Ventus  117










エレベーターシャフトを焼け焦げた臭いが上って来た。
敵も味方もなく爆風に捲かれ、下層は凄惨な様子なのは想像できた。
通信機が壊れただけなのか、所有者諸とも吹き飛ばされたのか、生存者、負傷者ともに連絡は入ってこない。
懐に握りしめた通信機を入れようとして、腕を蹴り飛ばされた。
振り向きざまの的確な動作に、迂闊にも不意を突かれてしまった。
手首を蹴り上げられ、弾き飛ばされた通信機は地面で跳ねて手から遠く離れた。
慌てて飛びつこうとした目先を大きな影が過ぎる。
つい目の前にいた男がクレイの横をすり抜けたかと思うと、床に転がる取り落とした通信機へ足先を思い切り打ちつけた。
濡れた地面を勢いよく滑る鉄の塊。
屋上の柵の隙間を潜り、縁で止まるかと思いきや無情にも行き過ぎる。
頑丈な作りの通信機だろうが、屋上から落とせば粉砕する。

クレイは身を翻して男にブレードの刃を振るい、威嚇で刃先を止めた。
しかしブレードの動きが視界が追いついたところに、男の姿はなかっい。
動きが早い。
クレイも訓練を積み反応速度には自信があったが、その予想をも上回る。
ただの筋肉ばかりの巨体ではない。
全然追いつけていないではないか。
冷汗が米神を湿らせた。

雨脚は若干弱まったが、風は吹き荒ぶ。
身を起こしたクレイの黒髪は風に巻かれ、クレイの斜め前で距離を取って仁王立ちする男の堅そうな髪も逆立っていた。

「私たちは、人を殺しに来たわけではない。大人しく投降しろ」
「何を今さら」
嘲笑はクレイの技量に対してか、ディグダ軍に対してか、クレイは判別できず口を閉ざして、男の細かな行動も見逃すまいと目を見開いた。

「ディグダは俺たちに何も与えちゃいねぇ。奪うだけだ。反抗勢力だ? 秩序のためだ? 田畑を踏み荒らし、作物を根こそぎ引き抜き食い散らし、酔っ払いはその上で高いびきだ」
撒き散らされる建て前と偽善に反吐が出る。

「戯言はお終いにしようぜ。ディグダに身を置けばディグダに染まる」
男は長い武器を揺すり雨水を払った。
構えて息を鎮める間もなく、男が飛び出した。
両手で引き摺るように剣先が下がった大鉈が空気を裂く。
あれだけの長さの鉈を振るえば、遠心力に体が引っ張られるものだろうが、男の体軸は安定していた。
唸る刃を半歩下がって躱したが、刃を反して足下を狙われた。

実戦経験の乏しいクレイが評するのもおかしなものだが、男の動きは戦い慣れしていた。
型通りの洗練さは見当たらなかったが、ただ力で制するのではなく動きに切れがある。
クレイが次に出す手を読んでいる。

力負けしている今、男を説き伏せようとしても見苦しい言い訳か必死の命乞いのようで何を口にしても空しく響くだけだ。
ディグダ軍の状況は通信機が手元にない今把握できない。
途切れた所在地反応で応援に駆けつけてくれればいいのだが、下層の惨状すら確認できない今は、応援もすぐには期待できない。

クレイは背筋を伸ばし覚悟を固めて、アームブレードを胸の前で横倒しに構えた。
伏せていた瞼を引き上げる。
視線が無数の波紋を広げる地面を滑り、向き合った男を見据えた。
集中が雨音を消した。

クレイが力を込めて踏み出した一歩とほぼ同時に男も動いた。
先ほど捉えられなかった剣先は男を掠る。
追いつけない、捉えられない。
悔しさと焦りと迫る死への恐怖は目の当たりにしないように意識を反らした。

鼻で吸った息を、口から細く吐きだす。
集中が途切れないように、慎重かつ冷静に相手の手元を読むように。
一度、気分が追い詰められれば緊張を呼び、筋肉は硬直してしまう。

ブレードを斜め上に叩き上げる。
躱されて、大きく開いた胸を左腕で巻き込むように、体を転じて水平へ。
またも右手に遮られる。

骨の音でも肌の色でもない、鈍色の金属音は明らかな義手だった。
生来の腕ではない物を、遜色なく扱う。
肉体改造だけではない強さが男にはあった。
そもそもの戦い方が違う。

男の剣を寸でのところで避けて反撃態勢を取る前に、男の体は沈みクレイは足下を掬われた。
一瞬のことに受け身を取ることもできずに腰から見事に崩れた。
痛みに息が止まったが、緩慢になった体を叱咤して起こそうと地面に両肘をついた。
いきなり額に正面から衝撃が来た。
状況が把握できないのと額が受けた振動で頭がすぐに反応しない。
顔に張り付いた手を剥がそうと必死でもがいた。
左手は顔面に被さる手に爪を立て、右手に装着したアームブレードを見えない敵へ振り回す。
できる限りの抵抗を試みたが、唯一の武器であるアームブレードは腕ごと男に踏みつけられて抵抗の術を失った。

