Ventus  105










「ついこの前まで暑かったのにな」
「空も抜けるように高かった。これからは雲を楽しむ季節になる」
木の下で斜めに空を仰ぎながらクレイは額に手の甲を当てた。
日差しも一時期よりはずいぶん攻撃的な強さが緩んできた。
この一年、いや二年間が十数年の人生の中で、最も圧縮された時間だったように思える。

経験もさることながら、何よりも人間の繋がり、関係の輪の広がりが目に見えるように急速だった。
セラ・エルファトーンが、水平を保っていたクレイの水面に一滴の雫となって落ちてきた。
揺らぐことがなく、予期もせず、変化することを受け入れることもなかった彼女が、雫によって波紋が八方へ広がっていく。
隆起した波は、白い泡を立てることもなく、静かに輪を広げていった。

その輪の一端にいるのが、隣でいつの間にか居場所を決め込んでいた少年だ。

「セラ、出張だって?」
「よく知ってるな」
「兄さんに聞いたんだ」
得意げに顎を上げるでもなく、声変わりが始まって間もない不安定な声で静かに呟いた。
兄のカイン・ゲルフは取り立てて口が軽いわけではないが、弟とは自分の友人関係を話しているらしい。
クレイやセラの話も、実際に二人が弟に顔を合わせる前から知っていたということだ。

「実地調査と言っていた」
左手が痒くて目を落とすと、蟻が一匹手の上を渡っていた。
ふと持ち上げると、音もなく浅い茂みに足を滑らせて落ちて行った。
心配じゃないの、と腰の位置を置きなおしながら弟のレヴィ・ゲルフが尋ねた。
ディグダの各地で紛争が起きているらしいじゃないか、と日焼けの知らない白い顔へ影を落とした。
色素の薄い髪は兄と似ているが、彼と比べて幾分か線が細い作りをしている。
肩も張っておらず、身長もクレイと変わらない。

「確かにディグダ内は穏やかじゃないが、どこもかしこも戦火で焼かれているわけじゃない」
反ディグダ政府の勢力が疼いては、吹き出物のようにたまに噴き出しているのは、公式で載らない話で流れ聞いていた。
ディグダはそれをいかなる方法でか封じてきた。

「ここにいては、ディグダ側の言い分しか分からない。本当はどこで何が起こっているか、真実なんて直接聞かなければ理解なんてできない」
クレイはディグダがほぼ制圧した現場で、少女を拾い上げた。
だが、彼女の過去や本当の幸を見出すことはできなかった。
結局は、ディグダ軍に奪われるのも嫌で、師であるクレア・バートンに押し付ける形になってしまった。
その少女の話は、セラにしか話していない 。

「授業はいいのか」
「もう終わりなんだ」
「どうしてここが分かった」
「言うまでもなく」
「カインか」
セラとクレイが行きそうな場所でも聞き出したのだろう。
人一人がすり抜けられるほど密集した雑木林の中で、小さな広間のように木々が埋まらず開けた場所があった。
マレーラやリシアンサスらも含めた四人の場所で、乱入してきたのがカイン・ゲルフだった。

「教練会に選ばれたんだってね」
「何の会だって」
聞き返すと、訝しげな顔つきでクレイを見た。

「教練会。強化合宿Aクラスのことだよ」
「合宿の案内は来ていたように思うけど」
上着の内ポケットを探る。
指先に化粧コンパクトのように薄い端末が当たった。
開いて受信箱を確認する。
三件の新着のうち、セラの近況報告だけ開いて目を通すと、開封済みのクレア・バートンからのメールを開いた。

「合宿に参加しろというだけだな」
詳細は掲示板で確認と二行目に書かれている。

「すごいことなんだよ。試合の結果だけじゃなく、実地訓練の結果で参加の権利が与えられるかが決まるって」
「懲罰かと思った」
「どうして?」
彼が尋ねたのは、懲罰される思い当たる節はあるのかという点だ。
これに、クレイは自分の失言を悟った。
少女を勝手に連れ帰ったことは話すべきではない。
はぐらかす上手い手法が思いつく性格でも、軽快な口も持ち合わせていないので黙ることにした。

「掲示板、見てなかったな」
話に聞けば二日前に掲示されていたという。
思えば寮内の巨大掲示板の前に立って見上げた記憶も久しかった。
クレイが立ち上がる。

「見に行くの?」
「そっちはついでに。時間だから」
端末を閉じて制服の上着ポケットに滑らせた。
クレイの途切れた単語の羅列から、行動の流れを把握できず、レヴィは首をかしげた。

「訓練室を予約してるんだ。終わってから寮まで迂回して走り込む」
二時間訓練室を使って外に出れば薄暗くなってはいるが、外灯を追うようにコースを取れば、ゆっくり一時間のコースを回れる。
昼間ではないから十分な時間配分だ。
奥に学寮棟が二つ並んでいる。
その手前に食堂の入った棟が、円形庭園を見下ろすように聳え立つ。
広大な円形庭園の外周に設けられた回廊を半周ほど回れば、その生活区画に辿りつける。
一人の夕食だ。
食事が下げられる時間さえ気にかけていれば、何時に食堂へ向かおうと構わない。

