Ventus  101










「担当教官はクレア・バートンだ」
これではまるで誰が敵か分かったものではない。

「IDカードを提示しろ」
指示ではなく命令だ。

撤退し、合流地点で抱え込んでいた少女を地面に下ろして足音を耳にしたと思えば、包囲されていた。
雑木林のように数人に取り囲まれ、クレイは立ち上がる隙すら与えられなかった。
睨み下ろされた目に足が竦むわけではなかった。
ただ疲労感に重くなった膝を伸ばす気になれなかっただけだった。
未だ腕の中にいる少女、ここには彼女の安全はない。
この街の武装集団の手に掛かりそうなっただけでなく、ディグダにさえ囚われればどのような仕打ちに合うか知れない。
保障できる場所などどこにもない。

「そいつを渡せ。確保しろなどと指示は無かっただろうが」
「クレア・バートンと話がしたい」
縋るものも頼れるものもそこにはなかった。

膝をつき、クレイは少女を抱え込んだ腕を強く締めた。
少女の体が僅かに強張る。
抵抗と言えるほどはっきりしてはいなかったが、微かな反応にも胸が熱くなった。
同時に胃のあたりにも熱を持つ。
少女の不揃いに伸びて、固まった髪から血の臭いがした。

「生きてるんだ、だったら」
救ってみせる。
セラに会う前のクレイならできなかった行為だ。
目の前で動かない、ただ死を待つ、生きる意志のない人間がただ生きていても仕方がない。
死にたいのなら朽ちていけばいい。

けれど救われた命が光ることだってあることを、セラが教えてくれた。
クレイはセラに出会って再び生きた。
人形に命を吹き込んだセラ。
今度はクレイが、誰かに生を吹き込みたい。

「殺させない」
生きようとする心が僅かにでもあるのなら。






クレイの強情が通ったとは思えないが、腕を緩めなかったクレイはその中に収まる少女ごと輸送車に押し込まれた。
押し問答をしている間に、学生を乗せた先発部隊は輸送車で後方へ下がってしまっていた。
軽傷者と薄暗い軍用車に転がされ、口を結んで目的地到着を待っていた。
道が悪く乱暴な運転に、片腕は車内に固定されたパイプを握りながらも何度も側頭部や後頭部をを車の壁に打ちつけた。
もう一本の腕は少女に捲きついて塞がっているので、車の壁に足を押し付け、壁に縋りつくように転がる体を支えた。
物資の輸送に使われる車なのだろう。
椅子もなければ、掴まれるような取っ手もない。
トラックの荷台に屋根を被せたような単純な構造だ。
だがそれでいて丈夫なようで、荒れた道をかなりの速度で飛ばしているのはエンジンの回転音で知れた。

半円状に膨らんだ壁の下にはタイヤが威勢よく回っている。
軽傷者といえ、切られた傷、間接が外れた者が壁に背中を押しつけ両足を広げて体を固定させて揺れに耐えている。
学生が派遣されるのは、それなりに安全の保障された地区では無かったのか。
甘かったのだと実感した。
使えるものはどんな人間でも使う。
表面上は平穏を装ってはいるが、明らかに戦火は広がっている。
反乱、内戦、鎮圧、連鎖は広がる。
鎮圧は不満や反抗の芽に水を注ぐのに同じ。
憎しみは育つものだ。
クレイは未だ、集まった憎しみの萌芽を目にしてはいない。

急に強く踏み込まれたブレーキにクレイの足裏は車の壁を離れた。
一瞬跳ね上がった体は反対側の壁に腕からぶつかり、再び転がっていく。
胴体の前に現れた障害物で、横転は治まった。
床を這いつくばり、改めて腹の辺りを見やった。
太い脛がクレイの体に壁を作っていた。

四つん這いになったクレイの腹の下には少女が転がっている。
怪我もなく無事だ。

「着いたようだ」
脛と同じ図太い声がし、見上げれば毛むくじゃらで日焼けした熊のような風貌の男が脚を退けた。
車の壁に手を掛けて立ち上がれば、巨体に車が軋む。
後部の小さな窓から外を伺い、外部の安全確認後開放した。

白い光は降り注ぐ昼間の陽光のように穏やかなものとは違った。
白く強い、消毒でもされるかのような痛々しい光だ。
汚れた体を責め苛むような重い光だった。

クレイの左右を負傷兵らが扉の向こうへ流れ出ていく。
光は希望ではなく、恐ろしい場所にでも通じるかのように思えた。

どうすべきか。
迷って動けない間に、最後の兵が降りて入れ替わるようにして一人が踏み込んできた。
逆光の中の影は酷く大きく、存在感があった。
上から掴みかかるような腕が伸びてくる。
救いの手ではなさそうだった。
動物を掴むように、襟首を掴まれ文字通り引きずり出され、車の下に放り出された。