顔を片手で持ち上げられる。
痛みと同時に絶望が襲った。

「よぉ。学校で体術は教えちゃくれなかったのか」
男の手の中、し辛い呼吸を精一杯確保するだけで精一杯だった。

「中途半端な知識と技量の素人がこんなところにのこのこ来るのが悪かったな」
お家で大人しくしておけばよかったものをと鼻で笑いながら、クレイを引きずって屋上の端へと歩いていく。

首だけを屋上の縁から出し、開けた地上の景色を突きつける。
男はクレイの前髪を掴み、顎を突き出させるように首を持ちげた。 その視界の端で、クレイは二人のディグダ兵の背中を見た。
彼らの制服は駐留兵だ。
二人がかりで一人の優男を殴り続けている。
髪を引きちぎらんとばかりに引っ掴んで振り回していた。
最初は頭を掴んでいるディグダ兵の手を、男が手で剥がそうともがいていたが、やがて抵抗は止んだ。

「この街は腐敗水に浸ってしまった。汚れを落とすにはどうすればいいか」
クレイは突如体を跳ね起こして男の脇腹に蹴りを入れた。
致命的ではないにしろ、距離を取るぐらいには威力があった。
足裏が感じた感触は確かな肉の重みだった。
改造しているのは純粋に腕一本だ。

「俺はこの腕で飯を食ってきた。この腕に尊厳は宿っていた。腕を失い、組み上げ途中の精密機械に触れることもなくなることがどういう意味か分かるか」
男は生きる意味を失い、新たな意味を模索し始めた。
それ以上男は語らなかった。

精密部品組立てで名高かった地域だ。
金属加工技術は評価が高かった。
ディグダ兵に腕を落とされたと同時に、彼のすべてをも切り落とされてしまった。
造り物の腕では昔のような繊細な動きは取り戻せない。

クレイは再び蹴り飛ばされ、水に濡れた屋上の床に転がった。
動きが捉えられない。
体のあちらこちらが痛み、重くて自由にならない。
砂と埃の臭いがする水に頬を浸していると、腿に一瞬冷たさが走る。
やがてそれは痛覚に変わる。

屋上へ付き立てられた男の武器はクレイの脚を裂いていた。
もう終わりにしてやろう、ひたひたと死の空気が忍び寄る。
クレイは肩を浮かし、つき立てられた刃が擦れて傷が裂けるのも構わず、重い右腕のアームブレードを腰を捻って持ち上げた。
男の腹に刃が刺さる。
頭上の落ちそうな転落防止柵に左手を押し付け、クレイを跨いだ男の下を、仰向けのまま勢いよく滑走した。
体を持ち上げて、溜めを持たずに一気に脇腹を曲げた男の背中へと詰め寄る。
背中を袈裟に大きく切る。
崩れそうな男の左肩へブレードを振り落とした。
おびただしい血の池がみるみるうちに広がっていく。

脚を引き摺ったクレイの下にも雨水に流されて絵の具のように滲んだ赤が水の上に広がっていく。

男は胸をクレイに向けて喘いだ。
柵は男を支えきれずに軋んで落ちた。
背中から倒れた男は灰色の空を仰いだ。
濃い灰色の空だ。
こんな味気ない空を見ながら死にたくない。
腕を伸ばして腹ばいになり、屋上の淵へとにじり寄った。
脚をやられたクレイはそれ以上動くことができず、男の行動を制止することも止めを刺すこともできずにいた。
男は右の義手を縁から下へと垂らす。

雨に打たれていたクレイは、冷えてきた頭をふと持ち上げた。
深く傷を負った脚を引き摺りながら、男へとにじり寄る。

「どうして避けなかった。私に背を向けて」
大人しく背中にブレードを受けた理由が分からなかった。

「どうせ死ぬなら地の底なんかじゃなく、街を目に焼き付けてから死にてぇよ」
男の灰色の義手を赤が伝う。
遥か下方には男が付き落とした柵が割れていた。

「お前たちで汚された街だが、俺にとっては生まれて生きてきた街だ」
男の人格も生き様も築かれてきた環境。

「捨てたくても捨てられねぇ場所だ」
こんな屋上に来てもいずれは捕まるか殺される。
抵抗できるだけ抵抗して、最後。
自分の死に場所ぐらいはディグダに奪われたくはない。

クレイが再び男に顔を向けたとき、男は口を開いたまま、目は光を失っていた。

男の最後に見た世界は何だ。
クレイはもう一歩、縁へと這いだした。

路地の間を埋めるようにごみ山が詰まっている。
その上に泥塗れの服が投げ捨てられていた。
よく目を凝らして見た。
先ほど無抵抗で殴られ続けていた男の、冷たくなった背中だった。












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