Ventus  92










名前が掲示板の上部に現れた。
電子の中にも重力があるかのように、文字は下へと引っ張られていく。
クレイは重い体で立ち上がった。
剥き出しのアームブレードが床で擦れる音がした。
周囲にいた選手の視線が集中する。
期待の温かい視線でも、応援の頼もしい視線でもない、お前がどれ程の実力か見定めてやろうという圧力だった。
絡みつくなどと生易しいものではなく、隙あらば押し潰そうとでも言うような攻勢の眼だ。
幾つも、幾つも、数えるのが嫌になるくらいに。

文字が半ばまできたところで、アナウンスがクレイの名を挙げた。
対戦相手は、聞いたこともない名前だ。
上級だろうか。
それとも新入か。
どちらでも構わない。
今は、余計なことを考えたくなかった。

試合場に踏み入れる前にもう一度息を吐きだした。
吐き出す空気が揺れている。
手に力が入らないのを、無理矢理握り締める。

そうか。
クレイは気付き、顎を持ち上げた。


「緊張しているのか」
目を細めた。
笑えた。

理由はわからない。
どうでもいいと、勝つだの負けるだのくだらないと思っていたはずなのに。

「負ければ、終わり」
一生のうち、数えるほどしか大会に出られない。
全力でぶつかる機会など恵まれない。
これが終われば、次がなければ。
軍人になれば、今とは違う。
アームブレードを握る意味が、違ってくる。
本気の殺し合いが始まる。

「最後になるかもしれない」
せっかく勝ち進めたのに、そこで終わりになってしまう。

欲が出る。
腹の奥底で疼いた。
あるはずがない欲望が芽を出した。
勝ちたい。
終わらせたくない。

「終わりたくない」
アームブレードを翳す。
光を受け止める刃の向こうに相手が見える。
構え、そして動く。


激しく合わさるブレードの音は歓声にかき消され、観客には届かない。
だが、クレイには感じる。
その重さ。
陶器を弾いたような澄んだ音。
腕が痺れる衝撃も。
ここにいるからこそ分かる。
感じられる。
あちらがわに行ったら、見る側に回れば、この感触も遠いものになる。


体の肉という肉を収縮させ、バネのようにしなやかに技を切り込む。
遠心力を借りた水平の太刀は相手をひるませた。
崩れた体に上から圧し掛かるように、体重を掛けた重い剣で防御を崩す。
流れるように繰り出して、身を離す。

クレイの動きについてくる相手は、防戦だけに回っていない。
右足で踏み込み、クレイの肩を削る。
防具の上からでも衝撃は重い。
生身だったならば、肉が削げていただろう。
クレイの肩から滑ったブレードを引き寄せた隙を突いて横腹にブレードを叩き込んだ。
音が試合場を走る。
クレイの放ったもの、そして重なり合うようにもうひとつ。



「どっち!」
映像班の彼女は身を乗り出した。
目の前の試合、勝敗は同時に見えた。
肉眼では捉えきれないコンマの決着は。

結果は電光掲示板とアナウンスで知らされる。
彼女はカメラから取り込んだ映像を即座に画面に表示させる。

クレイ・カーティナーの名は挙らない。
食いつくように画面に顔を寄せた。
端末の映像再生速度を落して確認する。
同時に振り上げられたブレードは、極僅かに相手の方が早くクレイの上腕に吸い込まれていた。

両者が分かれる。
クレイは息が上がっている。
相手は眉から流れた汗を指先で拭った。

次に一本、取れば相手は先に進める。
クレイが押さえれば、三戦目で勝敗を決することになる。


両者の足元の土が鳴いた。
固く踏みしめ、最初の一手を待つ。

奮い立ったのは、相手の方だ。
一本取ればこの試合は抜けられる。

クレイは細く息を吐いた。
背水の陣。
だが、焦っては足を踏み外す。
アームブレードを静かに構える。
取るぞ。


クレイ・カーティナーの俊敏な動きに食いついていく相手の足。
見ていてぞくぞくした。
ブレードが体に触れそうな寸でのところでかわす。
体を捻って、相手に次の一手を打ちこむ。
それを受け止める。
横に流して、攻勢に回る。
攻防が転じ、展開が速過ぎて動きを追う目が疲れる。
攻勢はクレイ・カーティナーだった。
高揚した相手を境界線まで追い詰めた。
その場で、一本。
相手の腕を取った。


