Ventus  74










「まるで夢のようだな」




「それはポジティブな連想からの言葉ではないわね」
しばらく間を置いてから、セラがクレイに言葉を返した。
二人で仲良く並んで、壁に背を預けている。
暗く、壁の凹凸も定かではない垂直の壁は乾いていて冷たい。

「言うなれば目の前の状況を非現実のものだと認識したい。続くのはそんなところかしら?」
「端的に言えば」
クレイは真っ直ぐ顔を前へ向けながら、冷めた目で事の成り行きを傍観していた。
彼女もまた当事者にも関わらず。

「あいつらは何をしてるんだ」






確かに、だ。
提案に肯定の意を示したのはクレイだ。
クレイの了承がなければ、今このような状況は起こっていない。

「急に目の前が広がった感じだな」
環境の変化は劇的だった。
今までクレイの周りには、隣にセラがいてその外周にマレーラやリシアンサスがいた。
ヒオウやクレアもそこにいた。
穏やかで、湾のように限られた世界だった。

あの男、名前はカイン・ゲルフと言ったか。
クレイは頭の中を探った。
覚えるつもりなど元よりないが、気が付けば何度も顔を合わせていた。
思えば、クレイとカインとの繋がりはセラが作っていた。

「友だちが増えたのよ」
セラが笑っている。
表情が豊かなセラだ。
しかし穏やかで柔らかそうな雰囲気に流されていては、彼女の本質を見誤ってしまう。
こう見えて彼女はかなりに頑ななのだ。
鉄壁だとも、氷壁だとも、絶壁だとも表現されたクレイ。
その絶対領域に踏み込めたのはセラだけだ。
彼女は時間を掛けて、クレイの纏っていた壁を突き崩し、強張ったクレイの心に触れた。

侮れない。
嫌なものは嫌だとはっきりしている。
考えは曲げない。
愛想笑いもほとんどしない。
そのセラが、頬を緩めている。

真実喜んでいるのだろう。
彼女自身の交友関係が広がったこと。
さらには、クレイの触れる世界が広がったことを。

「現実って、意外と現実感に欠けるものよね」
セラが壁から背を浮かせた。
それに倣って、クレイも一歩前に出る。

まさか、こんな危険な場所に立っているとは。



クレイ・カーティナーとセラ・エルファトーン。
二人の目の前で三人がかりで作業に取り掛かっていた。

夜も更けている。

扉を開けるだけだ。
ただ普通の扉ではない。
堅く閉ざされた扉だ。



本気でアームブレードを交えること。
誰に邪魔されるでもなく。
誰に見られるでもなく。



極シンプルな条件だ。
だが難題だった。
アームブレードで手合わせをするだけならば訓練室を昼間に使えばいい。
円環状の訓練棟ならば場所の心配はない。

ただ、訓練室内での行動は逐一記録されている。
また行き過ぎた行為があれば即座に強制介入される。

カイン・ゲルフを含む三人は、以前クレイの試合を目にしている。
冷え切った殺気に満ちた、容赦のない剣技。
それは監視者の目に止まるかもしれない。

環境を望んだのはクレイだ。
だが、少し手が込み過ぎている。

「挑戦なんだよ俺の」
扉のロックが開いた。
入れよ、と片手を振って合図する。
カインの友人は床に座り込んで、壁から伸びたコードの延長にある端末を弄っている。

「大丈夫なのか? 学園のシステムなんかに手を出して」
カインが今更ながら不安げに画面を覗き込む。

「じいさんが手伝ってくれるってさ。残念ながら俺一人じゃ無理だ」
カインが納得したように、彼から離れた。

「四十五分くらいなら、俺たちがここにいることは見つからない」
それで十分だろ、と付け加えた。
彼は、見ているだけで攣ってきそうな指の動きで端末を叩いている。
目は画面に川のように流れる記号を追いながら、クレイとカインに叫んだ。

「プロテクターはつけろよ」
間延びした声で言ったのは、もう一人いるカインの連れだ。
カインが慣れた手つきで準備を始めた。
クレイもアームブレードを装着する。






第三訓練室。
規模は第一とされる円環訓練棟には比較するのも憚るが、設備は整っている。
円環状の第一とは違い、六角形をしていた。
周りをゆっくり一周してみるか、上空から見てみなければ形状に気付かないだろう。
飾り気のない、箱だ。
使いたければ使えばいい、そう言っているかのように、余計なものをそぎ落としたような施設だった。
夜間利用可能の円環訓練棟とは違い、完全閉鎖されるこの施設は周囲にも人気がない。
アームブレードも保管されていないとあれば、人のいない第三訓練室はまさに空っぽの箱。

セキュリティも円環訓練棟と比べ、潜る手間が省ける。
口にしたのは、彼の祖父も絡んでいるらしいカインの友人だった。
とはいえ、なかなか破ることなどできるはずがないことは、システムだの、プログラムだのに疎いクレイですら分かる。


どこから調達してきたのか、アームブレードは二本用意されていた。
管理が厳重な学園では、それがここにあるだけで大問題だがカインの友人は何も語らず、一本をクレイに渡した。