「セラの戻りは二日後だ。一日延びたとカインに伝えてくれ」
「分かった」
レヴィも服の砂を払いながら腰を上げた。

「おまえはカインと同じ、アームブレードを選ぶのか」
「アームブレードを見るのは好きなんだ。兄さんやクレイたちの試合だとか、軍に入ればブレードに装飾が付けられるだろう? そういうのを見るのも好きだ。でも、試合には出ない」
アームブレードは握らない。

訓練室には入らない、訓練施設の中庭まで一緒に行きたいというので、クレイは許可した。
邪魔になるような騒がしい子供でもない。
むしろ同世代の子供より落ち着いているのではないかと時折思う。
クレイが彼くらいの子供のときは、これほどまで積極的に他人に接触し、影響を受けようとは思わなかった。

「ベイスって知ってる?」
「何だ、それは」
「ここ数年で実用化された武器なんだけど」
ディグダ軍の主要近接武器がアームブレード。
装着して腕を振れば無抵抗の相手を殺傷できるアームブレードとは違い 、扱い自体に技術を要するのがストリングやラインといった鞭のような武器だ。
それに並ぶように最近現れたのが、ベイスなのだとレヴィは言う。

「腕に薄いグローブみたいなのを嵌めるんだ。それには石が埋め込まれていて」
「殴るのか?」
グローブが固ければそれなりに殴打の効果は得られるはずだ。

「違う。力を放出できるんだ。石の力でね」
「そうなのか」
縁遠い話に、半ば気が抜けた。

「最近の学生はもうアームブレードを選ばなくなったのか」
急にレヴィと自分との年齢の開きを感じた。

「主流はアームブレードだよ。いつだって変わらない。声を掛けられたのは、年の初めにする健康診断が終わってからだった」
健康診断と武器との関係が全くつかめない。

これから徐々に気温が落ちていくのを惜しんでか、学生や職員たちが散歩していたり、休憩していたりといった穏やかな光景が目を掠めた。
セラの行っている村や町は、どんな風景だろうか。
以前セラと二人で行った島のように、争いも知らないような土地なのだろうか。
薬草の実地調査、だったな。
クレイが斜めに目を落とした先には、花壇へ等間隔に植えられた緑の葉に紫の茎をした植物が葉を茂らせている。
添えられている、薄く土を被ったプレートには薬草と明記されており、名前と効力が書かれていた。

「測定した精流値が高かったんだって」
「何の値だ」
「よく分からないけど、そのベイスに埋め込まれた石を扱える相性みたいなものらしいよ」
「断れなかったのか」
「断れなかっただろうね。そういう空気じゃなかった」
ベイス操者は特例・優遇措置されるとの話を、クレイは後でカインから聞いた。
最初は体に害が出ないのか不安になったが、問題はなかった。
磨いた技量とは別の、持って生まれた素質のようなものだと説明がされた。
ベイスは衝撃波を発生させるという。
受けた者は、目に見えない拳で殴られた衝撃を受けるという。

「特例っていうのも、まだ完全な実用化と普及がされていないから。ベイス装備者の観察が条件なんだ」
訓練施設に向かうにつれ、賑やかさは落ち着いてきた。
用のある人間しか立ち寄らないからだ。
施設内の人工庭園は、それなりに見ものなのに人少ななのが惜しいと、セラが呟いていたのを思い出した。
温室のように草花が満ちている場所は、大抵が閑散としている。

「アームブレードとか、他の武器にベイス自体を組み込んだりは」
「そういう構想もあるみたい。殺傷能力をさらに高めようとか思ったのかもしれない。けど、何でも組み込めばいいってものじゃないのに」
アームブレードはあれで完成形なんだと、重い声で言った。

学園内は兎角緑が豊富だ。
訓練施設にしても、他の施設と競うように乱立した中に背筋正しく構えているわけではなく、雑木林の中で孤独に佇んでいる。
都会では贅沢な土地の使い方を、学園も、政府機関も、軍用施設群もしている。
円形の訓練施設がやがて木々の向こうから肩を出した。

「あんなところで何をするんだ」
「あそこの中庭が好きなんだ。人目に触れないところで、昼寝したり本を読んだり、課題を消化したり」
「セラもあそこの庭が好きなんだ。私が施設を使っている時は、そこで待っていたりする。ガラス張りのカフェテリアにも。今度、来るといい」
制服の中に入れていた端末のメール着信に気づいて取り出した。

「クレア・バートンの召集だ。セラを同行させるように、だと。いつもながら意図も何も読めない文面だ」
苦笑したクレイの横顔をレヴィは珍しそうに眺めた。












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