「これで、一対一。持ち越し、か」
固く握りしめた拳を唇に押し付け唸り、記録係の彼女は手元にある端末の画面に目を落とした。
ちょうど友人からメールが入ったところだ。

「はいはい。映像ね。そう急かすな」
言いながらも指は忙しく動く。
三戦目が始まるまで数十秒。

「こっちだって、仕事中なの、よっと」
送信。

「撮り立てほやほやよ」
終わるまで黙ってて、と一言入れておいた。
二人が審判を挟んで向き合った。

録画の状態をチェックする。
映像位置問題なし。
録画モード問題なし。
容量も、問題なし。
映像はリアルタイムで本部と審査部と手元の端末に流れて散っていく。
競技場各所に配置されたスクリーンには、アングルが選別された映像が配信されている。

「次で最後か。どっちが落ちる? どっちが上る?」
脚を組み換えてあまり座り心地がいいとはいえない折りたたみ椅子の背に凭れかかった。

クレイ・カーティナーが大きく後ろに後退する。
間を空けて姿勢を整える。

「ほら攻めろ攻めろ。機動力が武器だろうが」
姿勢を低く保ちアームブレードを水平に構える。
鳥が翼を広げたような形だ。
踏み込むか。

左脚に思い切り力を込める。
体を前に押し出す。
ゴムに引っかけた玉のように前傾姿勢の体が直進する。
相手は避けようとするが、かわせない。
その隙を与えない。
狙われた腹部にブレードを引き寄せ防御の態勢を取った。
構わずクレイがブレードを叩きつける。

マイクはその轟音を拾った。
生音を耳にした映像担当の彼女は驚いて椅子の上で転げそうになるくらい跳ね上がった。
相手より小柄なクレイが、対戦相手を弾き飛ばした。
いや、跳ね飛ばした。
文字通り、地面から爪先が離れ飛んでいく。
背面から着地しても転がらなかったのは相手もそれなりの実力者だからだ。
アームブレードを装着していない左腕で速度を落としたが、左手は擦り剥けている。
服の袖も破れた。
だが気にはしていられない。
起き上がろうとするが、目の前に影が迫る。
全体が認識できないほど接近していた。
威圧感と恐怖。
震える唇を閉じることも噛みしめることもできないまま、視線を上にあげた。


最後の一戦を押さえたのはクレイ・カーティナーだった。





休憩時間、待機場所をメールで連絡してすぐに記録員の彼女は走ってきた。
二人分用意していた飲み物の片方を、息を切らせている彼女の額に押し付ける。
普段運動なんてしないのに無理するからだと皮肉を言いながら。

「ちょっ、と。あれ」
「落ち着いてからでいいって。ああ、食事の件はまた改めて、レストラン調べてから連絡するから」
「そんなことはどうだっていいのよ」
早口に捲し立てて、イズラ・ディィは一息ついた。
咳きこまないようにゆっくりと渡された飲み物を喉に流し込む。

「移動しましょ。こんなところじゃ」
周りを見回した。
競技場を一周する長い長い環状の回廊は、人とそれが垂れ流す騒音でいっぱいだ。

「落ち着くものも落ち着かない」
「だね。ゆっくり話もできやしない」
映像担当の彼女も頷いた。

試合経過はちゃんと映像担当者の端末に流れ込んでくる。
四つの試合場の経過、そして彼女が担当している試合場の固定カメラの映像が入ってくる。

競技場から少し離れた校内のレストランで食事を取る。
競技場内と、それに隣接するようにレストランはあるがどちらも混み合っている。
少し距離を取るだけで人の波は緩和された。
空席を探す手間も省ける。



