Ventus  71










時は流れ続ける。
止まっているように思えても。
何の変化も感じられなくても。

変わらないわけじゃない。
いつまでも同じではいられない。

変わることは、変わり続けることは怖くもあり。
また新たな可能性の発掘でもある。




人と出会い、過去に触れ、他を知り、己を知る。
糸のように絡み合い、絆が生まれる。




腕を伸ばした。
風は掬えない。
指の間をすり抜けて、どこへともなく消えていく。
口ずさむ歌を溶かし込んで。

神さまは、いるのかしら。
歌の中にだけ、いるのかしら。

目を閉じた。
音を感じる。
鳴っている。
目に見えなくてもそこにある。
肌で感じる。

歌は、風の音に溶ける。








「案外」
一言口にして、柔らかい太陽の光の中で大きく伸びをした。
温室のように光差し込む休憩室は、学園の敷地内いたるところに点在している。
誰が掃除しているのか、三六〇度張られたガラスはいつも澄んだ光を透過している。

「一緒にいられるものなのね」
今の時間が一日の中で一番好きだ。
しかもこの季節。
冷たさも和らいだ。
大気は温かみを帯びて頭上を流れる。

「会おうと思えば会える。時間は作るものだ」
目の前に姿勢正しく座る黒髪の少女は、他人の目を引き付ける。
漆黒の髪が珍しいせいもあるが、彼女の印象が強すぎる。
大きな目は、睨みつけるように真っ直ぐと見つめる。
迫力に萎縮してしまいそうになる。
それでも以前と比べまだ和らいだほうだ。
だが目の前に座る友人に対してだけは、鋭い目尻が幾分緩む。



「正論」
そう言って同意した少女は、彼女の親友。
髪は羽毛のように柔らかく、繊細な綿花のように細く軽い。
正面の少女とは印象が反転する。
微笑むだけで、周りの温度が上がるような温かい空気をまとう。


クレイ・カーティナーとセラ・エルファトーン。


淘汰されていく学生の中、無事進級しこうしてまた穏やかな時間に浸っていられる。
マレーラ・ピースグレイとリシアンサス・フェレタも無事揃って進級することができた。

下級生も入った。
まだ学園の地理に馴染めない生徒が、周りを不安げに見回しながら歩き回っている。
セラも進級してから四度は道を聞かれた。
その数が多いのか少ないのか、周りに統計を取ったことは無いが、しばらく増え続けるだろう。

休憩室にも迷い込んできた初々しい学生が、入り口で戸惑っている。
すれ違った上級生が、空席を指差して説明を始めた。


「クレイは、軍に進むのね」
唐突だったが、クレイは怯まなかった。
いずれ交わす話題だ。
マレーラとリシアンサスらと話している間には、積極的に持ち出さなかった話題だった。
皆、それぞれの道を知り、離れていくのを知るのを無意識に避けていたのだろう。

「クレア先生に誘われたから?」
クレイは上級に上がり、アームブレードの授業を本格的に始めるようになった。
教師のクレア・バートンとも、去年よりは距離が狭まった。

「そうだな」
「それだけ?」
セラはちゃんと見抜いている。
誰よりもクレイを知っている。
出会って僅か一年だ。
その短い時間で、クレイにとってセラは掛け替えのないものになった。 セラにとってもクレイはなくてはならない存在になった。

「鋭いな」
「隣にいれば分かるわ。それに、知ろうとしたから」
「もう、戻れないと思った」
真っ直ぐなセラの視線から目を外した。

忘れていた、忘れたかった光景が脳内に閃光のように瞬く。
すべてがジェイ・スティンの歌を引き金に引き出された。
それが始まりであり、終わりでもあった。
クレイは声を低くする。

「誰かに手を掛けたその時から」
凶器で抉った肉の感触は、忘れない。

「でも、そんな私でも拾ってくれた人がいた」
白い人影。
顔は色あせた。
声を聞けば気付くだろうか。
名前など知らない。






一度目で植えつけられた種は、二度目で芽吹いた。
クレイが獣(ビースト)と比喩し、また鬼と呼ぶ性質は、スイッチを入れたように発動する。
押さえつけていた枷が外れたように。

人としての情や、容赦を忘れてしまったかのように切り刻み、事の後には呆然と血の海に立つ。

クレイが消えてしまえばいいと願ったものを記憶の奥底に封じ込め、ジェイの歌が鍵を掛けた。

恐ろしかったのは、自分が他人の命を奪ったこと。
そして、大切な誰かを傷つけてしまうこと。
セラがクレイの中で大きな存在になっていくにつれ、恐怖は増していった。

クレイを救った白い影、淡い光。
その光に導かれ、ヘレンを失い、記憶を失くしていったクレイは学園に辿り着いた。

掛け替えのない友と出会った。






記憶が戻った今、また恐怖と隣り合わせだ。
罪の痛みがクレイを苛むことになる。
だが、今は昔とは違う。
クレイの手をセラが握っていてくれる。
それだけで強くなれるのだ。

「生きようと思う」
誰かのために。
セラがクレイに、消えるなと言い続ける限り。

「私にはアームブレードしかなくて」
「それがクレイの選んだ道なら、誰も何も言わないわ」
軍に入れば、身に危険が迫る。
セラはそれを恐れていた。
ディグダ帝国内は内乱を抱えている地域もある。
今は、ディグダ政府が火種を抑えているが、いつ暴発するとも知れない地域も多々あるだろう。

「私は、強くなりたい」
瞬きを忘れて溶けていく氷を見つめている。
和やかな休憩室とは不釣合いの、強い言葉だ。

「大切なものを守れるように」
セラは黙って聞いていた。

「単純かもしれないけれど、軍に入れば強くなれると思った」
物理的な力を手に入れられる。

セラを守るために。
だれも死なせないために。
軍人になる。
守るべきものを見つけたから。


「わたしはね、お医者様になるわ」
クレイは知っていた。
セラは薬草に興味を持っていたこと。
医学部の教師に何度か話を聞きに行っていたこと。

「わたしの住んでいる街」
「ファリアだったよな」
話に聞いたことしかない。
図書館で、地域について調べたこともある。

「雨量に恵まれてて、とても多く薬草が採れるの」
いくつかセラが羅列した。
その中で何となくクレイも耳にしたような名があるということは、ファリア産の薬草が多くディグダクトルに流通しているということだ。

「知ったのは最近、だけどね」
地元で暮らしていれば、意外と気が付いていないものだ。

「ディグダクトルで勉強して、その内にファリアに帰ろうって思うの」
「開業するのか」
「ファリアで採れる薬草で、薬を処方したり、治療したりね」
目標はできた。

「そのためか」
「何が?」
「試験前に帰郷したかと思えば、帰ってこない。連絡も無い」
「ごめんね」
悪かったと思っている。
クレイを忘れていたわけではない。

「ようやく帰ってきたのは、試験の朝だ」
「よかったわ。無事に通過して」
「奇跡だな」
「努力の結果よ」
目を閉じて、心持ち顎を反らせた。
確かに、彼女はまったく危うげなく進級した。

新しい一年がまた始まる。




「そうだ、灰色館に行かない?」
セラが身を乗り出して、提案した。
二人の間にあるグラスもちょうど空になっている。

「そうだな。新入生も入ったところだ。灰色館にも迷い込んでいるかもな」

「灰色館はいつもの通りよ」
賑わうわけではない。
かといって寂れて朽ちているわけではない。

館主ヒオウ・アルストロメリアは今日も変わらぬ笑顔で迎えてくれるはずだ。
お茶とお菓子とともに。












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