Ventus  114










逃げられない大勢でありながら、なおも抵抗していた。
抑え込むディグダ兵に噛みつきそうな勢いで抗いながらも、緊張と疲労とで肩で息をするクレイを上目使いに睨みあげた。

「小さな、こんな子供まで巻き込むというのか」
向けられるべきは憎しみではないのか。
訛が濃く現れて聞き取りにくかったが、確かに彼は皺の寄った汗で光る苦しげな顔で哀しみを訴えていた。

「私は、私のことか」
「子供が、子供を殺すというのか」
この男は混乱しているのだろう。
工場施設に子供の姿などなかった。
労働者として働いている情報もない。

「子供などいない」
「何も知らずにここにいるっていうのか。何も分からないまま人を
殺し続けるって言うのかよ。何も見ないまま、知らないふりを続けるのかよ。腐ってやがる」
絶望の底で汚泥のように泡立つ怒りが呻きとともに浮かび上がる。

「そんな腐った奴らに、俺の娘は、殺された!」
泣いて、憎んで、悲しんで、恨んで涙が尽きた果てにあるのは何だろう。
男は、苦しみの果てにある僅かに残った怒りだけで跳ね起き、拘束しているディグダ兵を弾き飛ばした。
ディグダ兵は受け身を取りそこね、壁かコンテナにぶつかったのか堅い音を立てた後、静かになった。
獣のように息を荒く、真っ直ぐに敵意を向けてくる男に圧倒された。

「ディグダで失った。妻さえも! あっけなく死んでいった」
腰から取り出したナイフがクレイの顔に向かって飛び込んでくる。
両目が切っ先を捉えていたが拘束されているわけでもないのに体が動かない。
男の腕は鉛玉を結わえたように重く鈍かった。
子供でさえ避けるのが容易な動きだが、クレイは目を見開いたまま男の目を見据えた。

切っ先はクレイの鼻先で右に反れ、頬の皮膚を薄く裂いて背にしている壁へ突き立った。
脆い壁が砂を散らし、クレイの肩に降りかかった。

「私はここに事態の鎮圧のために派遣された」
最初からこの男はクレイを殺すつもりなどなかったのではないか。
殺意を持った人間を前にすれば、もっと背中が引き攣るはずだ。

「お前、学生か」
「どうして、分かるんだ」
「正直な奴だ」
「抵抗しても無駄だ。ディグダ兵が周囲を包囲している。逃げられないぞ」
「そんなこと元より分かってるさ」
多勢に無勢だ。
本気で押しつぶしにかかった政府に、小さな街の一抵抗勢力が牙を剥いたところでどうしようもない。

「だけど俺は、生きる意味すべてを失ったんだ。最愛の妻、最愛の娘、奪ったのはディグダだ。娘が何をした? 妻がお前たちに何をした? 静かに生きていただけじゃないか。なあ。なあ!」
ナイフを振り落とし、開いた両手はクレイの襟元を掴んで揺さぶった。

「ディグダが、殺したのか? 理由もなく?」
「俺はまっとうな時計職人だった。地味に家に籠って預かった時計を修理するか、余所へ出張して修理する、時計相手の仕事だ。それが何で」
何で。
最後はしゃがれた声で泣き崩れた。
涙は出ない。
そんなもの、とうに枯れ果てた。

「それで、本当に抵抗勢力になってしまったわけか」
嫌疑を事実にしてしまった。
すべてを失った彼に行き場所などなかった。
愛しいものがいない家はただの空っぽの箱だ。
家庭ではなくなった。

「何の疑いもなく、殺すのか。そんなことが」
「俺のところだけじゃない。あいつらは搾取なんて可愛らしいものじゃない。まるで山賊だ。家財から何から強奪していった」
「ここに駐在しているのは、治安維持の部隊じゃないのか」
「人の道を踏み外し、悪行の限りを尽くす、あいつらが治安の維持だと? 人間ですらないあいつらに規律などあるものか!」
反論はできなかった。
クレイはディグダクトルしか見ていない。
陽花を救い出したときの状況ですら、ディグダ軍の立場はあくまで
住民の避難勧告と反乱組織の包囲だった。
学生は善き軍人となるために訓練生として技と知識に磨きをかけた。
それを全否定するような非道で卑劣な軍人がいるとは想像しがたい。

