Ventus
128
医師の男が鼻を鳴らした。
ディグダ兵とディグダへの抵抗勢力との交戦が終わり、ディグダ兵は撤退した。
かなり激しい抵抗があったと見え、壁のそこかしこに生々しい血痕が尾を引いている。
乾いた地面にへばり付いた跡は毒々しい赤黒さを残していた。
「しかしきな臭い」
男は目を光らせ、指定されたルートを辿りながらも周囲に注意を払っていた。
「何も感じないか」
いきなり話を振られてセラは頭のチャンネルを切り替えるのに必死だった。
一般人がいきなり二階から襲ってきたり、医師の男に壁に叩きつけられたり、自分たちを殺そうとした男を治療して情報を交換して。
あの男は誰で、カルドとは何でという説明など一切ない。
整理する暇もないまま、医療器具が詰まった重い鞄を痺れる手で持ちかえながら歩いてきたのだ。
「経験などないに等しいですが、なんだかここは変です」
「俺からしてみれば、知識ゼロのお前さんがここにいることこそおかしなものだがな」
「勉強不足は痛感しています」
「ああ、ツテでも食いついてきたわけでもなかろうに、さっぱり訳がわからん」
独り言だろうが、セラには内容が理解できなかった。
「まあ、それとして。医学は頭だけじゃだめだ。目で見て手で触れて積んでいくものだ。確かに、お前さんがいうようにここは変だ」
一息置いて、隅々まで睨みつける。
一歩下がって隣にいるセラの上を通り過ぎた眼光が鋭い。
「あまりにきれい過ぎる。品のない先客どもは慌てて引き揚げて行ったはずだ。なのに何だこの片付きようは」
低く唸ったのち、突き上げられるように顎を撥ね上げた。
セラに声を掛けることを忘れていたのか故意なのか、一人で足早に先へと進んでいった。
彼も荷物を抱えているというのに目を瞠る体力だ。
さっきの俊敏な動きといい、本当に医者なのか疑いたくなる。
左手の壁に張り付いては建物と建物の隙間に顔を突っ込む。
目ぼしい食べ物はないものかと嗅ぎまわる野良犬のように、次の隙間、道を横切って右のダストボックスを開く。
ディグダの統治に不満を募らせ、小競り合いが絶えない町だった。
治安も地域環境整備なども後回しになる。
不衛生をそのまま突っ込んだ路地裏と建物の隙間を探り、掻き出している。
腕章と制服がなければ変質者だ。
制服があっても怪しいのは確かなことだったが、行為自体に価値があるように見えてくる。
実際考えがあって家屋の隅を探っているが、説明を受けていないセラにとっては野良犬の用にしか見えない。
「ああ、これもだ。それにしてはやり口がお粗末だ」
そう言って引っ張り出したのは人の腕だ。
ただそれには精気がなく、弛緩して蝋のように白い。
「こうして建物の陰に死体を押し込める。ディグダ兵がしたことなのですか」
「確証ではないが」
セラに答えながらも手は折り重なった死体を掘り起こす仕事を休めない。
引きずり出され、セラに押しつけられる。
指示のままセラが脇に両手を当てて二体を地面に並べる。
人間の体というのは存外重いものだ。
加えて、人の肌のはずなのに生きていないとなると途端まったく別物の「物」のような、人工物のようにすら思えてくるから不思議だった。
血の通わなくなったそれは生きてはいない。
人の肌だったもの、人の肌に似たもの。
霊や人の魂の座について考えたことがないが、目の前に並んだ二体には人としての何かが欠落してしまっていた。
生きてはいない、呼吸はしない、代謝はしない、体液は循環を止め、細胞は死と再生の輪を断ち切り、ただ朽ちて行くだけだ。
それでもこれはかつて人間であった肉であり骨であり皮であったはず。
死という一線を越えてしまうと、同じ肉体、同じ細胞で構成されているものであっても、まったく異なるものに転じてしまう。
奇妙な話だ。
そして生と死とを思う。
焼けつく地面に二体を並び終えたその両手に目を落とした。
頭で思い、指を動かす。
開いては閉じる。
薄く密着した手袋の下で、筋肉が収縮し、筋が張り、関節が動く。
当り前のことも、生きていることすら、大量に転がった死の前では奇跡のように思える。
「何か気付いたことでも」
腕を取り、転がして首筋を調べる。
