Ventus  110










ディグダクトルに戻ると、渡すべきものを携えて早速セラの部屋へ赴いた。
クレイが頼んだ物を手にしているのを見ると、抽斗から取り出した石を机の上に乗せた。

「この石、ただの石ではないのですって」
クレイから預かった包みも並べて置き、両手の指先で慎重に紙を解いていく。

クレイが体を机に寄せるのでセラは椅子を横に滑らせた。
河か、荒い海で転がっているような滑らかで灰色の石だった。
手に取った石は意外に軽く、しかし花崗岩のように脆くはない。
均一な色の石は、ぶつけたのか割ったのか、綺麗に斜めに切れていた。
断面は波紋のように薄く色がグラデーションになっている。


「人工的に造られたのだそうよ」
そう言われると、コンクリートを固めたような表面をしており、石としての顔や個性がなく面白みに欠いている。

「青い粉を採ってきてもらったけれど、あそこは研究所だったの」
それらしい機材はあった。

「病院と言われても分からないほどめちゃくちゃな状態だったけどな」
クレイは内部の状況を話した。
焼けた痕跡、上から押し潰したかのような壁から天井から、建物の構造からして破壊されていた。
経年劣化、風化、それら自然現象ではとうてい説明できない荒れようだった。
なぎ倒されるか蹴り倒されるか、あるいは部屋をそっくり上下逆さまにしたような部屋中のひっくり返り方だった。

「ねぇ、クレイ」
微かに笑いを含んだ、溶けそうに軽く、少しの不思議を含んだ柔らかく呼ぶ声が好きだ。
机に掛けた肘、その上にある軽く曲げた指の上に頬を乗せて、クレイを見つめて目を細める。

「怖いの。でも踏み込んでしまったら、先に進むしかなくなる。ディグダは、本当に色んなものを抱えて膨れ上がったのね」
「怖いなら、手を握っていよう。沈み込んでしまうというなら、私も一緒に沈もう」
「巻き込まれてくれるっていうの?」
「もう手遅れだよ」
研究所とは何だ。
クレイは手の中で転がしていた石を机に戻した。
真夜中に探索した研究所について先を促すと、セラの目は遠くを見据えた。

「クレイが探ってくれた研究所、昔は名称は魔石第六研究所と呼ばれていたの」
「何だ、それは」
マセキダイロクが咄嗟に理解ができなかった。

「魔石っていうのは、この石のことらしいわ。それを研究する六番目に造られた施設」
「その石に何ができるっていうんだ」
研究するほど希少価値のありそうな石には見えない。
セラは話の取っ掛かりを頭の中で探りながら、言葉を選んで少しずつ話し始めた。
話は、セラが出張に出掛ける少し前から始まった。


植物学の教授の手伝いで出張を持ちかけられた。
ディグダクトルから丸一日かけての車移動となる。
単位は出すし、何より経験になるからと言われては行かないわけはない。
老教授にお供させてもらうことにした。
研究材料である薬草を根元から傷つけないよう慎重に採取して、ケースに入れる。
時折、二人立ったままで教授の講義を受け、話が途切れれば採取に戻る。
手持ちの資料を参考に、指定されたものを探せばいい単調な作業だ。
時間に厳密な制限はなく、自由に動き回ることができた。


城壁のような囲いのある区画に足を踏み入れたとき、セラが直立し改めて周囲を見回した。
雑草の海から所々に灰色の壁の残骸が頭を出していた。
明らかに何らかの建物を解体した痕跡だ。

酸化して土を銅色に染めている鉄屑も散らばっていた。
探索する好奇心で天井はおろか壁もセラの背丈ほどにも残っておらず、風避けにもならない跡地を歩きまわった。

こんな場所は地図に載っていただろうかと疑問に思い、斜めに下げた鞄の中を探ってみてから地図は教授の手元にあることに気付いた。

一緒に調査していたはずなのに、それぞれ足もとばかり見ていたら知らぬうちに逸れてしまった。
教授はどこにいるんだろう。
そう遠くにはいないはずだけど。
首を巡らせて人影を探した。
ちょうど、草原の水面に腰を曲げて丸まった背中が浮かんでいた。
足元の悪い地面に気をつけながら鉄の塊を飛び越え、部屋を隔てて
いただろう壁の跡に片手を掛けて跳躍した。
風を切るがごとく一気に加速するクレイには及ばないものの、セラもなかなかに身軽だ。
長い綿のように柔らかい髪は跳ねて駆ける度に首筋から離れて浮き上がる。

迫る物音で相手が顔を上げた。
髭に埋まった顔は教授のものではない。
また、人違い。

生成りで綿のシャツとズボンはゆったりとしていて、風で大きく膨らんだ。

「何をなさってるんです?」
立ち止まったセラが老人の横に立ち、手元を覗きこんだ。
右手の袖が肩口から垂れ下がっていた。

「そっちこそ」
掠れてしわがれた声は、絞り出すかのように頼りなく、語尾にきて咳きこんだ。

老人の作業の邪魔をしたことを詫びてから、植物採集に来たことを伝えた。
彼は、ここに滞在して鉱石研究をしていると言った。
住まいはセラたちが宿を取っている町の中にあるらしいようだった。
雨が降らない限りこの辺りをうろついていると言っていたのでその日は別れた。
互いのことを詳しく話すようになったのは、慣れ始めた次の日からだった。

