Ventus  104










長い年月を経、使い込まれ艶を増した机の上に乗せた肘をセラは奥へと滑らせた。
だらしない格好なのは承知の上だ。
もはやこの場所は、第二の我が家とでも言えるほど空気が肌に馴染んだ。
整理中で平積みされた本の隣、長い机の上に上半身を平たく転ばせ、腕の上に頭を乗せて溶けていた。
前後の窓を開け放しているため、草木のさざ波と木々に濾過された円やかな風が忍び入るように流れ込む。
目を瞑ればこのまま眠りに入れそうなほど、穏やかさが心地いい。
静寂ではなく、鳥の声や本を捲る音、口数少ない友人の途切れがちの言葉が耳に優しかった。



「で、お咎めなしなの」
微睡に足先を掛けながら、セラは相槌を打った。
横倒しになった顔を向ける先には、黒髪の友人が俯き加減に卓上のアームブレードに手を乗せていた。
黒髪に白い肌はモノトーンを思わせた。
その上に乗せた深紅の唇。
どれもが鮮明で、そのまま彼女の性格が浮き出したようだ。
人付き合いが苦手、人との会話も苦手、気に入らなければ口を閉ざし、それでもしつこく踏み入れる者は容赦なく叩き切る。
さっぱりとした性格だと評価できればいいのだが、人間生活の観点から言えば難あり、だ。
他人との関わりなくしては生きられない世界、殊に集団行動や協調性を強いられる学園生活では、無駄な軋轢を生む。
それまで一人であり、目立たぬことを常とし、周りも容認してきたお陰でそれまで大した揉め事も起こさず無事学生でいられたことは奇跡に近い。
孤高ではなく孤立を望んだ。
人の温もりではなく、孤独を願った。
自虐的にまでも他人との距離を置いたクレイの真実は、彼女が犯した罪に対する自らの戒めと罰だと知ったとき、セラは同情以上に切なさと堪らない愛おしさをクレイに感じた。
同時にクレイは自分自身にも無頓着で、他人との関係にも無関心だった。
まるで子供のように無垢なのだと分かった瞬間から、庇護欲が湧いた。


淡々と、二人が離れていた時間起こったことを一通り話終えたクレイがセラの視線を感じて顔をもたげた。
クレイの横顔を観察するように黙視し続けるセラに、クレイの方が困惑した。

「ねえクレイ。実際の戦地に踏み入れて、どうだった? 今までのアームブレードの試合とは、もちろん違ったのでしょう」
セラが何を求めて問いかけたのか、彼女の望む答えを頭の中に探してみたが見当たらなかった。

「何もかもが違った」
人と話すことに不慣れなクレイに、状況を詳細に説明せよと言ったところで酷な話だ。

「輸送車に揺られて、辿り着いた先、踏みしめた地面、見回して何を感じたの」
「体中の毛が逆立った。言いようのない緊張感が全身を静電気のように取り巻いた。臭いや空気、それらが私の血を泡立てた」
乾いた空気のせいか、絶え間ない緊張のせいか喉が乾いていた。

クレイとともに無事に帰還した彼女のアームブレードを通して、過去を透かし見るように目を落としていた。
慈しむといった労わりではなく、戦闘後の混乱で失ったしまったとばかり思っていたアームブレードが戻ってきていたことが少々驚きではあった。
ケースに収められた自分のアームブレードを手渡されるとき、自らを守る道具だから絶対に離すなと一言添えられた。
何のことはない一言だったが、妙に胸に落ち着いた。
自分の身は自分で守る。
それがいかに単純でも困難なことなのか、行ってみて初めて理解した。

生きていることが当たり前で、身に危険が迫ることなど他人事だと、死が遠くて特別のことに思えていた。

「自分より小さな子供が死んでいく。もちろん、ディグダ兵は非戦闘員を虐殺したりはしないはず。でも間違いなく巻き込まれて命が散っていく」
人間の体の脆弱さ、同時に命の軽さを目の当たりにした。
市街地とはいえ激しい戦闘地域ではない。
転がる死体もまだ少なくて歩きやすいと、一緒にいたディグダ兵は冗談とも本気ともつかない言葉を口にした。
今、この場所で反芻すればその言葉がいかに痛々しい現実を表しているのかが浮かび上がってくる。

「子供を連れ帰ったのは死なせたくなかったからね」
「空気さえ濁った色をしていそうな濃い死臭と血の臭い、現実を見ていなかったんだ、その子供は」
これは嘘だ。
全部、嘘だ。
現実を否定した目を、拒絶した意識で虚空を彷徨っていた。
縋るものなどどこにもない。

その少女の生活がどうであったのかは知れない。
しかし、自らの母親が少女を命を掛けて守り流して溜まった血の海に沈む彼女のその瞬間は、何よりも否定したかった現実には違いない。