興奮して力が入り締め上げられた襟が喉に食い込む。
動脈が狭められ息が詰まる。
このままでは意識が飛ぶ、そう思い男の両手を振り切った。
背にしていた壁を蹴り、男の手の届かない場所まで転がり出ると、四つん這いになって咳きこんだ。
頭が腫れ上がったような頭痛、血管は米神を殴りつけるように脈打った。

瞬間無防備であったはずのクレイに圧し掛かることもなく、男は追撃はなかった。
殺すつもりはなく、勢い余ってクレイの首を絞めたので軽傷で済んだ。
薄く目を開いて、息が落ち着いてきたクレイの前に、項垂れた男の頭があった。
惨めで哀れだ。

「いつ、なぜ」
荒れた喉が絞り出す声を汲み取り、男は濁った眼を上げた。

「一年前だ。外出から帰った俺が扉を開ければ」
垣根から家の敷地内に入った瞬間、嫌な予感がした。
いつもとは違う、淀んだ空気が満ちていた。
第六感に優れているわけではない。
見えないものが見える体質でもない。
家の周りと中に起こったいつもとは違う小さな変化が総合して違和感に変わったのだろう。
例えば玄関前についた足跡。
扉を挟んだ内側から漏れる異臭。

鍵の空いた扉を開けると、異様な空気が流れ出た。
奥に進んだ居間で見た惨劇は、言葉にできない。

血溜まりの中に妻が横たわっていた。
息など確認するまでもなく惨殺され、服裾から飛び出た足は蝋燭のように白かった。
男は構わず走り寄り縋り寄り、夢なのだと咆哮した。
子供の姿がない。
自分の膝に縋りついて離れない、まだ幼い娘はどこに。
見回して居所が知れた。
居間から降りられる裏庭に、塵のように投げ捨てられた服の塊は紛れもなく娘だった。
飛び出し持ち上げた体は動かなかった。
引き摺られた血の痕はない。
文字通り投げ捨てられたのだろう。

話を聞く限り、ディグダ軍の侵入は考えられなかった。

「襟章が落ちていた。駐留している下級兵のものだった」
残った靴跡、近所の証言で固まった。
だがもうどうでもよかった。
もう男に守るべきものはない。
踏み潰されてしまったのだから。


彼の子供だけではない。
他の家族も軍に抑圧され、嬲り殺された者もいた。

「だから俺は、ディグダ兵を血溜まりに叩き伏す。啼こうが喚こうが涎を垂れ流そうが糞尿に顔を埋めようが、それが俺の」
言いきる前に男の首にアームブレードが叩き込まれた。
落とせるほど鋭い切れはなく、骨が歪む鈍い音がした。
昏倒から目を覚ましたディグダ兵が、男にアームブレードを叩きつけたのだった。

何度も叩きつける。
顔の皮膚が裂け、肩から胸から血潮が弾けた。
熱く生臭い返り血を、クレイは頭から浴びた。
絶望だ。
熱いこれは彼の絶望そのものだ。

「止めろ。死体の侮辱だ。彼を、確保すべきだった」
「抵抗する奴は殺していい。規程を」
「彼は私も、あなたも殺さなかった。未熟な私も、意識を失っていたあなたも」
「敵意は我々ディグダ軍に向けられている」
「敵意を作ったのは、ならば誰だ!」
ディグダ兵の歯軋りが聞こえた。
この男も、駐留するディグダ軍が何を行っているか知っている。
ここで何を言おうが無駄だ。
空しいだけだと分かり、溢れて止みそうにない怒りと哀しみを抑え込んだ。

