Ventus
73
「琥珀って、知ってるか」
目を細めながら、隣に座るクレイが言った。
その視線の先は、四角く窓枠に切り取られた夕刻の風景に向けられている。
二人が会えるのは、互いの授業が終わってからが多くなった。
進む道が違うのだから、それも仕方がない。
リシアンサスとマレーラと四人で夕食までの時間を過ごすこともしばしばだ。
だが今は二人はここにいない。
灰色館。
正式名称、旧第六分室は薄暗い。
館主のヒオウ・アルストロメリアは本館の知人に頼まれた本を胸に抱いて出て行ってしまった。
クレイとセラは留守を頼まれた。
幸い、特に時間に追われることもない。
「石でしょう? 飾りに使われたりする」
「木の樹脂が石化したものだ。一度見たことがあるんだ」
それを、思い出した。
ヒオウはまだ戻らない。
出て行ってから半時間は過ぎていた。
銅の鍵はヒオウの腰に下がっている。
細工の細やかな、鍵はどこかの職人が作ったものだろう。
電子錠ばかりの学園内で、珍しいクラシックな鍵だった。
焼けたような色は、灰色館の年代、ヒオウの重ねた年齢、丁寧に保管されてきた古い書物の時代を刻み込んだかのようだ。
灰色館は毎日、ヒオウの腰にある鍵で開けられ、閉められてきた。
「もうずいぶん古い記憶だけどな」
思い出を探って窓の向こうを眺めていた。
「ヘレンと仕事を終えてから二人で、街を歩いてたんだ」
人通りの多い街の大通り。
周りを見れば、自分たちとは違う人種に囲まれていた。
クレイの母親代わりと言っていい。
幼くして彼女の実の母親から引き取り育てたヘレン・カーティナー。
ヘレンは身奇麗にしていた。
それでもまるでガラス板を挟んでいるかのように、周りの人間とは違うことを幼いクレイは感じていた。
劣等感ではない。
へレンが隣にいたからだ。
ヘレンの日に焼けた顔の奥で光る、鋭さを隠した聡明な目。
意思の強さを表しているように真っ直ぐに伸びた背筋は、明るい通りでも霞まない。
クレイの小さな世界の中で、信じられるのはヘレンとジェイの二人だけだった。
普段は行くことのない表通りから、細道に入った。
緩やかな幅広い階段を下って、三つ曲がったところにヘレンは用があった。
ヘレンの後を追って短い足で下った階段に、へばり付くように店が肩を並べていた。
傾斜した道に、器用に直立している。
何気なく目をやった一つの店に目を奪われ、足が止まった。
どんどん先を行くヘレンの背中が遠ざかっていく。
店の前で立ち尽くした。
ガラスにはクレイの小さな影が映りこむ。
クレイの背中の奥、磨かれて透き通ったガラスの向こうに、柔らかい色で輝くものがあった。
夕焼けを吸い取ったような色をしていた。
今まで物事を賞賛する経験が乏しいクレイには、咄嗟の言葉が出なかった。
あるいは、言葉も押し込んでしまうほどの時間だったのか。
何分間そうしていたのか覚えていない。
ヘレンはクレイが気付くまで、階段の下で待っていた。
「あれは何だって、後でヘレンに聞いたんだ」
ヘレンはゆっくりとした動きで階段を登ってきた。
クレイの隣でガラスの中を覗き込み、一言だけ呟いた。
琥珀だな。
石だけ大切そうに置かれていたので、クレイには一体そのコハクというものが何に使われるのかもわからなかった。
セラも窓の外に目を向けた。
林に囲まれて光も通りにくい灰色館だが、芝の一部に光が当たっている。
「琥珀色」
セラの呟きに、クレイが頷いた。
「セラの髪の色だ。太陽の下に行くと光る」
言われて、横に視線を移した。
クレイが古びた木の長机に肘を置いて、セラの顔を眺めている。
「ヒオウ、早く帰ってこないかな」
クレイが目を細くして笑った。
あまり見られない光景だ。
「そうだ。今日は回り道して帰ろう。もし、まだ日が昇っていたら」