「私自身の過去を見た。もちろん、あの子供より随分幸せだった。私にはヘレンがいたからな」
現実の母はいなくとも、不器用な愛でクレイを育てた母代りがいた。

「誰かひとりにでも愛されていれば、人間幸せになれるんだ」
アームブレードの上の両の拳を握りしめた。
生きていける。

「でも誰にも愛されていないと知ったとき」
白いクレイの手の甲に被さる、制服の袖へセラは手を乗せた。
手首が小さく震えている。

「唯一必要としてくれるひとが消えてしまったら、生きている意味を見失ってしまう」
言葉にならないクレイの思いを代わりに口にした。

「だから連れ出したのね。自分が代わりに愛してあげようと?」
「何も考えていなかった。ただあの淀んだ場所からは出してあげなければと思った」
このままディグダ兵に保護され、退避した街の人間に引き渡されるか。
まだ幼い彼女が見知らぬコミュニティで一人で生きていけるとは思えない。
彼女の身分は、捕虜だ。
顔つきはもとより、おそらく言葉もこの地域のものとは違う。
どういう経緯で虜囚となったのかは、あるいは本人すら知らないのかもしれない。

子供は、クレイの師であるクレア・バートンの手に渡った。
驚きはしたが、何より安心した。
煩わしいことを嫌うクレア・バートンだが、逆にいえば言動と行動に裏がない。
彼女の行動の予想がつかないのは、言葉や表現が足らず突拍子もなく見えるからだ。
ある意味、素直なのだ。
だが冷酷ではない。
任せるには信頼に足る人物だった。

実地訓練から戻り、一度クレアに連絡を取ったことがある。

しかるべきところに預けたから心配はない。
預かってすぐに風呂には入れた。

簡潔だが、それで充分だった。


「しかし、疲れた」
「その子を運んで具合が悪かったのは、体力がないせいだけじゃないと思う」
クレイが座っている隣の椅子の背に手を掛けて、セラが木製の椅子から立ち上がった。
館主は本館に外出中。
それでも困ることはない。
そもそも鬱蒼と木々に囲まれた灰色館の存在自体、知らない人間の方がはるかに多い。
したがって来訪者もない。

勝手知ったる灰色館で湯の沸いた気配を察知してセラが給茶室へ消えた。
戻ってきたときには彼女が手にした盆の上に、ティーカップとポットが並んでいる。
少ししゃべり過ぎたように思う。
クレイの口腔内は乾きを覚えていた。

「その子と自分を重ねてたから、思い出したのよ。嫌なことを」
「もう問題は解決したはずだ。悪夢に呑まれることも、震えがいきなりくることもない」
「日常生活ではね。でもクレイは膿むほどに深い傷を負っていた」
膿を吐き出して、表の傷は完治たように見えても、消えないものがある。

「痛みはそう簡単に忘れられない。慣れることもない」
時間が傷と痛みを緩和したとしても、また思い出す。
薄い縁のカップへ静かに茶色い茶が注がれる。
鼻に馴染んだ本の匂いと茶の沸き上がった匂いが混じり合う。

長い机が何列もある中、窓際で真ん中あたりに二人の少女だけが並んで座っているのもおかしな感じがしたが、見咎める目もない。

「特化訓練チームのリストにクレイの名前が挙がっていたけれど、またどこか遠いところに行くの?」
「何のことだ」
「あら、知らないの」
ちゃんと掲示板と端末でチェックしなさいとセラに注意された。

「それが、罰なのかな」
速やかに後退せよという命令を無視して、自己判断で子供を持って帰って来たことへの。

「まさか。違うわよ。クレア先生に確認したもの」
「連絡していたのか」
「わたし、あの先生結構好きよ。さばさばしていて嫌味がないから」
特別訓練チームって何かを尋ねただけだ。
少女の話は先ほどクレイに聞いて初めて知り、関係者のクレアは一言も口にしなかった。

「悪いことではないみたい。今回の訓練とかアームブレードの試合だとか授業成績とかで選ぶのだそうで」
詳細は追って当該生徒へ通知。
端末を取り出して片手で操作して出てきた結果だ。
連絡はまだ来ていない。

「しかし血生臭い話ばかりで、気分を悪くしなかったか」
「平気よ。これからは血生臭い話どころか、実際に目の前で触れなければいけないもの」
そうだ、セラは医者の道を選んだ。

「ねえクレイ。わたしもね、戦場に行くの」
耳を疑った。
そんな話、聞いていない。
噂すら耳にしていない。

「医療班の見習、ってところかな」
「そんな」
当然、素人の学生が危険な地域に派遣されるはずはない。
それでも危険な場所にはセラを近づけたくはない。

「だから知っておきたかったの。どんな場所なのか。クレイが何を見てきたのか」
知っておかなくてはいけない、現実だからとセラは絶望の欠片もない澄んだ笑顔で口にした。












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