Ventus  109










傾きかけた日は一箇所に身を寄せた白い建物の側面を淡く照らす。
鬱蒼と茂る雑木林の僻地に孤立したディグダの合宿施設は、目眩がするほどほの白く浮かび上がっていた。
近くには極小さな集落があるばかり、そもそも訓練生にはそこに足を向ける隙がない。
宿舎の外に出ようものならば、一日中眠らぬ巡回に引っ掛かることになる。
そうまでして逃すまいとの姿勢は硬いくせに、脱落者に這い上がる機会すら与えない。
去る者は追わずどころか追い出すのに、その方針の差はクレイには理解できなかった。

白壁に反射する光は幻想的で、胸に染みていく。
感傷的になるのは、腕を上げるのも億劫なほど体力を絞り出したからだ。
それに重なるように、学園で家族のようにずっと側にいた友人との生活が思い出されるのだから厄介だ。

小休憩を挟み、闇に足が浸るまで野外運動場でメニューを熟す。
訓練序盤はほとんどアームブレードを握らせてもらえなかったが、訓練の中盤を過ぎた現在は、時間の半分を演習に当てられる。
それも授業でやったような一対一で礼儀正しい上品な形ではない。

一対多数もあった。
かといって形を崩すのが許されるわけではない。
指導教官も交り、腕が伸びきっていなければ容赦なく跳ね飛ばされた。
口や頭で覚えるのではなく、痛覚から反射神経そのものに叩き込む。
青痣は当たり前で、擦り傷は治りきる前に新しいものが増えていく。
耐えきれず逃げ出したり、泣きだしたりする者は最初のうちに宿舎を後にした。
一時に比べ脱落者率は落ち着いたものの、体力がついていかない者は消えていく。
閑散とした運動場に哀愁が混じるのはそのせいだ。

空気が乾燥している。
喉の渇きを覚えて給水所まで歩いて行った。
腹に溜まらない程度に口を湿らせると、水道に首を突っ込むようにして顔を洗った。
顔をもたげると水が首筋、胸へと流れた。
体の中から湧いた熱が少しは収まる。
横から流れた風が、水の膜を張った顔の上に冷気を落としていく。
向かいの頭が持ち上がって顔を振って飛沫を飛ばす。
犬のような奴だと眺めていたら、髪をかき上げて明らかになった顔にどことなく見覚えがある。
記憶が新しいことから、ここに来てから会った顔だが食堂でだろうか、言葉を二三交わした気もする。
睨みつけるような目になっていたのだろう、睨まれる謂れのない目の前の男は不思議そうな目をしていた。

「ああ、そうか。あの酔っ払いか」
数日前、真夜中に林の中で遭遇した男だ。
どこの誰だかはっきりすればそれでいい。
袖で顔を拭うと水場に背を向けた。

「おまえ! 夜遊びの」
「記憶があったのか。あの次の日からここから消えたのだと思っていた」
そもそもクレイの記憶からは消えていた。
しかし夜遊びとは失礼な。
だがこちらも酔っ払い呼ばわりなのだから同等か。

「夜中に酒を喰らいに出かけるとはね」
「体力には自信があるからな。そっちも気をつけた方がいい。暴漢も警備も」
「夜な夜な出歩く奴と一緒にして貰いたくない」
緊張感のないあの晩の男、警備の目も安々と潜り抜けた手際の良さ、慣れている。

「毎夜って訳じゃないさ」
「どっちだっていい」
「禁欲的にできてないんでね」
「どうでもいい」
「きみ、潔癖?」
「それはえらく突飛な発想だな。自分でも気づかなかったよ」
結局、その男は合宿最終日を無事に迎えていた。
執拗に絡んでくることはなかったが、最後の最後で学園に帰ったら会えるといいなと呑気に手を振っていたのが遠くに見えた。

合宿の間に、セラから手紙が届いた。
どんなことをしているのかと質問されていたので、簡単に一日のスケジュールを記したら、ひどく心配された。


体調を崩してリアイアする人が多いとバートン先生から聞きました。
あれから三度、陽花(ヤンファ)に会ったのよ。
少しずつ慣れてきてくれて嬉しく、何だか妹ができたみたい。
マアはどこ、と片言の言葉で聞くの。
最初は誰のことか分からなかったけど、クレイのことみたいよ。
お母さん、って意味らしいわ。
戻ってきたら、一緒に行きましょうね。


