Ventus  82










クレイはボールを手にした少年を見つけた。
両手に抱えたボールは彼には少し大きすぎるようだ。
まだ小さな指を広げて胸に押し付けている。
宿屋の女性の後ろ、談話室の机の脚に半ば隠れている。

「ああ、この子は私の甥っ子」
丸い目が真っ直ぐにクレイを見上げてくる。
反らすに反らせない大きな目だ。
仕方がないので見つめ返すしかない。

「あら。あなたの黒髪が気になるみたい」
かみ?
クレイは顎を持ち上げて、女性の顔へ目を合わせた。
人の良さそうな笑い皺が口元に寄っている。

「この子にとって、きっと初めてなのよ」
「さわって、い?」
真面目な堅い顔で、控えめに一歩だけ前に迫ってくる。

「ああ」
別に構わない。

右手を上に伸ばした少年の緩んだ左手からボールが零れ落ちた。
彼は追いかけようと上半身を反転させる。
クレイがしゃがみ込み、指先でボールを捕らえる。
少年の目の前にクレイの頭が降りてきた。
真っ直ぐな横髪がカーテンのようにクレイの白い頬を覆う。
隙間から、目尻の鋭い黒の瞳が覗いた。

「どうぞ」
改めて言われ、彼は恐る恐る黒髪に触れ、そっと梳いた。
不思議そうに手の上に乗せ、顔を近づける。

「君と変わらないだろう」
手に取ったクレイの髪をそっと耳にかける。
短い後ろ髪に続く項から首が露になった。

「うん、ありがとう」
満足げな満面の笑みに目を細めつつ、クレイは立ち上がった。

「お邪魔しました」
「いいのかしら?」
「ええ、私はこのボトルを返しに来ただけですから」
用件は済んだ。
セラと落ち合おう。

「そうだ」
島民に接する機会も少ない。

「フィアタって、聞いたことありますか」
「何かしら、村の名前?」
「しってるよ。ながくて、白いふくをきてたよ」
船で島に来て、何日間かいたがまた船で大陸に帰ったという。

「女のひと。森にあるいて行ったんだ。行っちゃいけないのにね」









歴史書にエストナール国語辞典に、薬草辞典は欠かせない。
積んであった最新人気書籍は数ページ捲って面白そうなので購入を決めた。

「いくらディグダクトルといえど、辺境の島国の最新本なんてそうそう手に入らないものね」
心持ち声を小さめに呟いた。

それに島の植物図鑑。

「これだけでも本屋さんに寄った甲斐ありってものだわ」
嬉しげにセラが右手で持ち上げたのは、美しい手書きの装丁がされた厚い図鑑だった。

「ああ、こんなに綺麗に植物の絵が描けたならどんなに楽しいでしょう」
うっとりと細やかな線を指でなぞる。
いつも植物画には苦心している。
中を開いても、紙から摘み取れそうな植物が全体図、葉の拡大図が見事だった。

「課題クリアも目の前だわ」
上機嫌で歩いていて、ふと足を止めた。

「えっと、噴水だったかしら」
クレイはシタの宿屋に拾い物を返しにいく。
セラはその間本屋でお宝探しだ。
別れるまで打ち合わせをしながら集合場所を決めた。
終わったらあそこで、と道の先で吹き上がっている噴水をクレイの指が差していた。
その噴水が見当たらない。

「小さい町だって油断したかな」
購入した本に気を取られていたのがいけない。
見失った道は、少し回ればすぐに見つかると思っていた。
もと来た道を戻れば見覚えのある場所に出るはずだ。

「そんなに、方向音痴でもないはずなんだけどな」
見知らぬ町の真ん中でセラは細く息を吐き出した。
不揃いな長方のタイルが道を埋める。
薄い灰色の石は心地いい陽光を吸っていた。

「本屋さんの名前、覚えてないわ」
看板を見てすらいない。
小さな町に本屋は点在していないだろう。
立ち話で盛り上がってる婦人たちの話の切れ目を狙って、道を尋ねた。
彼女が指差した方向へと歩き出した。
やはり聞くのが一番早い。



教わった道が導いたのは、本屋だった。
だがセラの肩は重く落ちる。

「確かに本屋さん。まさしく、紛う方なし、完璧に」
視線は看板に上がる。
通りを抜ける風で軋んでいる、垂れ下がった看板には確かに本屋と書いてある。

「けど、違うのよね。残念ながら」
セラの探している本屋には戻れなかった。
同じ町に本屋がもう一つあるとは、予想していなかったわけではないが、可能性は低いと踏んでいた。
もう一度人に聞けばいいと思っていた。
だがその、人がいない。
目の前の扉に下がる、本日閉店の文字が目に痛い。

どうしよう。
ここまで辿り着いた道を振り返る。
寂しいところに来てしまった。

「クレイ、待ってるかな」
待ってるだろう。
ボトルを返すだけだ。
彼女の性格からして、宿屋に長居して話し込むとも思えない。

「え?」
セラが逆の方向に顔を向けた。
一本道、本屋を越えたその先だ。
引き寄せられるように駆け出した。

「みず? 水の音がした、気がする」
通りを駆け抜ける。
穏やかそうな空気が漂うセラだが、走ると意外に軽やかだ。
T字路を右に曲がる。
大丈夫だ、通ってきた道は覚えている。

