Ventus  112










第三七研究室、室長は訪問者の知らせを内線電話で受けて途端不機嫌になった。
新人研究員、とはいっても今年で四十になる経験豊富な彼は、それまで比較的穏やかだった空気が妙な湿り気を帯びるのを肌で感じた。
室長は常々瓦のような人間だと、二年前ここに配属になってから感じていた。
石のように表情豊かではなく、人の手で洗練された陶磁器のように無機質でもない。
表情筋がとうの昔に石化してしまったかのように、ぴくりとも動かない。
風雨に晒されようとも天日に干されようともびくともしない。
室長の機微が少しばかり分かるような気がし始めたのは、半年ほど前からだ。
一年半、研究室と自室との往復で出会う人間といったら研究室の人間の他はいない生活を送ってきてようやくだった。
室長はまるで研究室で常時寝泊りしているのかというほど朝はすでに白衣でそこに居り、交替時刻になってもまだ試料と向き合っていた。

研究員の誰もが研究に人生の大半を捧げていたが、室長は研究室が人生そのものだった。

内線電話に呻くように威嚇か威圧の籠った短い声だけを返して通信を切った。
通信を繋いだ研究員を一瞥して試料に戻る。
基本、室長へは繋ぐなというのがサンナナと呼ばれる瓦研究室のルールだ。
それを押し切ってまで強引に繋がせた警備室、受けた研究員、会わざるを得なくなった室長、捨て置けない来訪者なのだと血圧が高まるのを新人らしからぬ新人研究員の彼は感じた。

間もなく扉を叩くこともなく訪問者が研究室に現れた。
扉の近くで作業をしていた新人は振り向いたが、すでに扉の傍を訪問者は離れ、研究室を闊歩する。
首を巡らせて訪問者を追う。
来訪者は二名、いずれも白衣は着用していない。
細い体躯だがダイヤモンドカッターが肌に付いているような触れれば軽傷で済みそうにない鋭い空気を纏う女だ。
私服での登場だが、オフィシャルな堅い服だった。
政府の人間にしては背筋がいい。
軍人にしては規律正しさや威風堂々さは滲み出ていない。
小気味のいい靴音はするが耳に響かない身の熟しだった。
その分だけ素性が知れない。

もう一人はただ、でかい。
彼女のボディーガードか何かなのか、帽子を目深に被ってはいるがギラギラした目は隠せない。

作業を続けろと研究室の先輩が新人を促した。
訪問者は挨拶もそこそこに、室長と対峙して来訪の意図を伝えたようだ。
室長は研究室の最奥、彼の作業スペースから動かなかったので話の内容は周囲にほとんど漏れ聞こえてこなかった。



「結果はこのレポートにまとめてある」
「端的に口頭説明を頂きたい」
「ほぼ完成に近づいていたと言えるだろう。無論、これは明らかな失敗作だ。だが鉱石と対象との融合密度は極めて高い」
「貴方の見解をお聞きしたい」
「安定すれば殺戮兵器として使用可能だとも言っておこう。だが何だ、あんたたちが言うような人体との結合だの強化だの。正直馬鹿げた話だな」
「最後に。試料が提供された状況の報告を」
「事前通知があった。試料が採取された場所の位置情報や写真やらが手に入った。そのあとで試料が送られてきたってわけだ」
「どこに」
「十五あるダミーの製薬会社の一つだよ」

この研究施設は森の中に、地下を掘られて建設されている。
研究員たちも地下生活を余儀なくされ、表に出る機会などほとんどない 。
幽閉か監禁に近いが、他研究機関で一年間勤務する間に適正を測られ、家庭状況や生活環境を徹底的に審査された結果、条件を受け入れてここにいる。
密閉空間とでも言える地下施設で籠っていられる人間、適応できる者だけだ。