セラの笑顔が滲み出てきそうな、温かい文字と言葉の連なり。 何度も読み返し、胸が熱くなった。
きちんと終わらせて早く帰りたいと思い、今日の疲れも溶けていった。
紙を傷めないようきっちり折りたたみ、荷物の底に入れた。






ネットワークスペースにアクセスする。
画面に表示されたドライブアイコンはネットワーク上に構築されたセラのスペースへの入口だ。
パスワードで解錠すれば、セラの性格が表す細かなフォルダが並んでいる。

画面下段に、緑を基調にしたシンプルなデザインのアイコンが一つ置かれている。
アイコンとの出会いはひと月ほど前、クレイが訓練へ出かける少し前だ。



スクロールした画面の下に、見慣れないアイコンが居座っていた。
特殊なデータを保存した記憶はない。
手が滑って何かの拍子にアイコンを作ってしまったのか、覚えがないが削除しようとカーソルを重ねた。


汝立つ瀬 見る深淵


浮き上がった文字がセラの気を引いた。
怪しいものは触らない。
分かって入るのだが、指先が好奇心を汲み取った。


名の無い相手との交流が始まったのはそれからだった。
会話らしい会話はない。
相手が人間なのかすらも分からない。
信頼に足るかの分かれ目は、相手から投げかけられた問答だった。


音の波に絡まれて眠る


その対になる言葉を求めていた。


冥き深遠の光


セラにとって答えるのは容易だった。
染みついた一句一句は、歌姫ジェイ・スティンから教わった古い歌だからだ。
その句が暗号となり、鍵となり扉は開かれた。


相手がどこにいる何者なのか、どういう意図と権限でネットワークスペース上にアイコンを設置したのか。
扉を介してコンタクトを取ろうとしたのは不特定多数に対してなのか、セラがそこにいたからなのか。
背景が全く見えてこなかったが、与えられる問い、答えてさらに投げかけられる問いかけは、セラにとって重要な情報源となった。

セラが教官の助手として単位付きの出張に出かけた先で石を手に入れた。
崩れた化石のような欠片だったが、次の石を置いたのは扉の向こうの情報だった。
クレイに所望した青い粉がそれだ。

要求された資料や物を用意する。
すると次に繋がる新しい情報が提供される。
巨大なパズルを解いているようで面白かった。

相手の正体や、厚く強固な防壁を突破してセラのスペースにアクセスしてこられる理由が知りたかったが、訊けるのはスペースを提供してくれたカインの友人だけだ。

相談を持ちかけたら、情報交換の内容まで話が及ばないとは限らない。
関係者はセラとクレイとジェイ・スティンなど限られた情報共有の中に部外者を立ち入らせたくない。
アームブレードの賞品として無償提供してくれた好意には心より感謝するが、誰であれ機密情報は口にしない方がいい。
相談するにできないで、深みまで嵌ってしまった。

クレイまで巻き込んで。

共犯者。
少し甘い匂いのする言葉に、思わずセラは微笑する。






高台の上で輸送車が停車した。
車内で一ヵ月の強化合宿を反芻していた。
劇的な変化が起こることもなく、変化らしい変化と言えば薄く骨が立ちそうな肩が程良く肉がついたことか。
アームブレードや体力面では、クレイが初期より上昇したように周囲も力を付けていったので、変化を以前と比較するのは困難だ。
指導教官が扉を引き開けて、休憩だと素っ気なく車の中へ声を放り投げた。
走り出して三十分も経っていないところで休憩だと言われても有難がる訓練生はいなかった。
誰しもが早く帰りたいという思いに今は囚われていた。
それが車から泥に突っ込んだような重い足取りで連なり出てくると、空気が一変した。

輸送車を照らすのは濃い銅色。
嘆く代わりに呻きの染み込んだ訓練施設や汗と涙を吸い込んだ運動場は一色に染まり、苦しみと成長の溜まった場所とは全く別の様相で佇んでいた。
一同が眼下を凝視し、それぞれの訓練期間を噛み締めた。

今になって名残惜しさが湧いてくる。
力不足の悔しさに泣き、不満を言う口は酸素を求めるのに忙しかった。
ともに過ごす訓練生同士慣れ合う暇はなく、負けて堪るかとの熱い競争心で緊張感に満ちていた施設が、ミニチュアの箱細工のように現実感のない軽さを覚える。

集合の号令が響き、それぞれは輸送車に流れ込んだ。
皆が指導教官か運転手かの計らいに感謝していた。
斜めに差す陽に追われるようにして、一同はディグダクトルへと帰還していった。












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