だがそれで解放というわけにはいかないらしい。
眩い光に目が開けられないでいるクレイは、人声の騒音の中で立てと命じられる。
口に出されるより先に鷲掴みにされた腕を引き上げられ、強引に立たされる。
子供は、片腕で包んだまま自分の腹に押しつけている。
クレイとともに引き上げられた形になった彼女は、今度はちゃんと弱々しいながらも脚を伸ばしていた。

説明も無いまま、引き摺られていく。
眩しさと頭痛で目が開けられない。
頭を振り、順応が追いつかない目に苛立ちながら瞬きを繰り返す。
足裏は砂道を捉えている。
男の声がする。
学生は、いるのかすら分からない。
瞬きの狭間に飛び込んでくる景色には、それらしい影はない。
体が重い。
体中が痛い。
脚は腫れているように硬直し、間接は硬い。
普通に歩くことすら困難だ。
どうしてこんなに疲労しているのか分からなかった。

建物の中に入って初めて、薄暗い中で目を開けられた。
医療施設なのか壁が白い。
学園内のように清潔な医務室ではなかったが、消毒液の濃い匂いは似ている気がした。

腕を引かれるといった優しい扱いではなく、痣ができるほど強く引き摺られながら幅の狭い廊下を二本抜けた。
その間もここがどこで、何のためにいるのか一切の説明はなかった。
クレイの腕の中で身じろぎしない少女の重みだけが現実のように思えた。

目の前で扉が開け放たれ、乗せてこられた軍用車に転がされたときのように、部屋に突き飛ばされた。
さらに薄暗い部屋だ。
灯りは壁高くについたランプだけ。
壁の四方には天井まで届くほどの、スチール棚で埋まっていた。
劇薬も混じる薬品庫に閉じ込めるはずはない。
小箱が並んで中身は覗けなかったが備品倉庫のようだった。
一緒にいた少女はまたも引き剥がされようとしていたが、クレイが抵抗し少女を腹の中に抱え込んだ。
クレイをここまで連行してきた男は諦めて、少女もろともクレイを室内の奥に押し込むと、扉を閉めた。
外から鍵が掛けられる金属音がする。
同時に、扉越しにくぐもった声が交わされていた。
部屋の警備を指示したのだろうとは想像がついたが、以降の処遇についてはまるで予想もできなかった。

素直に学園には返してくれそうにないことだけは、明らかだった。








話題が途切れたところで、クレア・バートンは丸テーブルの下で脚を組みかえた。
エリアGと呼称される区画に軍施設が乗っている。
学園の前から出ている電車で六つ駅が離れている。
宿舎も施設に隣接しており、生活用品の購入から喫茶室、カフェテリアまで一通り揃っている。
多くを望まなければ、施設内で十分生活できるだけの設備が整っている。
とはいえ、施設で購入できる物資やサービスが外部と劣っているかといえば、そうでもない。

注文した軽食は美味かったし、テーブルの間隔を広く取られた喫茶室の 騒がしくない空間は嫌いではない。
小声で話をしても隣の席に届きにくいというのも悪くない。

情報交換として午前中から同僚と話し込んでいた。
女性でアームブレードの指導教官と軍を兼任している人間は少ない。
双方とも忙しい毎日だったが、久々に時間がとれた。
メールでの事務的なやり取りはしていたが、直接会って話す内容の量と質には匹敵しない。

「メール、入ってますよ」
眼鏡で少し幼さが残る二十三になる女性が、クレアの話相手だ。
のんびりとした口調の彼女が、教官の仮面を付けると豹変する。
アームブレードを手に佇む姿は息を潜めるように静かだが、鳥肌が立つような刺々しい空気が流れてくる。
対面していると、それが欠片も感じない彼女の指が、クレアの端末を突いた。

「ああ、実施訓練場からだ」
「わあ、めんどくさそうな顔」
「死人だけは出さないでほしい」
「やめて下さいよ、縁起でもない」
汗のふいたグラスを口に当てながら片手で端末を弄っていたクレアが、突然噴き出した。
グラスをテーブルに叩きつけ、前かがみになって咳きこむ。

「大丈夫ですか!」
気管に入った飲み物を咳きで飛ばしてからも、肩が小刻みに震えていた。
よほどよくない知らせだったに違いない。
怒りなのか、泣いているのか。

震えるクレア・バートンの、見たことない姿に戸惑って声が掛けられない。

彼女がいきなり両腕を机の上に乗せると、机が軋むほど揺れた。
体を強張らせた同僚を前に、むくりと顔を起してそのまま仰け反ると、爆笑した。

文字通り爆発するように笑い始めたので、喫茶室で空き時間を楽しんでいた数人が二人を振り返った。

「どうかしたんですか」
恐る恐るクレアの顔を覗きこんだ同僚に、クレアは笑いを飲み込んでから、答えた。

「馬鹿が拾いものをしたらしい」












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