薬剤スタンプの跡がある。
「ご丁寧に叩き潰しているが」
指で押したり傷口を寄せたりして形を整える。
「でもおかしいです。この治療痕。認可されているものとは違う形状だわ」
抗生物質をスタンプで肌から投与する。
軍で支給されるスタンプに似ているが、模様が違う。
「証拠隠滅のために潰したはいいが、詰めが甘いな」
「意味が分かりません。治療、したのでしょう?」
「もっとよく考えてみろ」
「でも」
「でももだってもここには必要ない。これ以上甘えたことを吐くなら帰れ」
憤りと悔しさに熱いものが胸に上がってきたが、唾と一緒に飲み下した。
「治療をしたと見せかけて、殺したんですね」
「考えるまでもない。頭を冷やせ。できるのは」
「わたしたちと同じ、医療班」
傷口に指を添えた。
血が生乾きだ。
それほど時間が経っていない。
医療班が到着して大慌てで撤退したディグダ兵たちが、治療痕を叩き潰した上路地裏に詰め込むなど手の込んだことをするはずがない。
しかし、目的が分からない。
「目撃者だったからだろう」
セラの頭の中を読んだように男が先に口に出した。
「ルート検索!」
屈強な医師が太い足を地面に突き立てて立ち上がった。
まるで突撃の号令を放った指揮官のようだ。
移動しながらセラが端末を開く。
「一一四一ルート」
「それってこのルートじゃないですか」
「先行者はいるか」
「該当者ありません。わたしたちだけです」
「設定ルートの逸脱者は」
「それもありません。どのチームも予定されたルートを辿っています」
「ダミーを走らせてやがるな」
男が顎に手を当てて、片方の手に乗せた端末の中を睨みつけた。
「新規ルート設定もなしか」
「そろそろちゃんと説明してください。わたしはディグダ兵および民間人負傷者の救護としてここに派遣された、ただの学生です!」
「カルドだよ。お前だって、もう」
「そんな、勝手に訳のわからないことに巻きこまないで」
「お前さん何をした?」
「何って」
目の前が暗くなる。
脳みそがかき混ぜられたように混乱の渦に呑まれる。
医師は端末をたたみ、腰のホルダーに仕舞いこんだ。
「CRD。後は調べろ。ディグダ兵がさんざん暴れまわって蹴散らした民間人の救護に来た。俺たちはディグダに属しているが奴ら抵抗勢力の敵じゃない。だが不穏な奴らが混じってるのは確かみたいだな」
「わたしたちのルートに先回りして侵入したと?」
目的を問おうとして、先に男の口が動いた。
「探し物があるんだろうよ。生存者は」
「記念館と集会所です。集会所はわたしたちのルート上にあります」
「臭う」
「え?」
「急ぐぞ」
建物は固く扉を閉ざしている。
生き残った民間人は避難しているか、扉を固く閉ざして息をひそめている。
「何の臭いです。焼けるような」
「そのままだろう」
臭いが濃くなる。
火の手は見えないが、建物の裏側から黒い煙が上がっている。
目の前に広がったコンクリートの箱。
屋根には煉瓦色の屋根が乗る。
煙は建物の別館から細く上っていた。
「ええと、消火チームに」
「通達済みだ。トロトロすんな、行くぞ」
現場は本館の裏手、医師とセラは庭を回り込んで中庭に入る。
蹴破られた扉が渡り廊下にガラスの破片を撒き散らして倒れていた。
「火が」
「ボヤ程度に何怯んでんだ」
「どうしてルートに介入してくるんです」
「まだ言ってるか」
「わたしは素人なんです。こんなのに突然投げ込まれても」
「サービスだ」
「え」
「抵抗勢力の中枢を消去、燃やしてしまえば証拠もなくなる」
「ひどい臭い」
目に沁みる。
劣化と破壊で窓は抜けていたが部屋に空気が籠っている。
前が見えないほどの煙ではないが、臭いは濃い。
進む先に死体が転がっている。
火傷を通り越し、どれもが見事に体だけ焼け焦げている。
酷い有り様に、セラは吐き気を堪えて手で口を押さえつけた。
「地下だ」
「この建物に関する地図はありません」
「階下への階段を探す」
集会所の地下にいると一言で言ってくれたが、集会所の一階部分の面積は相当なものだ。
「ここはずっと以前は劇場だったんだな」
細い廊下に並んだ楽屋。