「未確認のメンバーを消去したと報告しておきます。階下の二班が交戦中。応援に向かいます」




錆びついた扉を開けると吹き抜けだった。
弱く途切れ掛けた電気が、階下の第三層を仄かに照らしている。

見上げれば曇天が広がる。
無数の雨粒が線となり地下に降り注ぐ。
ここはまだ建設途中の区画だ。
階段はかろうじて固めてあるが、外壁と天井は未完成で鉄骨が見えている。
エレベーターホールらしき所には鉄鋼資材が積まれて放置されていた。
鉄錆と埃の臭いが湿った空気で浮き上がる。
建設が頓挫した建物だ。
備品もなく、単なる巨大な箱になってしまっていた。
空は鈍い色をしているが、薄暗い地の底にいれば上から降りる昼間の明かりは眩しくすら感じる。
雲を透かして降り注ぐ白光は雨を明らかにする。


第三層まで掘り進められた陰気な下層部分は、腐敗したような濁った空気が沈殿していそうで気が滅入る。
リストにないメンバーが潜んでいる可能性は十分に考えられる。
殺めたばかりの男がそうだったように、他のメンバーも何かしら事情を抱えているのだろう。
会って、抵抗するなら束縛してでも話を聞きたい。
これはチャンスだ。
情報統制され、きれいな話しか流れてこないディグダクトルから離れている、ディグダ軍と接触した外の人間に会える。
篩に掛けられていない真実に触れられる。


しかし現実は厳しいものだった。
反抗組織にすれば軍服を身に着けた者はただの敵。
勝ち目のない反抗組織にとって学生だろうが武器を手にした者は倒すべき相手だ。
潜伏していた反乱組織は、応援に駆け付けたのが二人だけと見て飛び出してくる。
捉えることはおろか話をできる状況ではなかった。
ディグダ兵が脇腹を負傷した。
血が止まらない。
クレイがアームブレードを振りかざす。

もはや訓練ではない。
兵とは、軍とは、人を殺す集団だ。
ディグダの国益のため。
だが今、個人としてはそこにあるのは、生きるための手段だった。

体の捻りとともに水平にアームブレードを薙ぎ払う。
飛び出してきた男の腹に深く入る。
アームブレードに体を引き摺られながら資材の上に投げ出された。
背骨までは断ち切れず、上下が繋がったままだが身動きの取れない男が呻きも上げられずに転がっていた。
息が絶えるまで続く耐え難い苦痛に顔が歪む。
同時に滲んでいるのは背筋が寒くなる憎悪だ。

逃げるように階段を下る。
いずれ息絶えるはずの男がそれ以上苦しまぬよう楽にしてやればよかったのだろうが、クレイには留めを刺すことはできなかった。

浅い傷だったが、応急措置を施したディグダ兵の足も若干鈍っている。
報告が入った。
第二班がリストの男を捕縛。
引き続き二班は最下層に潜伏者がいないか探索すると、クレイが読み上げた。

最下層に到達し、動きまわる二班に接触しようとして部屋を階段広間から部屋を出た。
ガラスの嵌められていない大窓の向こうから低いモーター音が回転し始めるのを聞いた。
即座に端末に送られてきた地図データと二班の動きを確認する。
聞こえてくる方角の地図はデータ化されていない。
二班の動きももちろん、該当箇所には乗っていない。

「機械の稼働音を確認。応援の二名で捜索に行きます」
「一名だ」
「俺はそこまで動くと危険だ」
腹部に捲きつけた止血用の布にはすでに血を含み軍服に染みが広がっている。
血は乾くことなく上へ上へと重なっていく。

「二班を待つか」
「行きます。一人で大丈夫です」
「おい。場所を確認するだけだ。深入りするな」
止める間もなくクレイは飛び出した。
モーター音の正体は資材輸送用のエレベーターだった。
上に上がったままの箱を下に下ろし、足を掛けた。

乗るべきか、待つべきか。
端末を確認したが、二班は他のメンバー発見したようだ。
しばらくは合流できそうにない。
放置してきたディグダ兵に直通連絡を取った。

「別に動けないわけじゃない。自分の身は自分で守れる、それより」
話の途中でクレイは通信を切った。

地下三層、地上よりは五層の計八層構造だ。
意を決してクレイが踏み込んだ輸送エレベーターは、ぎこちない振動の後動き始めた。












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