Ventus  98










授業が一区切りし、クレイは欠伸を噛み殺した。
次の教室は二つ向こうの部屋で急いで席を立つ必要もない。
午後にはアームブレードの授業が二時限連続である。
授業の形態が少し変わった。
儀礼から入る一対一の競技的なアームブレードから、一対複数のより戦闘性、戦術性の高い形態へと移行した。
あまり考えたくはないが、より実用的なアームブレードへ変わったと言えるだろう。
クレイを含め、生徒が戦闘地区へ派遣される日に備えての動きが顕著になって来た。
最近周りが騒がしいのもそれが原因の一端でもある。

縦も平面も巨大な空間に障害物を乱立させる。
環状訓練施設でクレイとカインが行った試合の進化版だ。
映像解析度と臨場感はカインの友人が手を加えた、彼らものに及ばないが、規模は圧倒的に差を付けている。

稼働障害物とホログラム、映像を駆使し、敵を作成する。
それに混じって学生が走り回る。
教師は部屋の各部に配置されたモニターで監督と指示を与える。

より実際の戦闘地域に近い環境を作り出した。
だが防護具を装着したアームブレードでは血は流れない。
命が散ることもない。
命の重みも痛みも感じない。






いろいろな思いとは裏腹に、教室は賑やかだ。
教師の消えた学生ばかりの部屋には、席を立とうとした椅子の音や笑い声、潜めることない話声、教科書を重ねる紙の音、扉の開閉音。
鍋の中にあらゆる音を投げ込んで混ぜ込んだように、音が渦巻いている。

隣の席には珍しくセラがいた。
単位制の選択授業では、一部セラと同じものを取っている。
斜め前にカインの黄色い頭が見える。
上から見るカインの髪は、手を伸ばして触れば刺さりそうなほど刺々しい。
セラはすでに触らせてもらった。
天然? との問いかけに、人工と返って来た。
整髪料らしいが、思ったより固くなかったとはセラの感想だ。

カインが同じ授業を取っているのを最近になって知った。
話しかけてきたのはカインの方からだ。
あれ、一緒だったんだとか、そういう一言から始まって以降カインが寄ってくるようになった。
今日は黄色い頭を見下ろせる一列飛ばして左斜め前に座っていた。
体を捻ってこちらを向きながら、セラに話しかけているその二人をクレイが眺めている。
密着しない程良い距離、そういう三人の構図が定着した。


悩みながらも平凡な毎日。
それが幸せ。
クレイが気づいたのは最近だ。

壊れやすいもの。
繊細なもの。
取り巻く環境、流れる時間、人の繋がり。
絆と世界。
すべて、それらすべて大切で、愛おしい。






「兄さん!」
声変わりもまだのような軽い声がした。
階段状に並んだ教室の最下段から足音とともに駆け上がって来た。

「よかった、まだここにいて」
息を切らして通路を登り切り、カインのいた長机の端へ手を掛けた。
カインと同じ黄色い髪だが、彼より長い。
よほど急いでいたんだろう。
耳まで掛かる髪が乱れて浮き上がっている。
少年だ。
突然の乱入者はカインとは似つかない小柄な体をしていた。

「何でここにいるんだ?」
驚きに上ずった声をカインが上げた。
むっとした表情で、言い返そうとした彼をカインが遮った。

「ああ、あのな」
弟と並んで座るクレイとセラへ目を左右させながら、切り出した。

「こいつ、弟なんだ」
「え、っと」
瞬きを繰り返して動揺する目の大きな弟は、どこか子犬のようだった。
走って来て上気したほの赤い顔色でセラとクレイを凝視する。

「は、はじめまして、こんにちは」
数秒後、思い出したように二人へ頭を下げた。

「レヴィ・ゲルフっていうんだ」
「はい。わたしはセラ・エルファトーンっていいます。お兄さんのお友だちです」
「初め、まして。クレイ・カーティナー、です」
きちんとした、挨拶らしい挨拶など生まれてこのかたほとんど経験したことのないクレイだが、流れには逆らえなかった。
口にしてみたものの、たどたどしいことこの上ない。