「町が、終わる」
セラの足も止まる。
町は途切れた。
石畳もそこで終わりだ。
細い土道を雑木林が囲んでいる。

「結局、外れまで来ちゃったってわけ」
戻らなくては。
いつまでもふらふら歩いてはいられない。
帰ったらきっとクレイに笑われる。
固まった顔のまま、ある意味器用に笑ってみせる。

水の弾ける音がする。
耳を澄ませば流れる音も微かに聞こえる。

「気のせいじゃなかったんだ」
もしかしたら、待ち合わせの場所に抜けられるかもしれない。
林の中を音を頼りに駆け抜ける。
町を左手に見ながら、今度は迷わないように。
伸びた枝に引っかかれないよう慎重に潜りながら走る。
音は着実に近づいてくる。

抜けた。
まるでゴールした陸上走者のように低木を突っ切った。
セラの腰の位置まである低木が澄んだ泉を囲む。

「噴水が、ない」
そうそう都合よく行くはずがない。
落ちていく視線の先に、黒い頭が見えた。
見間違えではない、黒髪は彼女しかいない。

「クレイ」
草むらを飛び越える。

「クレイ!」
よかった、見つかって。
軽やかな着地、と行きたかったが草の上に横になっていた黒髪の人と目が合った。


クレイではない。
足は草の上を滑り、盛大に尻から着地した。
呻き声を上げそうになる横で、水音が立つ。
飛沫をまともに浴びて、慌てて振り向いた。

驚かせて泉に落としてしまった。
セラのせいだ。

悲鳴を上げて泉の縁に這い寄った。
深い。
沈んでしまった。

「ああ。クレイ、どうしよう」









「今日は一体どうなってるんだ」
呟きに嘆きが混じる。
クレイは身動きが取れない。


待ち合わせの場所にセラが現れない。
本屋を訪ねたがすでに出た後だという。

「迷子か?」
セラも、服の背中に垂れ下がるこの子も。
子供の力といえど、後ろに引っ張られれば肩は重いし服は伸びる。
腰を捻り肩越しに見下ろした小さな頭は横に振られている。

「私に用事なんだろう」
話しかけてもなかなか口を開かない。
このまま背中に子供を引き摺ったまま、どこを彷徨っているか分からないセラを探せない。
隣で絶え間なく水を吐き出している噴水が時を刻んでいる音に聞こえる。

小さな頭に手を乗せて、自分の目の前に引き出した。
抵抗するかと思った小さな体は、あっけないほど簡単にクレイの正面に回ってきた。
そのままでは目が合わないので、クレイは側の噴水に腰掛けた。
髪を二つに分け、耳の上で輪を描いて束ねられている。
見たことのないような器用な結い方だが、少女の細い髪に似合っている。

「エレラにきいたの。黒いかみのおねえさん」
「誰?」
「エレラはしってるのに、おねえさんはしらないの?」
「待て、話が見えてこない」
エレラって誰だ。
目の前の少女は誰だ。

クレイの待てを、目の前の少女はクレイを好奇心の目で凝視しながら守っている。
彼女に見覚えはない。
ああ、そうか。
エレラ、ね。
聞き覚えがある。

「港で会ったな」
「エレラとマニとイエルはよくあそんでるの。わたしも、たまに」
「なるほど。それで私の話を友だちのエレラから聞いたわけか」
「わたしもフィアタのおはなしをきいたから」
また、フィアタだ。

「ここの子供はみんなフィアタって人間を知ってるのか」
「だってフィアタのおはなしおもしろいもの」
「童話でも話して聞かせるのか」
少女はクレイの隣によじ登り、噴水の囲いに並んで腰を下ろした。
後ろに転がらないようにしっかりとクレイの腕を掴んでいる。

「いろいろ。森の中のおはなしとか、獣(ビースト)のおはなしとか」
「獣(ビースト)、知ってるのか」
少女は無垢な瞳で微笑む。

「ふみいれてはいけないところ。『ひと』は『ひと』のあるところに、『かみ』は『かみ』のあるところに、『ま』は『ま』のあるところに」
「フィアタの言葉か」
人は人の大地があり、それでないものはそれでないものの大地がある。
宿屋の女性も同じようなことを言っていた。
言葉を失ったクレイを覗き込みながら、澄んだ目は言う。

「たたかうの?」
「私が?」
彼女は頷く。

「だって兵隊の服をきてたって、エレナがいってた」
「違う。あれは制服だ、学校の」
彼女にとっては同じように見えるのか。

「でも同じことだな」
それに、いずれそうなる。
獣(ビースト)を殺し、人をも手にかける。

「戦う、か。他に道がないからか」
「どうしても?」
クレイより幾つも年下の少女の声が胸に刺さる。

どうしても。
本当にそうか。
何も考えずに進んでいるだけだろう。
だから何も見えない。
アームブレードが冴えない理由も、考えようとしないから。

「目を瞑っていては光は見えない」
このままでは本当に、ただ人を殺すだけの人間になる。
それは本当に人といえるのだろうか。












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