Ventus  75










走った。
それはもう、全力疾走だ。

ほぼ横一列になり、セラは彼らの背中を追いかけながら走り抜ける。

どんなに目を凝らしても、訓練施設は見えない。
それでも走り続けた。
誰も止まらない。
恐ろしくて振り返りもしない。

カインの顔は引き攣っている。
遅れ始めた彼の友人は喉をひいひいと鳴らしながら必死で付いてきている。

訓練施設のセキュリティ解除を担当したもう一人の友人は、さらに二歩遅れ、顔を真っ赤にしている。
片手に端末、それから尾のように伸びる配線がなびいている。
退却の一瞬で引き抜いてきたのは流石と評価すべきか。

それより何て様だ。
何よりおかしいのは。




「ぷっ」
何で必死になっているんだ。
どうして私はこんなところに?
クレイの自問はループする。

「くっ。は」
息が苦しい。
そうだろう。
必死なんだ。
おかしいほど、一生懸命なんだ。

「はっ。ははははっ。ははははは」
足が止まった。
腹が痛くなり、そのまま前屈みで膝を落とした。
どうしたことか、笑いが止まらない。

全員の足が止まった。
クレイを囲み、覗き込むこともできないで立ち尽くしている。
クレイが口を開けて笑う姿など噂ですらあり得なかった。
頬が緩むことすら奇跡だという中で、クレイが目の前で爆笑している。

「私たちは、何をしてるんだ」
涙の滲んだ顔を持ち上げた。

「真夜中に、アームブレードを調達してきて、セキュリティまでご丁寧に解いた場所まで来た。それで、これだ」
三十分、持ったかどうか。
あっさりと見つかり、警報機に追いたてられた。

「明日には私たちの籍は消えてるかもしれないっていうのに」
セキュリティが回復したということは、監視カメラも正常作動始めたということだ。

「けど、完璧だったんだ。俺とじいさんとの計画」
俯かず、真っ直ぐにクレイの目を見つめ返した性格の強さは見て取れる。
だが手から絡め取った配線を垂らしている情けない姿は、説得力を大いに欠く。

「実際は半時間も持たなかった。だけどそんなのはどうでもいい」
クレイが片手で目を抑えながら立ち上がった。

「馬鹿馬鹿しいのは、なぜ私たちが」
膝の埃を払う。
額から汗が伝った。
頬に張り付いた黒髪を掻き上げた。

「いや。何でこんなに必死なんだろうな、私は」
笑いは治まり、にようやく顔を上へ向けた。
よく晴れている。
このままここで眠りたいくらいだ。
ちょうど道を外れれば芝生がある。

「どうしようか。ああ、まだどきどきしてるよ」
カインの連れが、胸に手を当ててため息をついた。

「じいさんがうまく事後処理、してくれてるといいけどな」
片手でコードを巻き取りながら、渋い顔をしている。

「やっぱり退学かなあ」
今になって恐ろしくなり、間延びした口調のなかに絶望の色が滲む。

「退学で済めばいいけどな。武器庫からの持ち出し、セキュリティ解除に不法侵入あとは」
「考えたくないなあ」
カインの友人たちのやり取りを、クレイとセラ、案を持ち出したカイン自身も傍観していた。

「とにかくすべて明日になってみなきゃわからないんだし」
明日一日、生きた心地はしないだろうけど。
セラは続く言葉を飲み込んで、苦笑した。

「ここで解散だ」
クレイが切り出した。
寮までの方角は男子寮、女子寮ともに同じだ。
まとまって歩いていれば、目立つだろうという自答でカインは納得した。

「また会えるといいけどな」
「さあな」
クレイは一言だけ答え、セラの肩に手を乗せて先を促した。
カインら三人は二人の背中が闇に溶けていくのを見守っていた。






「とはいえ、心配なのには変わりないわ。眠れないでしょうね」
事後、思い起こせば大変な事態だ。

「ならいっそ、朝まで起きていよう」
言うと同時に、前触れもなく体を芝生の上に投げ出した。

「ちょっと、クレイ!」
流石にまずい。
警備員の巡回がやってくる。
無防備に寝転がっている時間はない。

「三十分だけ」
「だめだったら」
「分かったよ。十分だけだ」
クレイを引き上げようとするセラの手首を思い切り引っ張った。
前のめりになり、そのまま芝生に倒れこむ。
顔からのダイブは間逃れたが、口に芝が入った。

「ほら」
仰向けになるクレイが指を垂直に上げた。
星が驚くほどたくさんある。

「意外だわ。もっと見えないものかと思ってた」
うつ伏せだった体を、クレイの隣に横たえた。

「学園の常夜灯の明かりは思った以上に弱いんだ」
学生は表に出られない時刻だ。
明かりなど必要はない。

「いいな、こうして眺めるのも」
クレイが両腕を頭の上に伸ばした。

「星が流れていくのを見て、やがて薄らいでいく夜の闇まで待つの。地平線のどこかから太陽がゆっくり昇って」
それは山の端だろうか。
屋根の上かもしれない。
建物と建物の狭間か。

