィの手を引き上げた。

「マレーラ姫とリシアンサス姫と再会を果たしたら、大きな王子さまのところに行くのを忘れないで。きっと会いたがっているから」
「セラは?」
「クレイはいないし、午後の授業もお休みのことだし、ちょっと出掛けてくるわ」
「どこに」
「今は秘密。そのうちにね」
手を繋いだまま茂みを抜けて、人の流れが多くなってきた道に二人は戻る。






いつも変わらない。
ここに偽りはない。
庭園はいつも彩鮮やかな花に溢れている。
曲がりくねり、石段にまで手を伸ばした蔓や花壇を這う蔦。
木々は自由に身を捩る。

ここはね、私の椅子なの。
いい具合に垂れた太い木の枝に腰を下ろして幹に頬を寄せる。
過去がどうであれ、彼女は本当に透明だ。

セラを見つけて軽やかに駆けてくる愛らしい姿。
深い色をした髪は艶やかで飛び跳ねるたびに尾っぽのように跳ね上がる。

「こんにちは、陽花」
「おかえりなさい」
「うん、ただいま」
この言葉を聞きたくてここに通っている。

「いい言葉ね。おかえりなさいって」
「だって私にとってセラは家族だもの」
朗らかに笑う陽花に頬笑みを返すが顔が固い。

「クレイがいないと寂しい?」
「そうね。クレイはもう家族みたいなものだから。危ない目にあってないか今も心配でたまらない」
「私も、セラが来てくれないと寂しいよ」
小さな体でセラの腰にしがみ付いて服に顔を埋めた。












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