Ventus  79










「何も分かってないな」
予想していなかった低い声がして、弾かれたようにクレイは顔を起こした。

「お前は俺に勝ったんだぞ」
肩を掴まれ、椅子の背に叩きつけられた。 振動と鈍い音が円環の訓練施設の中庭に響く。
施設職員が飛び込んで二人の間に割って入らなかったのは、椅子の位置が死角になっていたからだ。

クレイは驚いていた。
終始穏やかで、激しい怒りを見せたことのなかった男が、今目の前で感情を剥き出しにしている。

「たった一回戦っただけだ。でも十分だ」
力の程度は十分身に染みた。

「お前は俺より強いはずだ。なのに何だ、この様は」
情けない。
吐き捨てなかったが、目が語っていた。

「諦めるのか」
「何をだ」
「諦めるのかよ!」
このまま。
こんなにあっさりと。
努力らしい努力もしないまま。
それが、許せなかった。
他人事だと言ってしまえばそれまでだ。
しかしカイン・ゲルフには割り切れなかった。

「必死になったことはあるか? 教師でも誰でも食いついていったことあるかよ」
死ぬ気で挑んで、腹も減らないくらい疲れきって。
それでも食事を摂らなくては動けない。
無理矢理食べて、吐いて、それでも押し込む。

脚が立たなくなるくらい体力を限界に削る。

思うように動けない体が歯がゆくて、悔しくて。
何より自分に腹が立って。

なぜそうまでするのか。

「心の底から勝ちたいって思ったこと、あるのかよ」
それだけ価値のあるものは、あるのか。

「譲れないものって、お前にあるのかよ」
一生懸命になれないなんて、悲しすぎるだろ。
訴えるカインの目の奥に寂しさも滲む。

「強くなれば、何か変わるのか」
そうまで言うなら聞いてやろう。
クレイは屈しなかった。

「たかが駒の一つに何ができる」
クレイやカインは学生だ。
学園という名を持った箱庭でのアームブレードなど、遊戯に過ぎない。

「俺は変える。強さは権利に繋がる。不可能だと思うか」
質問を投げかけるカインだが、その瞳は確信を持っている。

「奇跡なんて信じないんだろ。だったら起こしてみせろよ。自分の手で、自分の力で」
勝ち取れよ。

「セラ・エルファトーンが大切なんだろ」
クレイの行動の指針だ。
見抜かれて、視線を反らした。
奥歯を噛み締める。

「クレイ・カーティナーは分かりやすい」
カインは表情がころころと変わる人間だ。
今は謎々の正解を射抜いた子供のような無邪気な表情でクレイを見下ろしていた。

「きっといろいろ考え過ぎるから迷うんだ」
「分かりきったように言うな」
「案外、他人の方が人間の本質ってのが見えたりするもんだ」
「おまえには怖れや迷いってないのか」
嘲りでも何でもなく、純粋な質問だ。
会う度、カインの笑顔は晴天のように抜けきっていた。
セラの微笑が慈愛と温もりに満ちているのに対し、カインのそれはどこか見通しのいい高台から遠くを見ている気がする。
真正面からぶつかっている。

「ないわけないだろ」
「だったら教えてくれ。どうすれば真っ直ぐに生きられる?」
「行き詰ったら、何か別のもので頭を一杯にすればいい」
「考え過ぎるなと言ったり、考え込めだの忙しい奴だな」
「空っぽで一杯にするってことだ」
そう言って爽快に笑った。

「意味が分からない」
「セラ・エルファトーンだよ。そういうときの、友だちだろ?」
見下ろしたクレイの呆れた顔の横、脱力した細い肩を大きな手で叩いた。
そのまま、じゃあなと一言残し訓練室と中庭を分かつガラス窓の向こうに消えていった。

「言いたいことだけ言って行くのか」
まったく、あいつは何なんだ。
クレイはゆっくり肺から空気を押し出した。
手が冷たく、汗が不快に滲んでいる。
緊張、していた。






流れる水に身を任せるように、予選の日は近づいた。
屋内競技場には学生と教師らが密集している。
一歩踏み入れただけで息苦しさを感じた。
きっと視覚的感覚だけでなく、酸素が薄くなっているんだ。
空調が完備されたドームであり得ない話だが、そう思えてくる。

一戦目、二戦目とクレイは勝ち進んだ。
だが三戦目で苦戦する。
相手もまた勝ち進んできた猛者だ。
技術も洗練されているが、体力も申し分ない。
クレイは瞬発力と敏捷性に優れているが、それだけに頼るには先が見える。
クレイ自身、間合いを取っては唸った。
技がうまく入らない。
ブレードを止められて、切り返す腕の振りに力がない。
水の中で体を動かしてでもいるような、感覚の鈍さに嫌気が差す。




