Ventus  123










草花の芽吹きは生きる力を与える。
凍える涼季に身を固くして眠りについた蕾たちは、暑季の温もりを感じてほころび始める。

季節と季節の繋ぎ目は滑らかで、温度も風の柔らかさも緩やかな波線を描く。
穏やかな変化、廻りゆくもの、流れ去るとき、絡み合った糸のように。
そして頬の隣をふと過ぎる風のように。

繊細な動きにはっと気づく瞬間が、愛おしく思えて同時に当たり前にそこにある物事に幸せを感じた。
それが、あわれというものなのだよと教えてくれた人がいた。

言葉を覚え、学ぶことが愉しいと感じられた。
ようやく生きるということが何なのか真っ直ぐ考えられるようになった。

振り返ってみる景色がぼんやりとしているのはきっと、目の前から押し寄せてくる知識や経験の波にかき消されていくから。

名は存在を表す。
名を与えられ、個が成った。
場所ができ、座ができ、見回した世界は深遠なのだと歓びを感じた。
感謝しきれない思いを胸に抱え、報いきれない恩恵をただ享受するしかできない。
それでいいのだと言われても、捧げられるものなど何もない。




陽花(ヤンファ)は窓ガラスに手を貼りつけて、外のざわめきに耳を済ませた。
場所が違えば外の様子もまた違う。
ひと段落すれば、庭を見て回りたい。
川を引き込んであると聞いていた。
魚が棲んでいて、今の季節は水中花が白い花をつけるのだと話してくれた。

窓の外には林が茂る。
掻きわけるように探してみたら見つかるだろうか。

「お手伝い、いたしましょうか?」
驚かせるような尖った声でない、柔らかい声音に陽花は首を巡らせた。

窓の側に据えてある、身の丈に不釣り合いな大きい寝台の上を、両端から服が並べている。
荷解きに人を充てるという話が出たが、陽花が丁重に断った。

与えられた大切なものだから、手に取って貰ったときの思い出に浸りながら、梱に詰めていきたかった。
永遠に屋敷を去るわけじゃないのだから、服は置いていってもいいと言われたが、不器用ながらも丁寧に長い時間をかけて荷造りをした。

車を使わなければ首都ディグダクトルからとても来られない別邸から、郊外にまで居を移した。
陽花に馴染んでいた屋敷の者たちも、何人かを引き抜いての移動となった。
荷の少ない陽花よりも、それを取り巻く人間たちの移動の方が大がかりなものとなった。
だがさすが主から下への教育が行き届いており、大移動も周囲がざわつく程度で、埃を撒き立てて上を下へと大騒ぎは起こらず粛々と進んだ。
昼間に纏められた荷は夕刻には玄関脇の広間に積まれ、夜に運び出されていった。

明くる朝、陽花と侍女らが新居に移ったときには陽花が望んだ通り、部屋に梱が大人しく並んでいた。

「だいじょうぶです。あちらの衣桁に掛けておけばよいのですよね」
「そうです。けれどお一人では大変ですわ。ご衣裳は丈が長くとってございますし」
心配そうに手を頬に当てている侍女も、陽花と数年しか年は変わらない。

「このお部屋の衣桁は小さく作ってくださっていますし、手を伸ばせば十分にとどきます」
移った部屋は何もかも陽花の仕様に揃えられていた。
着物を掛ける木工の衣桁は二段作りになっており、陽花が自分で脱ぎ着できるような高さで壁際に置かれていた。
広い窓の前には細工の見事な文机が重く堂々と鎮座していた。

「しかし夕刻にはカーティナー様とエルファトーン様がお見えになるのですよ」
「聞いていないわ」
少女らしい甲高い声が部屋の空気を貫いた。

「先ほど一報が入りましたので」
「どうしましょう」
長い袖を振り、両手で頬を包んだ。

「ご夕食もご一緒なさるのでしょう?」
「ええ」
「お迎えするまでにお部屋を落ち着かせなければ」
陽花はいよいよ困ってしまった。
梱はまだ開けていないものがいくつか残っている。
中を空けたものも、衣桁に収まっているかといえば寝台に横になったままだ。
このまま放り出して部屋を出たり、部屋に招いたりできるはずもない。
恥ずかしさが先走るが、それと同じく悩む種はあった。

「女史の目にでも触れるようなことがあれば」
陽花はあえて意地悪いことを口にする侍女を軽く睨みつけた。
女史とは陽花に付けられた教育係の女性だった。
勉学には各専門分野で別途教師がついていたが、それ以外の作法であったり、教養や生活態度まで日常生活を彼女が担当していた。

「考えただけでも恐ろしい」
侍女がこっそり呟いた言葉は、しっかりと陽花の耳に届いた。
よほど苦手にされているらしい。

「あの方がおっしゃっていることは正しいわ。注意なさるのは私が粗相をしたから」
着物の畳み方、服の着付け、仕舞い方、食事の作法、花の手入れの仕方。
それが躾というもの、と女史は口癖のように言っていた。
文字の通りに、身を美しく保つための術。
何も一人でできない空っぽのお嬢様など、恥ずかしくて表へなど出せません。
鞭で叩くように言い放つと、いつも陽花の周囲を見回した。

「陽花様はきちんとなさっていますよ。それでもあの方は」
「ちゃんとみとめてくださっています。お部屋を見まわして、注意されたところがきちんとされていたら、わずかに目を細めるのです」
よろしい、と言葉にしないが目が語っていた。

「やはりお手伝いしたほうがよろしいのでは?」
女史を引き合いに出して迫って、ようやく陽花の首を縦に振らせる。
侍女が梱に張り付き、陽花も彼女が開いた荷の中身を受け取った。






