Ventus  93










廊下は人の数が朝の半分くらいになっていた。
目を瞑っていても肩が当たらないとは言わないが、あえて交わさなくても十分避けられるくらいには余裕があった。
競技場内の選手区画。
文字通り選手しか踏み入れることを許されない区画だ。
試合で負けた者は本大会での選手の資格を停止される。

「つまり敗北者は去れってことか。冷たいな」
カイン・ゲルフが通りかかった控え室に顔だけ出した。
ここも人が疎らだ。
殺伐とした空気は変わらずだ、いや以前にも増したか。
踏み入れたら切り刻まれそうだし、もう用事もなかった。

カインの試合は終わった。
最後の試合は一本先取で浮足立った所を叩かれた。
調子に乗るなと担当教師に怒鳴られるだろう。
それを思うとため息が出るが、自分では納得できる成績だった。

「また来年、よろしくな」
敗北者の一人であるカインがここにいる権利はない。
大人しく、後ろ手でさよならをするつもりだったが思い返した。

「けどまあ、一試合くらいはいいかな」
よくはないだろうがクレイの試合だけ見て観客席に戻ろうかと思った。
選手区画からだと四つの試合場どれでも間近から見ることができる。
観戦で用意された二階席、三階席などよりかはずっと迫力があっていい。
言い訳か。
そうだ、アームブレードの収容ケースを探してただの、刃と相手を守る防護具の調子がよくなかっただの、何とでも言えばいい。
神妙な顔をしながら、困った口調で以後気を付けますと口にするくらいの芝居は、カインでも打てる。

クレイの出場する試合場を掲示板でチェックして早足で歩き始めた。
選手区画である競技場の内円回廊を突き進む。
背丈が高いので、闊歩する姿はまさに風を切る勢いだ。
半周して足を止めた。
クレイの試合は、もう始まっている。
歓声は同時に流れる四つの試合に沸いていた。
回廊のさらに内側、ガラス壁を隔てた向こう側に入り込んだ。
青臭い匂いが立ち上る。
芝生の上には腰を下ろして自分の試合までの時間ぎりぎりまで、試合観戦をする選手たちが所々に並んでいた。
全員が同じ方向を凝視し、瞬きも忘れ、試合場狭しと動き回る選手の動きを追っていた。
その芝生区画からさらに内側は出場選手のみが立ち入れる待機区画だ。
待機選手が間もなく始まる自分の試合をベンチで待つ場所だ。
掲示板にまだ名前が流れない一般選手が立ち入れるのはここまで。
もっとも、負けたカインはすでに一般選手の権利すらないのだが。


向かい合ってアームブレードを構えた二人の間には、息苦しい緊張が重く横たわっていた。
張りつめた空気は揺らげばすぐに破裂しそうだった。
睨み合う二人は互いに隙を窺う。
同時に動き出す瞬間を狙っている。
相手の剣先が空気の上を滑るように水平に流れる。
アームブレードの右腕を左に引き寄せ、ブレードの背に手を添える。
息を詰めた。

クレイはブレードを縦に構えた。
刃で顔半面が隠れた。
引き結んだ赤い唇、見開かれて瞬きのほとんどない漆黒の瞳。
蒼白なのは緊張のせいか。
人形のような顔だった。
透き通っていた。
彼女の頭には、今この試合のことしかない。
相手をいかに切り伏せるか、それだけしか考えていない。


クレイが片足を引く。
地面を踏み締める。

相手も連動する。
姿勢が傾いた。
触発され、踏み出した。

間髪なくクレイも飛び出す。
放たれた弾丸だった。
一気に間合いが詰まったかと思えば次の瞬間互いに弾き飛ばされた。
よろけることもなく二人は踏みとどまり、姿勢を先に起こした方が先制を打てる。
体重の軽いクレイがコンマ以下で遅れた。
相手が追撃を掛ける。
その下に潜り込んだのは体の有利を活かしたクレイの咄嗟の判断だった。
下から叩き上げるようにアームブレードを振り上げた。
だが深く入りすぎる。
相手のブレードはクレイの肩を通り過ぎた。


絡み合うように接近した二人は、競り合い再び距離を置く。
石をぶつけ合うように激しく、アームブレードが触れ合う度澄んだ強い音がした。
クレイが体を捻り飛び上がる。
バネを開放するように斜めに、体重をかけたブレードを放った。
相手が受けにくい右上だったが、ブレードを巧みに傾け防いだ。
姿勢が崩れることなくクレイの重いブレードに耐えた。
逆に腕を開いて跳ね返した。
クレイが後ろに引かれる。
背中から地面に落ちかける。
左足で支えようとするが、その時目の前に相手の顔があった。

