Ventus  108










半分まで闇に齧られた月は、今夜は不気味に廃墟を照らす。
威圧する外観は、灰色で崩壊した壁から剥き出しになった鉄骨は錆びて歪んでいた。
人ならぬ何か、動物なり虫なりあるいは屍など転がっているのが当たり前のような禍々しさだ。
幸いなのは、雨漏りを心配するような屋根が吹き飛ばされたように残っていないことと、壁という壁が巨獣に踏み拉かれたように崩れ落ちていることだ。
建築技術に疎いクレイだが、鉄骨の割合とコンクリートの密度くらいは見て取れる。
手抜き工事の跡はないかつて強固だった施設は、自然崩壊とは思えないほど不自然に全壊し、放置されていた。
これは敢えて誰かが壊したか、あるいは何か事故でも起こって破壊されたのか、クレイは崩れたコンクリート片を手に取り握り締めた。
何十年と放置されたにしては風化や劣化の度合が浅い気がする。


セラがクレイに頼んだ頼みごとの意図が少し手繰り寄せられた感覚がした。
その目的、その意味、経緯をセラは明らかにしなかった。
手紙という古典的な手法でクレイに連絡を取ったのも気に掛かっている。
周囲は少し踏み込み過ぎれば戻れない自然林に囲まれているせいか、鬱蒼として嫌に虫の音が耳に響く。
セラの頼みでなければこんな真夜中に、廃墟探索になど来てはいない。

時間には限りがある。
日が昇るころには吐くほど走り込まなければならない。

早く終わらせて早々にベッドに戻りたい。
拝借してきた非常時用の懐中電灯を腹の前で構え、踏み込んだ。
石が靴の下で潰れる音すら不気味だ。

塗装の剥げて傾いた鉄扉を無理に開いて入る必要はない。
残骸に足を掛けて、崩れた壁に取り付いた。
慎重に乗り越えなくては、服に鉄棒や歪んだ窓枠を引っ掛けることになる。
よくよく確認して手を置かなければ、ガラスの破片を押し潰すことになりかねない。
緊張で額に汗が滲むころ、施設の中へ侵入できた。
大地震でも受けたかのように、機具が折り重なって散乱している。
大がかりな装置が部屋に埋め込まれているわけではなく、医療施設のように規模の小さく繊細な機器が転がっている。

一通り懐中電灯の明かりを当ててみたが、目を引く物は見つからない。
どこからどう繋がっているのか、絡み合った管や配線が床を這い天井から垂れ下がっている。
隆起した歩き難い廊下だった場所に出た。
どの部屋も似たようなもので、細部は頼りない手持ちの明かりでは手の届かなかった。
入口を機械が封鎖しており中に踏み込めない場所も少なくはなかった。

こんな場所で隠れてこそこそ何をやっていたのか。
格子状の檻を思わせる残骸も他の器具に混じって埋まっていた。

左手の部屋へ光を振った。
蛇のようにうねる配線や両側から倒れ込んできた保管棚やばらばらになった機械の塊はほとんどない。
他より多少強固に造られていたせいか、半ば開きかけた扉はまだ壁についていた。
隙間に灯りを通すとまだ奥にもう一つ扉がある。
蹴ってみたが頑丈だ。
僅かに左手の扉は動きそうな気配があるので、右手の扉に両手を引っかけ、左の扉へ片足裏を押しつけた。
埃のせいか、手の汚れのせいか手が外れそうになる。
足に体重を乗せて体を揺らすと、軋みながらも隙間を空けた。

体を斜めにして通れる隙間を確保し、床に転がしていた灯りを再び手に取り奥へと入る。
嫌に厳重に管理された区画だ。
内側の扉は崩壊していて、隙間をこじ開ける作業は省かれた。
扉を囲むように光で半円を描くと、右側に沈黙したカードリーダーがあった。

先には、壁際にモニターが並ぶ。
壁に嵌め込まれたようにコンピューターが砂埃を被っている。
奥には病院の処置台のような、作業台とやはり天井からは照明が金属線を蔦のように垂らしている。

何を研究していたのか、被験体の痕跡が見当たらないのは回収したからか。
燃え跡を踏み締めてきた。
紙媒体は見当たらず、データディスクも散乱してはいなかった。

処置台も例に洩れず埃を厚く被っていた。
ここにも火の手が入ったのか、金属製の台は煤を被り樹脂製の部品は溶けている。
引き回したように部品を散らした測定器のような重い機械の脇を光が擦ったときに、クレイは鳥肌が立った。