「詳細はそいつもレポートにまとめてある。あんたたちはどうして試料と情報を知ったんだ」
「秘匿情報です」
室長は不機嫌ながらも返答を予想していたようで、鼻から息を飛ばした。



「ご協力、感謝します」
言葉は丁寧だが女性の言葉は情感が完全に欠落しており、事務的というよりなお冷ややかだった。
何より彼女の隣に、控えているといっては存在が目立ち過ぎるもう一人が早々に踵を返した。
少々厚着の感があり、体の線ははっきりしない。
顔は小さいが肩は張っているようだ。
厚みのある黒靴といい、男の体格と服装をしていたが顎の細さは女性的でもあった。
あまり様子を伺えば睨まれた視線で殺されそうだ。
新人研究員は視界の端で動きを観察するに留めておいた。

「一つ。先に申し上げても良いでしょう」
去りかけた女は振り返ることもなく、正面の扉に向かって口を開いた。

「この施設は明後日閉鎖、移設されます。通達は本日夕刻下るでしょう」
「またか」
「ここは完全解体されます」



「手が止まってる。作業を続けろ」
数分間の訪問直後、室長が一喝した。
新人研究員にとって、異動の経験は数々経験してきたが研究室丸ごと移動というのは初めてだ。
秘されている研究室が一通の通知と試料送付で漏洩している事態が明白になったのだ。
理由は説明されるまでもなかった。


「室長」
「何だ」
「試料は」
「必要無いんだと」



破力と呼ばれる物質を鉱石に定着させる。
そのときに使用するのが定着剤だ。
警備室の薬物検査を通過し研究室に運ばれたものを受け取ったのは新人研究員だった。
先輩研究員に指示を受け、受け取りに行き室長に手渡した。

破力という物質は、無色無臭で水蒸気のように空気中で拡散しやすい。
そこで定着剤が登場し、抑え込むように異種を融合させる。

破力はかつてより存在したらしく、文献には魔と記されもしている。

問題は、現代の精製技術では非常に不安定なものしか生まれない点だ。
定着にうまく行っても、実用に耐えねばならない。
計測された数値、予想される影響の通りにならなければ完成とはいかない。

無理に剥離、放出しようとすれば、剥離の衝撃で熱波が起こる。
小さな町が焼失した事件は新人研究員の耳に入った。
また、研究施設もいくつか姿を消している。
暴走で引き起こされた熱波が絡んだのか、火を放ったのか。

新人の彼は交代時間を終え、販売機の前にあるソファの背へ裏側から腰を引っ掛けながら、考え込んだ難しい顔でコーヒーを啜っていた。






首元へ潜り込む冷風に襟を引き寄せた。
このたびの任務は寒冷地だとブリーフィングで聞いていたが、ここまで寒さが肌を刺すとは思わなかった。
ディグダ軍に支給されるコートを訓練生へも与えられなかったら、身動きすらできず氷結してしまいそうだ。

しかし霜が立つほど冷え切っているわけではなく、乾燥した寒さだった。
住宅密集地から離れた郊外に彼らは潜伏しているらしい。
厄介なのは彼らは数件の家から地下に下り、地下に埋まった旧用水路を改築工事して、ゲリラよろしく息を潜めているという。
潜伏している具体的な人数は二十名前後と言われているが不明。
地下通路は上に敷かれている道路を歩いて、土中密度を計りながら 地図を作製した。
曖昧な情報で動くのは危険だが、いつまでも待ってはいられない。

ディグダ統治下での反発勢力を鎮圧、主導者の身柄を確保するのが今回の任務の内容だった。

そこに対象がいると定めて、むやみに巣穴に飛び込むのは命取りだ。
情報不足と手ごわさもあり、いつも以上に慎重だった。


クレイ・カーティナーは任意での参加ではなく徴兵された。
先だっての強化合宿の成績やその後の評価で配備される場所に違いが出る。
今回はお客様扱いにはしてくれない。
彼女を包み込む周囲の緊張感にため息が出た。












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