Ventus  95










焦げた茶色の机の端から地図が折れて垂れている。
閑散としている閲覧室の一角に居座って一時間は過ぎた。
数分前に連絡があった。
放課後はいつものように拘束されているのかと思っていたから、意外だった。
もうそろそろ来るころかもしれない。
思いついたように顔を上げると、目が疲れているのに気づいた。
強く数回瞬きを繰り返し、目頭を押さえた。
上を向いた視界には、一階の天井にへばり付いた天井扇が回っている。
空調の通風口は離れたところから風を吐き出している。
天井のファンが空気を攪拌しているので室内は静かだった。


クレイの相手をするはずのクレア・バートンは急な出張で時間に空きができた。
当然の流れのようにクレイはセラに連絡をつけ、居場所へと駆け付けた。
中央図書館の白い石階段を駆け上がり古風な扉を押し開くと、壁一面が本だった。
あまりに量があり過ぎるので、それらがすべて本の背表紙だと思えない密集度だった。
吹き抜けから見上げた二階、三階の光景は圧倒的だった。
セラに付いて何度も図書館には通ったが、今立っている足の下にも何層にも渡って本が埋まっていると思うと不思議な気分になる。
人の知識の塊が無数に、今周りを取り囲んでいる。
海の中にいるような気分になる。
カウンターの中で座っている図書館員は静かながらも忙しなく手を動かしていた。
奥ではカウンター越しに蔵書の説明をしている。
使い古された館内地図を取り出し、地図の上に置いた指を今度は図書館の奥へ指さしながら小声で案内している。
穏やかな声は、すぐ近くにいるはずなのにクレイのところまで届かない。
静かに話せる声質の人間を採用条件にしているのかと思えるほどだ。

図書館員は皆一様に滑るように音を立てずに歩き、背筋は美しく、指先の動きひとつを取っても荒々しさがない。

行き交う学生服と館員をかわしながら、入口のラックで引き抜いた館内地図へ目を移しつつ奥へと進んだ。
木目の浮き出た柱に、装飾細やかに施された壁と天井は芸術品だ。
地下には貴重な蔵書も眠っている。
この図書館自体宝物庫のようなものだ。



「疲れ気味だな。またややこしいレポートなのか?」
椅子の背に手を掛けた。
天井を見上げてぼんやりとしていたセラの目がクレイへと移る。

「ちょっと、調べ物」
「ジェイ・スティン関係か。飽きないな」
「それも継続中。けど今は別件ね」
「地図。またどこかに行きたいのか」
「そうねえ。それもいいけど」
隣の席に手を伸ばし、椅子を引いた。
クレイをそこに座れと促す。
ノート型の薄型端末の画面を広げ、並んだ二人の間に置いた。

「これ、何だかわかる?」
端末の画面には地図と、曲線が数本引かれている。
画面上部には陸地の端がはみ出ており、グラストリアーナと書かれていた。
下部には、もうひとつ陸地があり上部と下部を曲線が結んでいる。

「これは、航路図か」
「正解。で、これがわたしたちが乗った船の航路ね」
SHD三三二便という文字の下にある線へカーソルを乗せた。
下部の陸地にはエストナールとあり、港には出港時刻が表示されている。
線の端から押し上げるように上へと辿って行った。

「夕食が終ってからだから七時から八時くらいだったかしら」
独り言を聞きながらクレイは状況を思い出そうと努めていた。

離島にいるセラの叔母を訪ねた帰りのことだ。
エストナール本土に戻り、そこからディグダ行の船に乗った。
二日目だったように思う。

「腹も膨れたから外で夜風に当たってたんだったかな。周りには何もなかったけど、そういえば夜になると毎日夜会だった」
とはいえ、そのような華やかなイベントに二人は無関係だった。
漆黒の海に浮かぶ一艘、賑やかな限定された空間だった。

「覚えてる? 赤い光が見えたの」
「ああ。何もない場所に一瞬。見間違えかとも思った」
「デッキに出てる人がみんな一斉に船内に戻った。理由は」
「海が荒れるから、とか」
「でも実際は何も起こらなかった。単に警戒しただけかもしれないし、天候は変わりやすいから。うまく危険地帯を避けられたのかもしれない」
でもね。
セラは続けた。
どうしても気になるという。

「わたしたちが乗った時刻、通った海域、周辺の島と陸地。照合してみたけど、地図上に光を発するような島はないの」
「島とは限らないんじゃないか。海の状態を測定する機械だとか」
「光は鮮明じゃなく、遠かった。とにかく、調べるだけ調べたかったの。だって、すっきりしないじゃない」
「でも地図には」
「ネットワーク経由で手に入れられる地図じゃなく、保管してるものが見たかったの。最新のものでもだめ」
「それで、これか」
机を占拠している地図をクレイが手繰り寄せた。

「五年前だな。ええっと」
「このあたり。よく見て」
「点、が」
「島の名前は不明。でも確かにあるのよ」
「消えた島?」
「そう。不思議よね。どうしてあるはずの島が消えるの? 元々認識されていなかったわけじゃない」
確かに地図上には存在を記されていた。

「わたしが調べられたのはそこまで。残念だけどね。解決なんてできない」
「すっきりしたか?」
「解きようのない謎に直面したら、諦めるしかないわ。それに、わたしにはもう一つ調べるべきことを抱えているから」
そちらこそ、ジェイ・スティンからの宿題だ。

「あら、誰からかな」
セラの端末にメールが入った。

「カイン・ゲルフだって。クレイ、見て」
メールを開いた。
試合会場の連絡で日時は今週最終日の夕方とある。

「この間言ってた試合ね」
「来たか」
待ってたわけではない。
なかったことにはならなかったらしい。

「承諾してしまったのだから仕方ない。全力で行く」
「そう言えば、カインの試合映像送っておいたんだけど」
「今日、後で、チェックさせてもらいます」
「忘れないでね」
「はい」






予定していた授業はすべて終了。
いつもならばその後にクレア・バートンに呼び出されるのだが、彼女は今日も不在だ。
授業に組み込まれているアームブレード実習の教師は代行者だった。
クレアの召集がなければ、セラの授業が終わっていれば彼女や、リシアンサスとマレーラらと過ごす。
あるいは訓練施設に籠るかのどれかだ。
寮に戻ってもやることは出された課題の消化くらいだ。
狭い部屋も以前は苦痛でも何でもなかったが、最近ではどうせ課題をするのなら灰色館に籠っているほうが効率がいい。
高い天井と程よく広い空間、使い込み手触りの滑らかになった机と椅子、室内に満ちる紙と木の匂い。
どこか落ち着いた。
館主のヒオウ・アルストロメリアは決して邪魔をしない。
ただ静かにお茶を注ぎ足してくれるだけだ。

試合場所は円形の訓練施設だ。
馴染みの場所だが、上層階は踏み入れることがなかった。
個人使用不可、予約で埋まりなかなか確保できない大訓練室はそこにあった。

いつも通り、厳重保管されていたアームブレードを引き取って入室手続きをする。
予約者五名とあった。
内、三名はすでに入室している。
三名とは、カインと友人二人のようだ。


個別の訓練室より扉は大きい。
それだけなのに、空気すら変わった気がする。
雰囲気の変化は、上層階に踏み入れた時からすでに感じていた。
装飾のほとんどない澄んだ空気の空間で、上層階に入ればさらに空気は研ぎ澄まされていた。
大病院のようだと、セラは思った。

「クレイ、準備はいい?」
「いつでも」
大扉の前で緊張していたのは、きっとセラの方だった。












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