「そうね、鉢のほうがいいわ。蕾は堅く結んでいるもの。だってこれから開く楽しみが増えるでしょ?」
「一つでいいのか」
「一つでいいのよ」
鉢を一周してリボンを結んでもらい、袋へと入れてもらうだけ。
簡単な包装だったが質素な分、花の可憐さが引き立っていた。

軽やかに階段を駆け上ると、学生カードを駅の改札に翳して、目の前で停車した電車に乗り込んだ。
学生らしい爽やかさや瑞々しさに、電車の空気は満たされた。
車内の端から目を向けていくと、やはり私服ではあるが学生らしい姿がちらほら見受けられる。
並んで窓際に立って、電車のリズムを刻む小さな振動に身を任せ、窓枠に切り取られた景色の断片を眺めている時間が心地いい。
平日学校に縛られている子供たちの、週末だけの解放だ。
環状の線路を走る電車は窓から下に街を見下ろす。
目線と同じ高さに流れていくオフィスビルの中では、休日だというのに中で人が動いていた。
ビル群が途切れると目の前の風景が開けた。
バラックの屋根が密集している地域が過ぎる。
眠っているネオンや歪に乱立している看板の歓楽街を貫いたころ、商業ビル群で再び立ち止まった。
人の流れはここで捌ける。
一気に人気の少なくなった車両には、新聞を広げている老齢の男性や、ベビーカーを覗きこみながら乳児に話しかけている母親の微笑ましい姿があるばかりだ。

電車が閑散とした駅で停車した。
クレイがセラの腕を引いて降りる。
この駅の改札をでたところで車が迎えに来ているらしい。

本当は学校で拾ってもらうことになっていたが、買い物をしたいというセラの要望に沿って、最寄駅で落ち合うことに話がまとまった。

「お迎えはバートン先生?」
屋敷へ訪問するとき、連絡はクレア・バートン経由で行っていた。
直接屋敷に連絡をせず、教師経由で一見面倒にも思えるが利点はある。
教師絡みで都合がいいのは、遅く帰宅しても咎めがないことだ。

「他の奴を寄越す、と言っていた。誰かは知らない」
駅を出て立っていろ、と返事が返ってきただけだった。
実際、駅を出てセラとクレイが立ち止って二分も経たないうちに声を掛けられた。

「カーティナー様とエルファトーン様ですね」
クレア・バートンの関係者で、重苦しい人間を想像していたが歌うように軽やかな声に拍子抜けした。
皺のない白いシャツに淡く青いシフォンスカートの少女が立っている。
アームブレードの訓練時に、容赦なく人を弾き飛ばして、千切り投げんばかりの豪快かつ豪胆なクレア・バートンとは印象がかけ離れた少女だった。
まだ黒塗りの車に、厳つい体格の黒尽くめの男が立っている方が納得できる。

「お迎えにあがりました」
学校から屋敷に行く時は、今までクレアか軍の関係者らしい人間が車を出していた。

「お車はあちらに。お荷物、お預かりしますね」
セラも雰囲気は穏やかだったが、この少女は雲の上でも歩けそうに浮世離れしていた。
この空気はどこかで感じたことがある。

「屋敷の方ね」
「ええ。いつもは違う服装なのですけれど」
屋敷の人間たちはみな、外に出ればどこから来た旅行者かと言うほど、繁華街には不釣り合いな衣装を着こなしていた。
それが屋敷に一旦踏み入れると、衣装も家具もすべてが雰囲気に同調していて違和感を感じないのだった。
彼女はやはり、屋敷の中の人間なのだとクレイは改めて感じた。

小ぶりな車の扉を開けて、少女がクレイとセラを車に乗せた。
自らも回り込んで運転席に座る。

「運転するのか?」
「安全運転で参りますのでご心配はいりませんわ」
「いや、運転スキルのことではなくて」
「ちゃんと免許証は取得しております」
スカートのポケットからカードを取り出して翳したが、免許証など手にしたことがないクレイにはどこを見るべきか分からない。
言葉を信用して、背中を椅子に落ち着かせた。
車は動き始める。
車の流れがある一般道から、細い道に入っていく。
ディグダクトルにこんな場所があったのかと、驚くほど緑の深い場所に入る。

「このあたりからお屋敷の敷地内です」
運転し慣れているのは確かのようだ。
滑らかに屋敷の前に横付けした。
扉と並行に停車できているし、ブレーキも丁寧だがもたつきはなかった。

扉を開けられ、セラとクレイが案内された。
今まで陽花の邸宅を幾度となく訪れたことがあるが、この屋敷の構えは今まで以上に荘厳だ。
華美ではなく、彫りものが細やかで森と言っても過言ではない庭が広がっている。

空気は爽快な水気を孕み、風が匂いを攪拌する。
火が入れられていない石灯籠が通路を挟み、眠ったように佇んでいる。
外の気配を察して屋敷の玄関を潜って侍女らが迎えに出てきた。
駅で出迎えた侍女のような軽装ではなく、こちらはきっちりと帯と紐を締めていた。
長い裾を脚に絡ませることなく器用に歩み寄ると歓待の挨拶を一つ、すぐに奥へと招き入れた。
屋敷の玄関で聞く第一声はいつも同じだ。

「マア!」
裾を持ち上げながら走るのが随分とうまくなった。
最初のころは派手に廊下で転んで滑っていたものだ。

「セラ!」
飛び付くと短い両腕で二人同時に抱え込んだ。

「引っ越しは落ち着いたか」
「手伝ってもらったの。今日だけよ」
「お部屋、見せてもらっていい?」
「案内するわ。こっち、セラ」
温かく頼もしい手のひらで、セラの指先を握り込んだ。












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