その奥の稽古場には机と椅子が持ち込まれ、書類が散乱している。
「だとしたら厄介だ。奈落は入り組んでるぞ」
舞台の裏側に地下へ入る階段を見つけた。
深く沈んでいくにつれ埃とカビ臭さが前から襲ってくる。
慎重に進んで行く中、大道具の陰で大きな音がした。
怒声と揉み合いぶつかる音が壁を揺する。
「そうか、そういうことか」
男が舌打ちをする。
セラは額から流れる汗を袖で拭いながら男の言葉と行動とに神経を尖らせる。
「炙り出しだ。医師の皮を被って要人殺害するような裏切り者のな」
「カルドとかという、あなたが属しているものの裏切りですか」
「腑に落ちない点もあるがな。不認可薬剤スタンプにしろ、上手い具合に死体だけローストした点にしろ」
奈落が半ば物置になっていたのは幸いした。
奥の壁あたりは電気が引かれ会議室のように整えられていたが、手前にはすてられたピアノや中が詰まっているのか定かでない楽器ケース。大道具に小道具が投げ捨てられている。
陰に身を寄せながら暴れる二人へと身を寄せて行く。
二人の力の均衡が崩れ、片方が馬乗りになったところで、距離を詰めた医師が合図なしに飛び出した。
前傾姿勢で縺れる二人に体当たりをする。
複雑に折り重なる三人の後方で出遅れたセラが驚きに震える唇を薄く開いて、状況を傍観していた。
どんな鍛錬をしてきたのか、厳つい肉体は飾りではなかった。
馬乗りになっていたディグダ医療部隊の制服を引き剥がし、組み敷かれていた方を太い足で蹴り飛ばした。
大道具に背中から衝突し噎せている私服に背中を向け、同じ制服に身を包んだ二人が組み合っている。
形勢はセラと組んだ男の方に有利だ。
二人転がりながら、会議用に組まれた椅子をなぎ倒し抵抗する。
獣のような咆哮が体の下で抵抗するディグダ軍医から上がり、耳を塞ぎたくなるような強い叫びとともに、鈍く折れる音がする。
セラは耳に両手を当てて床に膝を付けた。
だらしなく垂れ下がった手の指は、本来ない曲がり方をしている。
握られていた器械がセラの足元まで飛ばされてくる。
薬剤スタンプだ。
「終了だ!」
寝技を仕掛けて相手の動きと戦意を捻じ込めた軍医が太い声を上げる。
セラは慌てて端末を引き出すがそれより早く、動く影が目の前を覆った。
男の一言を待ちわびていたかのようにタイミングを計って現れた二つの影に、セラは動揺を隠せなかった。
「ご苦労様でした」
品の良い声が場違いな埃っぽい部屋を抜ける。
少し低い女性の声だ。
もうひとつの影が手早く苦痛と屈辱に呻く男の腕や足を拘束していく。
「いけ好かねえな。ずっと見張ってた訳かよ」
「間に合わなかったら私たちが手を下していただけです」
「そいつがここに現れた時点で仕事は終わってたはずだろうが。俺を待たずに始末すればよかっただろう」
女と軍医とのやりとりの最中にも、女性とともに現れた線の細そうな男は仕事を続ける。
乱暴に軍医に蹴りつけられた抵抗勢力の要人を引き起こし、問診を始めている。
「生憎、武闘は不得手としておりますので」
その返答を軍医が鼻で笑い飛ばした。
「しかしローストの正体はそれか」
男が目を落とした先には、拘束された男の左手がある。
装着されたグローブのような機械は見たことがない。
「何だったか、ベイス?」
「ええ」
「気味の悪いもんに手を出しやがって」
「この一件でそちらのデータも収集できました。遺体は回収済みです」
「仕事が早いな」
「裏切り者はこいつだけか」
「さあ」
「まあいい。おいエルファトーン」
呼ばれて立ち上がった時には、蹴飛ばされた男は救護していた男とともに消えていた。
「輸送車を裏に回しております」
「裏まで運ぶから手伝え」
「は、はい」
小走りで医師に走り寄る。
「可愛らしいお弟子さんだこと。あなたは荷物持ちをお願いね」
微笑んだその足下に、これから運ぼうとしている男が体を捩じっている。
セラの器具に医師の器具、拘束された男の所持品を手早く指示する指先は、楽器でも扱う手のように繊細な指をしていた。
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