Ventus  77










体に力が入らない。
床に手足が縛り付けられているように、四肢が重い。

「まったく、手加減ってものを、知らないのか。あの教師は」
白く揺れる天井を仰ぎ、クレイ・カーティナーは目を細めた。
彼女が口にしたあの教師とはクレア・バートンのことだ。
彼女が今背にしている壁は、装飾という人の目を喜ばせる一切を排除した無機質な箱だ。

三時間休みなく振り回された。
集中力が切れかけると、察したクレアは猛襲をかけてくる。
クレアも同じだけ動いていたはずだ。
体力の限界を知らない教師は崩れ落ちたクレイを放って颯爽と次の受講生の元へと消えていった。






遅い!
叩きつけられる声に腕の筋肉が締まる。

遅い!
腕を引き寄せてクレアに染み込まされた形に沿わせてアームブレードを振るう。
形に自分の流れを重ねることが一番無駄のない動きができる。
一連の流れがうまくまとまる。
そう納得したから彼女の指導を受け入れた。

我流では変に力む場所ができ、ブレードの動きが途切れてしまう。
クレイの特色である瞬発力、それが生み出す速度を生かせるのも形に嵌った動きがあるからだ。

クレアは古から積み築かれてきた形を教える一方、そればかりを押し付けない。
クレイの体格、重量、腕の長さを頭に置き彼女の特性を生かす指導をしている。
クレアの思いを受けている者にこそ分かる。
だからこそ投げ出さず食らい付く。

右にばかり偏るな!
動きが鈍くなった腕をすぐさま見抜いた。
この眼力。

左ががら空きだ。
言うより早い。
クレアのブレードが、クレイの左に食い込む。
的確に防具の上を狙う。
力加減は絶妙だ。
クレイは跳ね飛ばされた。
左腕は微かに痛むが動かせる。
クレアの判断力にも感心させられる。

右腕が持ち上がらなければ、左を引け!
クレアの声に合わせて頭で考えるまでもなく、反射で腕が動くようになった。
左肘を引くと重心が傾き、右腕が上がった。
クレアにブレードを投げつけるように振り上げる。
しかしそれをもあっさりクレアは避けることすらせず、アームブレードを立てて受け止めた。

温い。
生温い。
こんな息を吹きかけたようなブレードをよく私に向けられたな。
嘲笑とともに、今度はクレアが生徒に対し容赦ない一撃を上腕に叩き込んだ。
防具は装着している。
跳ね飛ばされるという優しいものではなかった。
クレイは自分の体が宙を舞う瞬間を体感した。
飛ぶ瞬間、思考は止まる。
時間も粘質を帯びたようだ。
体の筋肉が衝撃に備えるのが分かった。
それでも、息を止める時間は与えられなかった。

背中に壁が直撃し、息が止まる。
呼吸をしてはだめだ。
分かっていながらも、人間の本能が肺に空気を叩き込む。
盛大にむせた。
涙で視界が歪む。
悲しみでも喜びでもない涙だ。
クレアの訓練を本格的に受け始めてから何度も経験した。

そのうち内臓が潰れるんじゃないかと本気でわが身を心配する。

「気まぐれのように連絡を寄越したかと思えば」
目の裏に焼きついた痛みを伴う記憶から逃げるように、現実世界へと目蓋を開いた。
静かで変化のない壁と天井の境界が平和の象徴のように思える。






「ありがたいことじゃないの」
目の前のマレーラが人の不幸を楽しげに笑っている。
小柄ながらも体力の限界を知らないクレイが、追い込まれている姿が珍しいからだ。

「なかなか個人授業なんて受けられないって」
それは事実だ。
その上、軍から学園に引っ張ってきたクレア・バートンとなるとさらにチャンスは遠のく。

「その先生、よく知らないけど。強いんでしょ?」
「目はいい。指導は的確だ」
「だったら願っても訪れない機会じゃない」
ひとしきり笑い終えて、マレーラが水のボトルを傾けて喉を潤した。

ラウンジは学生が散っている。
その中に向かい合って座ったクレイとマレーラが溶け込んでいた。
飲食物持込可なこのスペースには、クレイとマレーラのように机に水のボトルを置き、書類を広げている学生が多い。

おしゃべり好きのマレーラが来ては勉強にもならない。
クレイは彼女が目の前に腰を下ろしてすぐ、教科書を閉じた。
以前は目の前で誰が何をしようと無関係で、自分のことを淡々と処理していたクレイが協調性を身に着けた。
セラだけでなく彼女が呼び込んだ友人たちの影響だ。

「期待もしていない生徒に声をかけたり、まして相手なんかしないわよ」
好意を大切に、気合いれて相手をしてもらいなさいよ。
マレーラがクレイの腕を遠慮なく叩いた。

「そういえば、この間カイン・ゲルフと会ったって?」
「知ってるのか? あいつのこと」
カインの話をマレーラに話したつもりはない。
隠す意図はなかった。
あえて話す内容が見当たらなかっただけだ。

「リシーからよ。クレイ、あの子に話したでしょ?」
「ああ」
そんな気もする。

「私の友人がそのカインって人と同じアームブレードのクラスでね」
つい先日手合わせをしたばかりだ。
クレイが一本取って直後警報に邪魔をされた。
彼は弱くない。
もう一試合、二試合したかった。

「彼も相当なものだけど、さらに上がいるのよ」
マレーラが胸の前に置いていたボトルを左に押しやって、丸い机に両肘をついた。

「女の子らしいんだけど、カイン・ゲルフを押し退けて予選に上ったんですって」
「へえ」
「あのクラスで突出してたのは二人で。ところでカイン・ゲルフってどんな人?」
どんな。
返答に窮した。

「背が高い、な」
「それから?」
「髪が金色で立っていた」
マレーラは興味津々に身を乗り出した。

「何か間の抜けたやつだったな。楽観的というか」
「普段は温厚でも、ブレードを握ると化けるっていうの?」
「さあ、実のところ良くわからない」
クレイに人物観察しろと言うほうが無理な話だ。

「どちらにしろ、もう会わないだろう」
「敷地、広いしね。人、多いし」
いい終わり、マレーラが黙り込んだ。

「どうかしたか」
「今年からだったよね」
「何がだ」
「実地訓練のこと。自分のことなのに心配じゃないの?」
「セラと同じようなことを言う」
「前衛に出るわけじゃないって思ってるかもしれないけど、戦地は戦地なんだから」
「学生が使い物になるはずがない」
「そうか」
右手で机を打ち鳴らした。

「クレイの先生はそうした先のことを見越して、クレイを鍛えたり」
「それはないな。淡白で気まぐれでいつだって言葉が足りない。何を考えてるのかよく分からない」
マレーラの深刻そうな表情が消し飛んで、また笑い声が上がる。

「何がおかしい?」
「だってそれってそのままクレイじゃない」
クレイの顔が疑問符に濁る。

「その先生、クレア・バートンとクレイ・カーティナーさんは似ているってことよ」
「遠慮願いたいな」
「とにかく、一生懸命向き合いなさいよ」
たとえ言葉が足りなくても、分かりやすい感情表現ができなくても、クレアはクレイをきちんと見ている。
ちゃんと評価している。

「今までこんなに体がガタガタになるまで何かに打ち込んだことなんてないんでしょ?」
その彼女なりの誠意をクレイは受け入れるべきだ。

「それは、そうだ」
「お腹、空かない? ちょっと食べてから次の授業、受けましょうよ」
「付き合おう」
放課後、訓練室に行こう。
クレア・バートンはいないが、一人でだって練習はできる。
今度こそ、クレアから浴びせられる指摘が一つでも減るように。












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