「不調の渦だな」
クレア・バートンは腕を組みながら鼻から息を吐き出した。

「そうか? 結構いい動きしてるじゃないか。二年にしては上出来だ」
「何言ってるんだ?」
クレアは隣で観戦している同僚の男性に鋭く目を流した。

「私が、評価した奴だぞ。二年だろうが一年だろうが関係ないんだ」
腕は磨けば光る。
磨かない剣は鈍り錆び付き朽ちるばかりだ。

「だが、本人の気が傾かなければ終わりだ」
ここが押さえどころだ。
さっさと見切りをつけて惰性に任せるか、腹から力を出すことができるのか。
天秤は揺れる。

「気持ちの問題ねえ」
甘い、甘いと、男性教師が間の抜けた声を出す。
クレアは眉間に皺が寄った。

「技で着飾った奴が本当に頂点を見れると思うか?」
「気持ちだけでどうにかなるんだったらこいつら全員祭り行きだ」
「なら自分の目で確かめてみろ」
背筋が寒くなるような視線を同僚に投げつけた。
持たれかかっていた柵に両手をかけると、両脚を横に揃えて軽やかに飛び越えた。
宙に浮いた体は、重力に引っ張られて視界から消えた。
一瞬何が起こったのか、男性教師には分からず呆けていた。
次の瞬間、ここが三階席だったことに気付き、慌てて柵に乗り出し、階下を見下ろした。
高さは大人二人分だ。
下は石造りだったはずだ。
三階と四階を結ぶ階段前の開けた空間にクレアがしゃがみこんでいる。
脚でも折っていないか。
青くなりながら見つめていた。
おもむろにクレアが立ち上がる。
勢いよく振り向き、迷うことなく上階の男性教師を見据え、真っ直ぐに指差した。

「覚えておけ。あれは、私の生徒だ」
言い放った唇が、歪んでいた。
疾風のようにクレアは駆け出し、人込みに混じった。

「何て凶悪な笑顔だ」
そして何て人間離れした肉体だ。

「そうだ。迂闊だった。あれはクレア・バートンだ」
耳にしたことのある数々の戦績。
肉片の散った戦場にいて狂わなかった女だ。

「そのクレア・バートンが他人を褒めるなんてな」
自流の癖が抜けきっていないようだが敏捷だ。
悪くはない。
だが、クレアが目を付けるほど、クレイ・カーティナーという学生が他に突出しているとも思えない。

「来年、だな」






頭が痛い。
逃げ出したい。
隠れられるような場所などないのに。

「散々だ」
クレイは寝台の上に顔を埋めていた。
窒息死しそうなほど顔は布団に沈んでいる。
部屋に飛び込んできて半時間もうつ伏せたままで唸っている。
ここはセラ・エルファトーンの部屋だ。

「勝ったじゃない。清女の祭典に出場できるんでしょう?」
喜ばしいことだ。
かの女傑、クレア・バートンが顔を輝かせて喜ぶのは想像し難いが、少しくらい鼻が高くなってもいい。
担当の生徒が選抜された。
しかも難関の予選を潜り抜けてきた実力者だ。

「あっさり負けていれば今頃ここで嘆いてはいない」
情感もなさ気にさらりと言う。
これでも人並みの感情の起伏が芽生え始めている。
その兆しはある。

「去年みたいに?」
血を流し、狂気に染まったような神がかりの試合を見せたクレイ。
非情で冷淡で眼は人の命を映さない。
セラはあのときのクレイの冷たい顔を忘れはしない。
クレイの重い沈殿物のような過去が彼女を獣(ビースト)にした。
その暗く淀んだ心を、鬼と呼ばせた。

「でも去年と今は違うでしょう?」
過去や痛々しい罪の記憶は消えなくても、クレイは大切なものを見つけた。

「今度は、負けない」
セラの力はどこから根拠が来るのか分からないが、力強い。

「こんな状態で? もう、何が何だか。どうすればいいのか」
クレアの言う通りに動いているはずだ。
だが気持ちよく技が決まらない。
真っ直ぐな、透き通った感覚は目の前にはない。
広がるのは果てしない霧か雲だ。
掴みきれない。

「だったら行きましょう」
セラがクレイの手首を掴んだ。
そのまま脱力した体を両手で引き上げる。
虚脱感に濁った目をセラに向けた。

「考えに行き詰ったら、捨ててしまえばいいの」












go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page

















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送