沈黙した六角形の施設の奥。
扉の鍵を開け、室内の機能を停止させた。
監視する者の目は、学生が持ち込んだ指先ほどの薄いチップで覆われた。


今、カインら三人とクレイら二人。
五人の学生はここにはいない。






カインは背を伸ばす。
真っ直ぐ伸びた体は、やはり大柄だ。
肩幅は広いし、肉付きも悪くない。
絞られた体躯をしている。


クレイはアームブレードを装着した腕を開いた。
小さい。
だが、目を疑う瞬発力と独特の切れ味を持つ。
カインの技量は知らないが、クレイは全力で挑む。
セラが言っていた。
本気で戦える機会はそう多くない。


カインが口を横に引き、構える。
自覚のない笑みが、薄く唇に浮かぶ。

踏み出したのはクレイが先だった。
剣先がカインのブレードに触れる。
踏み込みが浅いのは、様子を見ているからだ。

体が大きい分、奥まで踏み込めるかと思った。
だが、カインには隙がない。

クレイが一度下がり、間合いを取る。
私服の軽い裾が浮かぶようになびく。

その間も、カインが即座に詰める。
速い。

長い脚、大きな歩幅を生かし、一気に距離を縮めた。
突進を避けるように、体の軸をずらしてカインを流した。
同時にブレードを叩き込むが、思うように嵌らない。

距離感を狂わせられる。
ペースが乱れる理由がつかめない。

カインが離れた。
自分の腕の長さを分かっている。
クレイを弾き、突き放した。

不安定な体を絶妙のバランスで押さえ、床に手を付くのを免れた。
踏みしめた左足先で床が鳴る。
クレイの靭帯が張る。
取り巻く筋肉が彼女の体を押し出す。
腕が空気の流れを捉える。
見開いた目の前に、自分のアームブレードの先が重なる。
頭で描いた軌道に重なる。

その時にはすでに次の軌道を頭の中で描き始めていた。
最初の流れは、カインのブレードに弾かれる。
覚悟して、二本目の弧を描いた。

クレイの頭の中の動きを、アームブレードがなぞる。
思い描けるのに、うまく入る感触がしない。


相手がカインだからだ。
クレアのときは、こんなに乱れなかった。


なぜだ。


クレアと剣を交えるとき、これほど息が上がらない。
かき乱されない。




カインも、緊張と感動で体が熱くなっていた。
クレイは強い。
ただ技に優れているだけではない。
もっと深く、もっと透き通っている。
彼女の剣筋は独特だ。
教師がついているのだろうか。
基礎を忠実に踏んでいるが、しなやかな流れは天性のものだ。
空気が目に見えているようだった。
彼女は、美しい。




焦り、惑い、自問する。

何度もカインにぶつかった。
何度も押し返された。
何度も剣を弾き返した。

相手の動きに流されまいと、息を整え、構えを変え、踏み出した。
体が堅くなっている。
無理な動きをしようとするから、腕が伸びない。


考えた。
指先に何か熱い光が触れた気がした。
錯覚だが、そんな感覚だ。
つかめそうだ。
何かが、自問している答えが、胸の中で重く渦巻く疑問が。



なぜ、思うように動けない。



肩の力を抜け。
クレイは自分に命じた。
再び距離を取った。
崩したのはカインだ。
後手に回り、クレイがカインの剣を横に流し、アームブレードの腕を捻ってカインの斜めに落とした。

その動きをカインは先読みして受けた。



まただ。
また、目の前で閃光のように流れる。
追っては遠のく疑問の答え。

動きが崩される度に、違和感が走る。






「それが、答えか」
歯の奥で、クレイが呻いた。

ペースが乱れるのは、カインも流れを持っているからだ。
海流のような、風の流れのような。

それぞれの流れがぶつかり合い、せめぎ合う。
飲み込んだ方が勝ちだ。

それが、戦いだ。



ならば、クレアは。
クレアの風はどこにあった。
クレイは目を細めた。

流されるな。
考えてばかりではだめだ。
技量は、おそらくカインの方が上だ。
だが、勝てる。

アームブレードを体の真横に開いた。
腰を低くする。

カインの背中が向きを変える。
振り向く姿はスローモーションのように流れる。



クレアは風を消していた。
彼女は、クレイの力量に合わせていた。
クレイの風を受け入れ、流していた。
それができるのが、クレア・バートンの力だ。
力量の差、技量の差だ。

納得した。
落胆はしない。



カインの横顔が、切れ長の目が、クレイを振り返る。
剣先が水平に宙を切る。
振り切らないうちに、右足が踏み出された。

クレイは縦に開いた足を安定させる。
前に出した左足に重心を傾けた。
アームブレードは体の横にある。
低姿勢からの踏み切りは、短距離走者のスタートに似ていた。
胸が持ち上がり、カインの胴体が近づく。

クレイが体を左に倒した。
アームブレードが傾斜に引っ張られた。

それは強固な鉱物だ。
歪むなどあり得ない。

だがクレイのアームブレードはクレイの体の陰から現れ、しなった。
カインの反応が遅れた。
一打は辛うじて受けたが、次に繋がる腕が上がらない。

体を引いたクレイは、体を反転し鞭のように強烈な二打目を打ち込んだ。



カインの息が止まる。
クレイは動かない。
周囲は静寂だった。








どれほど長い沈黙だったのか、その場にいた全員が覚えていない。


打ち破ったのは、高らかな警報だった。












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