染料のような青緑色の粉末が床の砂に混じっている。
こんな荒れ果てたごみ山の中から探し出す方が不可能だと思っていた矢先のことだ。

セラの言葉の通り、くすんだ闇と砂と埃と異臭の中鮮やかな色を保っていた。

血が湧きたち震えそうになる指先で、懐から採取用に持ち出した紙を取り出す。

食堂のテーブルに置いてあったナプキンを頂いてきた。
本来ならば袋があればよかったのだが、ほぼ体ひとつで来た学生たちは、それまで当たり前のように手に入った身近なものが遠くなっていた。
都合よく袋が落ちてはいない。

粒子が粗いのが幸運だった。
手をなるべく触れないよう、埃と共に床から削り取るように紙の中に収め、丁寧に端を折って零さないよう服の奥へと入れた。

目的は果たした。
思ったより奥深くはないので、道に迷うこともない。
だがさすがのクレイも得体の知れない施設と何が飛び出てくるとも分からない隙間と闇に背中を冷やした。
一刻も早く撤退する。

足元はまともに歩ける道ではなかったが、軽快に障害物を飛び避けながら追われるように廃墟を抜け出た。

表に出て、薄雲で星の消えた淡い月の下、手のひらと甲を細い筋が幾筋か走っていた。
気づかぬうちに傷だらけになっていた。
手袋といった上等なものでないにしろ、布でも巻いてこればよかったと今になって痛む傷に舌を乗せた。

体中が埃まみれだ。
訓練で砂まみれになった体を清めた上でさらに汚れを纏った。
このまま布団に入るのは躊躇われるが、ほっとしたせいか疲れと眠気で膝が崩れそうになる。

まだこれから部屋に戻るのに一苦労しなければならない。
巡回員は働き者だ。
自分の体を叱咤して、背筋を正した。


宿舎に至る手前の雑木林で動く気配を感じた。
ここまで巡回員が警備しているのか。
厳重にも程がある。

突っ切れば鍵を開けて出てきた窓の下に出られたが、様子を見るかあるいは迂回しなければならない。
木に背中を密着させ、息を殺した。
先に気配に気づいたのはクレイだ。
巡回員の手にしている灯りを確かに見た。
あちらにはまだ、こちらの気配は悟られていない。
定められたリズムでもあるかのように、茂みを足で切る音がする。

遠ざかってから、確実に足音が消えたのを確かめて動いた。
だが同時に草を踏む音がする。
クレイは体を固くし、汗に濡れる額の下の鋭く光る黒眼を左右に振った。
また草の擦れる音、左だ。

「おい」
声を低くした男の声だ。
クレイは答えない。

木の陰から上背のある男が現れた。
雑木林を透いて落ちてくる上からの光の下、年若い訓練生だと分かった。
巡回員ならこそこそ声をかけるまでもなく、腕を捻りあげるか叫ばれるかどちらかだ。

「脱走者か」
「違う」
「どうしてここにいる」
「お前には関係のないことだ」
実際、巡回員がうろつく場所でのうのうと談話など考えられない。

「確かにな。俺はお前を知らない」
「必要がない」
酒臭い。

「帰って寝ろ。酔っ払いが」
酒を食らって捕まって、ディグダクトルに強制送還されるのが落ちだ。

「さっき巡回員が行った。何人回ってるか知れたものではない」
「まったくだよな。何を見張ってるんだか」
大きく口を開いて腕を伸ばした。
付き合っていられない。

クレイは周囲の足音と巡回員の明かりに気を配りつつ雑木林を駆け抜けた。
帰りは楽だ。
周回している監視を一度やり過ごせば間隔が開く。


蛇のように体を滑らせ窓から忍び入り、音に細心の注意を払ってガラス窓を閉めた。
形ばかりに汚れた体の埃を手で払い落してから固く少し湿ったベッドへ体を投げ出した。
服の中から採取品を摘まみ出す。

どうしてセラはこんなものを欲しがったのか。
また、これがあんな朽ち果てた場所にあることをなぜ知っていたのか。
聞きたいことは山ほどあったが、今はただ眠い。
引きずり込まれそうな意識を引き戻して腕を伸ばすと、自分の荷物を手繰り寄せて中に入れてあったセラからの封筒へと採取品をねじ込んだ。












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