「きっと本当の時間の流れを感じられる。変わり行く世界を見ていられる」
「でも、学園では叶えられそうにないな」
「じゃあ、遠くに行けばいい」
セラもクレイと同じように両腕を頭の上で真っ直ぐ伸ばした。
芝生が腕を包み込む。
草の匂いが近い。
懐かしかった。
ずっと幼い頃、同じように寝転がった。
匂いは不思議だ。
どんなに古い記憶だって掘り出してしまう。

「ここを離れて?」
「思えば何だってできるわ」
飛び出そうと思えばいつだってできる。

「クレイだって、ちゃんと外に出たじゃない」
自ら檻の中に閉じ込めていた数年。
外がたまらなく怖かった時間。
過去に繋がるすべてを遮断していた頃。
それをセラが終わらせてくれた。

「決意したのはクレイ自身よ」
クレイが変わりたいと願った。
このまま朽ちて、大切なものを自分の手で壊してしまいたくないと願った。

「一歩は勇気がいる。でもいつだって飛び出せるんだから。それは、クレイ次第。強く願えば必ず」
セラが言えば、何でもできる気がする。

「そうだな。じゃあ、また連れて行ってくれるか」
最初の一歩。
それも、セラが手を握っていてくれれば越えられる。

「ええ。もちろん」
声を潜めて、セラがクレイの手に手を重ねた。






クレイが空いた片手で人差し指を立て、ゆっくりと自分の唇に押し当てた。
セラも状況を察する。
二人で身を低くして、低木の下に身を寄せた。
明かりが揺れながら少しずつ歩いてくる。
セラの心拍数が上がる。
クレイの体が固まっていた。

砂を踏み潰す音が徐々にはっきりと聞こえてくる。
光は白い砂道を左に右に撫でながら前進している。
常夜灯に照らされた人影の輪郭がしっかりと見える。
芝生の背が高いのが幸いだ。
足先が覗いていないか心配だが、むやみに動かせない。
濃紺の私服を着てきてよかった。
白だったなら完全に見つかっていた。

手が汗ばんでいる。
近年こんなに緊張したことはない。
額から眉に、溢れた冷たい汗は更に目の中へ落ちる。
恐ろしいほど長い時間だ。

警備員の足取りがひどくゆっくりに思える。
殺している息や鼓動が耳に届かないかと緊張する。
セラも体が小刻みに震えていた。
目を瞑ってこの時間が去ってしまうのを耐えていればいいのだが、それすらできないでいる。
暗闇の中、目を一杯に開いてクレイの肩を凝視していた。

セラの背中に足音が迫る。
軽快なとはおよそいえない重い引き摺るような音だ。
万が一にも不審者がいればその場で容易に取り押さえられるだろう人間を夜間巡回に当てている。

セラの頭の上で砂が潰れた。
道の脇に茂る芝生が踏み潰され青臭い匂いが上がるほど、大きな靴が耳の側を通った。
同時にクレイの目の前を左右交互に足が通過する。
セラはクレイの肩越しに遠のいていく脚、茂みの陰から徐々に全体が明らかになっていく広い背中や幅のある肩、その上に乗る丸い頭を睨んでいた。
まだ動いてはいけない。
少しでも衣擦れや、不自然な草の擦れる音がすれば警備員は走り寄って、身を隠している茂みを掻き分けるのは想像できる。


まだ。
まだ、背中は小さく見える。
左に曲がっていく。
奥の建物に姿が完全に消えるまで、動けない。




「行ったか」
「行った、わ」
紐を緩めるように恐る恐る息を吐き出した。
耳の辺りで脈が大きく響く。
震えの治まらない冷たい指先を、乾いた自分の唇に押し当てた。

「ひどい汗だ」
クレイが体を起こして、襟元を摘み上げた。

「ああ、極度に緊張すると泣きたくなるのね」
まだ体の芯には緊張が残るが、手足は弛緩して動けない。
クレイが服の中から薄い携帯端末を取り出した。
指で電源を探り、立ち上げる。

「あと十三分後。次の巡回がここを通るのはな」
「移動、しなきゃね」
「動けるか」
「だいじょうぶ」
セラがクレイの手許を覗き込んだ。
地図が黒い画面に緑色の線で描かれている。
赤い小さな点が現在地点。
黄色で少しずつ移動しているのが警備員だ。

「あくまで予測でしかないけど。警備員に発信機を付けたりできないからな」
クレイの指が現在地点から右にスライドする。

「白い線が移動ルート」
端末にデータを入れてくれたのは、カインの友人だ。
警備員は決まったルートを巡る。
担当エリアを時間分担で巡回するから、動きは予想できる。

「寮への入室カードは?」
「ちゃんと貰ってるわ」
セラが上着から薄いカードを取り出した。
寮の従業員通用口は三重の鍵が掛かっている。

「アフターケアも万全ね」
「当然、そうしてもらわなくては困る」
誘いはカイン側からかけてきたのだから。

「行くぞ。遠回りになるけど」
「真っ直ぐ堂々と帰還できるなんて思ってないわ」
警備員の巡回ルートになるべく交差しないように、時間も重ならないように。
白い逃走ルートはリアルタイムに変化する。



「緊張。でも、何とかなりそうな気がするのはクレイがいるからかしら?」
「何の保証もないのに」
「お守り、お守り」
深刻な状況下、どこか楽しげなセラを横目にクレイが小さく呟いた。

「結構、肝が据わってるよな」
セラは聞いていないふりをした。












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