「散歩しながら?」
空気も暖かくなってきている。
食事前の散歩にはちょうどいい。
今日は、クレイがよくしゃべる。
「遅くなったわ。ごめんなさい」
本当に申し訳なさそうに謝るので、留守を預かったこちら側の方が恐縮してしまう。
ヒオウは持って行った本の代わりに、紙を三枚ほど手にして戻ってきた。
先ほどより夕焼けは赤みが増したとはいえ、まだ太陽は近くにある。
ヒオウと入れ替わるように、二人は外に出た。
深い林を縫うように抜け、表に出れば一面が色づいていた。
「この間。ジェイに貰った紙は?」
ディグダクトル、スラム街の黒の歌姫。
ジェイ・スティンという。
深い色の髪と同色の瞳。
クレイのように漆黒ではないが、美しい艶やかな髪をしている。
「歌と引き換えに、場所を教えてもらったの」
セラは白い砂道を歩くのが好きだ。
夕焼けの中に、細く白い筋が蛇行しながら延びていく。
「何があるのか分からないし、ジェイも言わなかったけれど」
そのほうが楽しいじゃない、とセラは楽しそうだ。
セラは古語でジェイに歌われた歌詞の意味を拾い取っていった。
専門家でもないセラには、かなり梃子摺り、曖昧な箇所もでてきたが、大まかな意味だけジェイに伝えた。
「光、等しき恐れ」
闇を恐れるのではなく、光を恐れる。
歌からの一文だ。
「繭の中で覚めぬ夢を見るか」
セラは考える。
繭とは何なのか。
何かが眠ったままだ。
その何かは誰も知らない。
「ディグダが何かを隠している、か」
並んで歩いているところに、荒々しい足音が割り込んできた。
二人で上機嫌に散歩を楽しんでいるところに、とあからさまに口にはしなかったが、不快な顔だけは隠さなかった。
「クレイ・カーティナー」
振り返ったときには、目の前に胸があった。
思った以上に背が高い。
完全に首を曲げて見下ろされている。
振り返らなければよかったと、軽い後悔を覚えながら、二歩後退した。
そうしなければ目が合わない。
「よく会うな」
クレイの言葉は再開を喜ばしいという響きは微塵もなく、拒絶の色が滲んだ冷ややかさを大いに含んでいる。
「背中を見つけたから、これを逃すともう会えないんじゃないかと」
背が高く肩幅も広い。
短い髪の毛は彼の元気を象徴するように、立っている。
黙っていれば、それなりに迫力があるが、口を開くと子供っぽさが抜けない。
「こちらに用はない」
言い切ったが、目の前の大男は怯まない。
そうだった、こういう人間だった。
この男は。
今も目の前で機嫌が良さそうに笑っている。
「お久しぶり。カイン・ゲルフ」
「久しぶり。次に会ったら言おうと思ってたんだ」
彼の後ろから友人たちが小走りに近づいてくる。
「クレイ・カーティナー。手合わせしてほしい」
周囲は琥珀から闇色へと染まっていった。
「ねえクレイ。いい機会だと思うわ」
何度も頼み込み、やがて返事すら返してもらえなくても折れないカイン。
それを見かねてといった風でなく、間に口を挟んだセラの顔は純粋に好奇心で輝いていた。
「おもしろそうよ。いい機会だと思うけど」
「だけど」
セラもこういった申し出をクレイが苦手とするのは分かっているはずだ。
「他の人の実力、知らないでしょう?」
言われて黙った。
前年度の試合があって以降、クレア・バートン以外にまともにアームブレードを交えたことはない。
授業で相手になるもの同志は、どこか手を抜いている。
本気の相手を、ある意味まだほとんど知らない。
カインは拳に力を入れて答えを待っている。
クレイはカインの背景にある外灯が灯るのを見ていた。
空気を含んだ火が熾るように、ゆっくりと灯が点いた。
瞬きを三度したのちに決めた。
「いいだろう」
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