「興味深いわ」
日替わりランチを時間ぎりぎりに二人分注文して、ディエラは机の上で遊ぶように指を絡ませた。
花柄のネイルアートが行ったり来たりを繰り返す。
三日前にディグダクトルのショッピングモールでしてもらったばかりだ。
目の前で自分の仕事用端末を立ち上げているイズラ・ディイにも「ご友人様ご紹介割引クーポン」を添付したメールで報告した。

「久しぶりに、ぞわぞわ来たもの」
「どっちもいい動きしてた。あのブレードのラインでどうして避けられるとか、あのスピードでしょ」
「そう。反応するだけじゃなく体が動いてる」
視野が広いのだ。
それはクレイだけではなく、対戦相手にもいえる。
視界の端に捉えた相手のブレードの動きを読み、防御行動に移れる。
体にブレードの流れが染み込んでいるからできる。
無駄な動きがない。
力で振り上げることがないのは、アームブレードが受ける空気抵抗をより少なくなる角度を体が知っているからだ。

「体に合わせてアームブレードが作られてるっていっても、小柄だとどうしてもアームブレードに引っ張られやすいのにね」
よくあそこまで軽やかに動けたものだ。

「見た? あの変わった姿勢」
短距離走者のように疾走した。
一歩間違って相手にかわされたらそのまま場外に転がり出るところだ。
猪よろしく。

「完全にスタミナ切れだったけどね」
イズラ・ディイが先にきた飲み物に手を掛けた。
反対側の右手では端末を動かし、さっき手をかけた記録を操っている。
クレイ・カーティナーの大会初戦の記録だ。
それに去年の記録。

「昨年はさんざんだったみたいだね」
ディエラは机の上に肘を乗せた。
空腹だ。
今朝は朝食をゆっくり取ることもできないまま、家を出なければならなかった。
大会の朝は早く忙しない。

「そうよ予選落ち。今年は実力底上げしたのか、本線に乗ってさらに二試合勝ち抜いた」
「去年の映像、見直した?」
ディエラは自分の端末を、イズラとの間に置いて再生のボタンを押した。
雑音の割れた歓声とともに試合が始まる。

「これ、本当に去年?」
イズラが黙り込む。

「そう、一年生の時のだよ。イズラが送ってくれたんでしょうが」
「そうだけど。予選落ち、だったのよ」
「ここで、取られた」
クレイのペースが崩れる。
相手を追い詰めたのに、糸が切れたように戦意を喪失した。

「担当教師って誰だったっけ」
「クレア・バートン」
即答したイズラに、ディエラは納得して仰け反った。
ガラス張りの外は樹木で敷地を囲ってあり、喧騒からは遠い。
文句のつけようのない晴天とまではいかなくても、薄雲を透かせて緩い光が落ちたり消えたりしている。

「彼女、ね。なるほど」
偏屈で有名。
厳格で有名。
冷酷で有名。
他に何があっただろうか。
噂にあるどんな表現をつなぎ合わせても、彼女いう形が見えない。
クレイ・カーティナーを出したのはなぜだろう。
他にも有力な候補を抱えていただろうに。

「クレイ・カーティナーのことは取りあえず保留にしておきましょ。これから伸びるかもしれないし、次の試合も」
他の有力選手のリストを眺める。
イズラがリストを示し、ディエラが頷いて並べて置いた端末から映像を抽出する。
若いアルバイトのウェイターが遅めのランチを二皿とスープカップを持ってきた。
ディエラが笑顔で答えながら、机の上の端末を端へとずらす。


彼女たちとはテーブルを二つ挟んだ向こうに、セラとクレイ加えてカインが食事を囲んでいた。
カインが冗談を言い、クレイが食事から視線を上げ、セラが小さく笑う。
彼らもまた、うんざりする喧騒から逃れてきた。
セラが二人の選手の時間を調整しながら、次の試合までの僅かな休息をそれぞれに楽しんでいた。












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