「珍しいな。ここに来るなんて」
「そうだ。これだよ」
レヴィがカインの前へ本を突き出した。
目の前に飛び込んできた分厚い書物を顔の左に避けながら、上から掴んだ。

「本を借りてまして。返しに来たんです」
兄へ本を押しつけながら、レヴィが左に顔を向け、状況理解に困惑する二人に説明した。
兄の方へ向き直る。

「ぼくがレポートを書くから。借りたのはいいけど、兄さん。これ午後からの授業で使うだろ」
レヴィが昨夜、いつものように兄の寮へ訪れた。
レポートの話を何気なくしたら、参考資料を貸してやると本を差し出した。
資料探しに中央図書館へ行かなければと思っていたところだったので、一足先に手に入った書籍をありがたく受け取った。
週末までに返してくれればいいからと言い添えてカインが手渡した。
そのときよくよく考えていればよかったのだが、気づいたのは翌朝朝食から戻り、自室で制服の上着に腕を通している時だった。
慌てて歩きながら知らせるメールを流したが、返答はなかった。

「忘れてた。それがなきゃまずい。しかしよくわかったな、午後から必要だって」
「兄さんの授業スケジュールは頭に入ってる」
照れたようにカインが笑う。

「じゃ、ぼく行かなきゃ。次、授業で」
「ありがとうな」
踵を返したレヴィ・ゲルフに、クレイが呟いた。

「カインに似てるな」
「そうか?」
「賑やかなところが」
弟は耳まで真っ赤にして逃げるように階段を走り下りて行った。

「かわいいね」
小動物を愛でるような慈愛に満ちた表情で、セラは振り向きもせず部屋から出ていく弟の背中を見送った。

「中等部なんだ」
「そうか」
「クレイも気に入ったって伝えておくよ」
「どうしてそうなる」
勝手に人の気持ちを読んだように語るなと机に散らばったままだった教科書を束ねた。

「だって本当に気に入らなかったら、口は利かない目も合わせない席を立つ、だろ?」
「分かっていらっしゃる」
口を噤んだクレイに代わってセラが答える。

レヴィ・ゲルフがしばしばクレイとセラと顔を合わせるようになったのはそれからだ。
弟が欲しかったのだと、セラがカインにレヴィも呼ぶようにとせがんで、放課後に学園内を連れて歩いた。

意外に、レヴィは兄と同年の彼女らにすぐ溶け込んだ。
兄のカイン・ゲルフより内面が自立しているからかもしれない。
また以前より、話好きの兄からその周りの友人について細かく話を聞いていたせいもある。
レヴィと並ぶと、カイン自身についてもいろいろ見えてきた。








あっけないほど、事態は進んでいった。
戦うということ、その重みと痛み、意味を見出すことのないまま、彼らは戦地の土を踏みしめる。
拭われることのないまま、赤い血が染み込んだ土の上を。




「風が、乾いているはずなのに。何だろうこの沈鬱な、まとわりつくような空気は」
クレイ・カーティナーは口を覆った。
しかるべき知識と技能を叩き込まれてきたはずだ。
周りにまとまっている人間すべてがそうだ。
能力の差を数値化され、それぞれに配置が定められた。
コンテナのような車に押し込められ、運ばれてきた。

後方支援部隊で業務担当に付いて仕事をする生徒もいた。
だがここに固まっている学生は戦闘兵種。
目の前には輸送車から次々に流れ出てくる戦闘服の人間が溜まっていく。
腕には一様にアームブレードを装着している。
それはクレイ・カーティナーも同じだ。
だが学園内とは違う。
ここでは防護具などというものは取り払われていた。
触れれば切れる。

振るえば人を切れる。
殺すことができる、殺すための武器を握り締めている。


大丈夫。
死ぬはずがない。
ここは安全なはずだ。
まだ俺たちは学生で、これは授業の一環で。
言い聞かせるように、慰め合うように彼らはそこにいた。

だがいつまでも固まっているのは許されなかった。
戦闘兵に付き散り散りになっていく者たち。
互いに離れれば、怖いと震えてばかりはいられない。
自ら動かねばならない。

「指示通りに動けばいい。一線じゃないからと気を抜くな。敵には学生か一般兵かなんて関係ない」
警戒しながら壁際の陰で持ち場を守る兵に並んで、クレイは息を潜めていた。












go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page

















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送