ディグダクトルで学生をしていて、植物学研究者の助手で来たこと。
編入で初めてできた友達のことまで話した。

「クレイ、あなたのことよ」
「何でまた」
「話しやすかったのね。不揃いな髭が日焼けした顔の半分を埋めてる。風貌で判断するのは良くないけど、最初はちょっと恐そうだなって思ったの」
だが話しをし始めると、ぽつりぽつりではあるが彼自身のことを話してくれるようになった。

「彼が探しているのがただの石ころじゃないっていうが分かったのはその次の日くらいだった」
「探していたのは」
「そう、この石。魔石、ですって。まるでファンタジーだわ」
セラの人差し指の下で、転がされた石が傾いた。
だが聞いた話は更に現実離れしたものだった。

その場所は研究所だった。

「お嬢さん、ディグダってのはとんでもないものを抱え込んでしまっている。得体の知れない厄災だ。それがどんな災いを招くか知らないで走り続けている」
一体、何が言いたいのかセラには分からなかった。
ディグダの急激な成長と支配に不思議は感じ、その根底には何か良くないことが絡んでいるのは薄々分かっている気がしていたが、明確な姿を現してはいない。

「ここで行われていたのはね、魔と石との融合だよ」
その時の老人の顔は忘れられない。
おぞましくも忌々しいものを凝視するような見開いた眼と、浅い呼吸、腹の底から捻り出してきた低い囁き声と額に浮かぶ汗。


じゃあ目の前のこの石が。
クレイが警戒の色を現した。

「これはできそこないだそうよ」
だから害はないわ、とセラが石から指を離して膝の上で両手を組んだ。

魔とは、獣(ビースト)のこと。
荒ぶる獣たちのこと。
動物が石と融合など、まるで理解ができない。

「わたしたちは獣(ビースト)のことをよく知らない。ただの獰猛な動物だと認識している」
人を襲い、人を殺し、何処より湧き出でる獣。
駆除するための組織すらある。
だがそれすら、一般人にとって害獣駆除部隊といった認識だけだ。

「けれどね、そもそもが違う。あれはこの世ならざるもの。獣とは相容れぬもの」
「セラ」
変な話に取り込まれ過ぎなのではないか、とクレイは心配になる。
だがセラの目は透き通り、強さは真実を語っていた。

「わたしが聞いたのはそんな話。実のところ、獣(ビースト)そのものに遭遇したことがないもの。何とも言えないわ」
半信半疑の状態で、セラは目の悪い老人の石探しを手伝うことにした。
探し物は日中には見つかった。

「その人は別れる日に言ったの。もうここに踏み入れない方がいいって」
彼は研究所の研究員だった。
目と右腕は研究所を去る時にやられたのだと言っていた。

「爆破されたのですって」
「何のために」
セラにも詳しくは分からなかった。
老人は何も言わず、震える唇を薄く開けたまま濁った目を地面に向けていた。

機具は破壊した後に撤去したのだろう。
研究所というには、焼けた鉄屑はやけに少なかった。
証拠隠滅か。
これだけの規模の研究所を構えておきながら今さら何のために。
研究が頓挫したとはいえ、破壊し尽くすことはないだろう。

老人の傷は逃げ遅れたものだった。
他の人間は死んだ。

老人は入口付近のロッカールームで準備中、にわかに騒がしくなった気配に、白衣を引っ掛けたまま廊下に出た。
すでに研究室に入った者が業火に捲かれ、生きたまま焦がされる恐怖と苦痛で、裂けるような咆哮を上げていた。
扉は開かない。
何度も蹴った。
内側からも、出してくれ、助けてくれの割れた叫び声とともに扉を叩き続ける。
だが鉄製の扉は熱で歪んでいるのか開かない。
耐寒耐熱仕様のはずだ。
意味も分からず、こじ開けられる道具を探しにロッカールームへ引き返そうとした。
後ろを振り返り、唖然とした。
火の壁だ。
逃げ場はない。
廊下の端には逃げようともがく研究員が、背中から頭まで焼かれ身動きできずに老人へ助けを請う。
無理だった。
どうすることもできない。
どこに逃げればいい。
ロッカールームに戻りかけたが、隣室からの火の手が天井まで駆け上がっていた。

頭の中でルートを巡らせた。
医務室の裏に物資搬入用の通路がある。
そこからならばあるいは。
布を口に押し当て、低姿勢で火の道を走った。

背後で爆発音がする。
医務室に入ったところで爆発の閃光が背中を包んだ。
放り投げられたように吹き飛ばされ、部屋の隅に叩きつけられた。
頭を切ったらしい。
左側頭部が生温かかった。
息苦しいな。
このまま死ぬのか。
誰も何も情報がない、訳が分からないままで。
意識は遠のいて行った。

目が覚めたとき、まだ火は室内を焼いていた。
まだ、生きている。
喉が痛い。
息をするたびに咳きこんだ。
体中が痛い。
これだけ火に捲かれているのに、寒い。

体を引きずって搬入口から外壁沿いに焼却炉に回った。
幸い辺りは森だ。
奥まで進めば火の手は迫ってこない。
火の手。
違う、これは研究所の失火や実験上の失敗ではない。
警報機は鳴らなかった。
耐火壁も働いていない。
何より消火装置も沈黙していた。
恐ろしい結果を予想して倒れそうになったとき、無数の足音が最悪の答えをもたらした。
遺体を回収後、数を照合する。
遠くながらそう聞こえた。

「これは、そういう石なのよ」












go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page

















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送