Ventus  102










しばらく唇に親指を押し当てていたクレア・バートンが、椅子の背もたれから背を浮かせて姿勢を正した。

端末を引き寄せて、文章で送られてきた事の詳細を確認した。

クレイ・カーティナーは市街地での実地試験中に、敵の虜囚である親子を発見。
母親は惨殺されていたが娘は生存のため、確保した。
兵営に連行、娘の取り調べを行おうと試みるが、クレイ・カーティナーが抵抗したため、二名を倉庫にて監視の措置を取る。

「どうするつもりです? 引き取りにでも行くんですか」
「まさか。ただ報告はしておこう」
「報告、って」
「それより、虜囚の親子の素性が気になるな。母親の遺体はどうなったか」
「それならこっちで調べます」
「助かるよ」
フレームの細い眼鏡を人差し指で押し上げて、端末を手元に引き寄せた。
インストゥルメンタルを背景に、絶え間なくキーボードが鳴っている。
クレアはカップの手に指を絡ませて、報告文を読み返してから送信キーを押した。
返信が来るまでの間、暇つぶしに頭の中では報告文に対する上司の反応を数パターン予測していた。

「出ましたよ」
口頭で読み上げるより実際見せた方が早いと、ノートのように薄い携帯端末をクレアの方へ反転させた。
髪、目、肌の色といった身体的特徴が細かく記載されている。
年齢と性別、身長と体重まで詳細に計測されていた。
クレアは顔を寄せて、最後まで目を通した。
人種欄を見終えて、端末を持ち主に返した。

「データを私の端末に送れるか」
「もう送りました」
「早いな」
確認しようと薄い画面に目を落とせば、早々に返信が返っていた。

「何だと?」
あまりのことに裏返った声を上げてしまったが、恥ずかしさに口を閉ざした。
後悔するようにクレアは唇を噛みしめる。
あるいは、それ以上どんな驚きを見つけても派手には反応しないようにという、戒めのつもりなのかしれない。

あえて詮索はしないが、クレアの反応に興味を持った目を送る友人に概要を説明した。

「カーティナーが連れ出した子供に会いたいんだと」
まだ子供の詳細なデータは送信していない。
ただカーティナーが興味を持ったというだけの得体も知れない子供に、会いたいと即答してきたことに、クレアは驚いた。
会ってどうするつもりなのか、子供の身柄はどこに預けるのか、先が読めず返答を打とうとする指が、キーボードの上で固まったままだった。

「だが、断る理由なんて持ち合わせていないんだ」
大人しく要求を通すしかない。
一端、両者の身柄をクレアが引き取り、子供はクレアが一時的に引き受けることになりそうだ。

「やはり、その学生は懲罰対象になるのでしょうか。学生としても致命的な」
通常考えればクレイと組んでいた相手にも、監督義務を問われる事態だ。
加えてクレイは拘束時に抵抗し反省の意思はない。

「カーティナーは戦力になる。ここで潰すのは惜しい」
クレイに同行していた兵の方も、軽い謹慎処分程度で斟酌され ることになる。
     
雨がガラスを叩く音に気づいてクレア・バートンは窓に目を向けた。
いつから降り出したのか、雨滴はガラスに縦、斜めに筋を刻んでいる。

「どうかしましたか」
「いや。何でも」
学生たちは天候も気候もまるで違う、ディグダクトルから離れた地域に派遣されている。
実技授業で戦略とアームブレードの扱い方を学ぶが、実戦はまた別物だ。
年に数回行われる実地訓練で篩にかけているといってもいい。
現場の緊張感に耐え得るだけの精神力を持ち合わせる人間だけが、ディグダ軍に配属される権利を得る。
戦況の拡大により、安全とは言い切れない地区に派遣される学生もでてきた。
学生を送り出す身からすれば、複雑な心境だ。

倉庫に一時監禁されているクレイの無事に安堵し、クレアは改めて端末に向かった。








出ろと促されて腕を掴まれた。
眠っていたのかと気付いたのは体を持ち上げられ、朦朧とした意識の中でだ。
鉄のように体が重い。
重力に意識が引きずり込まれるように、息をするだけで精一杯だった。
足音にまで気付かないほど眠り込んでいるのは珍しい。
自分がどこにいて、どういう状況にあり、今が朝か夜かの判別も付かない中で、無理矢理地面に足を付けられた。