一本、取られた。
見事な、映像判定する必要もない明らかな真正面に一本だった。
防具をつけていなかったらクレイの腕は離れていた。


中央線に戻る。
二戦目、試合が再開した。






クレイに焦りは見えるか。

気が逸ったら負けだ。
落ち着け、クレイ。
カインは手を握り締めた。
見ているこちらの指先が冷たくなっていく。
背筋に冷たい汗が滲む。

大丈夫だ。

クレイは大きく踏み込んだ。
腕は外側から引き寄せられる。
大きく弧を描き剣先は着実に相手の体を追っている。
防がれても、一歩引き下から掬い上げるように次を繰り出す。

剣先が地面すれすれを流れる。
左腕が水を掻くように後ろへ回った。
通り過ぎて行った腕、手の後ろから、食いしばるクレイの白い歯が見える。
黒い横髪が浮き上がる。


カインの目の前にある試合場の境界線の端にまで接近した選手二人。
クレイの表情が目の前に迫った。

「笑って、る」
カインの言葉は声にならなかった。
逃すまいとした一瞬一瞬、クレイの活き活きとした眼がそこにあった。
去年の彼女の試合と重なった。
体の筋を限界まで引き延ばし収縮させてアームブレードを操る姿。
相手も応戦する。

競り合いになったブレードが軋みあい、擦れ合って痛々しい悲鳴を上げる。
顔を突き合わせた二人。
気が反れた方が負ける。
クレイの眼は獣の目、獣(ビースト)の眼だ。
強い光を放つ。
決着は付かないまま二人のブレードは互いの肩口に流れた。
再び絡み合い揉み合う前に間合いを取ったが、今度はクレイの切り返しが速かった。
アームブレードを構える前に相手に体ごと飛びかかった。
ブレードはクレイの背後に回っている。
前傾姿勢で無防備なクレイの体が左に大きく反れ、体が傾いた。
腕の力ではない、体重と推進力が今度は左に体を捻った遠心力に変わる。
右腕のアームブレードは左肩を斜め下へ引いて持ち上がる。
深すぎず、浅すぎず、ちょうどいい位置で踏み切った。
届くか、と目を細めたカインの心配も要らないほど、絶妙にブレードの真ん中が相手の脇腹を捉えた。

カインは足が崩れそうになり、二歩後退して壁に背を凭せ掛けた。
鼓動が速い。
クレイが恐ろしくも感じた。
一戦目、二戦目。
試合を重ねるごとにクレイの反応速度が増しているように思える。
制服の袖で額を拭った黒髪の友人の横顔を凝視した。
頬に掛かる髪を左手で掻きあげた。
持ち上がった髪の下にあった顔は、やはり微かに笑っていた。






剣先がクレイの顔すれすれを擦り抜ける。
ブレードが巻き上げる空気でクレイの髪が浮き上がる。
目蓋を閉じることもなく僅かに細めた横目はブレードの流れを追っていく。

クレイのブレードが腕を持ち上げた相手の横腹を掠る。
踊るようにリズミカルに、跳躍と突撃を繰り返しながら絡み付いては離れ、再び喰いついて決定打はなかなか出ない。
クレイの唇は酸素を求めて薄く開く。
相手の肩は呼吸で上下する。

腿を胸に引き寄せながら駆け寄り、果敢に攻め続ける。
火花すら目で捉えられそうな、苛烈さに追うカインの目が微動する。

正面を打ち抜こうとした相手のブレードを、自分のブレードの峰で受ける。
クレイの壁を破ろうと、相手のブレードが圧し掛かってくる。
三度目に打ち込んできたときクレイは自分の左肩にブレードを流し、右から相手の側面に回り込んだ。
後退しながらブレードを相手の腕の下から引き抜く。
アームブレードは長さがあるため接近し過ぎると互いに身動きが取れなくなる。
焦りただ闇雲に振り回せば、厚みが薄く先細りしている披針形のブレードがまともに空気抵抗を受け、体のバランスを崩す。

クレイの体力にはまだ残量があった。
だが、動きが鈍っている。
相手も息が切れて、ブレードの流れが乱れ始めた。
空気を孕んだアームブレードは軽くはない。
正しい流れを乱し、力で振ればたちまちに体力は消耗する。
二人に息を整える暇はない。

相手が肩幅に脚を開き、腰の位置を固めた。
クレイも、そろそろ決着をつけたいところだ。
脚を開き、姿勢を低く取った。
下から見据える。



静止した二人の空気と時間。
それが同時に動き、破られる。
飛び出した二人、上から被さるように振り下ろされる相手のブレード。
体を前に出したクレイは、左足で踏み切り右脚を胸に引き寄せて下半身を捻り、引き寄せられる上半身の力でアームブレードを相手に叩き込んだ。


しかし、ほんの一瞬クレイの方が出遅れた。
カインの目が結果を覚り、判定もまた同じ結果を出した。






クレイは善戦したが、結果は二対一。
それでも試合が終わり、最後に立った試合場で相手と向き合った時、彼女の顔は晴れやかだった。
あんな顔もできるのかと呟き、背を伸ばし試合場を去っていくクレイの背中をカインは見送った。












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