「移動だ。歩けなければ担架を用意する」
耳元で囁かれる声も耳触りだ。

「そうだ、子供は」
泳ぐ目を見開いて、肩を貸してくれた軍服の男の腕に掴みかかった。
答えを促して揺さぶったが、傍から見れば縋りついているような弱々しさだ。

「お前と同じ車でディグダクトルに向かう。そこにいる」
よろめきながらもクレイに駆け寄り、脚を掴んで離れようとしない。

「いったい何なんだお前たちは」
呆れたような声に答える義理もない。
男はすぐにクレイと少女を連れ立って車への廊下を歩いて行った。
簡易な医療施設の裏手に車を横付けしていた。
今度は車内に投げ込まれるような乱暴な扱いは受けず、体を中に引きずり込むようにして乗せられた。
車高が高く、地面に食いつくような大きく頼りがいのあるタイヤの軍用車は、荒っぽい息を上げていた。
人と物資の積み込みが完了すると、さらに鼻息荒くテントを避けながら敷地内を周回し出口を飛び出した。

座席に背中を預け、頭が冴え始めたクレイと水洗いでもされたのか、多少さっぱりとし悪臭も緩和された少女の前に、軍の配給品である簡易な食事が並べられた。

「これでも上級品なんだぜ」
上位階級が施設で取る食事だと説明された。
確かに缶に詰まっていない上、野菜に肉に穀物と種類も豊富で、仕切られたプレートの上できっちり治まっている。

食事よりまず水が欲しい。
思っているところで見慣れた水のボトルが出てきた。

「学園では捻りゃ飲める水が出てくるってな」
「上水道の設備が発達しているからと聞いた。でもこれも売っている。携帯に、便利だから」
味もこちらの方がいいという人間もいる。
拘らないクレイにとっては喉を潤せるならばどちらでも構わない。
揺れる車内、足の間にボトルを固定して食事を始めた。
乗り心地がいいとは言えないが、狭くはないのがまだありがたい。

「休憩は一時間後だ。それまでに済ませちまえ」
同乗した兵士は窓枠に肘をついて、退屈凌ぎに流れる景色を追っていた。
クレイが口をつけても隣の少女は、食事のプレートを膝に乗せたまま動かない。
見かねたクレイがプレートを突いて促し、ようやく食事を口に運び始めた。
食べ慣れないのか、空気に馴染めなかったのか、周囲を警戒しながら始めた食事は、途中から掻きこむようになった。
言葉も噛み合わず、人種も風俗習慣からすべてがクレイたちとは違う。
母は目の前で惨殺され、命を奪われる恐怖にさらされながら母親の体の下で息を潜めていた。
彼女が無事でいたのは、年若い少女へ手を掛けるのが忍びなかったからではない。
母親にされた残虐な様を見れば一目瞭然だ。
虜囚に口封じをするばかりでなく容赦なく切り刻んだ男が、幼女を殺めるのに躊躇いを感じるはずもない。
彼女の生死を確認する前に、クレイらディグダ兵が踏み込んでいるのに怯えて隣の部屋へ逃げ込んだ。
娘を腹の下に抱え込み守り抜いた母、冷えていく体の下、流れ落ちていく体温の上に転がり、すべてを奪われる恐怖と絶望を全身で受けていた。

激変する彼女の小さな世界で、少しでも確かなものに縋ろうと必死だった。
生に対する執着を目の当たりにして、クレイは目を反らせなかった。
母性という確たるものではないにしろ、それに似た感情が湧いていた。

幼い体が満足するだけの食事を摂取し終えるのを、クレイは眺めていた。
彼女も、クレイ自身ですらこの先どういう処遇になるのか予想もつかない。

運転席から仕切り越しに同乗していた男へと声が掛けられ腰を浮かせた。
男が運転手に顔を寄せて、やり取りの中で何度か頷く。

「新しい指示だとよ」
車はディグダクトル手前の街を経由して帝都に入る。
軍関連の施設で保護した少女だけを下ろし、クレイはディグダクトルに戻るという。
クレイの処分については伝達事項に含まれていなかった。
事態はディグダクトルに戻らなければ動かないとしたら、車内で悩んでいても仕方がない。
クレイは目を閉じた。
眠ることで頭をすっきりさせたかった。
眠ってしまい、落ち込む気分を忘れたかったのもある。
瞼に視界が暗転しても、心は休まらず、眠気は降りてはこなかった。

数回の休憩で車は一時足止めされたが、道程は順調だった。
そろそろだとの呟きで目を開ければ、暁で外が滲んでいた。

街中に入ると長い塀沿って車は走る。
中も覗き見ることのできない高い塀が途切れ、敷地内に流れ入ると飾り気のない建物の前でエンジン音が止まった。
短い敬礼を交わした後、男がクレイに寄りかかっていた少女を引き離して車の外に連れ出した。
横に大きな男のお陰で、広く取られているはずの軍用車の扉だったが外が背中で塞がれて見えない。
軍用車の小さな窓では、面白みのない建物の外壁しか切り取られていない。
少女を引き渡す口頭での手続きも終え、そこで降りるのだと思っていた
男はまた車内に戻ってきた。
邪魔な背中が動き、外の様子が窺えた。
扉が閉じられる直前に見えたのは、少女の傍らに背筋正しく立つクレア・バートンの無表情な顔だった。












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